銀世界...3

また、檻の中だ。
場所は違えど、また檻の中。えらく硬い木でできた、牢獄。
結局、無力に閉じこめられている自分に、ほとほと愛想が尽きる。

俺の首を切り落とそうとした黄泉を制し、狐は俺を牢に放り込んでおけ、と言った。
あの蔵馬とかいう狐は見るからに頭が良さそうだった。俺を生かしておく理由はわからなかったが、何か考えがあるのだろう。

帯を結び直すのは面倒で、襦袢と着物を重ねて羽織るだけにした。

木の床に寝そべり、俺は目を閉じる。
牢にはむろん火は焚かれていなかったが、それでも氷河の国に比べれば夢のようなあたたかさだった。

…ぼんやりするな。
こんなことをしていては、駄目だ。
動け。ここから逃げ出さなければならないのだから。

氷女が十人、捕まっている。

そこに雪菜がいないか、確かめなければ。
他の氷女など全員殺されようが犯されようが知ったことではないが、もし雪菜が捕まっていたら、なんとしても助け出さなければならない。

それはとても、難しいことに思えた。
敵は多く、強く、俺は何も持たず、呪符すら外されていない。そもそも外されたとしても炎を使ったこともない。
氷女たちのように氷の武器を作ることもできない。

いったい、どうしたらいい?

…なんだかとても、疲れた。
生まれてこの方、ずっとずっと溜め込んでいた疲れがどっとあふれ出し、体を床に縫い止めているような気がした。

ー偽物だ
ー去勢された雄
ーこのみっともない体
ー忌み子だ
ー氷泪石も造れない

「ただの出来損ない………か」

脳裏に焼き付いた、金色の瞳。
冷めた声、冷めた金色。

つねられた局部が、じくじくと痛い。

氷河の国。
牢獄には当然、鏡などなかった。
飲み水も体を洗う水も、ほんの少ししか与えられなかったから、薄暗い牢獄では水鏡にもならなかった。
雪菜は時折、俺の髪を切ってくれていた。だから黒髪であることは知っていたが、雪菜が俺の容姿について何か言ったことは一度もない。

俺は自分が赤い目であることさえ、知らなかったのだ。

偽物。
去勢された、みっともない体。

どれほど泣いても、俺の涙は宝石にはならないことは生まれ落ちたあの日に証明済みだ。
氷泪石も造れない、出来損ないの、忌み子。

そうだ。それが俺だ。

…疲れた。
本当にもう、疲れてしまった。

ほんの少しだけ。
一刻だけでいい、眠らせてくれ。

心の中で雪菜に詫び、床の上で目を閉じた。
生まれて初めてのあたたかい場所での眠りは、ほの暗く、深かった。
***
空腹に、目が覚めた。

赤茶色の木でできた天井。
差し込む陽射しが裸足のままの足先に当たり、ぼんやりあたたかい。

…陽射し!?

陽が射している?
朝まで眠ってしまったというのか!?

跳ね起きてはみたが、起きたところでどうしたものか。
目の前の格子に拳を打ち付けてはみたが、恐ろしく硬く、木でできているといのに欠けもしない。
手から血が噴き出しただけだった。

「…くそっ」

腹が減ってはいたが、あたたかい場所での眠りのおかげか、体は軽い。
牢はいくつか並んでいるようだが、何の気配もない。氷女たちはどこに捕らえられているのだろう。
流れる血を舐め取り、格子に顔を押し付け、辺りをぐるっと見渡す。

木の軋む音がした。

牢の並ぶ廊下の先、ここもまた木でできた階段が軋む音に、身構える。
あいつだ、あの、狐だ。

「貴様…!!」
「ずいぶんと口の悪いことだな」

氷河の国では見たこともないような豪華な着物を着崩して纏い、牢の並ぶこの部屋の入口に、狐が居た。
手には白い盃。中身はまるで血のように見える赤い酒だ。

金の瞳が無遠慮に俺を見る。
人を小馬鹿にしたような、その視線。

「…氷女たちは、どこだ?」
「さあ」

薄い唇で、酒を飲む。
肩をすくめる動きとともに、銀糸がさらさら流れる。

そのままくるりと出て行ってしまおうとしている背中を、俺は焦って呼び止めた。
いったい何をしに来たんだこいつは!見せ物でも見物しているつもりか!?

