インソムニアの夜明け...10

惨めったらしい。
情けない。

部屋に戻った飛影は、ついさっきの出来事を思い出し、ベッドに倒れ込むように横になった。乱暴に引っ張ったせいで、吊るされていた点滴の容器が、ガシャン、と音を立てて床に落ちる。

「……!」

無性にイライラした。この馬鹿げた場所も、自分の馬鹿げた想いも。何もかも。
力任せに右腕から垂れ下がる点滴の管を引き抜く。
無理やり針を引き抜いた腕からは、つうっと一筋の赤い流れが床に滴った。

一体…
一体いつになったら俺はここから…この場所から?この人生から?…抜け出せるのだろう?
それとも、永遠に…?

思わず力いっぱい投げたのは、雪菜のくれた置き時計だった。

「あ…」

木とガラスの精巧な細工でできた時計は、床の上で割れて砕けた。

時間を止めた時計。
そのメタファーに、飛影はペタリとベッドに座り込んだ。

力なくうな垂れたその瞬間、額に激痛が走った。
***
戻らなきゃ。
それはわかっている。
本当は飛影の側を離れてはいけないのだ。

蔵馬は資料を取りに来たと理由をつけて、医局でしょんぼりと考え込んでいた。

ーあいつ、眠れないって。
ー眠るのがこわいんだ、って。
ー夢の中では自分の額の目はちゃんと開いていて
ー三ツ目の化け物になってる、って。
ーでもその夢の中の景色が…
ー俺は気が狂ってるんじゃないか、って。

俺には、そんなこと、一言も言ってはくれなかった。
飛影が不眠に悩まされているのはもちろん知っていた。
それは頭痛からくるものや、薬の副作用もあるだろうけれど…

眠れない。眠るのがこわい。

つまり、それは。

「俺は相談するには値しないってことだ…」

蔵馬は深々と溜め息をつき、お茶を淹れた。
これを一杯飲んだら戻ろう。

カップを出した途端、蔵馬の胸元で、ピピッ、と短い電子音が鳴った。

「!!」

それは患者の容体の急変を知らせる音だ。
お茶もカップも放り出し、蔵馬は最上階へと走った。
***
床に転がって丸くなり、飛影は頭を抱えて苦鳴を上げていた。

「うあ!っくう…」
「飛影!」

抱き起こした蔵馬の腕の中で、飛影は青い顔に脂汗を浮かべていた。
取り合えずベッドに寝かせ、ベッドサイドのワゴンから、強い鎮痛剤のアンプルを取り出す。ふと見た床には、外された点滴が転がり、ガラスが粉々に割れた時計があった。

