インソムニアの夜明け...6
幽助が入院していた三ヶ月の間、二人は自由時間には大抵一緒にいたが、怪我人と病人でできる事などたかがしれている。
頭痛がひどい日の飛影はベッドから起き上がる事すらもほとんどできないし、お互いに安静にしていなければならない時間も定められていた。
二人ができる事といえば、一緒に食事をし、せいぜい喋るか、院内を散歩でもするか、昼寝でもしているか、だ。
けれど、そのささやかな時間は飛影にとってずいぶんと幸福な時間だった。
おまけに、それは雪菜をとても喜ばせた。
「幽助さん、また来てくれてるの?ありがとう」
「頼んでない。こいつが勝手に来てるんだ」
「ケガ人がわざわざこんな最上階の病室に来てやってるのによー。なんだよその言い草」
「幽助さんがいると、兄さん具合がいいみたいね、良かった」
「…別にこいつのせいじゃない…たまたまだろ」
毒づく飛影に雪菜は笑う。
「そういえば幽助さん、またぼたんさんを怒らせたのね?」
「雪菜ちゃんみたいに美人の妹がいたら、俺もぼたんのスカート覗いたりしないのにな~」
「それはどうも。覗かせてあげましょうか?」
「雪菜!!」
「冗談よ。まったく兄さんときたら」
メイユールを継ぐための猛勉強と、入院している兄を見舞う生活と。
それに疲れている雪菜にとっても、幽助の存在はありがたかったのだろう。
リハビリをしている幽助を、ただ眺めていることも飛影は多かった。派手に車に撥ねられた割には、幽助はたいした後遺症もなく回復している様子だった。
順調な、回復。
それは喜ぶべき事だ。
でも、…それを喜べない。
ずっと、ここにいてくれたらいいのに。
そんな無茶な願いが、飛影の頭をかすめる。
ここにいてくれたらいいのに。
俺を……好いてくれたらいいのに。
そんな馬鹿なことを口にしなくて本当に良かったと、飛影は後々考える事になる。
飛影のささやかな望みをいとも簡単に打ち砕く女は、幽助の退院する一週間前に突然現れた。
***
ドタドタと騒がしい足音とともにドアがバーンと開けられ、飛び込んでくるという既視感を感じるその光景。
違うのは、夜ではなく、昼間だということだ。
「やばい!かくまえ!」
「またか…今度は何をやっ…」
飛影が最後まで言い終わる前に、少女が飛び込んできた。
「幽助!」
年頃は、幽助と同じくらい。
茶色の髪は肩までの長さ。くるっとまるい、大きな瞳。かわいらしい顔はつやつやに輝きいかにも健康そうで、病室の温度が上がるような少女だ。
「幽助っ!ほんっとにあんたって何考えてるわけ!?」
「うっせえなあ~。人の病室で騒ぐなよ」
「誰のせいよ!なんで知らせないのよ!」
「あー、うっせえうっせえ。飛影、追い出せよ」
そこで少女はようやくベッドの上の飛影に気付き、大慌てで謝った。
「ごめんなさい!騒がしくしちゃって!」
「ほーんと騒がしい女だよ」
「何よ…!」
少女は、螢子と名乗った。
幽助の幼なじみで、両親は二区の公園の前で食堂を営んでいるという。
半年ほど前から隣の国に留学していて、久しぶりの休暇で家に戻ったら、幼なじみが大怪我で入院していると聞いて病院にすっ飛んできたわけだ。
「あやうく死ぬところだったって聞いたわよ!なんで連絡よこさないのよ!」
「大げさなんだよ。生きてるだろー。奨学金留学なんて貧乏人がやっとつかんだチャンスだろ?無駄にすんな」
「貧乏人で悪うございましたね!!」
場所は病室から談話室に移してはいたが、二人の大声でのやりとりに、飛影は頭が痛くなってきた。
心地よい風は止み、胸に澱んだ水が満ち始める。
それは、頭の痛みのせいだけじゃない。
目の前にいる、少女と幽助。
二人が…互いに認めないだろうけど…好き合っている者同士だということはわかったからだ。
「……悪いが、俺は部屋に戻らせてもらう…」
「ほらみろ。おめーがギャンギャン怒鳴るからー」
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
