Loop
Dragon Act.1...9
スイートルームの大きな窓から、たっぷりの日差しがベッドに降り注ぐ。
日が当たるのを嫌ってカーテンをぴっちり閉めて眠る習慣の飛影には、その明るさは眠りの妨げだった。
「…ん」
寝返りを打ちベッドに頭まで潜り込もうとした途端、隣の部屋でノックの音がし、女の声がした。
「お客様、朝食をお持ちしました」
その言葉に、飛影は驚いて跳ね起きた。
「え…あ…!」
大きなベッド。
広い部屋。
花の香りはまだ色濃く残っている。
「ぁ痛っ…」
尻に嫌な痛みが走る。だが昨夜の激痛を思えばずいぶんいい方だ。
ベッドサイドのテーブルに置かれた小瓶は空になっていて、あの気が狂いそうな熱さは消えている。
自分が裸のままベッドにいることにようやく気付き、慌ててシーツを巻き付ける。辺りを見渡すが、蔵馬の姿はない。朝食を注文しておいて、どこへ行ったのだろう?
コンコン、とドアが再度ノックされる。
「あ…置いて行け。そっちに」
メイドと顔を合わせなくて済むよう、寝室から叫ぶ。
失礼します、という声とともに隣室にワゴンが運ばれる音がした。
メイドが部屋を出て行く音を確認してから、飛影はおそるおそる寝室を出た。わずかに開いているバスルームの扉も覗いてみたが、誰もいない。
赤く染まったシーツがバスタブに放り込まれていてぎょっとするが、それは昨夜自分が流した血だと気付いて赤面する。
ソファやバーカウンターがある大きな部屋は、朝食の載ったワゴンがいい匂いを漂わせていた。
果物、サラダ。ふわふわのたまご。熱いミルクとカリカリに焼かれたパン、たっぷりと湯気をたてるスープ。
それらの並ぶワゴンには、小さな金色の封筒が、白い蕾の薔薇が一輪活けられた華奢なグラスに立て掛けられていた。
ーーー
おはよう、お兄ちゃん。
初めての子と一夜を共にしておいて朝の目覚めを共にしないなんて
ずいぶん失礼な行為だけど、許してね。
今朝はどうしても外せない用があって、俺はもうチェックアウトした。
お尻の中はちゃんと洗って奥まで薬を塗っておいたからそんなにひどくは痛まないと思う。
でも動くとまた出血するから、今日は横になっていた方がいいかもね。
この部屋は今日一日借りてあるから、ごゆっくり。
じゃあ、またね。
次に会う時を楽しみにしてるよ。
蔵馬
ーーー
「な、…なにが次だ!」
飛影は真っ赤になってカードを握り潰す。
床に投げ付けた封筒からは金で出来た薄い板が飛び出した。
そのループドラゴンの換金券に刻印された『800,002,000』の上からは、『無効』を示す三本線の刻印が刻まれていた。
その板を拾い、飛影はソファにへたりと座る。
痛む尻に響かぬようにクッションを重ねた上で、だ。
…少なくともあいつは約束は守ったわけだ。
安堵した途端、空腹を感じる。
一昨日の夜、蔵馬と摂った食事…しかもその後全部吐いてしまった…以来何も食べていなかった。
あいつが注文した物を食べるのは癪だったが、チェックアウトしたという事はもう戻っては来ない。
そう考え、ワゴンを引き寄せた。パンを噛り、熱いミルクを飲む。
ぼんやりと、ずいぶんと美味しい朝食を食べながら飛影は考える。
このループドラゴンの換金券は本物だ。それは確信できた。
だが、当初からの疑問は頭から離れない。
これほどの金額で俺を抱く必要なんかない。いや、例え雪菜だったとしても…高すぎる。
昨夜だって俺はただ翻弄されていただけで、なんの…技術もない。
痛くて痛くてぎゃあぎゃあ喚いただけだ。…そこいらの娼婦の方がずっとマシだろう。この街には娼館も山ほどある。
そもそも一晩で8億2千ディリもふんだくるような娼婦など、どこにもいるわけがない。
またね、だと?