「おい!」
「…なんだ?忌み子」
「氷女をどうする気だ!?」
「知らん。氷泪石を搾り取って、犯すか喰うか殺すか、だろう」

背に冷や汗が噴き出すのが自分でもわかったが、俺はなんとか平常心を保とうと、深く呼吸をする。
こいつがどういう気まぐれで牢に来たのかは知らないが、取引できるのは今しかない。癇癪を起こして、何もかも駄目にするなど愚かすぎる。

全身全霊で集中し、俺は薄く笑って見せる。

「…氷泪石?そんなものは、屑だ」
「造れないお前が言うのか?」

面白そうに、狐が眉をあげ、笑った。
こいつは、魔界のいろいろなことをきっと知り尽くしている。
けれど、昨夜は確かに、実際に忌み子を見るのは初めてだと言っていた。

ならば。

「忌み子の造る石に比べたら…氷泪石など石ころでしかない」
「…お前は氷女以上の氷泪石を、造れるとでも言うのか」

俺はできるだけ綺麗に見えるよう、艶めかしく見えるよう、笑んでみせる。

今ほど鏡というものが欲しかったことはない。
いったい俺は、どんな顔をしているのだろう。
目が赤くても、顔立ちは雪菜と似ているのだろうか?綺麗な顔なのだろうか?それとも顔までも醜いのだろうか。

今どんな顔をして、俺はこの狐に笑いかけている?

「それで?何が言いたい」
「交換条件だ」

俺はお前の望むだけ石を造る。
条件は、昨夜捕まえてきた氷女たちを逃がしてやること。
だが、先に石は渡せない。氷女たちの解放が先だ。

一気にまくし立てた言葉に、狐は無言のまま俺を見る。

脈打つ核が、口から飛び出しそうだった。
この賢しらな狐を騙すなんて、できるだろうか。

「馬鹿だな、お前」

狐が苦笑する。

お前はここで、拷問を受ける。嘘か本当か知らんが、お前のいうところの極上の氷泪石を造る。
氷女たちも、拷問を受け、普通の氷泪石を造る。それはそれで金になる。

「それが俺たちにとって、一番の得策じゃないか?」

しれっと、狐は言う。

本当に、その通りだ。
しかも俺は氷泪石など造れもしない。

考えろ。考えろ考えろ!!
どうしたらいい。どうしたら!!

「……俺は、泣きはしない」
「何?」
「氷女を逃がさない限り、泣かない。石は造らない。絶対にな」

くくっと、狐が笑う。

「ずいぶん自信があるんだな」

酒を干し、盃ごしに俺を見る金色の瞳。

「…俺たちの、次の盗みは三夜後でな」

意味がわからないと眉をしかめる俺に、狐はにやりと笑った。

「それまでは、暇なんだ」

長く生きると、楽しめる暇つぶしはそうそうない。
遊んでやっても、いいぞ。
狐は言った。

「……遊び?」
「今から」

今から、氷女を逃がしてやろう。
そしてお前は、ここに残って拷問を受ける。

「極上の氷泪石とやらが本当にあるのか、見せてもらおうじゃないか?」
「……ああ。できるものならやってみろ」
「氷女は逃がしてやる。だが、お前が泣いた瞬間、氷女たちに追っ手を放つ」
「………な、に…?なんだと…?」

遊びさ。命を賭けた遊戯だ。面白いだろう?
お前が耐えている間は、俺の手下たちには氷女は追わせない。

「お前が泣いた瞬間、追っ手は放たれる」

氷河に戻れていれば、氷女たちの勝ちさ。氷河までは追わん。
だが、ここから氷河へはかなりの距離がある。あれは常に移動しているしな。

拷問に耐え切れず、お前が泣き出す。
その時にあの女たちは氷河へ戻れているかな?
逃げ切れるかな?

あの女たちの運命は、お前次第さ。

「では…お手並み拝見といこうか?忌み子」
***
「氷女を放してやれ」

手を引かれ牢を出た。
牢番とおぼしき男に、狐は短く命ずる。

「は。しかし黄泉様が…」
「気にするな。俺の命だと伝えろ」

牢番は畏まりましたと頭を下げ、どこかへ走って行く。

連れて行かれた先は、昨夜の大広間とは違う小さな部屋だ。
他には、誰もいない。

「手を出せ」

言われるままに、手を差し出す。
今ここで、抵抗してもしょうがない。

どんな拷問だろうが、耐えてみせる。
その覚悟は、できているつもりだった。
どっちにしろ、泣けば氷泪石が造れないことは一目瞭然。
俺はその時点で殺される。

「言っておくが、お前が気絶した場合でも追っ手は放つからな」

なるほど。その逃げ道もなくなった。
まったく八方塞がりというわけだ。

「…本当に、氷女は逃がしたんだろうな?」
「もちろんだ。決まりを守ってこそ遊びは面白くなるのさ」

右の手のひらに狐が鋭い爪を立てる。手のひらには小さな穴が開き、血が一筋流れる。

傷口に、小さくて硬いものが押し込まれた。
石…だろうか?
痛いことは痛いが、どうということもない。

これが、拷問?

「忌み子、俺を退屈させるなよ?」

白い、これまた豪華な敷物に狐は優雅に寝そべる。
盃を酒で満たし、宙に向かってそれを掲げてみせた。

「乾杯」

手のひらで、痛みが爆発した。
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