Petit a Petit...1

マンションのエントランスに着いた時から、気配には気付いていた。

「あれ?」

珍しいな。二人だけでオレの家に来るなんて。
エントランスのドアの解除キーを回しながら蔵馬は首を傾げた。

最上階に着いたエレベーターの扉が開いた途端、目の前を猛スピードで走り抜ける人影。

「ちょっと!どうしたの?」

今まさに非常階段の扉を開け、姿を消そうとしていた人物を呼び止める。

「幽助!」

ギクッと足を止め、幽助は似合わない愛想笑いで振り返る。

「あ、あ~。お、オカエリナサイ。蔵馬サマ」
「サマ?どうしたの一体。家に来たんじゃないの?」
「ああ、うん。そうだけどお留守みたいだったので…」
「そりゃそうだよ。今帰ってきたんだもん。寄っていかないの?」
「いやいやいや!とんでもない!お疲れの所を!」

支離滅裂な敬語で、とにかくこの場を逃げ出そうとしている。

「何?どうしたのさ。飛影も来ているんだろう?」

その言葉に幽助は明らかに飛び上がる。

「あー。えー。うー。来てるんじゃないですかな?」
「かなって…二人ともオレの部屋にいたでしょ?なんで隠すの?」

わけのわからない態度にさすがの蔵馬もちょっと苛立つ。

「あっ、やべ!オレ、螢子と約束してたんだった!いや~。残念だけどまた今度!」

それじゃ!と風のような勢いで逃げて行く。
バタンと閉じた非常階段のドアを眺め、あっけに取られる蔵馬。

「なんなの…?」

首をふりふり家のドアを開ける。
よく知っている妖気が、家にはまだ誰かいることを告げていた。
***
「ただいま」

ダイニングルームに明かりをつけ、蔵馬は紙袋をテーブルに降ろす。

「ただいまー。飛影来てたんだねー。寝てるのー?」

ミネラルウォーターだのパンだの、人間の日常生活品を手際よく片付けながら奥の部屋に呼びかける。
まあ彼がおかえりーなんて走ってきて出迎えてくれたりしたことはないわけで。

片付け終わった蔵馬は妖気を感じるベッドルームへのんびりと足を運び、小さく膨らんだ毛布から覗く黒髪を見て微笑んだ。どうやらぐっすり眠っているらしい。

「飛影、ただい、ま…?」

小さく膨らんだ毛布。

何か、変だ…。
何だこの違和感。

…小さく膨らんだ毛布…

それに…妖気が…すごく小さい?
まるで…今にも消えそうに…

「飛影!怪我でも…!」

な!

慌てて毛布をめくった蔵馬は、いつもの冷静さも忘れてベッドの上を凝視する。



「な、…な、な…なにこれ!」

へなへなと床に座り込む。

「ち、ちっちゃい!!」
***
…おかけになった電話は電波の届かない所にいるか、電源が入っていないため…

「っもう!」

蔵馬は腹立たしく携帯を切る。
案の定幽助は電話に出ない。

「無責任なんだから!」

厄介事を押し付けるならせめて状況を説明していくくらいの誠意はあってもいいだろうに。
ベッドの上で丸くなって眠る飛影…と思われる…を眺め、蔵馬は深々と溜め息をついた。

いや、思われる、も何もない。
どんな姿になったって彼だってことがわからないような蔵馬ではない。これは、間違いなく飛影だ。

本人に聞くしかない。

「…飛影。ねえ起きて」

そっと揺さぶる。
元々小柄だが今現在はそういう問題ではない小ささだ。
しかもちゃんと服は体に合った物を着ている。自分で着たとは思えないし…幽助が着せたのだろうか?

いったい何がどうなってるんだ?

