heaven's day...11
昨夜のひとときが天国なら、今この時は地獄としかいいようがない。
うめき声とともに、飛影は目を開けた。
見上げた先には、灰色と白がまだらになった天井。重たいものが腹と胸とに乗っている。
胃は今にもひっくり返りそうなむかつきを訴え、濡れた綿でもパンパンに詰まったかのような頭の痛みは強烈だった。
「くそ…」
胸を横切るように乗せられていた蔵馬の左腕をどけ、飛影はなんとか起き上がる。
二人して素っ裸。毛布はおろかシーツすらかけてはいない。
おまけにマットレスを覆っていたはずのシーツさえ、昨夜のセックスにすっかり剥がれ、ベッドの片隅にぐちゃぐちゃに丸まっている。蔵馬のものだろう、赤黒い染みのついた包帯も落ちている。直に寝ていたマットレスは汚れ、淫らな臭いを放っていた。
立ち上がろうと手を付いたものの、猛烈なめまいがし、飛影は再びベッドに倒れるように横になる。
十センチと離れていない所で眠っている男を見てみれば、死んだように眠っていた。ガチャガチャと騒々しくドアの開く音がしたが確かめるに気にもなれず、飛影はぐるぐる回る視界を遮るように目を閉じた。
「おい」
ピシッと額を叩かれ、飛影はしぶしぶ目を開ける。
「お前は何か?腕は使うなとか外へ出るなとかの他に、キメセクもすんなって言っておかなきゃわかんねーのかよ」
呆れ果てたという声で酎は言うと、食べ物の入っているらしい包みと紙袋を置き、もう一つの袋から出した水の瓶や缶詰をガチャガチャと棚やカウンターに並べる。
瓶がカウンターに触れる音、包みが立てるガサガサという音。信じられないくらい、不快で大きな音。
音がまるで自分の神経を逆さに撫でていくようで、飛影は思わず両手で耳をふさいだ。
「うるさい…っ」
「アホこけ。ラリってるから過剰に聞こえんだよ」
酎の言葉には心底うんざりしたような響きがある。
軽そうだがかさばる紙袋から取り出したのはジーンズとシャツが数枚、それに下着や靴だ。どれもサイズは小さく、どうやら飛影のために買ってきたらしい。
「ほれ。服着ろよ。二人してちんぽこ丸出しでみっともねえ」
ベッドに投げられた服を受け取った飛影だったが、散々使った尻が猛烈に痛み、立ち上がれずに眉をしかめた。
「腰の使いすぎで起きれないってか?ったく、ジャンキーを抱くなよな」
「……逆だよ…俺がこの子を抱いた」
窓の小さな部屋はたいして明るくもないというのに、眩しそうに目を開けた蔵馬がかすれた声で言う。
「お前が抱いたの?へえ。じゃあまだ勃つんだな」
「まあね。今のところは」
「なーにが今のところだ。もすこしマシな時間の使い方はねえのかよ」
「仕事だよ」
「キメセクがか」
二人の会話の意味が分からないのは頭痛のせいなのか、吐き気のせいなのかもわからず、飛影はベッドに座ったままのろのろと服を着た。
下着をつけシャツをかぶり、ジーンズを履く。そこでまたベッドに座り込み、ぐらぐら回る頭を抱えた。
さすがに蔵馬は慣れたものなのだろう。一度起き上がってしまうとさっさと服を着込み、顔を洗い、冷蔵庫から取り出した水の瓶を取り、デバイスを開く。
「さて、俺行かなきゃ」
ジーンズのポケットにデバイスを突っ込み、靴を履きかけ、蔵馬は振り返る。
「酎。その子を世話するのは勝手だけど、俺に構うのはやめてくれ」
「誰がお前の世話なんかするか。このイカレジャンキー」
靴ひもを結ぶために顔を下げていた蔵馬が、小さく笑う。
割れそうな頭を押さえていた手を離し、飛影が呟くように言う。
「紫の、蝶がいた…」
その言葉に、心底驚いたように蔵馬は靴ひもを放し、顔を上げた。
「紫の蝶?」
服を着たままずるずるとまた横になった飛影は、蔵馬は何を驚いているのだろうとぼんやりした頭で考える。
「体や…ふちが紫で、羽は透き通っていて……でも内側は……ぼんやり金色で…」
きらきらした粉をまいていて、綺麗だった。俺の指にとまって、そして…。
ひとりごとのような呟きに、蔵馬は手を止めたまま飛影を凝視する。
「…どうした?」
何が蔵馬を驚かせたのか分からず、飛影は尋ねる。
ふいと視線を外した蔵馬は何も答えず、靴ひもも結ばぬまま部屋を出ていった。
***
「透明で、紫の蝶?」
