合縁奇縁の獣たち...10「愛してる」その言葉にオレは溜め息をついた。 「…そんな馬鹿げた嘘をつかなくとも、今さらここでお前を殺す気はないぞ」 蔵馬は微笑んだ。 顔はもちろん全身血で汚れているというのに、ぞっとするほど綺麗な笑みだ。 「…本気で言ったんだぞ」 「信じるかそんな事」 オレは吐き捨てる。 狐の白々しい嘘にはうんざりだ。 「愛してる」 「黙れ」 「…愛してる。お前がオレを愛しているのと同じくらい」 オレはガバッと顔を上げた。 金色の瞳と目が合う。 「だからお前は、オレを殺せなかったんだろう?」 「…違う!」 何もかも見透かすような金色の瞳。 頬に血が上る。 「めでたく両想いってわけだ。喜べ。何が気にくわないんだ?」 「何が、だと…」 ふつふつと怒りが湧き上がる。 「何もかもだ!オレはお前の事なんか愛していない!第一お前がオレを愛してるなんて信じられるか!本気でオレを愛してるって言うならまずこれをどうにかしろ!」 首に刻まれた契約の証の花を指して、オレはわめく。 「悪いな。それは解けない呪術なんだ。さすがのオレでもな」 「ふざけるな!」 解けない事は知ってはいたが、わめかずにはいられない。 「何が両想いだ!笑わせるな!オレは一生お前の言いなりじゃないか!」 そんな主従関係で愛してるも何もあるか! 「そう言われてもなあ。この先何も命令しないって約束するが」 「信用できるか!」 うーん、と狐は首を傾げる。 オレにも本当はどうしようもないと分かっている。 けれど。 けれどこの呪いが解ければ、対等になる事が出来るのに。 抱かれることも憎むことも愛することも自分の意思で。 …え…? オレは……? 認めたくない。冗談じゃない。 そんな訳ない。 そんなわけないそんなわけないそんなわけない! 「わかった。飛影オレの側に座れ」 ハッと我に返る。 蔵馬がまるで飯でも食おうとでも言うような、いとも軽い口調で言った。 背中に払いのけた銀糸を、裂いたガウンの切れ端で結ぶ。 そして… むき出しになった白く長い自分の首に、呪を彫った。 ***
口の中に広がる、血の味。小さく傷を付けた飛影の指先をオレは銜えていた。 抱きしめられるくらいの距離に、茫然とした表情の飛影。 ペロリと傷口を舐め、オレは指を口から離す。 「どうした?血が止まってしまうぞ?」 「…本気なのか…?」 「もちろん。言うべき言葉は知っているだろう?」 何を躊躇っているのだろう? 飛影の指先は震えていた。 「オレは…」 「わかってる。オレを愛してるんだろ?」 わざと茶化すように言って、無事な方の手で体を抱き寄せ顔を覗き込む。 茶化したつもりが、赤い瞳に捕らわれた。 傷口から噴き出す鮮血の色。 滅多に見られない、魔界の赤い月にもよく似ている。 そうだ。 初めて見た時から、オレは結局こうなるって分かっていたんじゃないのか? 血の止まりかけた指先に歯を立てる。 ふいに飛影が顔を上げ、真っ直ぐにオレを見た。 「…オレに…忠誠を誓うか?」 傷口をゆっくり舐め、口に広がる甘みを味わう。 「…誓う」 オレの言葉に呼応して、首筋がカッと熱くなった。 ***
「ああやれやれ、だな」妖気を封じる洞窟が完璧に崩れ結界がなくなった今、蔵馬の召喚した植物を伝ってオレ達は崖の上に戻り、陰気で寒い森を出た。 「おい、大丈夫か?」 オレは喋るのもおっくうで、黙ってやつの腕に抱かれていた。 大怪我をした蔵馬が植物を召喚し崖を登り、たいした怪我もしていないオレが歩く事もできずに抱かれているのは、オレの妖気をほとんど全部蔵馬に与えたからだ。 そうじゃなきゃあの崖から這い上がれるほどに、蔵馬が回復できるわけがない。 「お前…取り過ぎだろう…」 叫んだつもりが囁くような声しかでない。 「これじゃあ歩けもしない…」 「歩く必要ないだろう?どうせ骨も折れてるし。オレが抱いてってやるさ」 オレの抗議は笑って一蹴される。 「見られたらどうする!」 「誰に?誰もいないって。照れ屋だな」 たしかにこの森も、あの陰気な森ほどではないが人がいそうな森ではない。 「そういう問題じゃない。降ろせ」 「命令したらいいだろう?」 笑う蔵馬の首筋には、オレと同じ花のような痣が見えた。 返答に詰まるオレを抱いたまま、やつは何かの種を地面に落とす。 見る見るうちに水が湧き出し小さな泉ができた。その泉のほとりにオレを降ろし、自分も隣に腰を降ろす。 手が震えて上手く水を掬えないでいるオレに、蔵馬は自分の手の平に掬った水を飲ませる。 甘く、冷たい水。 ひとしきり水を貪り、やっと人心地ついたオレは蔵馬に問う。 「これからどうするんだ?城に戻るのか?」 そうだなあ… 蔵馬はごろりと草むらに寝そべる。 「戻らなくてもいいんじゃないか?」 「はあ?じゃあ、あの城はどうするんだ?」 「あいつらにくれてやるさ。いや、あいつらのことだから馬鹿な殺し合いを始めて全部パアにするかもな」 そう言いながら蔵馬はおかしそうに笑う。 「…あの城には貴重な宝が山ほどあるんだろう?いいのか?」 根城はたくさんあるのだろうが、どう考えてもほとんどの宝物はあの城にあったはずだ。 長い時をかけて集めた収集物に興味を無くしたかのような発言は腑に落ちない。 「いいんだ。お前を手に入れたらどうでもよくなった」 「…な…!」 摘んだ葉をくるくる回しながら、金色の瞳が笑みを浮かべる。 一瞬で赤くなった顔を見られないように、オレは手で顔を覆う。 「そういう…そういう事を言うのはよせ」 「なぜ?」 やつは葉をポイと投げ、オレの手を顔から外させる。 「…狐の戯れ言など聞きたくない!…そういうのは…苦手だ」 「慣れろ。これから永遠に聞かされるんだから」 「…指図するな」 「命令じゃないだろう?ただの事実だ」 血の味がする、薄く形のいい唇がオレの唇に重なる。 永遠、か。 そんなものありはしないと、雪菜がいなくなった日に思い知らされたはずなのに。 白い首筋に浮かぶ花が目に入った。 今なら… 今なら、少しだけ、 信じてもいいような気がする。 ゆっくり覆いかぶさってくる狐の首筋の花に、オレはそっと手を添えた。 ...End |