ミルクティー...1

「え?」

今晩のデザートのミルフィーユを口に入れたところだった雪菜は、思わず聞き返した。
***
太らない体質なのをいいことに、双子はほぼ毎日、夕食後にこうして甘い物を楽しむのが習慣だ。
母親の氷菜はそれを「あなたたちのナイト・キャップ」とふざけて名付け、しょっちゅうケーキやアイスクリームなどの甘い物を買ってきてくれる。
若い子は太らなくていいわねえ、まったく、と、ぼやきながら。

新鮮な苺と、パリッと香ばしくキャラメリゼされた生地、品よく甘い、バニラのたっぷり入ったなめらかなクリーム。
口の中の幸福に、双子は目を細めていたところだった。

飛影はゆっくりカップを傾け、ほとんどミルクでできている熱く甘いミルクティーを無言で啜る。
それはつまり、雪菜の聞き間違いではないということだ。

「どほいうほほ?」
「…口に入れたまま喋るな、雪菜」

もぐもぐしながら聞いた妹に、姉らしい小言を飛影は言う。
慌ててアイスティーで口の中の物を流し込んだ雪菜は、改めて飛影に聞く。

「どういうこと?」
「今言っただろう」

お前のクラスの男に好きだと告白された。
それで、付き合うことにした。

「ええ?何、急に。誰?誰と?」
「…ジャージのやつ」

ジャージのやつ。
その言葉で、ようやく雪菜にも相手が誰だかわかった。

借りっぱなしにされてしまったジャージを取りに来た飛影は、雪菜のクラスメートに生物部に勧誘されたと言っていた。
生物部って、と双子はその夜、盛大に笑ったのに。

髪の長い、女の子みたいなキレイな顔をした、背の高いクラスメートを雪菜は思い出す。
思い出す、というのは正確な表現じゃないけれども。

だって、とても目立つ、簡単に言えばすごくかっこいい男の子だ。
成績も良く、人当たりも良く、生物部などという部活に所属している割には、運動もできるとか。同級生や下級生はもちろん、上級生である三年生にもモテていると雪菜はクラスメートたちから聞いていた。

そんな出来すぎた男は私は好みじゃないな、と雪菜は内心で呟く。
顔もスタイルも良く、成績も言動も良好など、面白くもない。うさんくさい。中学生男子など、バカ丸出しで当然なのだ。

「モテるらしいよ、あの人」
「そんな感じだな」
「面食いなんだね、飛影」
「…別に」
「ああいう人が好みなの?」
「……別に」

別に、というのはおかしな答えだ。
雪菜は首を傾げる。

飛影は自分でもそう思ったらしく、困った顔をする。
妹の追求に、大きな赤い瞳が泳ぐ。

「かっこよかったからでしょ?好みだったんでしょ?違うの?」
「…か、顔…だけってわけじゃ……」
「はいはい。それで、なんて告白されたの?」

飛影はますます困った顔をし、赤くなって俯いた。

「ねー、なんて言われたのー?」
「…なんだっていいだろう」
「言うまで聞くよ」
「……好きだ…って」
「そりゃそうでしょ。他には?」
「…………俺…が、笑う時は、側にいたいって。…怒っている時も、泣いている時も、側にいたいって…俺を、笑わせたいって……」
「…へー」

わあ。
雪菜は姉に気付かれないよう、小さく舌を出す。

わあ。あの顔でそんなことを言ったのか。
感動的と言うべきか、寒いと言うべきか。
こんな告白でOKするなんて、飛影ったら意外とロマンチストだ。
……ということは案外お似合いの相手なのかもしれないけど。

母親の氷菜が風呂から上がったらしく、バスルームの方からバタンと音がした。
双子は慌てて口をつぐむと、氷菜の分のティーカップを出した。
***
「難攻不落の城も、ついに陥落、ってわけか?」

屋上での読書はもう寒すぎる季節だろう。
そう言ってやろうかと思った蔵馬だったが、自分もその屋上にいるのだから言えた義理ではない。

「あれ?知ってるの?誰から聞いた?」
「誰も何も。結構噂になってるぞ」
「みんなヒマだね」
「そういう嫌味な男は嫌われるぞ」
「はーい。気をつけます」

へえ、と海藤は本から顔を上げた。

「素直だな。彼女ができると人が変わるのか?」
「元から素直です、俺は」
「じゃあ質問。彼女のどこに惹かれたんだ?」
「文学少年は相変わらず知的な話し方だね」
「はぐらかすなよ。転校早々、ストーカーみたいに彼女の周りをうろうろしてたんだろ?」
「ストーカーはひどいなあ。そうだな…どこが好きかって…」