「…ねえ起きてってば」

むにゃ、というつぶやき。
…声も、幼い。

「起きないといたずらするよー」

その言葉にぷるっと頭を振って飛影がのそのそ起き上がった。

「…蔵馬。なんだ、起こすな」

ふあ、とあくびをする。

かわいいけど…小さい!
何もかもが小さい!
蔵馬は困惑して飛影を見遣る。

「…おはよ。あのさ…これ、どうなってるの?」
「これ?」

寝ぼけ眼のまま、目をこすろうと上げた手を飛影は見た。

「……??」

手をじっと見る。
ベッドの上の自分の足を眺める。
おそるおそる手を体に這わす。

そこまで自分で確認したところで、飛影はようやく事を飲み込んだらしい。
とどめを刺すかのように、蔵馬がベッドと反対の側に立てかけてある大きな鏡を指した。

そこには、いつもよりさらに小さい小さい飛影がいた。

「……貴様」
「え?」
「…どういうつもりだ!!」
「ええ!? オレは何もしてないよ!」

濡れ衣をきせられ、日頃の行いの悪い蔵馬は慌てる。

「ふざけるな!貴様以外に誰がいる!」

ベッドの上で仁王立ちして怒っても、あまりにも小さい。
ぴょんぴょん跳ねる姿は見たこともない水玉模様の子供服のせいでかわいらしくすらある。

「違いますって!オレはたった今帰ってきたとこだよ!」
「信じるか!この嘘つき狐!あの鈴木とかいう馬鹿からトキタダレを手に入れたんだろう!」
「あ、」

驚いたように碧の目を見張る。
蔵馬にしたってトキタダレが何らかの形で関わっていると思っていた。
だが、飛影に指摘されて気付いた。

「…違うよ、飛影。だってあなた邪眼があるもの…」
「!?」

あわてて小さな手を当てた額には、閉じてはいるが間違いようのない第三の眼。

「トキタダレなら時間ごと遡るようなものだし…。だとしたら邪眼はなくなっちゃってるはず…変な物拾って食べたりしてない?」
「食うか!アホな事言うな!」
「冗談冗談。ま、何にしても幽助が関わってるのは確かだしね。とっつかまえなきゃ」
「…幽助?…そうだ…思い出した!あいつのせいだ!」
***
さかのぼること半日前。

飛影と手合わせの約束をしていた幽助は、主のいない空っぽの部屋に向かって百足の中を堂々と歩いていた。
通りかかった妖怪はみなポカンと見ているが、あまりに堂々と、しかも雷禅の息子とあっては下手に何も言えないものだ。

「おい、雷禅の息子。何をしている」

声をかけたのはパトロールから帰ってきた所と思しき女主人。

「ちは。飛影と手合わせの約束してるんだ」
「そうか。しかしよくまあのうのうと人の陣地に入りこむなあ」
「まあ、いーじゃん。次のトーナメントまで敵もなにもないだろ?」

あっさり笑うこの男を躯はわりに好いていた。
雷禅と似ていないようで、どこか似ている。

「飛影のいる班はパトロール中にちと厄介な揉め事にあっててな。もうじき戻ると思うが」
「なーんだ。そっか。じゃあ部屋で待つかな」

どーも、と手を振って飛影の部屋の方に歩きかけた幽助に、思わぬ声がかかる。

「オレが手合わせしてやろうか?」

女主人の思い掛けない気まぐれな申し出に幽助は目を輝かせた。

「マジで?いいの?やるやる!ラッキー!」

他の者だったらたいしてラッキーとも思えない申し出に大喜びする幽助を見て、躯は思いがけず微笑んだ。
***
「ちっくしょー…。痛って~やっぱ強えぇな!」

吹っ飛ばされ大の字にひっくり返った幽助の側に、体重すら感じさせない優雅な身のこなしで躯がストンと降りた。

「まだまだだな、雷禅の息子」

クスクス笑う彼女は息も上がっていない。
始めた時と変わらぬ姿で立っていた。

「ああ。ほんとまだまだだ。チクショー。今夜はやけ酒だ!」

寝転がったまま力強く宣言する。

「そうしろ。なんなら土産をやるぞ。蔵に貢ぎ物の酒が山ほどあるんだ」
「いいの?負けたのに酒までもらって?」

戦いにも目がないが、酒にも目がない幽助は目を輝かせる。

「ああ。どれでも持って行け。どうせオレは貢ぎ物の酒はほとんど飲まん」

そう言いながら躯は蔵へと案内する。

「すっげー!本当にどれでも貰っていいのか?」

棚には形も材質もさまざまな瓶が所狭しと並んでいる。
瓶だけでも価値があるのではないかと思えるような豪奢な物も多い。

「好きにしろ」
「悪いねー。じゃあ遠慮なく!」

幽助は変わった瓶ばかりを選び、棚から下ろす。

「あれ、…これ…?」

透明の瓶に、白濁した酒が入っている。
その瓶の首にかけられている石の飾りは…

「…氷泪石?」

ん?と躯が振り向く。

「ああそうだな。氷河の国の酒だ。ご丁寧に氷泪石まで飾りにつけてやがる」
「へえー。雪菜ちゃんの故郷の酒か。これも貰っていい?」
「いいぞ。オレは氷河の国の酒なんざ辛気臭くて好かん」

さて、と躯は蔵で埃っぽくなった服を叩いて立ち上る。

「じゃあな。勝手になんでも持って行け」

そう言って蔵を去ろうとする。

「ああそうだ、雷禅の息子。酒を混ぜるなよ」
「へ?」
「人間界では酒を混ぜて飲んだりするんだろう?魔界の酒は混ぜては飲めないんだ。それぞれ造った種族が違うからな。とんでもない目に合いかねん」
「ふーん。わかった」
***
「それで…」