酎の手渡してくれた水の瓶を開け、飛影はごくりと飲み込む。
「ああ。ウェイが前にその話をしてたことがあるな」
薬をやると、必ずその蝶が現れるって。
この世のものとは思えないくらい綺麗で、綺麗すぎるからこそ自分の幻覚だってことがはっきりわかる、とかなんとか。
「……俺も…その蝶を見た。同じ薬をやると同じ幻覚が見えるのか?」
違うって、と酎は頭を振る。
「ウェイが話したんだろ、その蝶の話を。それがお前の記憶に残る。だからお前もラリっている時にお前の頭の中でその蝶を作り出す。見たと思い込む。でもそれはお前が思い浮かべた蝶だ。想像だ。ウェイの見るものとは違う。ジャンキーの見る幻覚はみんなそれぞれ違うんだよ」
「あいつと、そんな話をしたことはない」
「どこかで聞いたんだろ。あるいはキメセクの最中に聞いたんだ」
「どこかで…?」
そんな話をしただろうか。記憶にはない。
だがラリって、酎のいうところのキメセクをしている最中に何を聞いたかなど一言一句思い出せるはずもない。
聞いた憶えはないといくら主張しても信用はしてもらえなそうだし、自分でも自分を信用できるわけでもなかった。
「治ってないうちに突っ込むなよな。ケツん中を洗ってこれ塗っておけ。化膿したらひでえ目にあうぞ」
手渡された薬を受け取り、飛影はまだぼんやりとしていた。
何かを鍋であたためている酎の大きな背中を見つめたまま、昨夜のことを思い出す。
呼んで、俺のことを。
いつだってふざけてばかりいるあいつらしくない、切実な響きを帯びた言葉。
熱いものが尻の中で動く感覚が蘇るようで、飛影は頭を振った。
「話を戻すけどな、お前な、早速キメセクってどういうこった。俺の善意を無にする気か」
「善意だと?俺がお前に何を頼んだ?」
素っ気なく返した飛影だったが、そもそも今着ている服さえ酎の用意したものであることに気付き、ため息をついた。
金があったところで、素っ裸では服を買いに行くことさえできはしない。
「…もうしない。魔が差した」
「ジャンキーはみんなそう言うぜ」
マグカップに入ったスープを差し出し、酎は鼻で笑う。
「で、どうするか決めたのか?」
また、そこへ戻るのか。
飛影は閉じた瞼の上から目を押さえる。
この先どうやって生きていくのか。
薬を売る?体を売る?まともに働く?
何のために?誰のために?ただ自分が飯を食っていくために?道端で売られている二束三文の煙草でも吸いながら?
蔵馬の気まぐれと、酎の同情とがこの命を救ってくれたことはわかっている。
けれど、救われた意味などない。雪菜はもういない。
いくら誰に説教されようと、自分のために金を稼ぐことも、それどころか朝起きることさえ、飛影には何の興味も持てない。
なら、選ぶ道はひとつしかない。
生きるよりずっとたやすい、真っ直ぐで行き止まりの道。真っ暗な道。
生きる意味、というほどオーバーなことではない。単純にやることが何もないのなら、人は死ぬしかないんじゃないか。
やることが、ない。だから死ぬ。
ただそれだけだ。
受け取ったマグカップに口もつけず、飛影は薄く油の浮いた水面を見下ろす。
羨ましかったのかも。君の妹が。
羨ましい。誰かにそんなに想ってもらえた君の妹や兄さんが。
あれは一体、どういう意味なのだろう。
酎に促され、熱いスープをひとくち含み、考える。
「おい、大丈夫か?まだラリってんのか?」
「いや…」
頭は変わらずガンガンしているし、たったひとくちのスープでさえ胃のむかつきが増すようだったが、もうあの幸福感に満ちたおかしな感覚は綺麗に消えていた。
羨ましかったのかも。君の妹が。
羨ましい。誰かにそんなに想ってもらえた君の妹や兄さんが。
君の妹や兄さん。
兄さんとは、あの狐のことか。
「酎」
「んー?」
固そうなパンをスープに浸して食べていた酎が、指を舐めながら顔を上げる。
「狐について調べることはできるのか?」
「お前な、さっきは何も頼んでないとか大口叩いておいて、今度は頼みごとかよ」
「できるのか?」
「狐か?それともウェイ?」
「両方だ」
「危ねえ仕事だな~。そこまで調べてやる義理ねえぞ。知ってることなら今話してやるけど」
聞かせろ、と答え、飛影はもうひとくちスープを啜った。
***
だいたいお前、元々はこの街の者じゃないんだろ?