蔵馬はいつものように屋上の柵から校庭を見下ろし、うーん、と小さく呟く。

妹の雪菜は、月並みな表現ではあるが、とびきりの美少女だ。
けれど、姉の飛影もまた、妹とは違った意味で、不思議に魅力的だった。

大きな赤い瞳と小さな口の、整った顔立ち。
潔く短い、艶のある黒髪。
小柄だが均整の取れた、しなやかな体つき。

最初に目に映ったのはそういった見た目だったが、もちろんそれだけで好きになったわけではない。
“ストーカーみたいに彼女の周りをうろうろ”している間に、いろいろ見えてきた。

ぶっきらぼうな、男の子のような喋り方。
愛想笑いを決してしない、形のいい、薄い唇。
その唇が笑みを浮かべるのは、本当に笑いたい時だけだ。

気の強そうなあの視線が解けるのは、双子の妹と一緒にいる時。
何かを囁き合い、くすくす笑い、手をつないで楽しそうにしている姿。
似ているとは思えない姉妹なのに、どういうわけか笑った顔はそっくりで。

人付き合いは苦手そうなのに、誰かと話す時は、相手の目を真っ直ぐ見つめる、あの瞳。
白くて小さくて、けれども凛とした、あの姿。

全部、好き。
もちろん、まだ彼女のことを全て知っているわけではない。
けれど、彼女の何もかもを丸ごと好きになれる、蔵馬にはそんな確信があった。

「…なんていうか…全部、好き」
「アホか。聞いて損した」
「聞いておいて、失敬な」

昼休みの開始を知らせるチャイムが鳴る。
以前はただの時間の区切りだったその音が嬉しくて、蔵馬はサッと立ち上る。

屋上での告白の次の日から、飛影と一緒に部室で昼食を食べているのだ。
昼休みの一時間、好きな子と一緒に過ごせることにこれほど幸福を感じるなんて、知らなかった。

「じゃ。俺、部室で昼食べるから」
「…お前が色惚けで、テストの順位、落とすことを願ってるよ」

苦笑しながら言うと、文学少年は一人、屋上で昼食を広げた。
***
忙しい氷菜が娘二人に作るお弁当は大抵簡単なサンドイッチで、いつも通りのそれを飛影は咀嚼していた。

一緒にお昼を食べようよ、と蔵馬に誘われた先は生物部の部室に続いている温室で、秋も終わるこの時期でも暖かくて気持ちのいい場所だ。他には誰もいない温室、というのは他人が苦手な飛影にとっては居心地がいいはずなのだが、ちょっと落ち着かない。

この場所ではなく、隣に座る男が、雪菜に言わせるところの“彼氏”になったということに、まだちょっと落ち着かない。
あの日から毎日、昼休みに、放課後に、飛影のいる5組の教室まで蔵馬は堂々と迎えに来る。
生物部の部室まで歩く廊下や階段で、すれ違う生徒たちの好奇心に満ちた視線など、気付いていないとでもいうように。

「…土曜日?今週の?」
「うん。空いてる?」
「空いてるが…」

サンドイッチと一緒に持ってきたミニトマトを口に入れながら飛影は首を傾げた。
母親が作ったのであろう、手の込んだお弁当を食べていた蔵馬はにこにこと飛影を見つめる。

「じゃあ、出かけない?」
「…え、あ、ああ…」
「行きたい所、ある?初デートだもん。君の行きたい所に行こう」

初デート?
そうか、俺は今、デートに誘われているのか、と、ようやく飛影は理解する。

綺麗な顔。やわらかで心地よい声。
校則違反の長い黒髪が、整った顔を艶やかに包んでいる。
鮮やかな碧の目に思わず見入ってしまい、飛影は慌てて目を反らす。

面食いなんだね、という雪菜の言葉を思い出して、飛影は赤面してしまう。

確かに、この男はとても綺麗な顔をしている。
ということは…どうやら俺は面食いらしい。
それはなんだか自分が軽薄でバカっぽい者になったようで、飛影は恥ずかしくなる。

