この手で...2

午前中の陽射しに、湯がきらきらと光る。
それは綺麗で穏やかで、湯治、という言葉にぴったりな風景に飛影には思えた。

ふれる、という言葉を飴玉のように口の中で転がし、湯につかる。

振れる?降れる?
違う、それでは前後の文脈と合わない。
軀は間違いなく「触れる」と言ったのだ。

湯の中に落ちていた葉を指先でつまんでくるくる回し、飛影は考え込む。

あの男に触れたからといって、なんだというのだろう。
こんな山奥の湯治宿の主があんなに若い男だというのは確かに変だ。あいつは怪しげな宗教の教祖か何かで、軀はそれを信じているとか?
もちろん軀が何を信じていうようが飛影は構わない。何を信じるかは人の自由だ。

葉をピンと弾いて湯に戻し、飛影は顎まで湯に浸かり、首を振る。

…そんなわけがない。
おかしな仏壇だの、像だのをあの家で見た記憶はない。軀が何かに祈りを捧げている姿を見たこともない。
何よりもそんなものに縋る女ではないことは、飛影はとっくに知っている。

「じゃあ、なんだ?」

湯気の中では、声さえも濡れたように響く。
湯はとろとろと、飛影の体をやわらかく包んだ。
***
学校の図書室とは明らかに違うにおいのする書庫で、飛影は今日もぱらぱらと本をめくる。

どの本もずいぶんと古く、十代に向けて書かれたような本は見当たらないし、どれもくしゃみが出そうなにおいがしたが、テレビも新聞もインターネットもない場所で一ヶ月近くも過ごした今では、貴重な娯楽に思える。

宿に他の客がいることも時折あったが、湯治宿のわりにはどの客もあまり長居をせず帰ってしまうらしい。泊まりではなく近隣から通っているらしい者も見かけたが、風呂の一つを専用で使わせてもらっている飛影は、他の客とは挨拶以上の交流もなかった。

今どきの本ではないそれらは、ほとんどが布の表紙で、光の加減で布の色味の変わる物さえあった。
本の中身よりも装丁の材質の違いを探る方が面白く、窓辺の椅子に座り、飛影は今日も本を窓からの光にかざす。

窓の外は、庭というよりは畑に近い。この季節でも根菜や葉物のいくつが植わっているし、蔵馬がそれを掘り起こしてカゴに入れるのも何度か見かけた。
本を置き、ぼんやりと外を眺めていた飛影の目に、今まで気付かなかったものが飛び込んでくる。

ここから見えるか見えないか、という距離に見えるあの形、あれは鳥居だろうか?
きらびやかな赤ではなく、朽ちかけたような色をしているが、形は鳥居のように見える。

玄関へ回り、スウェットのまま宿のサンダルをつっかけ、書庫の裏手を目指す。畑を越え、森の方へと歩くと、見えてきたのはやはり鳥居のようだ。

森は危ないので近付かないように、とは言われていた。
とはいえここは森のほんの入り口で、宿もまだ見える。

朽ちかけた木の鳥居の先には、飛影の背丈より少し高いだけの小さな祠があり、それを守るかのようにそう大きくはない石の狐が左右に在る。
鳥居は文字通り朽ちかけているし、祠も同じことだ。左右の狐は石でできているだけあって朽ちる気配はないが、苔むし、台座は茶色く枯れてもしぶとそうな雑草に覆われている。

飛影は首を傾げ、狐を眺める。前掛けと呼ぶのだろうか?首にかかっていたらしい布は、元はどうやら赤い色だったようだが今はすっかり茶色になっている。

宿は古いわりにどこもかしこも、掃除が行き届いているのに。
ここはあいつの管轄外なのだろうか。

どうせ暇を持て余している。宿に戻れば何かしらの道具もあるだろうが、取りに行くのも面倒だと、飛影は素手で草をむしり、拾った棒切れで石の狐の苔を落とす。

葉擦れ、鳥の声。

やることがある、というのが久しぶりで、左手だけの作業にいつの間にやら没頭していた自分に気付き、飛影は石でできた短い参道に腰を下ろす。

朽ちた鳥居も祠もどうにかすることなどできはしないが、狐はずいぶん綺麗になった。
左手も素足の両足も黒い上下のスウェットも土で汚れていたが、なにせ風呂には事欠かない。宿に戻って風呂に入ればいいだけの話だ。