プランダがどういう組織か知ってるのかよ。
切るのに使ったナイフに乗せたままのパンを、固形物だからちょっとだけだぞ、と言いながら差し出し、酎はぼやくように言う。
「麻薬と売春で儲けてる。それ以外は知らん」
「まあそうだけどよ。どんな商売にもトップってもんがいるだろ」
「密売と売春にトップもくそもあるか」
「お前が言うな。ここ最近売り始めたお前は知らないだろうけど、四年前までは麻薬売買では独占企業だったんだぜ」
究極のイカレ野郎みたいな奴が頭でな。
麻薬売買では後発組だったってのに、プランダを作ってあっという間にのし上がって、ライバルを軒並み潰してこの街どころか周辺一帯にエリアを拡げた。
キレるが、とんでもなくイカレてるって話だったけどな。それで…。
ハッと、飛影が瞬く。
兄さんも俺も、名前は蔵馬。
同じ名前なんだ、俺と兄さんはね。父さんは頭がおかしい人だったから。
頭がおかしい人だったから。
「…父さん?…父親?」
「なんだ。ウェイから聞いたのか?」
プランダの創業者は狐とウェイの父親だ。
つっても山ほど子供はいたらしいんだけどな。なんせ誰が本妻なんだか妾なんだかわかんねーくらい女を囲ってたんだってよ。
「それで…今そいつは?」
「とっくに死んだ。跡を継いでたやつもこの間の騒ぎで死んだけどな」
「死んだ?父親が?」
「四年前に狐が殺した。それも知らねえの?」
「ちょっと待て」
マグカップを床に置き、飛影はこめかみを揉む。
話がさっぱり飲み込めない。
狐と蔵馬はプランダの創業者の息子?息子が父親を殺した?麻薬密売の組織の長の子供がドラッグハンター?ドラッグハンターなのにジャンキー?
どういうことだ?なぜ?どうして?いや、蔵馬は自分はドラッグハンターではないと言っていた。臨時、雇われ、バイトだとふざけた口調で。
混乱している飛影に、酎は苦笑する。
「母親は違うだろうが、兄弟はプランダの創業者の子供だ。で、兄は今やドラッグハンターをやっている。理由はわからないがジャンキーの弟はそれを手伝ってる」
俺が知ってるのはここまで。後は知らん。
「調べられないのか?」
「お前、俺が殺されてもいいってのかよ。狐を探ってるなんてバレたら大変なこった。それによ」
なんで、知りたいんだ?
お前はもうプランダに縛られる必要はない。プランダは壊滅状態だ。かといってな、ああいう商売は根絶できた例がない。またいずれ他の奴が他の組織を作って同じことをやり始める。だからこの街を出て行けよ。ここを出て行くくらいの金は算段つけてやるって言ってんのに、何をしたいんだ?
「何を…?」
借金がなくなったところで俺には何もすることがない。それにあいつには一応助けられた。だから、ちょっと興味がわいただけだ。それだけのことだ。
飛影はぶっきらぼうに、そう告げる。
「ならいいけどよ。ウェイに惚れたんじゃねえだろうな?」
「…ふざけるな。誰があんなジャンキーに」
「ヤッたくせに」
「あれは気の迷いだ」
「どうだかな。ジャンキーだしキチガイだけど、ウェイは顔だけはいいからな」
あやしげな小瓶の酒を飲み干し、パンくずを払い、酎が立ち上がる。
モヒカン頭をひとなでし、飛影を指さす。
「しょうがねえな。今回だけ調べてやるから」
だからお前も真面目に考えろ。
この先のことをよ。
「先のことを真面目に考えること。それが調べる条件だからな」
***
錆びついた窓を開け、外の空気を通す。
室内の空気が淀んでいるなら、外の空気は汚れているというところか。相変わらず嫌な臭いのする風だったが、それでも窓を開けたかった。
昨日と一昨日とその前の日と同じように、朽ちた木箱の中にあったボロボロのシーツの何枚かを裂き、雑巾代わりにして床を拭く。水だけではたいした効果もないが、得体のしれない染みやべたつきのあった床はずいぶんましになった。
することがないという理由だけでここのところ飛影は掃除ばかりしていたが、部屋全体が見違えるように綺麗になった。
残党狩りは続いていると酎は言っていたが、昼の間にごく近くの小さな店に水やわずかな食料を仕入れにいくには何の問題もないようだった。
時折見かける警察も、近所の子供のようにしか見えない飛影に目を留めた様子はなかった。
汚れた空気。汚れた建物。
それでも鈍色の雲の切れ間から、今日はめずらしく薄青い空が見えた。