そう思ったところで、この顔は好みなのだ。
整った顔立ちも長い髪も、碧の瞳も、何もかも飛影の好みにぴったりだ。
おまけに、あんな告白をされたら……。

「飛影?」
「な、なんだ?」
「買い物する?遊園地でも行く?映画は?」
「…なんでもいい」
「遠慮しないでよ」
「いや、どこでもいい。お前の行きたい所で、いい」

力なく答えて、飛影はサンドイッチを口に入れる。
本当は、人ごみは苦手だし、映画もそう好きではない。
けれど、そんなことを説明するほど、まだこいつと親しいわけでもない。

好みの顔でドキッとするような告白をされて、
ろくに知りもしないやつの告白を受け入れたのは自分だ。

飛影は小さく肩を落とした。
***
「もうちょっとカワイイ格好したら〜?」
「ほっとけ」

玄関で靴を履こうとしている姉に、妹は溜め息をつく。

「デートなんでしょ?そんな格好でいいの?」
「…デートじゃない。二人で出かけるだけだ」
「そういうの、デートって言うんじゃないの?どこ行くの?」
「知らん」
「知らんってことないでしょーが」
「知らん」
「なにそれ」

そんな格好、と雪菜の評した飛影の服装はといえば、黒いニットに黒いジーンズ、履こうとした黒いスニーカーは、雪菜にひょいと取り上げられた。

「おい」
「せめて、こっちにしなよ」

差し出されたのは雪菜のピンク色のスニーカーで、黒一色のスタイルに、いいアクセントになった。
しぶしぶそれを履いた飛影の顔を眺め、雪菜は部屋着のポケットから取り出した色付きのリップクリームを、姉の薄い唇に塗ってやり、小さな黒いトートバッグに放り込んでやる。

「よし、と。ちゃんとコーディネートしてあげたかったけど、まあいっか」
「…何が」
「かわいいかわいい。大丈夫」

ふくれっ面をする姉に、いってらっしゃい、と妹は笑って手を振った。
***
なんだか気が重い。
駅までの道をのろのろ歩きながら、飛影は溜め息をつく。

すっぽかす。
というのも飛影は一応検討してはみたが、それではあんまりだし、第一、月曜日になれば学校で会わないわけにもいかないのだ。
それはあまりに気まずい。

ふと立ち止まり、空を仰いで飛影はまた溜め息をつく。

すっぽかす?
すっぽかすって…どういう意味だ?

俺はあいつに会いたくないのか?
二人きりで出かけるのが嫌なのか?

自問自答。

嫌、なわけではもちろんない。
好きだと告白され、受け入れたのだから。
嫌というのではなく、つまり、その…

…緊張、する。
なんだか、気まずい。

男子と、二人きりで出かけるとか、彼氏、彼女、と称される関係になることが、飛影は憂鬱だった。
ずっと妹の雪菜とベッタリ一緒に過ごしてきたし、母親の氷菜はシングルマザーだった。
シングルマザーになったことで氷菜は親族とは絶遠状態だったから、従兄弟や伯父というものもいるのかさえ定かでない。
うちの一族は女系なの、と氷菜は言っていたので、いないのかもしれない。

転校する前に通っていた中学校は女子校だったし、高校も女子校に行くことになっている。
そんなわけで、男、というものが、いや、それ以前に、そもそも飛影は人付き合いが苦手なのだ。

できるだけゆっくり歩いては来たが、とうとう待ち合わせ場所である駅に着いてしまった。
探すまでもなく、蔵馬の姿は目に入った。

クリーム色のシャツの上に濃緑のパーカー、紺色のジーンズ。足下には焦げ茶色の大きなバッグが置かれている。
ごくありふれた出で立ちにもかかわらず、スラリとした長身に端正な顔とゆるく束ねた長い髪、という姿が人目を引く。
すぐに飛影に気付き、蔵馬は手を振る。

「飛影!」

表情に、声に、手を振る仕草に、嬉しさが溢れていて、飛影は少しだけ肩の力を抜く。

…こんなに嬉しそうに、している。
こいつは本当に俺のことが好きで、俺を待っていてくれたのだ。

そう思うと、恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったさが、飛影の胸に込み上げた。