Loop Dragon Act.1...3「も~!しつこい!」鏡の中の自分を見つめたままの雪菜から、鋭い声が飛ぶ。 紅筆がガチャンと音を立て、乱暴に置かれる。 「余計なお世話よ。兄さん」 「冗談じゃないぞ!」 「そ。冗談じゃないわ。口出ししないで」 「お前をあいつのところになんかやれるか!」 小柄なところだけはよく似ている兄妹は互いににらみ合っている。 「たった一日でしょ。何をさわいでいるの兄さん」 聞き分けのない子供を叱るように、雪菜が溜め息をつく。 「一日だと?一日一緒にいて無事にすむもんか」 「ただのデートよ」 「ただですむか!」 「もちろんそうね。でも兄さんには関係ないことよ。それに」 蒼い眼が冷たく輝く。 「好みよ、あの男。別に嫌じゃないわ」 「雪菜!!」 まあまあまあ、と幽助が慌てて割って入る。 あの日雪菜はループドラゴン始まって以来の大負けをしたのだ。 相手はもちろんあの男。 名を蔵馬と名乗った。 あれほど野次馬が集まるのも無理はない。 それほど歴史的な大負けだった。 だがその後、野次馬はさらにどよめいた。 蔵馬は金はいらない、そのかわり一晩付き合って欲しいと雪菜に言ったのだ。 もちろん客と従業員の個人的付き合いは禁止、なんてルールはケタ違いの金の前ではないも同然だ。 オーナーは当然のごとく許可を出した。 「オーナーの許可は出ているわ。もう兄さんには口出しできないことよ」 仕事の制服とはと違いふんわりしたドレスをまとい、薄めの化粧をした雪菜はいつもに増して綺麗だが口調はきつい。 「だいたい行かなかったらどうなるの?兄さんが払うとでもいうの?八億二千ディリを」 「…それは…」 意地の悪い言葉に飛影は返答に詰まる。 八億二千ディリ。 それはループドラゴンのほぼ三ヶ月分の売上に匹敵する金額だ。 「まあまあ!落ち着いて!お、お茶でも…」 いつの間にか茶器を盆にのせて来たぼたんが、これまた慌てて取り成す。龍が描かれた大ぶりな茶器には、いい香りのお茶がなみなみと注がれている。 「ぼたんさんありがと。だいたい兄さんときたら…」 熱いお茶が苦手な雪菜は、指先で茶器の縁をなぞる。氷が浮き、あっという間に冷茶になったそれを一気に飲み干す。 「私に干渉し過ぎるのよ。…とにかくもう決まった…こと…」 氷の瞳がとろんと潤む。 手から離れた茶器を床に落ちる寸前に受け止めたのはぼたんで、椅子からグラリと倒れた雪菜を受け止めたのは幽助だ。 「おーい。こんなことして大丈夫なのかよ飛影」 「そ、そうだよー。後がこわいよ…」 ソファに寝かせた雪菜に、ぼたんが寝室から持ってきた毛布をかける。 「第一どうするつもりなんだい?オーナーが許可してるんだよ?」 「おめーの心配はわかるけど八億二千ディリだぜ?それをチャラにしてくれるってぇのに行かなかったら…オーナーに殺されっぞ?」 ぼたんに頼んでおいた薬ですうすう眠る妹を見下ろし、兄は黙ってテーブルの上に置かれた金細工の鍵を取った。 蔵馬が雪菜に渡した鍵。 ループドラゴンに併設されているホテルのスイートルームのナンバーの彫られた鍵だ。 「…話をつけてくる」 おい待てよ、話つけるたってよ、と慌てて止める幽助を振り払い、飛影は駆け出した。 ***
寮を飛び出し、ループドラゴンを飛び出し、飛影は隣のホテルに向かう。隣と言ったってどちらもちょっとした街といってもいいほど巨大な建物だ。ホテルのロビーに着く頃にはさすがに息が切れていた。 ロビーにいた従業員がチラリと駆け込んできた客である飛影を見たが、何事もないようにいらっしゃいませ、と微笑み目をそらした。ループドラゴンとホテルの従業員は寮も違うし、顔を合わせる事はあまりない。どうやら知らない顔だった。 金細工の施されたエレベーターの前にいたポーターが、呼び止めた。 「お客様、申し訳ありませんがこれは最上階にしか止まりません。何階に行かれますか?」 飛影が無言で差し出した金色の鍵のナンバーを見て、ポーターはちょっと驚いた顔をした。 どうやらループドラゴンでの騒ぎはここにも当然のように知られているらしい。 「失礼いたしました。どうぞ、ご案内いたします」 さすがに鍵を持っている者に失礼な態度を取るような教育はされていない。 飛影はあっという間に最上階、888号室の前に案内された。 ノックをしようとしたポーターを帰し、鍵とドアを交互に見つめて飛影はたたずんでいた。 なんて、考えなしなんだ。 雪菜を止めたくてこんな風に飛び出してきたが、話をつけるってなんだ? 金も払えない、雪菜は渡したくない? 我ながら、大馬鹿もいいところだ。 …殺すとか? 短絡的な考えが浮かぶ。 いや、それではこっちがオーナーに殺される。 で、雪菜はこいつに差し出されるだろう。無駄死にだ。 自分で飛び出してきておいて、途方に暮れる。 「鍵を持っているのに、入らないの?」 後ろからふいにかけられた言葉に飛影は飛び上がった。 あの男がいた。 蔵馬。 どうやら部屋に戻ってきた所らしい。 てっきり部屋にいると思い込んでいた。 間近で見ると、本当にびっくりするほど綺麗な男だ。 整った顔立ちは中性的で、低く甘い心地よい声。 艶のある黒髪が背の中ほどまで流れている。 飛影が言葉に詰まっていると、蔵馬は笑って言った。 「君、誰?その鍵はどうしたの?」 「…俺は…」 「まあ立ち話もなんだし。どうぞ」 そう言って、蔵馬は自分の鍵でドアを開けた。 ***
部屋はさすがにスイートルームだけあって、広く豪華な造りだった。考えもまとまらないうちにここへ来た飛影は…もっとも良案などありそうにもない…困惑の表情を浮かべて部屋を眺めた。 「で、君は誰なの?どうしてその鍵を持っているの?」 蔵馬はバーカウンターのある部屋で二つの小さなグラスに酒を満たし、一つを飛影に差し出した。 「…俺は、飛影。……雪菜の兄だ」 「ああ、そうか。どうりで似てると思った」 似ているとは小柄な事以外あまり言われたことのない言葉だ。 小さいことを揶揄されたのだろうか? 「それで、お兄ちゃんは何しに来たの?」 俺が鍵を渡したのは妹なのに、と笑う。 「雪菜を…どうする気だ?」 「どうって…」 グラスの酒を干し、おかしそうに笑う。 「街を案内してもらって、美味しい夕食でも食べて、それからこの部屋でセックスを楽しもうかな、って」 分かっていた返答なのに、飛影は顔を赤くする。 「…冗談じゃない!雪菜は渡さん!」 「えー?一日じゃない。たったの」 「断る!」 「断るって…彼女もまんざらでもなさそうだったけどなあ。だいたいそんな権利、君にあるの?」 当然の反論に飛影は詰まる。 「結構な額だよ?むしろ君にも感謝されてもいいくらい」 碧の瞳が意地悪く光る。 「それは…」 紅の瞳は途方に暮れた色を見せる。 「ずいぶん過保護なお兄ちゃんだね。…じゃあ、君が替わるとでも言うわけ?」 思ってもみなかったその言葉に、飛影は弾かれたように顔を上げた。 |