「どこにいるのかと思ったら」

近付いてくる人影は見えていた。綿の入った宿の半纏を、蔵馬は飛影の背にかける。
飛影は座ったまま、泥だらけの手を払い、大人しく半纏を着せられるままにしている。

「意外だな。信心深いんだ?」
「信心?まさか。ただの暇つぶしだ」
「神がいるなら、自分の右腕を奪うはずがないって?」

その質問に、飛影はちょっと考え、否の意味で首を振る。

「神なんているわけがないが…それとは関係ないな」
「なぜ?」
「今この時にだって手足を失っているやつも、なんなら何の罪もないのに頭を吹き飛ばされているやつだっているだろう」

もし神がいるのなら、そっちを先に助けに行くのが筋だ。
だから神はいないか、いるとしても無能なんじゃないか。

あっさりとした飛影の答えに、蔵馬は笑い、飛影にとっては予想外の言葉を口にした。

「飛影、そもそもお前は何をしにここへ来たんだ?」

それがこの場所、鳥居の前を指すわけではないことは飛影にもわかった。

「…何って、湯治だろう」
「それほど困っていないように、思えるけど」

座ったままだった飛影は、相手を見上げる。
太陽を背にする形で立っている蔵馬の表情は、影になってよく見えない。

「腕が一本使えなくなって、困っていないとでも?」
「そうだな。よりによって利き手だ。大抵は自棄になるか、空元気で妙に明るくなるとか、変な宗教にでもはまるかだけど」

お前はそのどれでもない。
腕一本失っても、本当は大したことはないと思っているんじゃないか?

何かもらえることを期待して近付いてきたらしい、飛影には名もわからない数羽の茶色い鳥に、蔵馬はポケットから取り出した袋の米をまく。
無言のままの二人の間に、嬉しそうな鳥の声が響く。

「………なぜ、わかった?」

雪菜にも軀にも、わからなかったことなのに。
この男にはなぜわかったのだろうと、飛影は爪に詰まった土を見る。

病院で目を覚ましたあの時、傍らには雪菜がいた。
泣きはらしても綺麗な顔で、擦り傷程度の怪我だけで、五体満足のしなやかな体で。

心底安堵し、嬉しかった。
それに比べれば、自分が右腕を失ったことくらい、飛影にとっては本当はどうでもよかったのだ。

それがどうでもいいことではなかったと知ったのは、あの日の後悔に雪菜が捕らわれ続けていることに気付いた時だった。
雪菜を悲しませていることが、苦しかった。妹が打ちのめされていることに、飛影は打ちのめされたのだ。

「確かにオレは……そうだな、不便だがそのうち慣れる、そのくらいにしか思ってなかった」

背にかけられた半纏の紐を左手で引っぱり、飛影は続ける。

「強いて言えばあの日じゃなくてもよかったけどな。あの日は軀の誕生日だったんだ。何もわざわざそんな日に」
「じゃあ、神様が助けてくれたのかもしれない」

紐から手を放し、意味を問うように飛影は蔵馬を見る。

「お前も、お前の妹も死ぬはずだった。それを神様が腕一本と引き換えに助けたのかもしれない。誕生日の贈り物に」
「…面白いな、その考え。どうせ助けるならちゃんと助けてくれてもいい気がするが」
「何せ神様も万能じゃないからね」

知り合いの話でもするかのような言葉がおかしくて、飛影は小さく笑い、汚れたままの左手を差し出した。

「片方の腕だけを引っぱるのはよくないから。ついでに言うと体を冷やすのもよくないって、何度も言ってるのに」

そう言うと、蔵馬はひょいと飛影を抱き上げる。野暮ったい大きな半纏で包むようにして。
思惑通りのあたたかい腕の中に、飛影はぎこちなく抱かれていた。
***
大小様々、五ケ所の風呂の一つを飛影はずっと使っている。

専用にしたから。ここは小さいけど、一人なら充分だろう?他の客は使わないからゆっくりできるよ、と言われ最初から渡された鍵で木戸を開け、泥だらけの服をカゴに投げた。
手伝いの者を見かけたこともないが、このカゴに放り込んでおいた衣類は二、三日もすると洗濯されて戻ってくる。一ヶ月もここにいれば、さまざまな決まりごとにも慣れたものだ。

とろりとした湯につかり、飛影は暮れかけた空を見る。

先週、家に電話をかけたが、電話機は蔵馬の自室らしき部屋と台所にしかなかったし、何やら操作をしないと外には繋がらないらしく、操作を終えたら出て行ってくれと言うのもはばかられた。
あの言葉の意味を尋ねることもできず、ただ二人の声を聞くだけの電話だった。

