強き者...1自分がどんなふうに死ぬのか一度も想像したことはない、と言ったら嘘になる。激しい苦痛に朦朧とする意識の中、腐臭の充満した薄暗い洞窟という快適とは言い難い場所で、飛影は考える。 躯は強い。 雷禅や黄泉だって、それに幽助だってもちろん強い。 強い者に出会うのは喜びでもあった。 強い者と戦った揚げ句の死ぬのなら、何の悔いもないと思っていたけれど。 世界は広い。 無論、魔界は果てしなく広い。 たまたま今日、見知らぬ敵と出会い、そいつは強かった。そして、負けただけだ。 魔界では敗北は死を意味するし、それをどうこう言うつもりは飛影にはない。 それはそれとして。 「…う、ぐ…ぅ…ゲエッ…!!」 小柄な体を痙攣させて、飛影は激しくえずく。 すでにからっぽの胃から出る物は何もなく、からえずきに白い腹が波打つばかりだ。 「あ、は…うあ…ぐっ…うえっ…ア…!」 自分がどんなふうに死ぬのか、想像したことは、ある。 剣で、炎で、体術で、魔術で? けれど、まさか、 まさか、こんな。 ぐぷっと濁った音を立て、飛影の腹がまた波打つ。 「イ、ア、アアア!! ウアアアアアアアアアッッッ…!!」 小さな唇から、苦鳴が迸った。 ***
二夜前。黴臭く暗い洞窟。 ガンガン痛む頭。 起き上がろうとはしてみたが、手も足も縛られて転がされていることはすぐにわかった。 辺りに散らばる手や、足や、潰れた頭部。血塗れの肉片。 それらは飛影の隊の者の成れの果て。 パトロール、の途中…だったはずだ。 敵の襲撃の知らせに、百足を降りていた飛影の隊が応戦に当たった。 奇妙な術を使う集団。体術にも長けていた。 あっという間、だった。 人数としては互角だったというのに。 最後に立っていたのは自分だけで、そこから先の記憶は飛影にはない。 薄暗い洞窟は、いくつかの部屋に分かれているらしい。 その一つから出てきた男は、じっとり湿った地面に転がされた飛影を見下ろした。 どうやらこの一団の頭であるらしい。 「別にあんたに恨みはないんだけどな」 長い耳と羽のある、見たこともない、種族。 その喋り方に覚えがある気がしたのは、似ている者を知っていたからだ。 ちょっと妖狐を思わせる、その淡々とした物言い。それは強く、頭のいい者独特の喋り方でもある。 そう気付いた飛影は、眉をしかめた。 「…恨みがあろうがなかろうが貴様の勝ちだ。好きにするんだな」 頭の怪我は致命傷ではないが、手足を縛り上げられ敵の目の前に転がされていることがそもそも致命的だ。 だが、なぜこいつは自分の巣にオレをわざわざ生かしたまま連れてきたのだろうか、と、飛影は訝しむ。他の者はあっさりと始末したというのに? 「まだ殺さない。あんたに恨みはないが、人質になってもらう。そのために生かしておいたんだからな」 「…人質…?」 躯、と男は吐き捨てるように言った。 「……躯が狙いか」 そういうことか、と飛影は舌打ちする。 躯に恨みを持つ者など魔界の砂粒より多いだろう。 恨みをはらすためならば、命を失うことも厭わない、という輩も時々いる。 だが、躯は百足の外にいることがそもそも滅多にない。 もちろん敵を恐れているからではなく、敵になるような者がいないからだ。 百足には多くの戦士たちがいるし、その部下たちもいる。 百足に突入して攻撃を仕掛けるよりも、躯を外におびき出したいのが敵の本音。 おびき出すには、餌がいる。 あまり執着するものがない躯が、外へ出てくるほどの。 「あんた、躯の秘蔵っ子なんだって?」 「……誰がだ」 「自分の子供みたいに可愛がってるって聞いたぜ」 「子供だと?誰が…っ」 男は尖った爪で飛影の頬を細く鋭く裂いた。 つうっと流れる赤い雫を布に染み込ませ、傍らにいた部下とおぼしき男に渡す。 「…百足に届けろ。お前の可愛い子供は預かってる、とな」 カアッと飛影の頭に血が上る。 「貴様!ふざけ…」 「ふざけてなんざいない。これで躯は来るさ」 「来るか!」 「躯が来なけりゃあんたは死ぬ。楽には死ねると思うな」 話は終わりだ、と男は立ち上る。 「チッ…笑わせるな。こんな手を使わなきゃ躯と会うこともできないやつが、あいつを倒せると思うのか?」 飛影は男を嘲る。 滑稽だ、と嘲笑ってやる。 「…ぐう!うあっ!!」 男はくるりと振り向きざま、縛り上げられ動けない飛影の腹に、蹴りを見舞った。 その目に宿る怒りは、目の前にいる飛影ではなく躯に向けられたものだったが、蹴りは猛烈な一撃だった。 「ぐ…けほっ…!」 「…口は災いの元だと躯に教わらなかったか?あんたに恨みはなかったのに。気が変わった」 「…何?」 「知ってるか?この洞窟の深部は巣なんだ」 「……巣、だと?」 「寄生虫。魔虫さ。あんたみたいな活きのいい餌は大好物なんだ」 躯が来るまでに、あんたが死んでなきゃいいんだがな? せいぜい泣きわめいて待つがいいさ。 「こいつを巣に吊せ!」 男は吐き捨て、今度こそ出て行った。 ***