何を寝ぼけた事を。
もう二度と会うものか。
莫大な金と引き換えとはいえ…こんな恥ずかしい目に…痛い目に遭わされた相手に二度と会うつもりなどない。
換金券は無効になった。
あいつが客として訪ねて来ない限り、俺や雪菜があいつに会う事は二度とない。
だが、あれだけの金額を勝った蔵馬はもうループドラゴンに出入りはできないだろう。
表向きはループドラゴンは出入り禁止の客はいないことになっているが、もちろん例外はある。
…例えば三ヶ月分の売り上げをかっさらうような客とか。
そう考えるとようやくホッとし、飛影はゆっくりカップを傾けた。
***
結局その日は痛む腰や尻にうんざりし、ホテルで休んだ。
飛影がループドラゴンに戻ったのは次の日だった。
昨日の無断欠勤にフロア長は眉を顰めたが、飛影は腕のいいディーラーだ。無断欠勤をしたことなどそうそうなかった事もあり、長々説教される事もなく解放された。
だが雪菜と幽助、それにぼたんには散々詰め寄られ、それを無視することですっかり険悪な雰囲気になってしまった。
だが飛影はどれだけルームメイトや妹たちと険悪になろうと事の顛末を話す気はなかった。
絶対に、だ。
あんな恥ずかしい話は誰にも絶対にできない。
どうせ根っから単純で気のいい幽助とぼたんはそのうち元の態度に戻るだろうし、雪菜だって…時間はかかるだろうがそのうち機嫌を直すだろう。
二日ぶりの出勤で、飛影は重い扉の前の大きな鏡で、チェックをしていた。幽助たちと顔を合わせないためにずいぶん早めに来たので、廊下には誰もいない。
やっと戻ってきた日常に、飛影はホッと溜め息をつく。
相変わらず、制服の一番上の飾り紐は上手く留められない。
なぜか、くるっと曲がってしまうのだ。
いつもなら留めてくれる妹は飛影の黙秘にカンカンに怒っており、口も聞いてくれない。
溜め息をつき、紐をもう一度解いて最初から結び直そうと…
肩越しに白い手が現れ、紐をキュッと形良く結んだ。
「雪…」
機嫌を直してくれたのかと振り向いた途端…
息が、出来なくなった。
長身、甘い顔立ち、碧の瞳。
…ループドラゴンのディーラーの、赤い制服。
腕には、金細工の腕輪。
ブラックジャックのトップのディーラーを意味する腕輪。
「こんな事も下手なんだね、お兄ちゃん」
「な…あ…」
口をパクパクさせる。
「どうしたの?まだお尻が痛いの?診てあげようか?」
その言葉にカッとなり、ようやく飛影は息を吸い込む。
「き、さま…!ここで何をしている!」
「見てわからないの?ほら?」
制服の裾を持ち上げて、蔵馬は笑う。
金細工の腕輪が、キラリと光る。
制服。しかも赤。
つまり…こいつはここのディーラーになったということか!?
冗談じゃない。嫌だ、絶対に嫌だ。
「…冗談じゃない!何を考えて…」
「まあまあ、そんなに喜ばないでよ」
「誰が!貴様の顔など二度と見たくな…っ」
「やめろ。飛影」
その言葉に飛影は驚いて振り向くと、そこにはオーナーが立っていた。
「…オーナー…?」
ループドラゴンのオーナーは滅多に姿を現さない。美人ではあるのだが愛想はなく、運営自体も直近の者にほとんど任せきりで重要な決定事項を決める時ぐらいしか出てこない。
従業員である飛影でさえ、雇われた時に一度会ったきりだ。
お気に入りである雪菜は時折呼ばれて会っているようだが。
「来い、二人とも」
有無を言わさぬ口調に、飛影はしぶしぶ従った。
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