好敵手...1

どうしても手に入れたいものがあって、それが自分のものではなかったら?

自問自答しなくたって、答えはわかっている。

躊躇うな。
奪え。
手に入れろ。

自分に、言い聞かせる。

欲しいものは、欲しい。
それはどうしたって否定できない。
物の怪の、性なのだ。
だから。

行け。
進め。
そして手に入れろ!
***
「年下のくせに」

こんなに上手いなんて、どういう経験積んできたの?
ベッドの中特有の甘い声で、女は蔵馬にしなだれかかる。

「そう?君と相性がいいのかもね」

微笑んで返した蔵馬だったが、君、と呼びかけたのは女の名前をすでに忘れていたからだ。
高層階のマンションは見晴らしがよく、こうした情事にも好都合だった。蔵馬の顔とこの部屋の雰囲気に、女たちはいつだってたやすく服を脱ぐ。
長身にふくよかな胸やくびれた腰、それらは魅力的ではあったが、それ以上のものではない。たかが、性欲処理の相手だ。

「何か、飲み物持ってくるよ」

ジーンズだけを穿いた蔵馬がベッドから立ち上った途端、窓がガラリと開き、魔界の匂い、馴染んだ風が入ってきた。

「飛影」
「相変わらずだな。…帰れ」

邪眼を隠す布をぐいっと押し上げた飛影が帰れと言い放った相手は、ベッドでポカンとしている女だ。
焦点の合わない目でふらりと立ち上がり、そのままドアへ向かった女を蔵馬は慌てて止めた。
***
「いくらなんでも裸で帰られちゃ困りますよ」

蔵馬は苦笑する。
服を着せた女をさっさと帰らせ、二人分の紅茶を淹れた蔵馬は、ソファへと飛影を導く。そんな話はどうでもいいと言わんばかりに飛影はドサッと腰かけ、カップを取った。

「あいつはもう、魔物だ。化け物だ。そうだろう?」

濃く淹れすぎた紅茶は、たっぷりのミルクでのばし、砂糖を入れてある。
その白っぽい液体で満たされたカップに口をつけ、飛影はどこか嬉しそうに言った。

「…化け物なんて言い方、幽助に悪いですよ」

蔵馬はおだやかに、飛影をたしなめる。

「化け物だろうが。オレたちと同じ、化け物だ」
「まあ、そうですけど」

あの時、飛影は笑っていた。

弾けるような、飛影の笑顔。
魔族と化した幽助を見て、飛影は心底笑っていた。
ひどく熱い眼差しで、幽助を見つめていたことを、蔵馬ははっきりと憶えていた。

缶から出した小さなクッキーを、ソーサーにのせてやる。
小さな口にそれを放り込む様を、碧の瞳が静かに追う。

「…蔵馬」
「はい?」

なんでしょう?と、蔵馬は返す。

「オレは、幽助が欲しい」
「……彼には、螢子ちゃんがいますよ」
「だからなんだ?」

飛影は片方の眉を上げ、ニッと笑う。

「人間など。幽助はもうそんなものは相手にできん」
「…性的な意味では、そうかもしれないけど」

雷禅の息子。
妖怪たちでさえ恐れをなす、化け物中の化け物だ。

妖怪が、しかもあれほど強大な力を持つ妖怪が、人間と交わることなどできない。霊力の強い人間だったとしても、無事ではすまないだろう。
幽助はもう、人間である恋人との未来など描けない。それに、恋人を、螢子を危険にさらすことなど、幽助は決してしない。

側にいることができたとしたって、どうするというのだ。
共に過ごし、子を成し、一緒に年老いていく日々はもう、望めない。

彼女の幸せを願って、身を引く。自分は妖怪として生きる。
解決策の見つからない今のままなら、幽助がそう選択するであろうことは、二人にはわかっていた。

「仮に幽助が螢子ちゃんと別れたとしたって…貴方を選ぶ義務はないと思いますけど?」

魔界と違って、人間界では性別の好みもありますしね。それに、螢子ちゃんと貴方は少しも似ていない。
しかも雷禅の息子ですよ?魔界で暮らすことになったとしたって、相手に不自由するとも思えませんけどね。

