くろねこライフ...440日目「郵便でーす」 チャイムの後に続くその声に、蔵馬が出かけていて暇だった俺は、郵便を受け取ってやった。てっきり蔵馬あてだと思ったその郵便は俺あてで、派遣会社からだった。 十日ほど前にも会社から手紙が来ていたのだが、開けるのも面倒で放ったらかしておいたら、今回はやけに大きな封筒で来た。 それも開けずに放っておこうと思ったのだが、その大きな封筒は、ほのかに雪菜の匂いがした。なんだろうと封を破ると、案の定さまざまな書類が入っている。 滑り落ちた小さなピンク色のカードには、雪菜の字で『ちゃんと手紙は読みなさい』と書かれていた。会社のやつらが俺に封を開けさせるために、雪菜にこのカードを書かせたのだろう。 「うにゃにゃにゃ~」 書類を読むのは大っ嫌いだ。しかし、雪菜にそう言われては読まないわけにもいかない。 俺は溜め息をついて、床に書類を全部広げた。 「給料…?」 雑多な書類を苦労して解読すると、俺に対する給料の支払いの話だった。 手紙にはごちゃごちゃと小言が書かれていたが、要するに俺が会社に手続きに来ないので、給料を小切手で送ると書いてあった。 「…給料」 そうか。 俺はここに仕事で来ているんだった。当然金が貰えるのだ。 金。 生まれて初めて、働いて金を貰った。 もっとも、小切手に書かれた数字を見たところで実感はないが。 時計を見ると、打ち合わせとやらに出かけた蔵馬が帰ってくるまでにはまだ三時間近くある。 俺は出かけることにした。 ***
書類を読むのも嫌いだが、銀行、というものも嫌いだということが判明した。窓口だの書類だの、嫌なものばかりだった。さっぱり手続きが分からなくて首を傾げる俺に、それでも銀行のやつは根気よくいろいろ尋ね、通帳、だとか、いろんな物を渡してくれた。 別に金を使う用事もないのだが、少しだけ現金で受け取ってみた。 袋に入った銀貨や銅貨を見ると、ようやく実感が湧いた。 今まではただ蔵馬についてきて眺めてたり、買ってもらったりするだけだった街中の店が、売られている物が、奇妙に現実味を帯びて見えた。 買えるけど… 別に、欲しい物なんかないな。 食べ物は、充分貰っているし、服も靴もある。 本や装飾品や家具にも、俺は興味はない。この間買ってもらった首輪も、まんざらでもない。 今度雪菜に会ったら、何か欲しい物を買ってやろうかな…。 そんなことを考えながら歩いていた俺は、ふと漂う香りに気付く。 …いい匂いがする。 赤、青、黄色、紫、オレンジ、白。そしてたくさんの緑。 様々な色が店先に溢れるその店の前で、俺は思わず立ち止まった。 ***
ただいま、という声に、にゃ、と返事をする。そんな生活も、なんだかしっくり馴染んできた。 「ごめんね、遅くなって。すぐにご飯作るからね」 俺の頭をくしゃっと撫でて笑うと、蔵馬はすぐにキッチンに向かう。 「あれ…?薔薇だ。これどうしたの?」 キッチンテーブルの上にある花束を見て、蔵馬が首を傾げる。 それでも、どうやら花は好きらしい。顔を埋めて匂いを嗅いでいる。 「…お前に、やる」 蔵馬の反応が見たくてキッチンについてきた俺は、ぼそっと言う。 「…え?これ飛影からなの!?」 ほんとに?すごい! 嬉しいよ。いい香り…大好きな花なんだ。 しかも飛影から貰えるなんて…! 「ありがとう!」 「ぅみゃっ!?」 俺を高く抱き上げたまま、蔵馬はくるっと一回転した。 その嬉しそうな顔。 …なんとなく目に付いて買っただけなのに。 契約した時にこいつが俺にと置いて行った花と同じ、薔薇とかいうその赤い花は、なぜだか蔵馬に似合う気がしたから。 こんなに喜ぶとは思わなかった。思った以上の反応に、俺はしっぽを振った。 三本だけを別にして、蔵馬はリビングとベッドルームに半分に分けて花を飾った。 その三本はどうするんだ?と問うと、ドライフラワーにする、と蔵馬は言った。 「どらいふらわー?」 「干してね、ずっと取っておけるようにするんだ」 「なんのために?」 「だって…飛影からの贈り物だもの。生花は枯れちゃうけど、ドライフラワーならずっと取っておけるから」 ちょっと恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに、蔵馬は言う。 その夜ベッドの中で気付いたが、妹を除けば、誰かに何かを贈ったのは初めてだった。 贈り物して、相手が喜んでくれる顔を見るのは悪い気はしない、というのも新発見だ。 …同時に少しだけ、ほんのちょっとだけだが、後悔もした。 初めてこの家に来た時、蔵馬は俺にたくさんの贈り物をくれたのに。 今している首輪だって、俺は気に入っているのに。 「ん……」 俺を背中から抱いて眠っている蔵馬の腕をそっと解いて、くるんと寝返りを打つ。 綺麗な緑色をした瞳は今は見えないけれど、長い睫毛に縁取られているその目。 形のいい鼻や唇。 …綺麗な顔、だな。 俺はその顔に、そろそろと自分の手を重ねてみる。 「…ん…?」 蔵馬が身じろぎをし、俺は慌てて手を引っ込める。 何かを呟き、蔵馬はまた俺をふんわり抱きしめる。 規則正しい寝息に戻るのを待って、俺は蔵馬の胸に顔を埋め、体を丸める。 蔵馬が俺に腕を回しているように、俺も蔵馬の背に腕を回してみる。 俺の腕では短くて、ちゃんと届かないけれど、まあ、いい。 背中から、じゃなく、この方が、好きな時に蔵馬の顔を見れる。 そのことに満足して、俺は目を閉じた。 |