I Love You...1

「いや、なんつうの?幼なじみだからこそ厳しいっつうか…」

いつも威勢のいい幽助が、歯切れ悪くぶつぶつ言っている。

「何言ってんだよ!」
「彼女いるだけいいじゃねえか」
「しかも散々ブスだとか言ってたくせによ、すげえかわいいじゃねーかよ!」
「幼なじみがカワイイなんてできすぎだっつうの!」

男たちは口々に叫び、空いたペットボトルやらパンの袋やら、雑多なゴミを幽助にぶつける。
幽助にぶつかって床に転がったペットボトルを蔵馬はゴミ箱に投げ入れ、苦笑する。

いったいいつ自分には彼女ができるのか。
いったいいつ自分は童貞を卒業できるのか。
もしや永遠にできないのではないか!?

放課後の話題はそればかり。
まったくもって、正しき男子高校生の姿だ。

「で?で?二人きりになってどうしたんだよ!?」
「まあいーじゃねーか俺の話はよ!」

顔を赤くした幽助が照れ隠しに大声を出す。

「ヤッたの?」
「ヤッてねえよ!!」
「まあまあ。中間近いんだから帰ろうよ」

みんな進級ヤバイんだからさ。
そう言ってカバンを持った蔵馬に、じとーっとした皆の視線が注がれる。

「いいよなあ蔵馬は余裕で」
「普段から勉強してますから」
「ちげーよ!彼女!」
「あー」

なにがあー、だ!
帰れこのやろー!
お前も幽助もとっとと帰れ!

物騒な声を背中に聞きながら、二人は笑って教室を出た。
***
「でさ、なんかいけるかなーっていうか…」

そんな雰囲気だったし。
あいつもまんざらじゃなさそうだったし。

「それで?」
「押し倒したら、ひっぱたかれた」

あははは、と軽やかに笑う蔵馬を、幽助は睨む。

「へーへー。そうやって笑ってろよ」
「ごめん。螢子ちゃんのビンタはきつそうだなと思ってさ」
「実際きっつかったわ!ところでさ…お前は…その…」
「…何?俺が童貞かってこと?違うよ」
「はっきり言うなよ!…やっぱそうかあ。モテる男はやること早えーな」

経験豊富で羨ましいこった、と毒づく幽助に、蔵馬はキョトンとする。

「別に豊富じゃないよ。飛影としかしたことないよ、俺」
「ええ?マジかよ!?」
「マジです。悪い?」
「悪かねえけどさ…なんか意外だった」
「あのねえ」

俺と飛影は中二の時に会ったんだよ。
なんの不思議もないでしょ。
中二のガキが女性経験豊富だったとでも思うわけ?

「おめーならアリかと思った」
「失礼な。俺は飛影一筋だよ」
「まあなあ。…それにしても、なんかこえー」
「なにが?」
「いや、その…あんな小さい体のさ…」

ちっちゃい穴にさ、自分のチンコ入れるんだろ?
なんかそれってすげえこわいよな。想像すると。

「ってえ」

学校のカバンで頭を叩かれ、幽助は首をすくめた。

「人の彼女で下品な想像しないでよ」
「いや、一応想像は螢子で…。やっぱ、最初って…下手くそだよな?」

その言葉に、一年ほど前の“あの日”を蔵馬は鮮明に思い出す。
頭でっかちの自分には、知識だけは豊富にあったが、童貞と処女のセックスなんて、まあぎこちなく、けれども信じられないくらい、愛に満ちた行為だった、と蔵馬は今でも思う。

あの日の飛影の、言葉を、瞳を、想いを、蔵馬は鮮やかに思い出す。
***
女子校、というのはずるい。
どんな高校にだって入れる成績を得ていたというのに、そればかりはクリアできない関門だ。

高校に入って半年経っても、蔵馬はまだ嘆いていた。
中二で出会った最愛の彼女とその妹が、女子校へ進学すると言った時のショックときたら。

「しょうがないよ」
「しょうがないだろ」

双子は口を揃えてそう言ったが、蔵馬としてはしょうがないでは済まされない。
おかげで、飛影と雪菜の通う女子校に近いという以外にはなんの取り柄もないおバカ高校に入学する始末だ。

