いつかのあの日
変なやつ。
それはそうだが、それだけではない。
おせっかいなやつ。
それもそうだが、それだけではない。
甘いやつ。
そうともいえるが、それだけではない。
誰かに蔵馬についてどんなやつかと聞かれたら、オレはきっと答えられない。
オレにしては長い付き合いの相手ではあるが、未だにやつのことはよくわからない。
***
今日も部屋は血だらけだ。
焦げ茶色の床の上では黒にしか見えない血も、ソファやベッドに跳ねれば、鮮やかに真紅だ。
「服、切りますよ」
どのみち千切れかかっていた服を、やつは細いナイフでざくっと切り、肩から背にかけての傷を露にした。
見慣れた大きな木箱には、様々な薬草が用途に応じて、粉で、液体で、乾かした葉のままで並べられている。
いつものように、桶のような物に汲んだ水で、大きく裂けた傷を洗い流すところから蔵馬の治療は始まった。
「ちょっと痛むけど、我慢して」
病院、ともいえるし。
「泊まっていくでしょう?」
宿、ともいえるし。
「何か食べれそうですか?」
飯屋、ともいえる。オレにとっては。
便利すぎる男だ。
ベッドにうつ伏せて、傷を縫い合わされる苦痛から気を紛らわそうと、オレは見慣れた部屋の中を眺める。
蔵馬の部屋はいつでも片付いていて、清潔だ。
何度か行ったことがある、母親と暮らす家の二階の部屋も、その家にごく近い、薬草を育てるために用意しているというこの部屋も、きちんと片付いている。
一度見たことがある幽助の部屋のように、物やら服やらが床に投げ出してあったりはしないし、使った食器や食べかけの何かがテーブルにそのままあったりもしない。
あるべき物があるべき場所にあり、植物は整然と並び、服はしまってあり、寝具は洗い立てだ。人間にはわからないだろうが、この部屋はさまざまな魔界植物の乾いた匂いがする。
蔵馬は、うんざりしないのだろうか。
血や得体の知れない体液をぼたぼた垂らし、時には内臓さえ飛び出しているような汚いやつを自分の部屋に入れるのは。
手当てをし、時には薬を飲ませて、自分のベッドを譲ることに蔵馬には何の得もない。
一度など、血で汚れ切った体を綺麗に洗ってもらい、手当てをしてもらい、ベッドに座らせてもらった途端に込み上げて、盛大に吐いたことさえある。
着せてもらったばかりの服もベッドも床も、何もかもを汚して嘔吐くオレに、蔵馬は。
「ああ、毒が少し体に残ったかな。時間が経てば消えるから。取りあえず全部吐いちゃった方が楽になるよ」
と言って、オレの背をさすった。
今考えてみれば、ちょっとどうかしている。
オレだったらうんざりして叩き出しているところだ。
いい加減にしろと。
頭がおかしいのかもしれない。
いや、これほど頭が切れるやつが頭がおかしいというのも、変な話か。
「はい、できた」
肩から背にかけての傷口を縫い合わせ、ぬるっとした薬を塗り、器用に包帯を巻いた蔵馬が、仕上げのようにぽんと結び目を叩いて言う。
差し出された寝巻きを受け取って羽織り、薬を木箱に整然と片付ける蔵馬をベッドの上から見下ろす。
今日こそ、聞こう。
お前、何を考えているんだ。
ここまで人の世話を焼くなんて、頭がおかしいんじゃないのか?
何か企んでいるのか?
口を開きかけた瞬間、木箱から顔を上げた蔵馬と目が合う。
本当に、綺麗な顔をした男だ。
整った目鼻立ち、綺麗な目。人間には黒に見えるだろうが、その瞳は深緑色だ。
長い髪は人間界の電気とやらの明かりでさえ、つやつやしている。
「飛影?どうした?」
「……別に。なんでもない」
「眠って妖力を回復させた方がいい。化膿するとやっかいだ」
「…ああ」
また、聞きそびれた。
自分でもなぜ、毎回ためらってしまうのかわからない。
そもそも怪我をして蔵馬の元を訪れる時点で、オレは手当てやらなんやらを期待しているようなものだし、それをなぜだと問い詰めるのもおかしな話ではある。
問い詰めて、じゃあもう来るなと言われたら?