体の中に、ぎっしりと。腹の中いっぱいに、ぎっしりと。 虫、が。 「ぐっう!うえっ……!」 気が、狂いそうだ。 潤んだ目を見開き、短く浅い呼吸を繰り返し、飛影はもがく。 必死に体を捩ったところで、何もならない。 虫の、巣。 湿った洞窟、漂う腐臭。 腐臭の元である周りの屍も同じように全裸で手足を縛られ吊るされていたが、飛影ほどに背の低い者はおらず、足が床に届いていた。 当然縛られた手首だけで体重を支えている飛影の手は腫れ上がり、変色している。 手足を縛る鎖はとても細いのに、何らかの術がかけられているらしく、どんなに力を込めても切れる気配はない。 …躯が来るわけがない。 来て欲しくも、ない。 こんな姿は誰にも見られたくない。 はあはあと肩で息をしながら、飛影は目を閉じる。 そもそも、躯には来る理由がない。 ただ自分より強いやつに会った、そして死ぬ。 そんな者を助ける必要は、ない。 それは魔界の道理。 ここに来る理由がある者がいるとしたら、それは躯ではなく… 長い髪をなびかせ、真っ直ぐこちらを見て綺麗に笑う男が飛影の脳裏を過る。 翡翠の瞳、黒髪。 金色の瞳、銀髪。 「ア!ウアッ!! ぅっぐう…っひぁ!」 激痛に飛影の思考は途切れる。 声を上げたところで何もならない。 なら無駄に体力を使うべきではない。 とはいえ、虫が、 ぬらぬらとした、ぐちゅぐちゅと濡れた体を持つ薄気味悪い寄生虫が、自分の腹の中を巣にしようと蠢いている。 口から入り込んだ虫は胃を満たし、尻から入り込んだ虫は直腸を押し広げ奥へ奥へと侵入し、もはや腸全体を支配し、肥大しつつある。 空っぽの胃に、空っぽの腸に、ぎっしりと満ちた虫は飛影の妖気を根こそぎ吸い取り、それでも足りないとばかりに血肉を喰らい始める。 「ぐあっ…ウアアアアッ!! い、あ!ウアア!ゲエッ!!」 その苦しさとおぞましさときたら尋常ではない。 腹の中でうねり内臓を噛る虫たちの感触に、飛影は発狂寸前だ。 おまけに虫たちの分泌する粘液は飛影の内臓を焼き、生きながら内臓を煮溶かされるような激痛を与えていた。 腹の中が、焼ける、溶ける。 痛い痛い痛い。 苦しい。 いっそ気が狂ってしまえたら楽になれるのだろうが、小さな体に似合わぬプライドと強い意思が、そうさせてはくれない。 身を捩り、絶叫し、赤い瞳を潤ませて、飛影はまだ生きていた。 何日?何夜? この巣に吊るされていったいどれだけ経った? この巣に他に吊るされている妖怪はみな、屍だ。 目、耳、鼻、口、尻。体内のあらゆる穴から肥大して艶々した虫を垂れ下がらせた、屍。 「ア!……ンンン!」 胃を噛り、膨らんでいた虫が、つつ…と食道へと体を伸ばし始める。 「…!!」 声が出せない。 息が、でき… 「んぐぅ!! ンン!」 瞬間、自分の下肢に、陰茎に絡みついてきた感触に、飛影の目が限界まで見開かれる。 ぐちゅ、と巻き付いてきた虫は、鈴口の辺りをつつく。 入口、を、探している…? くちゅり。 「ンンンンー!!」 飛影の体が、跳ね上がる。 駄目だ。 そこは駄目だ。 本当に、本当に、気が狂ってしまう! やめ!やめてくれ…!! 死、という言葉が脳裏に浮かぶ。 舌を噛み切ったところで妖怪は死ぬことなどできないが、これほど妖気を吸い尽くされて弱っている今なら、多分、死ねる。 「ん!んんっ!んうう!!」 細い頭部を持つ虫が、鈴口にグッと入り込む痛みに、吊られたままの体が反り返る。 もうここまでだ。これ以上、生きて苦痛を味わう必要はない。 翡翠の瞳、黒髪。 金色の瞳、銀髪。 最期にもう一度、会いたかった、ような、気がする。 飛影が自分の舌を噛み切ろうとした瞬間、爆発音がし、洞窟の壁が粉々に飛び散った。 |