「まあ、男子がいないのはいいけどね…」
「まだ言ってるのか?高校に入って半年も経つのにお前もしつこいな」
「三年間だよ?」

貴重な青春の三年間を、一つ屋根の下で過ごせたのにさ。
これをがっかりしないで、何にがっかりすると言うの?
毎日一緒にお昼を食べて、一緒に授業を受けてさ。修学旅行も一緒だったのに。

「…学校を一つ屋根の下って言うか?」
「まあ屋根にしちゃ大きいけど、ようするに俺は少しでも長く一緒にいたいの!」

蔵馬の言葉に、飛影は半分こして食べていたクレープの最後の一口を飲み込み、顔を上げ、苦笑した。

「…ほとんど毎日会っているだろうが」
「そうだけど」

高校進学を機に、蔵馬は一人暮らしをしている。
それも、登下校を一緒にしたいと、わざわざ双子の住む家の近くに引っ越してきたのだ。もっとも父親が税金対策に借りているマンションではあるが。

彼氏じゃなければストーカーである。

「飛影…俺がいないからって、浮気しちゃだめだからね」
「はあ?女子校でか?お前こそ共学だろうが」
「俺が?飛影以外の女の子なんか興味ないね」

きっぱりと、恥ずかしげもなく蔵馬は宣言する。

「変なやつ…」

目を反らしてうつむいた飛影の耳は、赤く染まっている。

その耳にかかる短い黒髪をかき上げ、蔵馬はそっと頬に手を当てる。
瞬間、辺りにチラリと視線を走らせ、人が見ていないことを確認した飛影がぎゅっと目を閉じる。

生クリームの味が残る、甘い唇。

蔵馬としては、それで充分だった。
つまり、こうして側にいて、会話を交わし、キスを交わすだけでも、幸せだった。

付き合って、二年経つ。
まあ、それ以上のことには興味はなかったと言ったら嘘になるが。
***
『あ、ああ…いい!ああー』

巨大な胸と尻を揺らして盛大に喘ぐ女の映像を、蔵馬はリモコンで止めた。

「なんだかな…」

クラスメートが、絶対おすすめ!と鼻息荒く貸してくれたDVDをケースに戻す。AV女優らしい、男好きのする顔、そして体。
そそられない、と蔵馬は呟く。そして今し方家に送ってきたばかりの自分の彼女を思い浮かべる。

飛影の唇。
凹凸の少ない、小柄でほっそりした体。
短く切った黒い髪。

小さめの唇や鼻と対照的な大きな瞳。
ルビー色の、綺麗な瞳。

いつも愛想のない飛影が、
小さく笑った時の、その表情。
キスに、言葉に、赤くなって俯く白い首筋。

白い首筋のその下を、細い足の、そのずっと上を、蔵馬は想像する。
毎日、と言いたいところだが、毎時間、といっても過言ではない。

服の上からしか触ったことのないあの胸に直に触れ、温かさや感触を味わう。
それから…

まったくもって、妄想の世界は果てがない。
蔵馬は目を閉じ、溜め息をついた。
***
「え?」

ドライヤーで妹の髪を乾かしてやっていた飛影は、思わずスイッチを切った。

「え?じゃないでしょ?」
「……セックス?誰がだ?」
「まだしないの?付き合って二年も経つのに?」

我慢強いなあ、蔵馬さん。
雪菜は呆れたように、立ち上る。

「座って」

今度は雪菜がドライヤーを持ち、飛影の髪を乾かしてやる。

「させてあげたら?」
「……嫌だ」
「なんで?蔵馬さんのこと嫌いなの?」
「そうじゃ…ないが…」

恥ずかしい、から、嫌だ…。
ドライヤーの音にかき消されそうな小さな声で呟く姉に、妹が笑う。

「恥ずかしくなんかないよ」
「…嫌だ。絶対に嫌だ」
「もう」

雪菜は自分の愛用のヘアクリームを手に取り、飛影の髪に塗ってやる。
二人の寝室に、果物と花を混ぜたような、甘い香りがふわりと漂う。

「さて、寝よ」
「ああ…」

それぞれのベッドにもぐり込み、明かりを消す。

「飛影…」
「なんだ?」
「飛影はかわいいよ。綺麗だよ」
「な、なんだいきなり…」
「蔵馬さんは、飛影のことが大好きみたいだし」
「なんの話…」
「セックスをさ、怖がらなくていいんだよ」
「……!」
「まあ、蔵馬さんはいつまでも待ってくれると思うから、飛影がその気になってからでいいんだけどね」
「……!!」
「おやすみ」

