heaven's day...3

立てた丸太に錆だらけのトタン板を乗せ、何かの空き箱をひっくり返し椅子がわりに並べているこの建物を、店といっていいものかどうかはわからない。

見てもなんだかわからず食べてもわからないという、雑多な具材を煮込んだスープをパサついた米にかけたものがこの店の唯一のメニューで、ホンは三日ぶりに銅貨を一枚投げた。三食分で銅貨一枚がこの店の価格だからだ。

店の親父は銅貨をサッとしまうと、投げるように盛り付けられた米の上に、スープをたっぷりかけた。いらっしゃいませもなければどうぞもない。この店というよりはこの界隈ならではというべきか。

「なあ、聞いたかい?ヘヴンリーが復活したって噂だよ」

知ったことかとでもいうように、ホンは肩をすくめた。

この耳の早い親父だって、飯屋だけで食っているとは思えない。他にも人には言えないような商売を持っているだろう。ただ、ジャンキーではない。それがホンがここへ通う一番の理由なのかもしれなかった。

「ヘヴンリーがあろうがなかろうが、どうだっていいだろう」
「けどよ、あん時は死人が山ほど出たろうが」

あん時、と親父が言う四年前のこの街の抗争を、ホンは話にしか聞いたことはない。
スプーンを口にくわえたまま、ホンは親父をじろりと見る。

「…だからなんだ?ジャンキーがいくら死のうが、誰も困りはしない」

そらそうだ、と親父も頷き、煮立ち過ぎている鍋の火を弱めた。

ただの遊びとしてならともかく、ジャンキーどもは全財産尽きるまで、いや、尽きてもまだ薬を求めてあがく。
楽しみのために薬を嗜む金持ちどもとは違う。まずいと気付いても、意思が弱く、薬をやめることもできない。

自業自得、まさにそれだ。
皿に口を付けてスープを飲み干し、ホンは冷笑した。

だがふいに、碧の瞳が頭に浮かんだ。
本当に綺麗な、碧の瞳。

どこかでトリップしているであろう男のことを、ホンは少しだけ考え、すぐに忘れた。
***
「……ピンイン?」

この十日で二度目の睡眠時の電話に、ホンの声は掠れている。
起きる時間を計算して薬を飲んでいるのが台無しだ。

「知るか」

その名を聞かされても、すぐには思い出せなかった。
二、三度頭を振り、冷たい水を流し込んだところでようやく売人仲間の一人であることを思い出す。

「どこにいるかだと?持ち場も違う。どこに住んでるかも知らない。わかるわけないだろ」

言葉を交わしたことは一度だけ。会ったことすら数えるほどしかない。
ホンに負けず劣らず小柄でそばかすだらけの、生意気だが陽気な子供だった。ピンインというコードネームで呼ばれてはいたが本名は無論知らないし、それが何を意味する言葉なのかもホンにはわからなかった。

ホンと同じくピンインの扱う商品のほとんどはエンペリアルだったが、最近になってもっと稼ぎたいとヘヴンリーをメイン商品に変えていたらしい。多額の売り上げを持ったまま姿を消したのだという。

「わかったわかった。見かけたら連絡する」

面倒くさそうに返事をし、ホンはデバイスを枕の下に戻す。

今まで見かけることも滅多になかったのだから、見かけるはずもない。
同じ組織に属している者同士が、同じ持ち場で売買を競ったってしょうがないのだから。

そんな電話があったことさえ忘れていた二週間後、ピンインは見つかった。
頭をそっくり、コンクリートの汚水溜めに突っ込んで。

問題は、頭以外は見つからなかったことにある。
***
「狐?」

親父は頷き、米にスープをざばっとかける。

「こないだ、首だけ死体が出たろ?」

自分の職場の同僚…という言い方はなかなかにブラック…であることなどおくびにも出さず、クズ野菜とクズ肉と米とをスプーンですくい、ホンは首を傾げる。

「ああ。頭以外は見つからなかったっていうガキの死体だろ」
「それそれ。あれな、狐が絡んでるらしいぞ」
「だから、なんなんだ、その狐ってのは」

親父はポケットから取り出した、親父と同じくらい古ぼけた瓶から何かを一口飲み、肩をすくめた。

「おめえ若けぇなあ。狐を知らないのかよ」
「知るか…待てよ、狐って、あの狐か?あんなもの信じているのか?」
「信じないのは勝手だけどな、狐は本当にいるんよ」

頭をかきかき、親父は話し始める。

狐は政府の依頼で動いてる組織さ。麻薬の売人や組織を捕まえるんだが、荒っぽくてな。まあ、普通の警官じゃできないやり方をやらせるために、政府が裏で雇ってるんだからしょうがねえが。
警官なら悪人を捕まえるにも法を守らにゃなならんが、狐のような奴らの組織は法なんておかまいなしさ。売人を捕まえて片づけて組織を壊滅させる。やり方はなんでもありだ。とてもじゃないが表には出せないような手も使う。

「普通のやり方じゃない…?」
「そんだ。拷問だろうが殺しだろうが、なんでもありさ。女子供にも容赦はしねえ。その点ではどっちが悪党だかわかったもんじゃねえ」

捕まえたやつを裁判にかけるにも檻の中にぶち込むにも金がかかる。売人が捕まるんじゃなく死んでくれりゃあ大助かりだ。
政府も狐たちのやり方を歓迎してるっつう話だよ。

「四年前、ヘヴンリーを消したのだって、狐の仕業さ」
「なんだと…?」
「そりゃ、表向きは警察が捕まえたことになってっさ」
「表向き?」
「おめえ、この街で売人を見かけたことがねえとは言わせねえぞ。そいつら見て、なんか気づかねえの?」

半分ほど食べ進んだ皿に視線を落とし、ホンは考えるが、答えを見つける前にまたスプーンを突っ込んだ。
冷めかけた米とスープを、小さな口に押し込む。

汚い街のざわめきに、ホンが使うスプーンの音はかき消されてしまう。

「…何が言いたい」
「ガキしかいねえだろうよ」

どちらかと言えば鈍いホンも、親父が自分を見る視線が今日はどことなく冷たいことに気付く。
考えてみれば、この街が出来た頃からここにいるような親父が、常連客の職業を知らぬはずなどないのだ。

「売人だって年を取る。なのにこの街の売人はガキばっかだ。そりゃあ十六歳以下は捕まえたって死刑にできねえから警察も本気で捕まえやしねえ。だから使いやすいってのもあるがそれだけが理由じゃねえ。なんでかっつうとな」

少しだけ残っていた米に、親父は熱いスープを足してくれる。
そんなことをしてくれたことは、今までなかったのに。

「…四年前の狐の狩りで、ここらのシマの売人はほとんど殺されたからよ」

ホンは無言のまま、親父の視線を受け止める。

「狐はいるんだ。俺はそう思う。簡単に金を稼ごうなんて思ってるとよ、痛てえ目に遭うぞ。若えの」
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