heaven's day...8

「よお。生きてんじゃん」

相変わらず何日経ったのかもわからず、浅い眠りから覚めてみれば、何かの冗談のようなモヒカン男が自分を見下ろしていた。まだ夢なのかと飛影はぎゅっと目を閉じたが、もう一度目を開けても目の前の光景は変わらない。

「誰だ…っぁつ!」

モヒカン男はひょいと飛影を起こし、ベッドに座らせる。床に落ちていた毛布を拾うと丸めてクッション代わりに飛影の背に入れ、楽な姿勢で座れるようにしてくれるその手付きはやけに慣れていた。

「おい…なんだお前…誰だ」
「俺?酎」

明らかにコードであろうその名を名乗るとモヒカン男は立ち上がり、バスルームへ向かう。バスタブに湯を入れているらしく、水音が部屋まで聞こえる。風呂に入るつもりかと困惑する飛影の前に、モヒカン男は戻ってきた。

「触るな!」
「困ったガキだなお前は。俺が手術してやったんだぞ」
「…お前が?」
「そ。お医者様にお礼はないのかよチビ」

酎と名乗った男は飛影の服を脱がし、肩に巻かれた包帯を解く。丁寧にガーゼを剥がし傷の様子を確かめ、今度はギプスに固められた両手足を探り、頷く。

「いいみたいだな」
「そんな風体で医者なのか?」
「闇医者だけどな」
「それは見ればわかる」
「確かに。お前がチビなのと一緒で見りゃわかるな」

闇医者という言葉に似合わず陽気な男に、飛影は少し緊張を解く。
よく考えてみれば鍵を壊して入ってきたわけでもない。蔵馬の知り合いなのだろう。酎は手足の包帯も解きナイフのような物で器用にギプスを外す。武骨な太い指で押さえるように患部を診る。

「あの薬、効くな。やっぱり若いと治りも早い」

うんうんとひとり頷き、何かをデバイスにメモをし、飛影の肩の傷口に防水性のあるパッドを貼ると立ち上がった。
立ち上がると、飛影とは大人と子供ほども身長が違う。幼子にするかのように、酎は軽々と飛影を抱き上げた。

「何を…っ」
「風呂入るぞ」

すでに満杯になり湯をあふれさせていた蛇口をひねると、泡だらけの湯船にゆっくりと飛影の体を沈めた。

ぬるめの湯。いい香りのするたっぷりの泡。
時々蔵馬が濡れたタオルで体を拭いてくれてはいたが、風呂もシャワーも久しぶりだ。心地よさに大人しくなった飛影に、酎は笑う。

「目、閉じてな」

手早く髪を洗い、やわらかなタオルを泡立て体も洗ってくれる。
ぬるくあたたかい泡に全身をつつまれる感覚に、飛影は猫のように目を細める。

「…なぜ、こんなことをする?蔵馬に頼まれたのか?」
「蔵馬?ああ、そっか。それが本名だったな。往診に来たんだ。術後そのままってわけにもいかねえし。風呂はサービス。あいつあんまり世話上手くないだろ?」

あんまり、というか全然だ。
なんせジャンキーなのだから人の世話どころではないのかもしれないが。

体も洗い終え、ギプスを外された手足を、酎は湯の中で揉み解す。
酎に促され、飛影は腕を上げてみる。なんとか、動くようだ。

「一応くっついてはいるけどな。用心して使えよ。重い物を持つとか、走るとかはまだやめとけよ」
「ああ」
「右腕はまだ使うな。肩の傷は塞がってないからな」
「わかった」

飛影をバスタブに残したまま、酎は部屋へと戻る。
シーツを取り換え、汚れた包帯やギプスの残骸を袋にひとまとめにするとバスルームの飛影の元へ戻り、泡を流し抱き上げ、バスタオルで包む。

「ゆっくり歩いてみろ。ベッドまで行って、座れ」

部屋の床にそっと降ろされる。
足の裏に感じる床の硬さと冷たさ。それでも自分の足で立つことのできる喜びに、飛影はふらつきながらもベッドまでたどり着く。

「よしよし。…でだな」

酎は少し言いにくそうに、続ける。

「…服着る前に、ちょっとケツも診るぞ。横になれ」

ためらわなかったと言えば嘘になる。だが飛影は大人しく横になり、言われるままに膝を曲げ足を広げた。
酎は清潔なシーツを顔のあたりまでかけてくれる。こっちが感じる羞恥を減らそうとしてくれているのだと飛影にもわかる。

「力、入れるなよ。できるだけ痛くないようにするからさ」

静かな部屋に、粘膜を探る指が立てる濡れた音と、冷たい医療器具のカチャカチャとした音が響く。
強い痛みに深呼吸を繰り返し、飛影はただ天井を眺めていた。

「プランダという名を…知っているか?」
「この街でプランダの名前を知らないやつなんていないだろ」
「何が…あった?」

呟くように、聞いてみる。本当にプランダがなくなったというなら、この男も当然知っているはずだ。
さっき会ったばかりだというのに、なんとなく、この男を信用してもいいような気が飛影はしていた。