それは困る。病院であり宿屋であり飯屋でもある便利なやつを失いたくないから困るのか、と言われたら、それもあるが、それだけではない気もする。
木箱を棚に片付ける蔵馬の背を見つめ、オレは目を閉じた。
***
「…う…ぁ」
熱い。
暗い部屋で、目を開けた。
暗闇と言ったって、人間界には真の闇などありはしない。
窓の外、他の建物や街灯の光でさえ、オレたちには充分な明かりになる。
「くそ…」
肩から背中にかけて、蔵馬が包帯を巻いた傷口がびりびりする。
痛くて、熱くて、何よりも痒い。
痛みには耐えられるが、この強烈な痒みには耐えられない。どくどく脈打っている傷口を、包帯の上からではなく直に掻きむしりたい。
なんとか起き上がり、包帯を解こうと伸ばした手を素早く掴まれた。
「…っ!くら…離せ!」
「だめだ。傷に触るな」
「うるさい!離せ!」
熱い。痒い。
蔵馬の手を振り払おうと、オレは身をよじる。
「蔵馬!離せ!」
「まったく…」
蔵馬の両手はオレの両手をがっしり掴み、離れない。
頭に来て蔵馬を蹴り飛ばそうと足を曲げた途端、シュッと小さな音がして、何かがオレの両手首を一つにまとめてしまった。
「く、らま!貴様…!」
ベッドに上がった蔵馬はオレをひょいと抱き上げ、縛り上げた両手の間に頭をくぐらせ、向かい合う。
縛られた両手は蔵馬の首の後ろで、もがいても引いても、蔓のような物は切れる気配もない。
「蔵馬!! 手を…」
「我慢しろ。掻きむしったら大変なことになる」
「やかましい!オレの体だ!離せ!!」
「苦しいのはもう少しだけだ。あと三十分もすれば薬が効く」
三十分、という時の長さがわからない。
わからないが、縛られた手で髪を引っぱり、蹴飛ばそうとした足は蔵馬の足で押さえ込まれ、涼しい顔でオレを抱き上げたままでいるやつに散々悪態をついた。
蔵馬はそれに腹を立てるでもなく、宥めるように包帯の上から傷をそっと撫で、もう少し、とオレの耳に囁く。
それは、まるで誰かが火を消したみたいだった。
蔵馬の言う三十分とやらが過ぎたのだろう。
いきなり傷口は焼けつくような熱さを無くし、鈍く緩い痛みに変わった。
呆気にとられるオレに、蔵馬は、ね?と笑う。
オレの手の中には引っこ抜いた蔵馬の髪の毛が山ほど絡みついていたし、記憶にはないが、どうやら噛み付いたのか、肩と首の境目あたりには歯形もある。
散々だだをこね、暴れたことが急に恥ずかしくなった。恥ずかしくなったが、それ以上に。
「………なんなんだ、お前は」
「なんなんだと言われましても」
手を縛っていた蔓がぱらりと解け、自由になった腕が蔵馬の肩をずるっと滑って落ちる。
それでもオレは、蔵馬と向かいあい、抱き上げられたままでいた。
「…なぜここまでする?」
「え?」
「オレを助ける必要はないだろう。何を企んでいる?」
どうやら蔵馬はオレがこうなることを予想していたのか、ベッドのすぐそばにいたらしい。
パジャマ、とか呼ばれている薄い布のズボン越しに、同じような服を着た蔵馬の体温が伝わる。
こんな風に誰かとくっついたのは始めてで、人間のような体温がオレの尻や足にあたたかい。
さっきまで傷を撫でていた蔵馬の手が、オレのくしゃくしゃの髪に触れ、頬を包む。
いったい何をしてやがる、こいつは。
「飛影」
「なんだ」
「そろそろオレのこと、好きになりました?」
「………は?」
意味が、わからない。
そろそろ?好き?
「何を…」
「まだ、好きにならないの?」
意外そうに、やつは言う。
綺麗な目を丸くして。
「どうしてオレが…」
「あれ。間違えたかな」
首をかしげる仕草に、長い髪がさらさらと流れる。
思わず一房つかんだオレに、蔵馬は笑みを浮かべる。
「無理やり犯して、そりゃもうめちゃくちゃに犯してオレのそばに縛りつけておくか」
「は?」
「それとも、優しくやさしーくして、オレのそばでトロトロにとろけさせておくか」
「は?」
「昔のオレなら前者なんですけど、あなたには後者がいいかな、って思って」
こいつ、何を。
やばい。
こいつはやっぱり、頭がおかしい。
そろりと膝から降りようとしたが、いつの間にやら蔵馬の両手は、オレの尻あたりにしっかり巻き付いている。
食い込む指先が、急にはっきり感じられた。
「お前…いや、オレは…」
「オレのこと、好きになったでしょう?」
「好きじゃな…」
俯いて、考える。
好きじゃない。
好きじゃない、はず。
病院であり宿屋であり飯屋でもある便利なやつ、のはず。
顔を上げ、おそるおそるやつの顔を見れば、綺麗な瞳と目が合ってしまう。
自信満々な輝きに、自分の気持ちに自信がなくなってくる。
好き?