ちゃぷんと、あたたかい水面を揺らす。

意味は、聞けなかったが。

触れる、のはもう止めにしよう。
もちろん、触れさせるように仕向けることも。

そもそも、用もなく触れるというのは思ったよりも難しい。
必然的に、触れさせるよう仕向けるしかなかったが、騙しているようで気が引ける。

西日に目を細め、とろりとした湯の中、膝から足首へと手を滑らせる。
ふいに感じた違和感に、飛影は右足を湯から出した。

「……え?」

再起不能の傷を負ったのは右腕だけとはいえ、右足のふくらはぎ、ここにも大きな傷痕があった。
十針以上は縫った傷は、抜糸後も生々しい痕になっていたはずだ。

光の加減、ではない。
言われなければ気がつかないくらい薄くなった傷に驚き、飛影は湯から立ち上がり、体中を眺める。

「だめだ」

日が沈みかけているここではよく見えない。
慌てて湯から上がり、体を拭くのもそこそこに戻った部屋で、今までは見ることもなかった部屋の片隅の鏡台のカバーを外す。
履いていたズボンを脱ぎ、肩にかけていたバスタオルを外し、明かりの下で自分の体を見た飛影は息を飲む。

「…え?」

目立つ大きな傷跡は、右腕を含めて六ヶ所あり、ほとんどは車の衝突をもろに受けた右半身にあった。
なのに今は、右腕の傷痕以外はほとんど見えない。病院では確か、半年から一年もすればだいぶ目立たなくなるとは言われたが、見えるか見えないかの薄さになるような言い方ではなかった。

鏡に近寄り、膝をつく。
体をねじって映した右肩の、グロテスクとしか言いようがなかった縫い跡さえ、驚くほど肌の色に戻りつつある。

どのくらいポカンとしていたのか、部屋の寒さにくしゃみを一つし、飛影は我に返る。

「すごいもんだな…」

湯治だの、温泉だの、ただの気休めかと思っていたのだ。
一ヶ月かそこらで、これほど効果があるとは。

「入るよ」
「わっ、ちょっ…待て!」

慌てて拾ったバスタオルを、飛影はどうにか腰に巻く。

「何度も言うけど、体、冷やさない方がいいよ」
「違う、そうじゃなくて」

風呂上がりに素っ裸で、うっとり鏡を見ているようなやつだと思われては心外だ。

「傷痕が…」
「ご飯だよ。服着ておいで」

パタンと閉まった戸に、飛影の言葉は宙ぶらりんに浮いた。
***
今日から自分で食べる、という飛影の言葉に、そう、とだけ答え、蔵馬は広間を出ようとする。
昨夜まで抱き上げて食べさせていたというのに、何も思わないのだろうか。

「お前はどこで飯を食っているんだ?」

なんとなく、引き止めたような形になってしまい、飛影は口に出した言葉を後悔する。

「自分の部屋で。ここはお客さんの場所だから」
「…そうか」

客?客なんて夜はいないことの方が多いのだ。今夜も誰もいないじゃないか。
ならここで、一緒に食べてくれればいいのに。

もう少し、この男を、蔵馬のことを知りたいと思っている自分に気付き、飛影はちょっと驚く。
妹と、新しくできた姉のような者のこと以外、誰かに何かに興味を持ったことなどなかったのに。

これじゃあまるで、こいつのことが気になっているみたいじゃないか?

いや、気になってはいる、と飛影は考え直す。
だいたい、謎だらけだ。主に触れろと言った、軀の言葉が無効になったわけではないのだし。
何よりも、この右腕のことをあんな風に見抜かれたのも、初めてだった。