この空は遠く遠く、どこまでも続いている。
続いた空の先、遠くの国。見たこともない世界。
そのどこにも、雪菜はいない。
この世界にはもう、雪菜はいない。
濡れたシーツを錆びた窓枠にかけ、飛影は空を見上げる。
生きる意味は、もうない。
けれどこうして、水を飲みパンを食べ、汚れた部屋を掃除してみる。
あれほど大柄なのに、足音も立てずに上ってくるのは、闇医者という商売柄だろうか。
錆びたドアを短く鋭く一度ノックし、どこで手に入れたのかもわからない万能鍵で開けて入ってくるモヒカン頭を見ながら、飛影はそんなことを考える。
「おっ。生きてるな」
またもや食料の入った大袋を片手に酎は入ってくる。こんなにお人よしで闇医者が勤まるのだろうかと、飛影は少しおかしくなる。
どれどれ、と飛影の顔をつかみ、目や口の中を確認する。
「やめろ。離せ」
「薬はやってないな。よしよし」
「あれは魔が差しただけだと言っただろうが」
「煙草、酒、薬、最初はみんなそうさ」
ベッドにどさりと腰かけ、酎は飛影にリンゴを投げる。
この国ではリンゴは高級品だ。何年かぶりに手に取ったリンゴを、飛影は初めて見るかのように眺めた。
「丸ごと食うなんて初めてだ」
「そうなのか?まあ孤児院で出すには高いかもな」
小さな口で、飛影はリンゴにかぶりつく。
甘味と酸味、口の中でシャリシャリと細かく砕けていく果肉の粒。
「…美味い」
「だろ。そういう楽しみを日々の糧にしていけよ」
「食うことか?」
「これは例え話だろ」
「手に入ったのか、情報は」
「ああ。言っとくけどリンゴを手に入れるようにとはいかなかったからな」
リンゴを頬張り、続けろと促す飛影を軽く睨み、酒瓶を片手に酎はデバイスを取り出した。
***
狐とウェイの父親はプランダのリーダーだった。で、母親は違うと。誰が正妻なんだか、そもそも正妻がいたのかもわからねえけど、手を出して子供を産ませた女は山ほどいると。ここまではこの間話した通りだ。
ああ、そういやプランダってのは組織名でもあるが、このリーダーの通り名でもあったらしいぞ。本名?それはわからねえ。本人だって知らなかったんじゃねえの。
そもそも、自分の子供だってわかってる子供の数だけで二十人くらいはいたっていうからな。一夜のお楽しみで作った子供なんか何人いるかもわかりゃしねえよ。
自分がプランダの子供だなんてことさえ知らずに生きてる奴もいるだろうな。
それでもまあ、何十人いようがお気に入りの女ってのはいるからな。
狐とウェイの母親はお気に入りの方だったらしい。ちゃんと居場所を把握して、金も与えてたんだ。プランダは女だけでなく男も囲ってたって話だが、子を産むのは女だけだ。
母親たちは自分が麻薬王の女だってことを理解していたのかって?
それに気付かない程バカな女がいるとも思えないが、なんせ女たちはジャンキーも多かったらしいからな。元々そうだったのか、プランダの女になって薬をやるようになったのかはわかんねえな。
だが何度も言うように、薬をやった時点でもうプランダから離れることはできなかっただろうな。麻薬ってのはそういうもんだ。
話がそれたな。
狐とウェイの母親は五人ほどいたお気に入りの女の中に入っていた。
それぞれがそこそこ立派な家を与えられて暮らしていたんだ。で、ある日、狐の母親は自分が妊娠していることに気付いた。もちろん腹の中の子はプランダの子だ。
「それで?」
「狐の母親は、逃げ出した」
プランダから。薬から。今までの人生から。
ジャンキーが急に真人間に返るなんてことがあんのかね。俺にはどうも信じられねえが。
プランダの手の届かない所で子供を育てたいと、逃げたのさ。まともな子供を産もうと、まともに育てようと。薬をやめようと。
「すごいだろ?驚けよ」
「なぜだ?当たり前だろう?」
当たり前?お前は売人のくせに何もわかっちゃいないな。
ジャンキーが薬を断つのがどれだけ困難なことか。普通の人間で言えば水を断つようなもんだ。水を飲まずにパンだけ食って生きていけるかよ?無理な話だ。
プランダから逃げ出せば金もない。住む場所も、仕事もない。面子を潰されたと怒り狂うプランダから逃げながら、薬を断ってまともに生きる?どう考えても不可能な話だ。
「だが、狐の母親はそれをやってのけた」
逃げ延びて、狐を産んだ。
そして死んだ。
