WHITEOUT

「お願い…」

雪のように白い肌、氷のようにきらめく薄水色の髪。
大きな目も、すっと通った鼻筋も、形のいい薄紅色の唇も。何もかも完璧だ。

オレの膝の上に乗り上げるようにして、白い体がぴたりとくっつく。
身内の欲目を差し引いても、これほど美しい女はいないと思う。

冷たく甘い、雪の香り。

「雪菜…」
「……お願い。結婚して」
***
「そう言われても…」
「もう!早く結婚してくれないと困るんだってば」

大きな赤い目が、オレを睨む。
この願いを聞くのはもう何回目になるだろうか。
かわいい妹の願いを叶えられない不甲斐ない兄としては、今日も言い訳を探して逃げ回るしかない。

「…もう少し待ってくれ」
「そんなこと言って、もうすぐ一年経っちゃうけど?」

うう。
元々口がまわる方ではない。そもそも雪菜の主張はもっともで、逃げ回るっているオレに非はある。

「雪菜様、氷菜様がお呼びですよ」

石造りの王宮に、涼やかな声が響く。
片手で優雅に持った銀の盆には、銀のポットと茶菓子の皿がある。
素晴らしいタイミングだ。いつだってこの男は役に立つ。

形のいい唇を尖らせて部屋を出て行った妹に、オレはほっとため息をつく。

「蔵馬」
「聞こえてたよ。また言われてたんだ?早く結婚しろって」
「聞こえてたなら、もっと早く助けに来い」

どっと疲れて、オレは長椅子に寝そべる。
向かい合う形で置かれた椅子に腰かけ、蔵馬は笑う。

「その場しのぎで助けることはできるけど、根本的解決には繋がらないな」
「わかってる」

ずるずると寝そべったまま、窓の外を眺める。
窓の外では、砂漠に雪が舞う、この国ならではの景色が広がっている。

「で、どうするんだ?」
「…法を変えることができれば」
「それが可能か不可能かはともかく、今すぐどうこうは難しいと思うけど。何年もかかるんじゃないか?」

わかってる。
そんなことは、わかってはいるのだが。

「参った…。どうして長子が先なんだ…」

千回はぼやいた愚痴を、今日もまたこぼさずにはいられない。

結婚は、長子から。
順番を違えることは、まかりならぬ。

王家に伝わるこの掟のおかげで、オレも雪菜も困ったことになっているのだ。

すでに決まった相手がおり、一日でも早く結婚したい妹と。
相手もおらず、その気もない兄であるオレと。

「…参った」
「参った?責任もないんだし、気楽なものだろう?」

オレの結婚には責任がない。気楽なもの。
確かにそうなのだが。

この国の王家は、女系だ。
男のオレには王位継承権はなく、オレの子供というものがこの先もし存在したとしても、そいつが女であれ男であれ、王位継承権はない。

女王が産んだ娘だけが、王となる資格を持つのだ。
つまり、この国の次の王は雪菜と決まっている。

王の伴侶ともなれば、優秀でなければならない。
女王を愛しているだけではだめだ。
国を思い民を思い、その幸福のために自分の人生を捧げる気概とふさわしい能力が必要だ。