覚束なく左手を動かし、煮物の皿に箸をのばしてみたが里芋の入った煮物はぬるぬると滑る。
膳の上に里芋が一つ飛んでいったところで、蔵馬は笑い、飛影の向かいに座った。

「ほら、貸して」

笑われたことにむすっとしながらも、飛影は箸を渡す。
促されるまま開けた口の中に、ぬるりと里芋が滑り込んでくる。

いつもは、膝の上に乗せられていたから。
こんな風に真正面から顔を見て、食事をするのは初めてだった。

それにしても、綺麗な男だ。
じっと見つめ続けるなんて礼儀としてもおかしいだろうと思いつつ、飛影は目が離せない。

「こぼしてるよ、飛影」
「え、あ…」

左手で持った椀からすすったつもりの味噌汁が、半分かた着替えたばかりのスウェットに染み込んでいる。
まったく、何をしているのやら。

寝る前にもう一回、風呂へ行っておいで。雨になりそうだから、長湯はするなよ。
蔵馬の言葉に、飛影は大人しく頷いた。

午前中に一回、午後に一回。
蔵馬に勧められるまま、日に二度の入浴としていた飛影には、闇夜の湯気が新鮮だった。
吊るされた二つのランタンのオレンジ色の灯と、これから雨になるとは思えない、星空の光。空気は冷たく澄んでいて、湯のあたたかさが心地よい。

傷痕が薄くなったのは、嬉しかった。
この傷痕の一つひとつさえ、雪菜を苦しめると知ってしまった今となっては。

右腕が、別の意志を持つ生き物のように、湯にゆらゆらと浮いている。

「綺麗なもんだな」

星を見上げ、ぽつりとこぼす。
冷たい外気と、熱い湯と、夕食後の、ぼんやりとした眠気と。

岩にもたれ、飛影は目を閉じた。
***
ああ、またあの、金魚だ。

赤くてひらひらしていて。水の中で、ひらひら、と。
水を注ぐ音がする。誰か金魚鉢に、水を注いでいる。入れすぎた。そんなにたくさん入れては、鉢からあふれ…

「飛影!」

誰かが呼んでいる。違う。これは雪菜の声じゃない。
じゃ、なくて。誰が?誰が呼んでいる?

凄まじい、水音。
まるで…まるで、なんだ?

降り注ぐ水で、息が、できない。
金魚が、体の中で泳いでいるから。オレは鉢の中にいるから、それで、息が。

「おい!飛影!」

眠い。苦しいのに、眠い。
もう少し、眠らせてくれればいいのに。

そんなことを考えながら、深く沈もうとした飛影の唇に、何かが押し当てられる。

「ーーーーん、んっう!」

突然強く吹き込まれた空気に、体の中にあった水が逆流した。
水を吐き出し、咳き込み、また吐き出しては咳き込んだ。

「…うぁ……」

咳き込んで咳き込んで、咳き込む。

さっきまでの星空はどこへ行ったのか。土砂降りの雨が湯に降り注いでいる。
時折、夜空に白く光るのは、稲妻だろうか。

頭がガンガンする。
ひどいめまいと吐き気に、飛影は呻いた。

「っう……な…ゲホっ…何、を」
「しっかりしろ。溺れたんだ」

バスタオルで手早く飛影の全身を拭くと、蔵馬は赤く染まった体をひょいと抱き上げた。

「く、ら………ゲホッ、ぐ、カハッ…」
「喋らなくていい。まったくお前ときたら」

廊下を進み、乱暴に開けた戸の向こうは、一度だけ電話を借りに入ったことがある蔵馬の自室だ。
畳んであった布団を足で蹴飛ばして広げると、蔵馬は飛影をそっと降ろす。

布団に寝かされたまま、まだ噎せている飛影の元へ、しかめっ面をした蔵馬が氷と水の入った洗面器を手に戻ってくる。
氷水でしぼったタオルを飛影の額に乗せ、蔵馬はやれやれと裸の体に薄いタオルケットをかける。

「水は全部吐かせたから。もう大丈夫だ」
「…水。……オレは…風呂で、溺れ…?」
「長湯は禁物だって言ったのに」

ガンガン痛む頭の上に乗せられた冷たいタオルをずらし、横目で見てみれば、蔵馬も全身ずぶぬれだ。
シャツもジーンズも長い髪も。それはそうだ。どしゃぶりの雨の中、湯の中で溺れていた相手を助けたのだから。