やわらかく、それでいて意地の悪い言葉に、らしくもなく飛影は唇を噛んだ。

「…オレでは、見込みはないか?」

赤い瞳が、少しだけ困ったように、蔵馬を見つめる。
炎と、血潮と、暝い熱さをたたえた、その瞳。

「………いえ。貴方は、とても魅力的ですよ」
「なら、やってみる価値はあるだろう?」

小さく笑う飛影に、蔵馬も笑って頷く。
その答えに満足したらしい飛影は、さっさと紅茶を飲み干した。

「邪魔したな」

お前も毎度毎度、違うやつらと、お盛んなこったな。
ニヤッと笑い、飛影は窓辺に立った。

「…今日は、オレとはヤらないの?」

体中から女の匂いをさせながら問う蔵馬に、飛影は眉を上げて見せた。

「ああそうだ。オレはそれも言いに来たんだった」

続く言葉は、蔵馬にはもうわかっていて。

「オレは、もうお前とはやらん」

これからはお前の情事を邪魔することももうないぞ。
今日は悪かったな。さっきの女、呼び戻したらどうだ?

「あれ?そんな簡単にオレを捨てるの?ひどいなあ」
「捨てる?バカ言うな。そもそもオレとお前はそんなものじゃないだろうが」

新しい恋に胸ときめかす者はいつだって残酷だ。
いつになく機嫌良く、小柄な体は窓の外の闇に消えた。
***
飛影の姿が消えた途端、蔵馬の顔から笑みは消えた。

「やれやれ」

苛つく、というのは蔵馬にとっては新鮮な感情だ。
冷静に、この状況を分析する。

女の香水の残り香を急に不快に感じ、蔵馬は窓を大きく開け放った。

一口も飲まないままに冷めてしまった自分の分の紅茶をシンクに空けると、ゆっくりと、ことさら丁寧に、蔵馬は紅茶を淹れ直す。
ポットもカップもきちんと温め、ぐらぐらに沸騰したお湯を、茶葉が綺麗に開くよう、たっぷりと注いだ。

そんな人間界の日常の営みとは裏腹に、碧の瞳は、冷たく硬い。

お湯がほとほとと、ポットを満たしていく。きちんと蓋をし、砂時計をひっくり返し、蒸らす。
無表情にそれらを行う蔵馬の唇から、小さく呟きが漏れた。

「……幽助、ねえ」

元人間で、現魔族で、命の恩人でもある。
それに、彼のことを嫌いなわけじゃない。

幽助の明るさに、正しく強いその精神と肉体に、蔵馬も魅かれていた。
いや、そうではない。

「幽助は…」

きっと、誰をも魅了する。
戸愚呂だって、仙水だって、きっと彼に魅了されたのだ。だからこそ、負けたのかもしれない。

幽助には、誰だって魅かれる。
彼はまるで、凍った大地を解かす、太陽のようだった。

友情も愛情も知らずに生きてきた魔物なら、なおさら魅かれてしまう。太陽のあたたかさに、眩しさに。このあたたかな光にずっと包まれていたいと、望んでしまう。

蔵馬とて、彼に魅かれていた。
ただ、同じように、飛影が幽助に魅かれていることもわかっていた。

「…飛影が幽助を、ね。どうしたもんかな」

砂時計の計る時間はとっくに過ぎ、またもや紅茶が濃くなってしまったことにも気付かずに、蔵馬は宙を睨んだ。
***
寝首をかかれる心配のない相手との性欲処理。
互いにそう割り切っていた。

最初は、あの武術会だった。
適当な相手を探していた蔵馬に、溜まってるならやらせてやろうかと誘ったのは飛影だ。

「…君と?」

雄雌は気にしない蔵馬だったが、妖狐のころから、美醜にはうるさい方だ。
このところ自分の一番近くにいた小さな妖怪を、蔵馬は初めてそういう対象として見つめた。

蔵馬の好みからすると背は低すぎると言ってもいいくらいだが、顔も小さいので均整はとれている。
生意気そうな大きな瞳は深紅に輝き、真っ白な肌はまるで氷の種族の妖怪のようで。