この国のために、雪菜にはそういう伴侶を選ぶ義務がある。
よほどとんでもない相手を選ばない限り、たいした問題はないオレとは違うのだ。

「…あの騒々しい不細工め…」
「雪菜様の相手がたとえ物静かな美男子だったとしても、お前はきっと文句を言うよ」

笑いながら、蔵馬はカップに茶を注ぐ。
渡されたカップを受け取り、いい香りの湯気に顔を埋める。

熱い茶をひとくちすすり、オレはまたため息をつく。
向かいに座る男もまた同じカップを手に、窓の外を眺めている。

オレの妹がこの国で一番綺麗な女なら、今、目の前に座るこの男は、一番綺麗な男かもしれない。

濃淡はあるが、王族はみな赤い瞳をしている。
この王宮で唯一赤い瞳を持たないこいつは、夜の森を見下ろしそびえる大樹のような、深い碧色の瞳をしている。

砂漠に舞う雪は、どんどん激しさを増していた。
女王でありオレと雪菜の母親でもある氷菜が、今日は王宮にいるからだ。

「飛影の好みとか、聞いたことなかったけど」

こういう人がいいっていうのがあるなら、探すけど。
銀色の皿に乗った焼菓子を差し出しながら、蔵馬は事もなげに言う。

「そんなものはない」
「そうも言ってられないでしょうが」
「……そうだな」

砂糖で白く飾られた、硬い焼菓子を口に入れる。

この王宮にいる者は、蔵馬を除けば遠縁であっても王家の血を引く者ばかりだ。
王族が作った菓子は、なぜかどれもひやりとしている。

「…誰か探さないとな。こんなことで雪菜の結婚がこれ以上遅れたら、あの忌み子を殺せとまた言われかねない」

そんなつもりはなかったが、どこか自嘲めいて響いた言葉に、蔵馬がこちらを振り向いた。
***

王家が女系なのは、そもそも男が滅多に生まれないことが理由だ。

記録にある限り、三千年ほど続くこの国の歴史の中で、過去に女王が産んだ男児はたったの二人しかいない。
古すぎる記録には、その二人が生きていた時代、国が栄えたのか衰退したのか、変わりはなかったのか、何も記されてはいなかった。

久しぶりというにはあまりにも長い、千年以上の時を経て産まれた男児であるオレを、吉兆と受けとる者もいれば、凶兆と受けとる者もいた。
そもそも双子を不吉と考える言い伝えはどこの国にもある。
ならば男児を忌み子とし、国のために始末しようと考えた一派が現れたのも無理はない。

双子の赤子と一族を乗せた王家の馬車は襲撃を受け、護衛の者の防戦も空しくオレは崖下に落とされた。

「氷菜様の前では、忌み子という言葉は禁句だよ」

崖の下で俺を受け止め、命を救った男が、二杯目の茶を注ぎながら言う。

大した高さの崖ではなかったらしいが、どこもかしこもやわらかな赤子だ。本来であれば助かるはずもなかった。
たまたま木々の間に布を張っていた、こいつの一族と、布の上で跳ね、転がるようにすべり落ちてきた俺を受け止めたこいつがいなければ。

赤子の頃のことなど憶えているはずもない。
どれも人づてに聞いた話だ。

そもそも蔵馬の一族が木々の間に布を張っていたのは、薬草を乾燥させる場を作ろうとしていたためだ。
薬草を育て様々な薬を売ることを生業にしていた村の子供だった蔵馬は、女王の強い希望でそのまま王宮に連れてこられ、俺の従者として兄弟のように過ごしてきた。

女王は我が子を忌み子として襲った者たちに容赦はしなかった。
罪人は捕らえられ処刑され、一族郎党が国外追放となったと聞く。

誰であれオレを忌み子などと呼んだことが女王の耳に入れば、今でもただでは済まされないというのに、肝心のオレが口にしてしまっては蔵馬が窘めるのも無理はない。

「母親は元気か?」
「お陰様で。ここは水が豊かだから。長年苦戦していた花が今年は収穫できそうなんだ」

赤ん坊だったオレを助けた時の蔵馬は四歳だ。いくらなんでも、母親と引き離して王宮へ連れてくるわけもない。親族とともに王宮内の一区画に移住し、広大な庭を与えられている。

そして蔵馬は、今やオレの従者というだけの存在ではない。

とんでもなくキレる頭を持ち、様々な国策を打ち立ててきた。
国全体で同じ作物を育てるのではなく、異なる作物を異なる季節に植えさせ、雪が作り出す水の恩恵を最大限にし、民が一年中飢えることがない仕組みを作り出した。
何百年もの間悩まされてきた、疫病の薬を作ったのも蔵馬だ。

「買いかぶりですよ。裏で暗躍する方が向いていますしね。それにオレは、飛影の側にいることが仕事ですから」

大臣の職を打診した女王に、こいつはそう答えて笑ったのだ。
欲のないやつだ。

「結婚相手のことだけど、オレが誰か見繕ってこようか?」
「見繕うと言ってもな。相手にも選ぶ権利がある。王家に入ったところで大した贅沢ができるわけでもない。オレのような…雪も降らさぬ王族に嫁ぎたいやつがそうそういるとは思えんな」

王族はみな、多かれ少なかれ雪を降らす魔力を持っている。
ほとんど雨の降らないこの国で、王家の存在意義は雪だ。雪は溶ければ水になる。
水は全ての生命の源だ。

国は大きく七つにわけられるが、女王である氷菜はその一つ丸ごとに雪を降らせることができる強大な力を持つ。
娘である雪菜はといえば、母親には及ばないが即位前の今でさえ、この王宮内、広大な庭も、城下の街も全て含めて雪を降らせることができる。

あと数年もすれば女王に引けを取らない力を持つだろう。
魔力も持たずに生まれてきた兄とは大違いだ。

何のために、オレは存在しているのだろうか。

王家の者が多かれ少なかれ必ず持っている、雪を降らせる力もなく、蔵馬のような頭脳も優れた容姿もない。
挙句の果てには長子であるという理由で妹の結婚を邪魔している。
図体がでかくて不細工で騒々しくて……雪菜とこの国のために全てを捧げる覚悟のある男との結婚を。

