booby trap...3「つ…っ」わざと攻撃を受けた、その傷。 「もう少し軽めに受ければよかったな」 クスリと笑い、蔵馬は器用に自分の傷を縫合し、包帯で巻く。 まあ、首尾は上々、というところ。そう評価をし、長い髪をかき上げた。 予想外など何もない。全て、予定通りだ。四聖獣は片付けたし、幽助の恋人も無事だ。 それにしても、と蔵馬は思い出し笑いをかみ殺す。 「別に貴様らを助けたわけじゃない!! かんちがいするな」 なんて…なんて子供なのだろう。 妖怪のくせに、純粋で、無垢で、可愛らしいにも程がある。 「オレなら…」 オレが飛影の立場だったら、間違いなくあの天井を落っことしてやったのに。 不要なものをいとも簡単に始末してきた、あの狐のように。 そう呟いて、蔵馬は綺麗な顔で笑った。 戒めの輪を外してもらうために、飛影は霊界に置いてきた。 きっと飛影は、なぜ自分恩赦を与えられたのか、コエンマに聞かされるだろう。 飛影は、一体どんな行動にでるだろうか。 待つのは、蔵馬にとって苦ではない。 それだけ、長く永く生きてきた。 あんな短気な子供を待つのは、何程の時間でもない。 獲物が罠にかかるのを待つのは、甘美なひとときと言ってもいいくらいだ。 ***
キン、と硬質な音を立て、銀の輪は砕けた。「ご苦労だった」 コエンマの労いの言葉にも、飛影はフンと冷笑を返した。 「…四聖獣ごときを倒すのに手助けがいるような霊界探偵とは笑えるな」 「まあそう言うな。だからこそお前たちに恩赦を与えただろうが」 「誰が貴様に頼んだ?…あの半妖と違って、オレは頼んだ憶えはない」 「そうだな。頼んだのはお前じゃなく、蔵馬だからな」 「どういう…意味だ?」 「お前にも恩赦を与えてほしいと頼むなぞ、あの妖狐蔵馬も人間に憑依して、少しは人の心を持ったのかのう?」 「………なんだと?」 自分が聞き間違えたのかと、一瞬飛影は考えた。 コエンマの言葉の意味が、わからない。 恩赦を与えるように、蔵馬が頼んだと言うのか? 「なんじゃ。聞いとらんかったのか?」 「やつが……オレを?」 「そうだ。ワシは蔵馬だけを幽助のサポートにまわすつもりでいた」 「な……」 「じゃが、お前のような子供を死なすのは忍びないと、蔵馬が言ってな」 誰が子供かとカッとするのも忘れ、飛影は呆然と立ち尽くす。 「……蔵馬が…オレを…?」 「なんだ。聞いとらんかったの……こら!待て!! お前はまだ無罪放免じゃないぞ!! 飛影!」 怒声を無視し、コエンマの執務室を飛影は飛び出し、走り出した。 霊界の門を、異界の境を飛び越え、目指す場所へとひた走る。 ***
「靴は脱いでくれないか?」以前にも来たことのある、この部屋。 正確に言えば、出会ってすぐにひっくり返り、運び込まれた部屋だ。 二階の窓から飛び込んだ飛影の前に、すっかり人間の顔をして、人間のふりをして、蔵馬はいた。 「蔵馬…貴様に話が」 「話があるのは構わないけど、靴を脱いでくれ。ここは人間界なんでね」 「人間ぶるな!!」 蹴り飛ばすように脱がれたブーツを、蔵馬はひょいと避ける。 勢い良く床にぶつかったブーツは派手な音を立て、飛影の大声とともに、階下の人間を訝しがらせたようだ。 「秀一?何の音?」 「本を落としたんだよ。ごめんね母さん」 「誰かの声も、しなかった?」 「そう?外じゃない?」 苛立ち、もう一度怒鳴ろうとした飛影の口は、蔵馬の手で素早くふさがれる。 「…っ」 「ここじゃまずい。あっちで聞くよ」 ***