「やっぱりそうか。お前プランダの残党なんだな?」

残党。
その言葉の意味に、飛影は体を硬くした。

「力抜けって。余計痛くなるぞ」
「プランダは…本当に?」
「そうだな。壊滅的ってやつだな、ロマンチックに言うなら。プランダのヤツらは九割方死んだって話だ。何人かはまあ、警察の面子ってやつで生きたまま逮捕されたみたいだが、どうせ子供以外は死刑だしな。街は大騒ぎだ」

内臓を探る指。
耐えられないわけではないが、気持ちの悪い、嫌な痛みだ。

「…っぅ。なぜ…?どうやって?」
「詳しくは知らねえな。狐は天文学的な報酬のかわりに仕事は確実だ」
「だが…こんな短時間…っ、あ、う!」
「ちょっと我慢しろ。抜糸する」

粘膜を縫い合わせた糸を抜き、差し込んでいた器具が外される。
軟膏を塗る指も抜かれ、ほっとして震える息を吐く飛影に、もういいぞと酎は蔵馬の物とおぼしき服を差し出す。

「痛かっただろ?もう大丈夫だぞ。でも当分、合成食以外の固形物食うなよ」

バタンとドアが開き、帰ってきたらしい蔵馬が靴のまま入ってくる。

「酎、また甘やかしてるんだ?」
「そういう言い方ないだろ。まだ子供じゃねえか」
「痛いくらいでいいんだよ。その子が苦しむのは当然。だって罰なんだから」
「お前はまたそういうことを」

おそろしくゆっくりとだったが、久しぶりに自分の手で服を着ている途中だった飛影は顔を上げ、罰?と蔵馬を睨む。

「そう、罰。怪我をしたのもレイプされたのも、今痛くてしんどいのも。君は罰を受けなくちゃ」
「なんだと?」
「君は自分を売るより、楽で稼ぎのいい売人を選んだんだから当然だろう?君のせいで苦しんでいる人は大勢いる」
「…ジャンキーどもか?俺は買ってくれなんて誰にも頼んでない。買ったやつらの自業自得だ」
「へえ。買ったやつらが誰かに無理やり薬を使ってたら?兄さんが君にしたように」

ボタンをかける手をとめ、飛影は思わず蔵馬を見つめる。

「抵抗もできない女や子供で、そのせいで中毒になったり、死んだりしたら?俺だったら君の所へ化けて出るけどな」

薬を買うキチガイども。自分の意思で、自分の都合で薬に溺れたやつら。そう思っていた。とはいえ、その薬を本人が使うのか誰かに与えるのかなどわかりはしない。もっと言えば客がそれを何に誰にいつ使うのかなど、飛影は一度も考えたことはなかった。

誰かを言いなりにするために?中毒に陥れるために?誰かを殺すために?
そんなことを考えてみたことはなかった。

「もう二、三回、君にヘヴンリーを入れてあげようか?中毒にならない強い意思が君にあるかどうか試してみるためにさ」

穏やかに微笑んではいるが、蔵馬の声は冷たい。
体内にヘヴンリーが入った時の凄まじい衝撃を思い出し、飛影は目をそらす。

「もうよせって。まだ回復してないぞこいつ」

呆れたようにかけられた声に、蔵馬は肩をすくめ、ようやく脱いだ靴をドアの前に並べる。
ベッドに座ったままの飛影の膝に小さな毛布をかけ、酎はキッチンに立ち、ひとつしかない鍋を下ろすと、何やら自分の鞄をごそごそし始める。

「冗談だよ。そんなことするために助けたわけじゃないし」
「じゃあ、何のためだ?」

またもや肩をすくめ、蔵馬は飛影の質問を無視する。
酎はキッチンで、持ってきていた何かを温めているらしい。飛影にとっては何年ぶりかのようにさえ感じられる、食べ物の匂いがした。

「ほら。食えよ」

自分と蔵馬には大きなパンにフライのようなものを挟んだものと澄んだ黄金色のスープを、飛影には同じスープとスプーン、瓶入りの水をトレイに載せてベッドに置くと酎は床にあぐらをかき、さっさと食べ始める。

利き手ではない左手で、飛影は不器用にスープを掬う。
安物の合成食はいかにも合成といった薄い甘味があるだけで、ほとんど味はない。野菜を煮て濾して作ったらしいスープはスパイスも利いていて、信じられないくらい美味しい。

動きの鈍い左手で夢中で食べている飛影は、蔵馬が食事に手もつけず、じっと自分を見つめていることにも気付かない。

「飛影」

スプーンを持ったまま顔を上げた飛影の目に、美しいが意地の悪い笑みを浮かべた顔が映る。
ジャンキーは食欲というものがほとんどないというのは本当らしく、蔵馬は皿を邪魔な物のように押しやった。

「プランダがなくなったんだから、当然借金もなくなったわけじゃない。よかったね」

笑み。優しい声音。
だがその目は少しも笑っていない。虫を捕らえては殺すような、子供っぽい残酷さに光る瞳。

「おいウェイ、よせ」

何かを悟ったのか、酎が声を荒げる。
蔵馬は笑みを崩さず、あっさりと続ける。

「ところで、君の妹は死んだよ」
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