真っ赤になった姉を残して、妹はさっさと眠りに落ちた。
***
「どうしたの飛影?難しい顔しちゃって」

土曜日。
部活帰りの飛影を迎えに行き、二人は、蔵馬のマンションの近くの小さなラーメン屋で、遅い昼ご飯にしていた。
流行りの店や、若者で混雑しているファーストフード店よりも、こういうひっそりしている店の方が飛影の好みだからだ。

「ラーメン二つと、飛影、餃子は?」
「今日はいい…」

素早く出てくるところも、ラーメン屋はいい、と飛影は思う。
黙々と食べる飛影を、蔵馬が嬉しそうに見ているのはいつものことなのに、今日の飛影は落ち着かない。

「…なんでジロジロ見るんだ?」
「え?かわいいなあ、と思ってさ」
「ふざけるな。見るな。落ち着かん」
「はーい」

大人しく自分のラーメンに視線を戻した蔵馬に、飛影はホッとする。

雪菜のせいだ、と飛影は苦々しく思う。
あいつが変なことを言うから、なんだか落ち着かない。

蔵馬と、セックスをする。

それは、まあ、いつかはするのかもしれない。とは思っていた。
でも、それがいつかなんて、考えたくなかった。

「飛影、コショウ取って」

差し出された蔵馬の手を、チラリと飛影は眺める。
綺麗な、長い指。

この、指に、触られるのだろうか?
体、の…いろんな場所を?

「どうしたの?」

不思議そうに聞く蔵馬に、慌てて飛影はコショウの瓶を渡す。
蔵馬の指に触れないよう、気をつけながら。
***
「ねえ?機嫌悪いの?」
「そんなことはない」

いつにも増して無口な恋人を、蔵馬は心配そうに覗き込む。

「具合、悪い?まだ生理前じゃないよね?」
「まだ違……っ人の生理日を把握するな!」
「だって…」
「今日は疲れただけだ」
「じゃあ、本読んであげようか?」

蔵馬の言う“本読んであげようか?”とは、二人の間にだけ通じる言い方だ。
飛影の調子の悪い時…それは主に生理前や生理中なのだが…に、蔵馬の家で、飛影が横になったベッドの側に座り、蔵馬が本を音読するのだ。もちろん、たっぷりのミルクティーを飲んだ後で。

調子の良くない飛影が、とろんと微睡み、やがて完全に眠ってしまうまで。
蔵馬は小さな声で、ゆっくりと本を読んでやる。

飛影にとって興味のある本でも、ない本でもいのだ。
ただ、ゆっくり流れる蔵馬の声を聞きながら、眠りに落ちる。眠らなくてもいい。うとうとと、眠りの上辺を漂うだけでもいい。
それは飛影にとって、妹と過ごす時間とも、一人で過ごす時間とも種類の違う、安らぐ時間だった。

「今日はいい…もう帰る」

小柄なその体に、剣道着の入った袋や竹刀は大きく見え、それは蔵馬の目に頼りなく、小さく映る。

「ねえ、本当に大丈夫?何かあったの?」
「…うるさい!何もないって言ってるだろうが!」

ガラッと力任せにラーメン屋のオンボロの引き戸を引き、外へ飛び出した飛影、それを追った蔵馬の耳に、うわあ!というすっとんきょうな声がした。
自転車に乗ったおじさんはひっくり返り、これまたオンボロのアルミのおかもちが、コントのように宙を舞う。

問題は、コントとは違い、中身が入っていたことだ。
***
「……最悪だ」
「まあまあ。飛影もおじさんもたいしたことなくて良かったよ」
「………」
「運動神経いいのに、変なところでドジだよね、飛影は」
「…うるさい!」

ラーメン屋のオヤジに平謝りをし、醤油ラーメンの匂いを振りまいている飛影を連れて、蔵馬は自分のマンションに帰ってきたのだ。

「火傷、ちゃんと冷やした?」
「…たいしたことない」

ひっくり返ったラーメンで汚してしまった制服のブレザーとスカートは、飛影がシャワーを浴びている間に蔵馬がクリーニング屋に出してきた。下着は無事だったことに、飛影は内心ホッとする。