「で、何の用?コエンマから次の指令でも?」ヤレヤレ、という顔で、飛影に噛み付かれた手を見つめながら、蔵馬は抑揚のない声で問う。 隠れ家、と蔵馬が言った、魔界と人間界の狭間の部屋。 再びそこに二人はいた。 「貴様が…オレにも恩赦を与えるようコエンマに頼んだというのは……本当か?」 「なんだ。その話?」 長い足をドサッと放り出し、蔵馬は椅子に腰掛ける。 「だったら何?ああそうか、お礼を言いに来たの?」 「ふざけるな!!」 「何が言いたいんだ、飛影?何を怒る必要があるんだ」 理由はどうであれ、君はあの牢から出れたじゃないか?第一、なぜ理由を知りたいんだ?オレが勝手にしたことだ。君には関係ないだろう。 「さっさとユキナとやらを探しに行けよ」 冷たく言い放ち、碧の瞳が眇められる。 何を、怒っているのか。 そう問われれば、返す言葉が飛影には見当たらない。 霊界の牢から出ることができた。そして刑の執行を逃れ、妹を探すことができる。 頼んではいないこととはいえ、蔵馬に怒る理由もない。 オレは、何に、腹を立てて…? 「……わからない、のが…腹が立つ…」 飛影はぎゅっと、拳を握る。 そうだ、わからないことに、理解できないことに腹を立てているのだ。 自分が何に腹を立てているのかすらわからない、この状況にも、腹が立つ。 蔵馬はなぜ、自分を助けようとしたのか。 人を蔑むような目で見たかと思えば、壊れ物のように、丁寧な手当てをした。 裏切った他人の分の命請いまでし、そのくせそれを本人には伝えない。 なぜ、そんなことをする?何を企んでいる? 「それを知りたくて、来たってわけ?」 「…ああ、そうだ」 「何を…知りたいんだ?」 「貴様が…何を」 「オレが?…オレを知りたいのか?」 「…違…そうじゃな…オレは……」 魔界でもない、人間界でもない狭間のくせに、窓から差し込む光、部屋をほんのり照らすその光は月光に良く似ている。 艶のある黒髪は、出会った時のように短くはない。ゆるやかに流れ、黒い川のように、肩に広がっている。 碧の瞳は、深い森のようで、深い海のようで。 実際に見たことはなかったが、噂に聞いた妖狐蔵馬は、残忍さだけではなく、美しさでも魔界に名を轟かせていた。 人間の皮をかぶった今の姿もまた、恐ろしく綺麗な顔をしていることに、ようやく飛影は気付いた。 美しい物の怪は、手の平に血を滲ませる傷を優雅な仕草で、まるで飛影に見せつけるかのように、舐めた。 白い手の平、飛影が付けた噛み跡、赤く滲む血、それを蜜のように舐めとる、紅い舌。 それなのに、碧の瞳は、一瞬たりとも飛影から反らされない。 しまっ…た。 魅入られた。 そう飛影が気付いた時には、もう、既に。 「オレのことが、オレが何を考えているのか知りたいのか?飛影」 「………違、ちが…う」 「知りたいんだろう?」 「……………ぁ…ああ…そう、だ」 知りたい。 こいつが何を考えて、何の狙いがあって、こんな行動に出たのか、知りたい。 そして… この、碧の瞳、これが、 本当は、深い森の色なのか、深い海の色なのか、知りたい。 もっと、よく見たい……。 綺麗に傷のふさがった手が、飛影に向かってすうっとのばされた。 「目、閉じたら?」 「…なぜだ」 赤い瞳をしっかり開けたまま、飛影は近づいてくる綺麗な顔から視線を外せない。 「普通は、目を閉じるものなんだけど」 でも、いいよ。 君がそうしたいなら。 息がかかる程近くに、蔵馬の顔がある。 何をしようとしているのかは、飛影にも、わかった。 唇が重なる寸前、飛影はぎゅっと目を閉じた。 |