くろねこライフ...3

26日目

…尾行されている。
散歩に行こうと家を出た直後から、そいつは俺の後をつけてきた。

先日の野良ネコ集団かとも思ったが、あれほどぶちのめしてやったのだからそれはないだろう。

俺はひょいと近くの民家の屋根に飛び乗った。
本当は飼いネコはそういうことをしてはいけないのだが、知ったことではない。

「あれっ…いない…!」

なんだ。
俺をつけてきていたのは、蔵馬だった。

おろおろしている蔵馬の前に、ストンと飛び降りる。

「飛影~!よかった!」
「なんだ?なんでついてき…にゃあっ!?」

ぎゅっと、抱きしめられる。
俺は背が低いし、蔵馬は背が高い。
だから、必然的に腕の中にすっぽり納まってしまう。

「心配なんだもの!またケガでもするんじゃないかって…」
「……んぐぐ」

あまりにぎゅっと抱きしめられ、息ができない。
足で蹴飛ばし、それを知らせる。

「あ、ごめん」
「ぷはっ!うにゃっ」

まったく、心配性なやつだ。
俺は抱きしめられたせいでボサボサになった耳を整え、溜め息をつく。

「…心配するな。俺は一人で大丈夫だ」
「心配だよ…ねえ、俺も一緒に散歩に行っちゃだめ?」

一緒だと?プライベートタイムありの契約なのに?
俺はしかめっ面をしてやる。

「ごめん。だめだよね。じゃあさ、首輪、買いに行こう?」

野良ネコではない証に、雇われている間は首輪をするのが普通なのだ。
野良ネコは、飼いネコに手出しをしてはいけないことになっている。
この間のやつらだって、俺が首輪をしていたら、襲ってくることもなかっただろう。

首輪、ねえ?
蔵馬の提案はありがたくないが、散歩に毎回ついてこられてはたまらない。

俺は、しぶしぶ頷いた。
***
27日目

「うーん。どれも、いまいちしっくりこないなあ…」

首輪専門店で、蔵馬は次々違う首輪を俺にはめる。
俺は別にどうでもよくって、店内をキョロキョロ眺めていた。

何百種類も、首輪がある。
ベルト型の物が多いが、中には金属の物や、編んだ毛糸でできた首輪もある。色も様々、値段も様々だ。

…妹は、どの雇い主の所でも、サファイアとかいう青くて綺麗な石の首輪をしていた。
すごく高価な物らしいが、それが雪菜の出す条件でもあったから。その条件を飲むことのできる金持ちだけが、雪菜を雇うことができるのだ。

…なんだか急に、雪菜に会いたくなった。

これなんか、すごくお似合いですよ。
散々迷っている蔵馬に、店員がそう言って、黒く細いベルト型の首輪を俺に当てて見せる。

差し出された鏡を見ると、自分で言うのもなんだが、それは俺に似合っていた。

「似合うけど…」

なんか、違うな。
結局、蔵馬は俺の手を引いて、その店を出てしまう。

街中を、うろうろ歩く。
首輪なんてどうだっていい俺は、ちょっとうんざりしてきた。

「蔵馬、首輪なんてなんだって…にゃっ!」

前を歩いていた蔵馬が急に立ち止まり、俺はぶつかる。

「急になんだ…!?」
「…これ、いいね」

蔵馬の指差したのは、ショーウィンドウに飾られたペンダントだ。
細い革紐に、丸い半透明の石が付いている。
石は不思議な色合いで、角度によっては透明のようにも見えたし、乳白色にも見えた。宝石なんて興味のない俺から見ても、とても綺麗な石だった。

でも…

蔵馬は躊躇することなく重い扉を押したが、俺にとってその店は、明らかに入りたくない雰囲気だった。
黒い絨毯が敷かれ、昼間なのに店内にはランプが灯されている。表には警備員らしき制服を着たイヌ族がいて、中では黒い服を着た男や女がガラスケースの後ろに慇懃に並んでいる様は、いかにも高級な物を扱う店だ。見覚えのある青い石も飾られている。

「サファイア…?」
「そうだね。よく知ってるね」

知ってる。知ってる宝石はこれしかないが。
それが高価だということも、知ってる。

大きなサファイアには0がたくさん付いていて驚いたが、蔵馬の指差した、丸い半透明の石が付いているペンダントも、同じくらいの0が付いていた。
仕事中に買ってもらった物は、服であれ首輪であれ宝石であれ、貰えることになっている。このペンダントは、金貨何枚分…何十枚?何百枚?…になるのだろう?こんな高い物いらんと言う間もなく、蔵馬は店員に話しかけてしまう。