蔵馬のパジャマを着た飛影は、濡れ髪のままぶすっと座り込む。
ぶかぶかパジャマの袖は指先までを隠し、ズボンはくるくると折ってあり、ウエスト部分は安全ピンで留めてある。
そのかわいらしい姿に、短い髪を拭いてやりながら、思わず蔵馬は微笑む。

「何がおかしい!」
「なんでもないでーす。ちょっとだけ、傷見せて」

大きすぎるパジャマを引っ張り、飛影の左肩を露出させる。
盛大におかもちのぶつかった肩は、角の部分が擦ったのか、赤く腫れている部分がある。蔵馬は救急箱から出した打ち身用の薬をそこに塗り、手際よくガーゼをあてた。
細い肩ひもに、上から覗き込むような姿勢のせいで見える白いブラに、蔵馬の目は思わず吸い寄せられる。

真っ白い肌に、綿の白いブラジャーは幼く見えるのに、それでいて奇妙に官能的だった。

「あれ…?」

左の鎖骨の下に、それほど目立つわけではないが古い傷跡がある。

「…この傷跡は?」
「どこ見て…!放せ!……傷?…ああ、子供の頃に自転車で転んだんだ」

下着を見られて固くなっていた飛影は表情をやわらげ、くすくすと思い出し笑いをする。

「二人乗りしてたんだ。雪菜と」

二人して見事にひっくり返ったが、雪菜は草のたっぷり生えた場所に落ち、飛影は道路のコンクリート部分に落ち、しかも落ちていた尖った石がTシャツを切り裂き、鎖骨の下を大きく切ったのだという。

「自分だけ草むらに落ちるなんて、雪菜らしいだろ」

まったくあいつはちゃっかりしてる。
まあ、その後一緒に、氷菜にめちゃくちゃ怒られたけどな。
そう笑う飛影の目は、妹への愛情に満ちている。

「…羨ましいな」
「羨ましい?」
「雪菜ちゃんが。俺も…ずっと飛影と一緒にいたかったな」

子供の頃だけではない。
双子である姉妹は、同じ場所で命を受け取り、同じ時を共有し、共に過ごし、共に眠る日々を過ごしてきた。

それはどうにもならない立ち位置で、ほんの少しではあるが、蔵馬に嫉妬を覚えさせる。
馬鹿げた、子供じみたやきもちだとわかってはいても。

「……好きだよ、飛影」
「な、なんだ急に…」
「…自分でもちょっとおかしいんじゃないかと思うくらい、君が好き」
「な、何言って…!」
「時々ね、雪菜ちゃんや氷菜ママにでさえ、俺は嫉妬してるのかも」
「……バカじゃないのか、お前」
「本当。バカみたいだよね」

蔵馬の整った、綺麗な顔。
でも、見た目だけじゃない。
いつだって、大人びていて、やさしくて、気が利いていて、蔵馬は自信に満ちている。
蔵馬は怒らない。意地悪も言わない。無理も言わない。

時々それが、飛影には腹立たしく思えるほどに。

けれど今、寂しげに小さく笑った蔵馬は、なぜかひどく愛しく飛影の目に映る。
なぜなら、蔵馬の嫉妬も不安も、自分のせいだと飛影にもおぼろげにわかっている。

好きだとか愛しているだとかお前が大切だとか、そんなことを飛影が蔵馬に言ったことは一度もない。
言わなくたってわかってくれる蔵馬に、甘えているのかもしれない。

もっとも、それを口にすることはない。今はまだ、できない。
…いつか、できる日がくるのだろうか?

ごめん、変なこと言って。気にしないで、と、苦笑する蔵馬の頬を、飛影の白く小さな手が包む。

言葉も、キスも、触れる指も、繋ぐ手も、いつだって蔵馬からだった。
飛影の方から触れた手に、蔵馬が驚いて目を丸くする。

「飛影…?」
「雪菜は…生まれる前からずっと、俺の隣にいた…」

隣に。
今までずっと、一番近くに雪菜がいた。
だから…

「…だから、お前はもっと近くに来い…」

雪菜でさえ入れない場所に、誰一人、入れない場所に。
俺の、一番近くに…

「…お前なら、来てもいい」

飛影が、その大きな目をゆっくり閉じた。