悪かったと謝ろうとし、体を起こしかけた飛影は、感じた違和感にびくっと体を強ばらせた。

「起きるな。寝てろ。オレも着替えてくるから。すぐに戻っ…」
「……痺れる」

飛影の声は、震えている。
それは恐怖の震えではなく、驚きのあまりの震えだ。

「痺れる……右腕が…」

渾身の力を込めて動かすと、右腕は微かに動き、冷たいシーツを擦った。

すき間の多い古い建物は、雨音がよく響く。
窓から射した落雷の白い光が、飛影の頭の中まで貫いた。

「飛影、まだ横になってろ」
「……なんだ?…お前はなんなんだ!?」

さっきまで赤く染まっていた飛影の顔は、蒼白になっている。
びりびりと痺れる右腕を押さえ、飛影は叫ぶ。

「腕、が……?感覚が…?…この…湯じゃない!お前…お前だろう!」

雨音はどんどん激しくなるようだった。
蔵馬は無言のまま、飛影の部屋と同じガスストーブに火をつけ、ゆっくりと振り向く。

「…だったら?」

思っても見なかった答えに、飛影は瞬く。
なんなんだお前は、軀がお前に触れと言った、傷痕が薄くなったのも腕が動くのも…。

痛む頭がぐるぐるまわり、言葉は出てこない。
飛影は唇を噛み、噛んだ瞬間、ついさっきのやわらかな感触が蘇る。

息を吹き込まれた。
唇を合わせて、息を吹き込まれた。
触れたり抱き上げられたりした時とは違う、もっと強い何かが。

「……くら、ま…お前…」
「オレのせいで傷痕が消える?腕が動く?…だったらどうする?飛影?」
「どうするって…」

起き上がった拍子にかけられていたタオルケットがずり落ち、自分が裸で蔵馬の前にいることに飛影はようやく気付く。
頭のてっぺんからつま先まで、蔵馬が舐めるように見ていることにも、気付く。

「………オレに…触ってくれ」

激しくなる雨音にかき消されそうな声で、飛影は言う。

「全部。…体の中も外も、全部」
***
何度も何度も唇が重ねられ、そのたびに飛影は、無意識に息を止める。

裸で眠るような習慣は飛影にはない。
背中や尻に直接触れるシーツの感触も、同じように裸で覆いかぶさる男の体温も、何もかもが初めてのことだ。

「……ん、あ……っ、ん」
「息をしてもいいんだよ」

くすくす笑う、声。

蔵馬の指先が、飛影の顎に触れ、口を開かせる。
すべりこんで来た舌に、飛影の舌がおろおろと逃げるのを楽しむように、水音が響く。

「ん!んん、…っ」
「ほら、腕はこっちに回して。足を広げて」

蔵馬は飛影の左腕を取り、自分の首に回す。
キスから逃げ出さないよう、片手は顎と頬に置いたまま、もう片方の手で飛影の薄い胸元を探る。
薄紅色のそこを摘めば、小さな体がびくんと跳ねる。

「う、あ!…っ、くら…っ」
「そんなに硬くならないで。どっちが気持ちいい?」

左右の乳首を交互に摘み、蔵馬は尋ねる。
顔を真っ赤にした飛影から、返事が返る気配はない。
それでも、広げさせた足の間でしっかり立ち上がっているものを感じ、蔵馬はわざとそこに体をぶつける。