蔵馬はコーヒーを一口飲み、先を促す。

「幽助と手合わせの約束をしてた事まではわかったけど。なんで酒盛りになったわけ?」

自分にはコーヒーを淹れておいて、飛影には甘くしたホットミルクを渡す。
…なんだかこの外見だとコーヒーは渡しにくかった。

だが飛影はそれどころではないらしく、眉根を寄せたままホットミルクをすする。

「パトロールで面倒が起きて帰りが遅れたんだ。そうしたら幽助のやつがオレの部屋で勝手に酒盛りを始めてた」

飛影が戻った時には幽助はそうとうでき上がっていたという。
手合わせしないなら帰れと言う飛影に、酔っぱらいは実に酔っぱらいらしく絡んできた。

「飛影ちゃーん。まあそう言わず一杯やろうよ~」
「手合わせしに来たんじゃないのか?」
「そーなんだけどお、お前んとこの女王様が付き合ってくれてさ~。もうオレメッタメタ」
「…躯と?敵うわけないだろうが。じゃあ今日はもう帰れ」
「まあまあ、まずは一杯」
「飲まん。帰れ!酒臭い!」
「あーわかったー。飲めないんだろー?お子ちゃまだねー飛影たんは」
「…貴様。誰が飲めないだと…」

売り言葉に買い言葉。
結局ヤケ酒盛りに付き合うハメになったのだと言う。

「…あなたってすぐそーゆーのに引っかかるよねえ」
「…うるさい」
「しかもお酒全然弱いくせに」
「うるさい!」

キーと怒り、カップを床に投げる。
癇癪起こした幼児のようで、思わず蔵馬は吹き出す。

「何がおかしい!」
「まあまあ。取り合えず魔界へ行こう。多分何か変なお酒を飲んだんだと思うよ」
「幽助だって同じ物を飲んだ!」
「でも、あなたと彼では種族が違うからねえ」

治すにしても、何を飲んだか分からないとね。
そう言いながら蔵馬はクローゼットから小さめの毛布を出し、飛影をくるもうとする。

「なんだ?そんなものいらんぞ」
「気付いてないの?あなた妖力がほとんどないよ。多分小さくなって妖力が激減したってのに邪眼があるからそっちに全部取られちゃってると思うんだ。邪眼もあるってだけで使えないと思う。炎も出せないと思うよ」
「……くそっ。…だからって何でこんなものにくるむ?」

白い毛布にくるんだ飛影を、蔵馬は抱き上げた。

「一つは、オレの周りに結界を作ってあなたを抱いていないと魔界に入るのは無理なくらい妖力がないから。外も寒いしね」

二つ目は…と蔵馬は続ける。

「百足に行かなきゃなんだよ?この姿みんなに見られてもいいの?」

毛布をはねのけようとジタバタしていた飛影は、ピタリと大人しくなった。
***
部屋には種々雑多の瓶やグラスが転げていた。

毛布にくるんだ飛影を抱っこしたままいくつかの瓶を調べ、グラスに残っていた酒に指先を浸し、舐める。

「幽助のやつ…混ぜたな」

蔵馬はしかめっ面して溜め息をつく。

「混ぜた?」
「みたいだね。飲んで気付かなかったの?」
「……」

飛影は認めたがらないが酒に弱い。
きっと一杯目を飲んだ時点でもう、ろくに覚えてもいないのだろう。

「…治せるのか?」

彼には似合わない、おそるおそるという感じの質問。

「ええ。でも…」
「でも、なんだ?」
「何日かはかかちゃうかな。パトロールはどうするの?」
***
「…器用だな。狐。千年も生きるといろんなことができるもんだな」

ベッドに寝そべった女帝は、珍しく驚いた顔をしてこちらを見ている。

「はあ?」
「どうやって作った?どうやって産ませたんだ?男を孕ませるなんてどんな薬を使うんだ?」
「え?…違います!」
「昨日までは別に腹ぼてでもなかったのにすごいもんだな。それで、産んだ本人はどこへ行ったんだ?臥せってるのか?あんなちっこい体にあまり無理な事をさせるな」