「死んだ…?」
「狐を産んで三年も経たずにな。無理だったんだ。ジャンキーは大抵、体がぼろぼろだ。妊娠して子供を産むだけでも大事だ。おまけに麻薬王から逃亡しながらだぞ」
そんなわけで狐はお前と同じで、孤児院育ちだ。
孤児院の記録は何も残っていない。紛失したって話だが、狐が消したんだろうな。数少ない当時を知る者に聞けば、狐は優秀な子供だったそうだ。
けれど子供は大人になる日が来る。抜きんでて優秀だったって話だからな。自分の三歳までの僅かな記憶と、どうにかして手に入れた情報とで自分の親とその素性を狐は知ったんだと思う。
そして狐は十四の歳で孤児院を去って、ドラッグハンターになった。
「…それでようやく四年前にプランダを滅ぼしたってわけか?ずいぶん感動的な物語だな」
「そうとも言えねえぞ」
で、ウェイだ。
なんせ公式記録はないから確実じゃねえけど、狐の母親が失踪して八年だか九年だかしてからかな、ウェイの母親も身ごもった。
こちらは逃げ出せなかったのか逃げる気もなかったのかわからんが、プランダの元にいたまま子供を産んだ。薬にも金にも不自由なく子供を育てたってわけだ。
子供に薬を与えるような親がいるのかってお前は思うだろ?いるさ。ジャンキーは頭がパーだ。元はパーでなくたって、薬がパーにする。
セックスして子供を作ることはできたって、育てることなんてできっこない。結局自分のミニチュア版みたいなのを作るだけなんだ。
菓子やおもちゃみたいにそこら中に薬があってみろ。ウェイはそういう場所で育った。子供の頃から薬をやってるからこそ耐性がある。お前と同じ量の薬をやったって、あいつは半分以下の時間で薬が切れる。
普通のジャンキーはひと目見ればいかれてるってわかる。でもウェイはぱっと見まともなように見える。
「それで、狐に目をつけられた。本当なら殺されているはずなのに」
「殺されているはず?」
「ああ。四年前の狩りでな」
あちこちの国でドラッグハンターをしての名を轟かせて、四年前に狐はようやくプランダを狩りにかかった。
どうなったかはお前も知ってるだろ?プランダは死んだし、組織は壊滅的な被害を受けた。プランダに所属していた売人は、たまたま国を離れていた者以外、みんな死んだ。
その中には、ウェイの母親も入っている。
何驚いてんだよ。当たり前だろ。狐は女子供も見逃さない。
プランダの金でのうのうと生きていたウェイの母親も、その子供であるウェイも、狐にとってはゴミのようなもんだっただろうよ。
「狐は……子供の目の前で、母親を?」
「そうだ。母親には何の価値もない。けどウェイには価値があった。ぱっと見まともに見えるジャンキーだ。スパイとして使えると考えたんだな」
「母親を殺した義理の兄に、ついて行ったというのか?」
「今すぐ殺されるか、従うかの二択だろ。誰だってそうするさ」
後はお前も知っての通りだ。
売人に近付き、組織を探る。取り扱う薬の種類、販売量やルート、売値やなんかもな。普通の人間やあるいは警察組織の人間が近付けば、売人はすぐに怪しいと判断して逃げる。
他のジャンキーより正気を保っていられる時間が長いってだけで、ウェイは正真正銘のジャンキーだからな。怪しまれず懐に入り込めるってわけだ。
しかもあの顔だ。女のふりをするのもお手の物だ。
麻薬売買のスパイ。それと新薬の実験台。それがウェイの仕事だ。
薬は次々新しい物ができる。中身はたいして変わらないってのに、名を変え形を変え、出てくるんだ。新しい薬を手に入れるたびに狐はウェイを実験台にした。
なんせ母親の腹の中にいる時から薬を摂取してる。筋金入りのジャンキーだ。ジャンクベビーさ。ちっとのことでは死にゃしない。
わかるだろ?ウェイには利用価値があった。狐はウェイを連れてまた街を、あるいは国を回った。この街に戻ったのは四年前以来だ。
「なぜってこの国ででまた、プランダの名で組織が復活した。警察組織の依頼を受けて狐は戻っ…」
「そう。戻ってきた。今度こそプランダを根絶やしにするために」
いったいどうしたら錆びたドアを音も立てずに開くなどという芸当ができるのか。
開いたままの窓からドアへと通る風に黒髪をなびかせ、蔵馬が立っていた。 |
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