「……っあ!っ!う…っ」
「ここも?ここも触って欲しい?」
「………っ」
「全部触って欲しいんだろう?ここも?」

首に回していた左手を飛影は外し、赤くなった自分の顔を隠すように押し当てる。

「どうなの?触って欲しい?」

手の甲を唇に押し当てたまま、飛影は頷く。
赤い顔で、潤んだ目で。

「いいよ」
「えっ、あ、くら」

両足を大きく広げられ、飛影は狼狽する。
手で隠そうにも、動かせる片手は顔を隠すのに使ってしまっている。

「くら……っ!あ!何、あ!」

蔵馬の両手が、飛影の両足を大きく割り開く。
ゆらゆら天井を向くそれを、蔵馬の唇が捕らえた。

「ーーーーーぁ!」

顔を隠していた手が離れ、空をつかむ。
白い肌が一気に染まり、小さな体がのけ反った。

「早いね。まあそれも初物らしくていいけど」

はつもの?などと聞き返す余裕は、飛影には既にない。
銜えてひと舐めされただけで達した体は、忙しない呼吸に上下している。

こういうことを、したことがない。

外の雨音にも負けない音を立てている心臓を宥めようと、飛影は深呼吸を繰り返す。
いつか誰かとこういうことをするかもしれないとさえ、考えたことがなかった。

蔵馬の舌が、太ももの内側を伝う。
一回出したばかりなのに、飛影の体の中にはまた、赤い炎が燃え上がる。

「…っ、あ!くら……待っ…」
「待とうか?」

太ももの終わり、ちょうど鼠蹊部のあたりで蔵馬は舌を止め、やわらかな部分に舌先を抉るように押し付けた。

「うあっ!…っあ!それ…待つって言わな…っ」

刺激にびくりと浮いた両足を、蔵馬は強く押さえ、再び口に含む。
声を上げるまいと唇を噛みしめた飛影だったが、先端に歯を立てられ、呆気なく口を開けた。

雨音と、声と。
ガスストーブのぼんやりとした明かりの中、遠くに時間を告げる柱時計の音がした。

「んあ!っく、ああ!あ…」

何度目かの放出に、白い太ももが震えている。
汚れた肌を綺麗に舐めとると、蔵馬は笑みを浮かべ、体を起こす。
向かい合う形で飛影を抱き上げ、短い髪をかき上げた。

「もっとする?」
「……っふ…あ…、……っ、す、る…」
「じゃあ、こっち」

左手を、蔵馬の大きな手で掴まれる。
引っぱられた手は、蔵馬の足の間に導かれる。

「な、あ…」
「握って。しっかり」

左手でつかまされたそれは、硬く、熱く、大きい。
それを握り締めた飛影は、ぶるりと震える。

「…くらま」

手でつかんでいるだけで、体の中がどんどん熱くなる。
早く、これを。

「…これ、を……どう、する?」
「お前の中に入れるから。最初はちょっと痛いけど我慢して」
「………っ、はや、く…」

自分の言葉に恥じらう余裕すら、もう飛影にはない。
つかんだ硬く長いものを手のひらで擦り、潤んだ目で見上げた。

蔵馬の両手が小さな尻をつかみ、持ち上げる。
尻を突き出すような姿勢を飛影に取らせると、薄い肉を開いた。

「いっ!あ、あ!」
「こんな場所まで、小さい」

指先でそこを撫でると、蔵馬はまた笑う。
なにやらぷちっと潰す音がし、あたりに花のような香りが立ち込める。

「くらま……あ、なに、を…」
「いい香りだろう?この実にはたっぷり油が含まれているんだ」
「あぶ、ら…?…うあ!」

入り口をぬるぬると撫でていた指が、つぷりと中に押し込まれる。
経験したことのない場所に感じる他人の熱に、飛影の目が見開かれる。

「っあ!つ、あ……くらまっ」

長い指が、体の中に入ってくる。
中を掻き回すように、くちゅくちゅと。

飛影の左手が力なくずるりと離れ、蔵馬の胸に顔が押し付けられる。
二本、三本と増やされた指が、ぬるぬるくちゅくちゅと穴の中を探っている。

「あああ、あ!も、だめ、だ…っ、くら」
「まだ出さないで。我慢して」

ちゅぽっと音を立てて指が抜かれ、その刺激だけでも飛影の目の前には光の欠片が飛ぶ。
ふらふらと尻を下ろそうとした瞬間、ぬるつくそこに、熱く太いものが押し当てられる。

「あ……」
「どうする?入れる?」

熱くて、硬い。
ぬるぬるの穴は熱いものを歓迎し、ひくひくと蠢いている。

「…入れ…て、く、れ…、ーーーーっあ!うあ!」

白く小さな尻が太く大きなものを飲み込み、満足げに濡れた音を立てた。
のけ反ってひっくり返りそうになった体は、両腕を強く引かれ起き上がり、上下に弾む。

「あっ、あっ、あっ、ああ!うあ!あ!あああぁ」
「ほら、支えていてあげるから。お尻を動かして」
「あっ、あっ、あああ、んあ、あ!」

抜けるぎりぎりまで尻を浮かし、勢いよく落とす。
落とした瞬間を狙って突き上げられ、飛影は頭のてっぺんから出たような声で部屋を震わせる。

「くら、ま!あ、も、…ああ!あ!イ、いい、あ、アアア!」
「ほら、もっと。もっと広げて、もっと奥まで」

内臓全部を揺らされるような突き上げに、飛影は悲鳴にも似た声を上げる。
髪を濡らすのはもはや湯ではなく、体中から噴き出す汗だ。

何も感じないはずの右腕に、痛みにも似たビリッとした痺れが走る。

何度も何度も突き上げられ、繋がっている部分が熱く濡れる。
痛みなのか快楽なのかもわからない熱さ。
突かれては抜かれ、そのたびに飛影の喉からは声が迸る。

「つう!あ、アア、アアア!うあ!あっあっあ」
「…飛影…っ、かわいいね…」
「イ、あ!くら、蔵馬!…ッヒ、アア、アアア、アアアアっ…」

もう一度聞こえた柱時計の音を合図にしたかのように、飛影は昇りつめ、全てを手放した。
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