蔵馬のことを好きだからここへ来ていたのか、オレは?
便利だからと思っていたが、本当は好きだから来ていた?
蔵馬に会いたくて?馬鹿な。
「オレのこと、嫌いですか?」
「嫌いではないが…」
「ですよね。嫌いな相手にあなたが頼るわけがないし」
それは、そうだ。
嫌いなやつに頼るくらいなら、死んだ方がましだ。
「だいたい、好きな相手じゃなかったら、そもそも怪我を手当てさせること自体が危ないじゃないですか」
ということは、あなたはオレのことが好きなんですよね?
そういうことになりますよね?
真顔で問われ、返事に困る。
「いや、それは」
そうか?そうなのか?
確かに、こんな得体の知れないやつにオレは体を預け、挙げ句に隣で眠ったりもしていた。
何度も何度も。
好きだから?
蔵馬のことを好きだから、そうしていたのか?
「…いや、待て」
「はい?」
尻と腰に回された手を止め、オレは考え込む。
何かがおかしいぞ。
「…オレがお前を好きだったとして、お前がオレを好きじゃなかったら、どのみち危ないだろうが」
「だって、オレはあなたのことを好きに決まってるじゃないですか」
「好きに!? 決まってる!?」
声が裏返ったのが自分でもわかった。
こいつ、オレのことが好きなのか?
「そりゃそうでしょ。毎回毎回、オレを病院か宿屋か飯屋だとでも思ってるんですか?」
そこまでお人好しじゃないですよ、オレ。
あなたのことが好きだから、世話してあげるんですよ。この家だって、あなたがゆっくり眠れるようにと思って用意したんですから。
だいたい、初対面で自分を殺そうとして切りかかってきた相手を普通助けます?助けませんよ。
「あなたがいつの時点でオレを好きになったのかはわかりませんけど、オレはあの時一目惚れだったんで」
「な…」
顔が、ぶわりと熱くなる。
そういうことなのか?
オレのことが好きだから、なのか?
「ほら、横になって。もう少し眠らないと」
言われるままに、オレはまたベッドにうつ伏せる。
傷に触らないように、薄くやわらかい布のような物を、蔵馬はオレの体にかけた。
「おやすみ」
綺麗な顔が近付く。
髪を梳かれ、頬を撫でられた。
そのまま蔵馬の唇と自分の唇が重なるのを、オレは唖然としたまま受け止めた。
***
「……お前、はめただろう?」
「まだはまってますけど。なんで過去形なんです?」
「そういう意味じゃない!!」
山ほど種を撒き散らしておいて、尻の中でまだ脈打っているものを千切れるくらい締め付けてやる。
あ、すごい、と蔵馬は笑い、もう一回しようよ、などと言い出す。
「あの時だ!この嘘つき狐!オレはあの時お前のことなんか…!」
「いつの話してるんですか、飛影」
いつのことかなんて、思い出せない。
ずいぶん昔の話だ。
ただ急に、今急に思い出して腹が立ったのだ。
あの時、まるでオレもずっと前から好きだったかのようにこいつは振る舞い、オレはすっかり、騙された。
「しょうがないでしょうが。絶対欲しいものは作戦立てて手に入れることにしてるんで」
「この…性悪狐!」
「いいじゃないですか、結局オレのこと好きになったじゃない」
「誰がいつ!好きだと言った!?」
「言わなくても、わかってますって」
「くら……っうあ!」
急に硬さを取り戻したものでくっと奥を突かれ、体が跳ねた。
「あ!く、ら、あ!」
「好きじゃない相手と、こんなことできないくせに」
「…貴様は!いつもいつもいつも!」
「わかってますって。オレも大好きですよ。あの時も今も」
何が、オレも、だ。
覆いかぶさり笑顔でまた腰を動かし始めた蔵馬を見上げ、また湧き上がってきた快感に、思わず大きく息をつく。
「ふ…あ、ああ…ぁ」
「あ…飛影…」
「っあ!っあ!っあ、あ、ふ、あ…、く…らま!」
「ん?」
あの時のように、オレは両手で蔵馬の髪を強く引いた。
髪が抜けるほど強く掴み、顔を近づける。
「仕掛けたのは、貴様だからな…」
「飛影?」
「…オレから逃げられると、思うなよ」
もちろん、と答え、花が咲くように笑った唇。
二つの体を繋ぐ、熱い塊。
数え切れないほどそうしてきたように、オレは今夜も体を預けた。
...End. |
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