大丈夫だ、そう答えて飛影は立ち上がる。
点滴の吊された器具を引きずって歩くのはいつだって嫌なものだが、今日はより一層惨めに感じられる。
「俺、部屋まで送ってくぜ。今日は帰れよ、螢子」
いや、いい、と答えようとした飛影の視界が急にぐらりと暗転する。
「あ……」
包帯の巻かれた額が、カッと熱くなる。
まずい…
今は…嫌だ…
こんな所で…この二人の前で…
飛影の願いを嘲笑うかのように、脳天を砕くかのような痛みが弾けた。
***
「もう!この子はね、アンタと違ってその辺ウロウロしてちゃだめなの!」
「そんなに具合悪りいなんて知らなかったんだよ…それで、大丈夫なのか?」
「具合が悪いから病院にいるんだよ!…一応は大丈夫。先生が処置をしたし、違う点滴も入れてるから…でもこんな強い薬は体に負担が大きいんだよ。以後気をつけてよね」
「頭ん中に目玉がもう一個あんだっけ?取っちまえばいーんじゃないの?」
「それができりゃ苦労はないよ。頭の中ってのはね、いろんな神経やなんかがこまかーく、いっぱい入ってるの!アンタの頭ならカラッポだけど」
「ひでー。患者に対して暴言じゃないの?」
「人のパンツ盗むような患者に暴言も何もないよ!」
廊下で喋っているらしい声が小さく聞こえる。
目の前に、見慣れた天井がぼんやりと映る。
焦点を合わせようとしても、視界はすぐにぐらつき、定まらない。
…けれどもそれも珍しい事じゃない。
腕に差し込まれている針から流し込まれている強力な鎮痛剤のせいで、何もかも霞がかかっているようだった。
ぐらりと回る視界に吐き気が込み上げ、思わず目を閉じる。
目を瞑っていたのが何秒間なのか、何分間なのかさえ分からない。
重いまぶたを開け、深呼吸をしてゆっくり起き上がろうとした途端、声をかけられた。
「起きちゃダメ!」
「おい、大丈夫か?」
同時に響いた二人分の声に驚いて、頭が枕に戻る。
怒った顔でこちらを見ているのは看護婦のぼたんで、
心配そうに見ているのは幽助だ。
…思い出した。
こいつとあの幼なじみの女と…談話室で…急に気分が悪くなって…
額のあの眼…あの痛みが…
凄まじい痛みに自分が悲鳴をあげた所までは覚えている。
その後は…わからない。
まあ、いつも通り、医者がすっ飛んで来たのだろう。
幽助が、飛影の右手をそっと握った。
感覚がほとんど麻痺したその手には、伝わるはずの体温が伝わらない。
…見られたくなかったのに。
飛影は再び目を閉じる。
こいつに、そしてあの女に、見られたくなかった。
あんな風に、痛みに我を失う、惨めな姿を。
***
長く入院していた者は、たいがいは退院したらあまり病院には来たがらないものだ。
「よお!」
意外にも、幽助は退院後もちょくちょく病院を訪れた。
他愛もない話をしたり、くだらない土産を持ってきたり。
それは飛影にとって嬉しい事ではあったが、もう以前のような甘やかな気持ちになる事はできない。
「これさ、螢子んちの食堂のなんだ。お前に持ってけってあいつうるさくってさ。食ってみ」
食欲はまるでなかったが、礼を言い、無理をして食べる。
それは栄養を重視した味の薄い病院の食事とは違い、素朴だがとても美味しい料理だった。
ふと、その料理がいやに細かく刻まれている事に飛影は気付く。
片手が使えない者のために、食べやすくしてあるのだ。
…やさしい女だ。
それは分かっている。
「じゃあ、また来るな!」
「…来るな。学校へ行け」
「またまたー。俺に会いたいくせに」
その二カッと笑う顔に胸が締めつけられる。
もう会いたくない。
また会いたい。
…人のものに惚れてどうする?
飛影は自分を小さく嘲笑った。
誰か…
誰でもいい。
この行き止まりの場所から、この澱んだ水の中から、
…連れ出してくれないだろうか?
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