mama...1

「オレが望んだ事なのか、だと?…もちろんそうだ」

飛影は寝台に横たわったまま楽しそうにくすくす笑っている。
らしくもない薄物のガウンを羽織っているだけで、はだけたその下は裸だ。
もっとも、きちんと着れる服などもうないのだろうけれど。

なぜ?どうして…?

「…どうして?オレはもう一人にはなりたくなかった」

元々は蔵馬の隠れ家の一つだったらしいこの家は、小さいが小綺麗な造りだった。だが、この寝室は嫌な臭いに満ちている。
何日分なのか何十日分なのか分からない、汗と、血と、寝台の側に置かれた蓋のある壺から漂う、吐瀉物の饐えた臭い。

一人って…蔵馬はどうした?

「さあ…?知らんな」

飛影はひどく億劫そうに寝返りを打った。
驚くほど膨らんだ腹が、天井を向く。

その腹は…どうやって身篭った?

「ああ、その事か?時雨に手術をしてもらったんだ。やつは危険だと言って渋ったがな」

だが無理やりやらせたんだ。
オレたちは毎日のようにつがっていたからな、こうなるのはあっという間だったぜ。
そう言っておかしそうに笑う。
まるでその腹に何もかも吸い尽くされているかのように、飛影は随分と痩せてしまった。

それは…蔵馬の子なのか?

「愚問だな。決まっているだろう。…他の者の子など欲しくない!」

夢見るようにぼんやりしていた瞳に、一瞬強い怒りがよぎる。
悪かった、と慌てて宥める。

今飛影を怒らせるのは得策ではない。どう考えても。
時雨の言った通り、飛影は危険な状態だ。

なぜこうなってしまったのだろう?
二人はずっと一緒にいるものだと思っていたのに。

…蔵馬はどうした?
どこへ行ったんだ?

先ほどの質問を、また繰り返す。

「蔵馬は…」

強い怒りは消え、赤い瞳はまた茫洋と記憶の海へ沈んでしまう。

「蔵馬は…蔵馬が……オレはもう一人になりたくない。なれない。けれど、あいつ以外の誰も欲しくない」

飛影が何を言っているのか、何を見ているのか、わからない。

嫌な臭いが強まった気がした。
この狂った空間で、狂っているのが自分なのか飛影なのかも、わからなくなりそうだ。

ふいに赤い瞳が瞬く。

「…でも、もう、大丈夫。あいつがオレを捨てても…オレは一人じゃない。こいつがいる」

小柄な体にはグロテスクにさえ見える、大きく膨らんだ白い腹を撫でる。

蔵馬の子だ、飛影は小さく呟く。
愛おしそうに、嬉しそうに。

魔界での基準に合わせて考えても、その腹の大きさは異常に思えた。その事を恐る恐る告げる。

「双子かもな…オレが産むんだから」

自分で言った双子という言葉に、飛影は目を輝かせた。
心底嬉しそうに。

その言葉が聞こえたかのように、腹の中の生き物が飛影の腹を蹴り上げた。白い腹が、ぼこんと盛り上がる。

「……っうぁ…っ」

すでに汗びっしょりだった飛影の全身から、また新たな汗が噴き出した。痙攣する足の間から、黒ずんだ血がどろりと白い腿を伝い落ちる。
…なんとなくそれは、腹の中の生き物が飛影に悪意を持っている証に思えてならなかった。

一体…一体いつが臨月なのだろう?
とてもそこまで飛影の体が持つとは思えない。
飛影と雪菜の母親が双子を産むのと同時に死んだという事を思い出し、背中にヒヤリとしたものを感じる。

まるで腹の中の子に自分の苦痛を悟らせまいとでもするように、飛影は唇を噛みしめ悲鳴を押さえ込んでいた。

苦痛に震える体をさすってやろうと出しかけた手が、途中で止まる。

…この体に触れたら、一緒にこの狂気にも触れてしまう気がする。

狂気は、伝染するものだ。

「…もう、来るな」

どうにか息を整え、再び寝台にぐったりと横になって、飛影はそう告げた。

「こいつは…こいつらは、誰にも見せない。誰にも触れさせない」

オレだけのものだ、
そう言って幸せそうに笑う。

赤い瞳が、笑みに細くなる。

その瞳に宿るのは、狂気の炎。
次のページへ