「これ、見せてください」

かしこまりましたと恭しく頭を下げ、店員は手袋をした手でそれを取り出した。
光沢のある黒い布の上に、それは置かれた。

「こちらはとても希少な宝石なんですよ。当店でも滅多に入荷いたしません」

流氷の深部から採れるもので、“雪女の涙”と言われている石なんです。
くっきりと赤い口紅を塗った女は、そう説明する。

「飛影、おいで。後ろを向いてごらん」

俺が躊躇しているのを見て、蔵馬の方が俺の後ろに回り、それを首にかけ、留めた。
胸元で、丸い石が揺れる。
中心部の不思議な七色の輝きも、一緒に揺れる。

「…似合う。ぴったりだ」
「よくお似合いですよ。でも…」

女は、長い革ひもを俺の首に二重に巻き付け、首輪のようにして留めた。
知らない人間の手、長い爪の感触、香水の匂い、ぞっとして俺は思わず首をすくめた。

「首輪としてお使いになるなら、こうしてチョーカーの長さにした方がよろしいかと」

相好を崩して、蔵馬は頷いた。
こうして、俺は雪菜に負けず劣らず高価な首輪をすることになった。
***
32日目

「にゃ……」

夜中に急に気持ちが悪くなった。
蔵馬を起こさないよう足音を立てずにベッドから降り、そっと廊下に出る。

どうにかトイレまで、吐くのは我慢した。

寝ている間に自分のしっぽを舐めるのは、俺の悪い癖だ。
胃の中で毛玉になってしまい、時々気持ちが悪くなる。

「……ぅにゃ~」

一度吐いたのに、まだ治まらない。
むかむかする腹を抱えて、トイレの床にしゃがみ込んだまま、目を閉じる。

しっぽにカバーをするとか、リボンを結ぶとか、塩水を塗っておくとか、雪菜はいろいろ試してくれたが、どれもいまいち有効ではなかった。寝ている間のことは自分ではどうにもできないし。

雪菜がいたら、背中をさすっててくれるのに。
そんなことを考えた瞬間、背中にそっと手があてられた。

「大丈夫?」

びっくりして目を開ける。
その手は、もちろん蔵馬の手だ。

「…にゃあ」

つい、雪菜に返事をするように、ネコ語で答えてしまった。
けれど、意味はわかったらしく、蔵馬は俺の肩に小さなタオルケットをかけ、背中をさすってくれる。

“ケガ、病気等の際は、看病および投薬あり”

そうだった。そういう契約だったっけ。
人前で吐くというのもずいぶんみっともない話だが、具合が悪い時に誰かが側にいて世話を焼いてくれるというのは、悪くない…ような気がする。
結局もう一度吐き、口をゆすいで顔もついでに洗ってベッドルームに戻るころには、だいぶ具合も良くなった。ベッドの端によたよたと座った俺に、蔵馬はぬるめに淹れたハーブティーのカップを差し出す。

草のような香りのする、うす甘いそれをすすりながら、俺はしっぽに関する間の抜けた説明をぼそぼそとする。
俺を心配して、病院を予約するだのなんだの言い出した蔵馬に、心配する必要はない、と伝えるために。

「そっか。…困ったねえ」

空になったカップを置いて、俺は赤くなって俯く。
猫と人の混合種である俺たちネコ族だが、しっぽを舐めたりするのは、普通子ネコの時だけだからだ。
情けないったらない。しっぽを舐めるのは普通子ネコだけだというのを蔵馬が知らないことを祈る。

「わかった。おいでよ」

何がわかったのかは知らないが、蔵馬はベッドに入り、座っている俺の手を引いた。

「こうすれば、いいんじゃない?」

俺を引き寄せると、蔵馬は横になった。
蔵馬は俺を背中から覆うように、すっぽりと抱き込んだ。しっぽは当然、俺の背中と蔵馬の腹の間に挟まれる。

「…にゃ?」

背中にぴったりとくっついた蔵馬の胸。
確かに、こうしていれば、しっぽを舐める心配はないが…

「…おやすみ、飛影」

俺の耳にキスをして、蔵馬は目を閉じた。

…嫌だったはずなのに。
他人の体温、他人の寝息。

だが、こうして腕の中で密着してしまうと、感じる温度は妙に落ち着く。

温かくて、心地いい。
体温や、蔵馬の心臓の鼓動が俺の背に伝わる。
他人の鼓動が、自分のそれに重なる。

「…みゅ……」

トクントクンと、規則正しく伝わるその音に、瞼が重くなる。
とろんとしてくる意識に抗うことはせず、俺は眠りに落ちた。
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