mama...4「あと、きっかり百夜」室内の人工的な涼しさと、夜が更けても変わらない、人間界の真夏の熱気。 蔵馬の放った液体が、トロリと腹に納まるのを感じて、飛影が恍惚に身を震わせていた時だった。 「…ぁ、……何の話…だ?」 まだ呼吸の整わない飛影が、いぶかしげに問う。 「…あなたと過ごせる、時間」 「…一体…何の話をしているんだ?」 「ごめん。本当に…ごめん。もっと早くに言うべきだったんだけど」 人間の体に、この妖力を納めるのはいずれ無理になる事はずいぶん前から分かってはいた。 でも…それまでに延命できる方法を必ず見つけられると思ってたんだ。我ながら、過信だよね。自惚れてた。 散々探したんだ。あらゆる手も試してみた。でも…どうやら…生き延びるにはまた人間に憑依するしかなさそうだ。 でも今度は…そう上手くはいかないかもしれない。 他人事のように淡々と語られる言葉を、飛影は理解できないでいた。 「つまり…貴様は………死ぬ、と?」 「まあ、はっきり言うと、そうだね」 「…百夜だって?ずいぶん切りのいい数字だな?」 皮肉っぽく言おうとしたらしいが、飛影の意思を裏切って語尾が震えていた。 「うーん、何て言うのかな?燃料が切れるみたいに…この体が尽きる日が、はっきりオレにはわかるんだ」 「……」 「飛影は、オレなんかいなくても、大丈夫でしょ?」 蔵馬がわざと軽い口調で返す。 「…ああ。せいせいする」 「…そう言われちゃうと、寂しいな」 死なないで、って、泣いて縋るとかさあ。 そういうの、ちょっと期待してたのに。 蔵馬はいつも通りの顔で笑う。 素早い身のこなしで飛影はベッドから立ち上がり、服を着る。 「馬鹿馬鹿しい。これで貴様の顔も見納めだな。じゃあな、蔵馬」 「そんなあ。あと百夜あるんだからさ。会いに来てよ」 そして、抱かせてよ。 今生の別れにさ。 笑う碧の瞳が、月明かりの元で輝きを増す。 「…さっさとくたばれ。この死に損ないが」 飛影は吐き捨てるように言うと、窓枠を蹴った。 ***
「…あれ?飛影」さっさとくたばれと言われた六夜後、魔界の根城の一つにいた蔵馬は、突然の訪問者を迎えていた。 「来てくれたの?」 「…人間界の、家族とやらはいいのか?」 「ご心配なく。記憶は消してきたし、オレが生きてきた痕跡も全部処分してきた。オレという人間がいた証は、何一つ残さずね。ところで…」 来てくれたって事はもしかして、あと九十四夜、オレの側にいてくれるとか? 蔵馬は優しく問う。 「…ああ。貴様とのセックスはまあまあだからな。もう少し味わうのも悪くない」 「あれ?他の人ともしてるみたいな言い方だね?」 飛影は頬を赤く染め、ふい、と視線を反らす。だがその視線は頬に触れる蔵馬の手であっさり戻される。 「パトロールはいいの?そんなに長くさぼっちゃって?」 「…ああ」 たっぷりの金と引き換えに、パトロールのシフトの替わりをしてくれる者は百足にも何人かはいた。 幸いにも、躯がパトロールに顔を出す事はあまりない。 自分で造った氷泪石から巨額の金を作り出す事は簡単だった。 おかしな話だが、自分が金をいくらでも造り出せるという事実を、飛影は今まで考えた事はなかった。 「飛影……好きだよ。…待ってて。オレは必ず帰ってくるから」 「そんな事誰が頼んだ?」 「お願い。待っててよ。そうじゃなきゃ生き返る甲斐がないじゃない?」 「…なら大人しく死んでろ」 憎まれ口を叩きながらもベッドに押し倒された小柄な体は、いつになく素直に開かれた。 ***
何日も、何十日も、昼も夜もなく、体を重ねる。 互いに互いを愛しむように、貪るように。 上になり、下になり、肉棒を肉壺に収める。 飛影は自分の体内に注ぎ込まれる熱い流れを、飽く事なく受け止める。 とろとろと眠り、目覚めては繋がる。 どろりと重い、蜜のような日々。 「蔵馬…」 「なに?」 蔵馬に残された時間があと十夜程にせまったある夜、お互いの体液に濡れ、湿った寝具の中で、飛影が囁くように話し始めた。 「…妖怪に…憑依したらいい…。人間に憑依したら…同じ事の繰り返しだろう?」 「妖怪の胎児にって事?…そうだね、そうできたらいいけど、それは無理だ」 「なぜ?」 「人間みたいに弱い生き物じゃないからね、妖怪は。胎児でさえ…他者が自分に憑依しようとしたら…」 「したら?」 …そもそもつけ入る隙がないし、もし可能だとしても…拒絶反応を起こして、母体共々死ぬだろうね。 第一、憑依するにも相性ってものがあるから。胎児と母体の両方に。人間相手でさえ、ね。それが合致するのはとても低い確率なんだよ。この体は…運良く手に入れたんだ。 事も無げにそう説明し、飛影の髪にキスをして蔵馬は小さく笑った。 「…どうしてそんな事を?やっぱり…オレの事好きになりすぎちゃった?」 からかうような口調。 だが、飛影の瞳に宿る怒りに、蔵馬は真顔に戻り、視線を窓の外の月に移した。 「…オレが…また人間として産まれ直すのを…待っててくれる?」 「待たない」 きっぱりと言い切る。 「……お願い。待ってて。必ず…帰ってくるから」 本当は帰ってこれる保証などない。 待っててなどと言う権利はない。待つ義務もない。 それは二人ともよく分かっている。 「待たない」 「飛影……」 飛影は蔵馬の頭に腕を回し、自分の胸元に引き寄せた。 「オレは待てない…だから、オレの中に…きたらいい」 「……え?」 女のような柔らかみはないが、なめらかな肌の飛影の胸元で、蔵馬はまた、小さく笑った。 「…まあ、自分の種なら後は母体との相性の問題だけだね。でも…あなたは女じゃないもの。もしあなたが女だったとしても…あなたをそんな危険には、絶対に晒せないよ」 「腹の中を改造すればいいだけだ。…魔界では難しい事じゃない」 「馬鹿な事を言わないで、飛影」 「…もう遅い」 その言葉に、蔵馬がガバッと顔を上げた。 その顔はいつもの冷静沈着な蔵馬の表情ではない。 明らかに、驚愕と恐怖に彩られている。 「何を…?…飛影、今なんて言った?」 飛影は無言で蔵馬の手を取ると、自分の腹部に押し当てた。 なめらかに白く、平らな腹。 …だが、その中心に……微かな息吹。 「…もう遅い、と言ったんだ」 飛影の目は、奇妙に輝いていた。 熱に浮かされているかのように。 |