悪くはないな。

蔵馬は思わず手をのばし、薄く形のいい唇に触れた。

「君も、したいの?」
「…ああ。貴様となら何も問題はないだろう?」

ない。
この敵だらけの武術会で、下手に見知らぬ妖怪とやるよりも、チームメイトの方がリスクははるかに少ない。

「オレ、入れる方なんだけど、いいのかな?」
「……構わん」

受け身の側でもいいとは意外だった。
蔵馬の問いに、わずかに頬を染めた飛影が、コートを脱いだ。

コートを脱ぎ、むき出しになった両腕もまた、白い。
赤い瞳が、挑発するように蔵馬を見上げる。

「じゃあ、遠慮なく」

二人の体を受け止めたベッドは、毎晩のように激しく軋んだ。
***
誘ってきたくせに慣れていない体を、幾度抱いたことだろう。
数え切れないほど抱いた体を、潤んだ瞳を、漏れる声を、蔵馬は思い出す。

初物なのかと蔵馬がいぶかるほどに慣れていなかった飛影も、相当な手練になった。

「あ、…もっと…奥…アア…っ、そこ…イッ…!ァ、蔵……」

きちんと、自分の一番感じる場所へと導いて、快楽を味わい尽くす。
欲望に忠実な、妖怪らしく。

蔵馬もまた、夢中だった。それはめずらしいことだ。
愛想のない、痩せた小さな妖怪が、ベッドの上でこれほど艶やかに乱れるとは予想外だったのだ。

蔵馬にとってはこの武術会の間だけのお遊びのつもりだったし、飛影にとってももちろんそうだっただろう。
なのに、闘いが終わり人間界に戻ってからも、二人は時折、蔵馬の部屋で交わった。

「…暇か?」

そう言って、時折飛影が訪ねてきたからだ。
魔界に戻ることも出来ず、かといって執行猶予の身では人間界でも好き勝手は出来ない。そんな中途半端な立場の飛影が求めているものは大抵は食事で、たらふく食べさせてもらった礼のつもりなのか、無言で服を脱ぎ、ベッドに横たわった。

据え膳食わぬは男の恥。
何の異論もなく、蔵馬も飛影を抱いた。

例外は、蔵馬が女を…あるいは男を…家に連れ込んでいる時だけだ。

いつも通りベランダを開け、中に見知らぬ人間がいるのを見ると、飛影は帰ってしまう。
邪魔したな、と素っ気なく言い捨てて。
***
気が向いた時に訪れる飛影。
先客がいなければそれを受け入れる蔵馬。

そんな、ドライな関係を上手く築けていたはずなのに。

うるさく鳴る携帯。
表示されるナンバーと、誰とも思い出せない名前をチラリと見ると、蔵馬は電源を切り、耳障りな電子音を黙らせた。

蔵馬は自分に問いかけてみる。

…何に、苛ついている?
飛影が、幽助に心を移したことにか?

飛影は中身も子供だ。
別に幽助に心変わりしたからって、手に入れてもいないうちから今の相手を切る必要などないのに。それが魔界の者の考え方のはずだ。わざわざ別れを告げに来るなど、律義なのか馬鹿なのか。

「まったく…」

けれど、だから、なんだというのだ?
百年も生きていない、いわば赤ん坊と言ってもいいような年若い妖怪を手放したくないと?執着しているとでも?
この、元妖狐蔵馬が、か?

「まさか」

馬鹿馬鹿しい。
周りは敵ばかりだったあの武術会では適当な相手だったというだけの関係じゃないか。他にも相手がいたのだってお互い様だ。
飛影がもう自分に用はないと言うのなら、笑って行かせてやればいい。

「……なぜ」

なぜ、そうできない?なぜ、別れを告げられて腹が立った?
あの小さな妖怪を自分のものだとでも思っていたのか?

いつから、そんなふうになった?

それとも…
彼だから、か?

手放すのか?それとも、手放さないのか?
目を閉じて、蔵馬は自分に問う。

炎と、血潮と、暝い熱さをたたえた、瞳。
勝気で、それでいて不安な子供の色をした、あの瞳。

熱い吐息や、白い手足。
それが、今度は幽助に、絡みつく…?
あの熱く締め付ける体内を、幽助が味わうのか。

ゆっくりと、目を開けた。
答えは、出た。

…やはり、手放したくない。
あれは、オレのものであるべきだ。

「……幽助にはやれない、な」

冷たい笑みとともに、こぼれた言葉。

どこからともなく取り出した小さな実に、妖気を通す。
青い小さな実は、透き通るような白い羽を生やし、蔵馬の目の前に浮かび上がった。

その夜、主人からの手紙を携えた青い小さな使い魔は、窓から飛んで行った。
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