「……誰か、適当なのを探してくれ」

これ以上、雪菜とこの国の邪魔をする存在にはなりたくない。

「了解。年上?年下?」
「どちらでも構わん。誰であれ無理強いはするな」
「女?男?」
「は?」

飲み干したカップを置いたところだったオレは、我ながら間の抜けた声を出す。

「だって、お前は世継ぎを作る責任もない。相手がどちらの性別でも構わないだろう?」

確かに、この国では異性とでも同性とでも結婚はできる。
十三の歳になれば、誰と結婚しようが自由なのだ。

ふと、気づく。
蔵馬はオレを助けたばかりに、オレの従者となった。自由に外に出れるとはいえ、基本的にはオレの世話係なのだ。
ある意味では、自由を奪われこの王宮に閉じ込められているようなものだ。

ならば、こいつにとってもオレは「忌み子」じゃないか?

白い砂と白い雪。
ぶ厚いガラスの窓を背に、蔵馬はまるで絵のようだ。
艶のある長い黒髪、オレとは真逆の長身、彫刻のような綺麗な顔。

いつかはこいつも、誰か相手を見つけて添い遂げるのだろうか。
…オレのそばを、離れて。

「飛影?」
「…男でも女でもだと?……なら、お前でもいいわけだな?」

よく考える前に口から飛び出した言葉は、蔵馬の表情の変化に、すぐに後悔に取って代わる。

美しい顔というのは、笑顔よりも不機嫌な顔の方が、より凄みのある美しさになる。

目を細め、呆れたようにオレを見る、深い森の碧。
拒絶の言葉がその美しい口から吐き出される前に、冗談だと言おうと口を開きかけたオレに、とどめのように蔵馬はため息をついた。

「遅い」

突き放すような、冷たい言葉。

「…遅い?」
「遅い。気づくのが」

遅い?遅いとはどういうことだ。
気づく?何に?

「馬鹿だな飛影。オレ以外の誰を選ぶつもりだったんだ?」
「何を言っ」
「王族にこっちから申し込むわけにもいかないし。まさか本当に適当な相手を探させる気かとひやひやしたよ」
「……え」

椅子から立ち上がった蔵馬は、オレの座る長椅子に並んで腰掛け、オレを見下ろす。

「オレより適任がいる?」
「え、あ、くら…」
「どう考えたって、お前が結婚するなら相手はオレだろう?」

お前の扱いに長けているだけじゃない。王宮の全てを把握しているからだけじゃない。
わかっているだろう?この頭脳は、雪の女王たちにとって、この国の全ての民にとっても役に立つ。

「そうだろう?飛影」

確かに。
確かにそうだが。けれど。

「それじゃ…お前はこの国のために、自分が犠牲になると」
「犠牲?この国のために?まさか」

綺麗な顔の、冷たい笑み。
雪のような笑み。

「知らなかったのか?オレはお前を愛している」
「な…!」

ぶ厚いガラスでも雪の寒さは防ぎきれない。
暖かいとはいえないこの部屋で、顔が熱くなる。

「おい…待て、蔵馬。血迷うな」
「さてと。早い方がいいな」

雪菜様をこれ以上待たせてもね。
お前は王位継承者じゃないんだから、式は簡単でいいだろう。

さっそく準備を、と立ち上がる蔵馬の服の裾を、オレは慌ててつかむ。

「……本当にオレを?…いつからだ?」
「あの日から」

お前を受け止めたあの日から、オレはもう決めていたんだ。

「お前はオレの人生を奪ったと思っているかもしれないけれど」

逆だよ。
オレがお前を、手に入れたんだ。
覚悟しておいて。

覆いかぶさるように近づく綺麗な顔に思わず目を閉じたが、頬に唇が落ちる感触はわかった。

「誓いのキスは、国民の前でしなきゃならないんだろう?」

ちゃんと決まりは守るよ。
皆に見てもらわないとね。お前はオレのものだってことを。

見とれるような、笑顔。
その笑みは、賢者ではあるが聖者の笑みではない。

暗く深い井戸からふいに飛び出し、こちらの手をつかみ井戸に引きずり込む、美しい異形の者の笑みだ。

石造りの床に響く足音が遠ざかり、やがて消える。
ひとりきりになった部屋で、オレは自分が震えていることに気づく。

「参った…」

震える手を押さえ、今日何度目かの参ったという言葉を呟く。

参った。参っている。
参っているのは。

この震えが困惑でも恐怖でもなく、歓喜の震えであることだ。


...End.

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