興味津々でもっとよく見ようとベッドから立ち上り、毛布をめくってのぞきこんだ躯に、飛影がキレた。

「馬鹿か貴様も!」
「…口の悪いとこも似てるなあ。どーゆー教育をしているんだ。どうせなら狐、お前に似た方が綺麗だったんじゃないか?まあそれは選べんことだが」

頬っぺたを指先でつつく。
その指に噛みつこうとした飛影をあわてて押さえ、蔵馬は溜め息をつく。

「…違いますよ。これは飛影ですよ」
「…飛影?それはまた。いつにも増して小さいな。元々小さいんだから変な遊びはよせよ狐」
「もー。あなたが幽助に渡したお酒ですよ」
「幽助?ああ、雷禅の息子か。しかし酒を飲んでそんな風になるなんて聞いた事ないぞ?」
「混ぜて飲んだんですよ」
「混ぜたあ?オレは注意したはずだぜ?馬鹿なことをしたもんだ。それにしても飛影、お前は魔界の者なんだから別々の種族が造った酒は混ぜて飲めないことなんか当然知っているはずだろう?」

幽助はしたたかに飲んでいてそんな注意などすっかり忘れていたし、酒に弱い飛影は一杯目ですでにしたたか状態だったのだ。

で、この有り様だ。
飛影はもう何も話したくないとばかりに、小さな手で毛布をギュッと頭から被った。

「…そんな訳でして。五日ほど休みをください」
「治せるのか?」
「多分。でもちょっと時間が必要でして」
「そんなバカげた話で休みはやれんな」

そう言うと躯はベッドに再び寝ころんだ。

「そうおっしゃらず。どうせこの状態じゃパトロールにも行けませんよ」
「時雨にでも結界を作っておぶってもらえばいい」

毛布の中で毒づく声が聞こえ、躯がニヤリとする。

「冗談だ。…五日でいいんだな?」
「ええ。すみませんね」
「貸しは作れる時に作っておくもんさ。連れて行け」

ひらりと手を振り退室を促す女帝に、蔵馬は微笑んで会釈した。
***
「どうしてわざわざ人間界に戻って来たんだ?」

いつもと同じ口調で、いつもよりずっと幼い声が問う。

「結界をずっーと張っておくのはオレも疲れちゃうもの。今のあなたは結界なしでは魔界にいられないし。だから幽助もここに連れてきたんだと思うよ」
「…幽助のやつ…殺す!」
「まあまあ。オレの所に来るのが一番解決に近いでしょ?」
「解決だと?躯にまで見られたのにか?当分バカにされるんだぞ」

ダイニングキッチンの椅子に座らせられた飛影は、小さな足をぶらぶらさせながらふくれっ面をしている。妖気がほとんどなく、小さな体になった彼は人間の幼児とたいして変わらないぐらいの力しかない。

「かわいいよ、飛影」
「…死にたくなきゃ黙って薬を作れ」

蔵馬は笑いながら、コトコト煮ていた小鍋に視線を戻す。

「さて、と。出来た。これを飲めば三日くらいで治るはず」

小さなカップにうす甘い香りのする中身を注ぎ、手渡す。

「三日?躯には五日だと言わなかったか?」
「嘘ついたの。だってその体じゃエッチも出来ないじゃない?残り二日は楽しませてよ」

その言葉に小さな手がピタリと止まる。

「でも良かった。その薬草最後の在庫だったんだ。次の収穫は三ヶ月ぐらい先だからね。三ヶ月もできないなんて我慢できないし。あなたもオレも」

嬉々として言う言葉に小さな手が震えている事に、鍋を洗うために後ろを向いていた蔵馬は気付かない。

ガチャン!!

「え…」

振り向いた蔵馬の目に映るのは、粉々に割れたカップと床で湯気を立てる薬湯。

「ちょっと…!どうしたの、手が滑った?これもうないんだよ!?」

振り向いた蔵馬は、カンカンに怒っている飛影にようやく気付いた。
どうやらカップは彼が床に叩きつけたらしい。

「な、…何怒ってるの?」
「…貴様は…オレの事を好きだとか愛してるとかさんざん抜かさなかったか!?」
「も、もちろん。何、どうしたの」
「挿れることが出来ない体になったのが不満か!?だからせっせと薬を作ったのか!?」
「そんなあ。ただオレは治って欲しかっただけ…」
「セックスするためにか!?」
「違うよ!そんなつもり…」
「もういい!…痛てっ!」

椅子からぴょんと降りた拍子に、割れたカップの破片を踏んだらしい。

「あーもうほら。今は傷もすぐに治らないんだからね」

そう言いながら蔵馬は小さな体をひょいと抱き上げて足の傷を調べる。刺さった陶器の破片を抜き、ペロリと傷を舐めた。

「あんな事言って、ごめん。そんなつもりじゃないよ」

赤い瞳が疑わしげな視線を向ける。

「信じてよ~」
「じゃあ、」

赤い瞳が眇められる。

「じゃあ、証明しろ。三ヶ月の間、セックス抜きで」

蔵馬の目に、小悪魔の笑みを浮かべる赤ん坊が映る。

…思わず眩暈がした。
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