手際よく注射器に満たした薬剤を、飛影に投与する。

「あ、うあ…ああああ!!」
「すぐ効いてくるから。もうちょっと我慢して」

勝手に外した点滴に怒るのは後だ。
震える飛影を抱きしめ、蔵馬は背をさする。

ほんの二、三分で薬は効果を現し、飛影の顔に徐々に血の気が戻り始める。
痛みの緩和とともに、飛影は眠りに落ちた。

薬の与えてくれる、強制的で、不愉快な眠りに。
***
本当に、この鎮痛剤の眠りは不愉快だ。
ドロリと重い沼のように体を浸し、目覚めてもまだ気分が悪い。

そんなことを考えながら飛影が目覚めたのは、二時間後のことだった。

「気分はどう?」
「…最悪だ」

そっけない返答。
いつものように飛影は時間を見るために枕元に目をやったが、そこにあるはずの木細工の時計はなかった。

「……」

そうだ。
あれは壊れたのだった。
いや、壊したのだ。雪菜がくれた物だったのに。

「今、何時だ?」

蔵馬はそれには答えず、ベッドの側の椅子に腰掛けた。

「おい、聞いて…」
「どうして、点滴を外したの?」
「別に。邪魔だった」

もう会話を続ける気はないという意思表示に、飛影は反対側を向き、毛布をかぶった。

「…夢、のことだけど…」
「なに…?」

思わず飛影は振り向いた。

「怖い、夢を見るって…」
「誰から…」

誰から、なんて我ながら馬鹿げている、と飛影は自嘲する。
夢の話をしたのは、幽助に決まっている。
他の者に話したことはないのだから。

「いつ頃から…?俺にも話してくれない?」
「…お前には関係ない」
「……幽助くんなら、いいの…?」

その暗い声音に飛影は冷たい笑みを浮かべる。

「聞きたいのか?」
「もちろん。だって…」

俺は君の主治医だし。
そんな言葉を言うべきだったのに。
だが、蔵馬の口から出たのは思い掛けない本音だった。

「だって…俺は君のことが……好き、なんだ」
「へえ」

そんなことはとっくに知っていたのに。
飛影の笑みは、ますます冷たくなる。

「…交換条件だな」
「え?」

舐めろ。
口でイカせてくれたら教えてやるぜ。
片手だけでヤルのには飽き飽きなんだ。

飛影はそう言うと、動かせる方の手で、自分のパジャマを膝までおろした。
***
飛影は顔も手足も、どこもかしこも白い肌をしているが、さらけ出されたそこは薄く色付いていた。

…他人と交わす初の性的接触が、口ですることになるとは思っていなかった。
蔵馬は顔を赤くし、恐る恐るそこに手をのばす。

もちろん、今まで入浴介助や、痛み止めの座薬を挿れたりする際に、飛影のそれも見たことはあった。だが、患者に恥ずかしい思いをさせないよう、できるだけ見ないよう、触れることも最小限にするよう心がけていた。

「お、俺…したことないけど…」
「簡単だ。口で銜えてしごけ」
「で、でも…興奮するのはよくないよ…?」
「へえ。興奮させられる自信があるって訳か?」

その挑発に、蔵馬はますます顔を赤くする。

「あの…俺…」
「なんだ?」
「その、あの…本当に君のこと…」

今だけ流されてるとか、そんなんじゃなく、つまり…
飛影はごちゃごちゃ続く言葉を遮るように、蔵馬の顔を、自分の股間に押し付けた。

「…口を動かすなら、こっちにしろ」

蔵馬は観念したように、それを口に含んだ。
***
どうすればいいのか、よくわからない。

取り合えず口に含み、先端を舐めてみた。
同時に右手で根元の辺りをしごき、袋を軽く揉む。

「ん…ぁ……」

先端から根元へと舐めながら行き来し、硬くなってきた棹を、口の奥深くに迎える。

「ん、ん、も、っと…力を入れろ…」

言われた通りに強く吸い付き、試しに、先っぽに軽く歯を立てる。

「あ!ああ!んん…そこ…」

どうやら良かったらしい。
先端を執拗に舐め、舌先を尿道に押し込むようなつもりで動かす。

ピチャピチャと、音が響く。
絶え間なく舌を動かし、唇でしごく。

「あ!あ!う…ァアア…ん、手、で…下の、方…んん!」

根元のすぐ下の、柔らかな皮膚を、蔵馬は強く揉んだ。

「あ、アアアァアッ!!」

途端に口の中のモノが大きく膨らみ、熱い液体を放った。

変な、味だ。
もちろん蔵馬だって自慰はしたことがあるが、まさか自分の精液を舐めたりはしない。

「…あ、はっ…あ…ん…飲め」

熱い液体が喉を焼き、胃に納まった。
気持ちが悪いような気もしたが、飛影のものだと思えば飲み込めた。

息を荒げている飛影のパジャマを、引っぱり上げ、毛布をかけようと…

「…何してる?」
「何って…風邪ひくよ」
「馬鹿」

毛布を床に投げ捨て、飛影は今度はパジャマのズボンを完全に脱ぎ捨てた。

「ちょっと…何?」

もう一回ってこと?
目を丸くする蔵馬に、飛影はニヤリと笑う。

「…初めてにしてはまあまあだったぜ」

褒められても、何と返答すればいいのやら。

「ご褒美に…させてやるよ」

そう言うと、飛影は自分の尻の下に枕を入れて横たわった。
大きく開かれた足の間は、尻の下に入れた枕のせいで、狭間までさらしていた。
そこに息づく小さな穴は、何かを待つように、ヒクヒクと収縮していた。
前のページへ次のページへ