くろねこライフ...6
65日目
いつの間にか季節は秋になっていて、肌寒い朝晩は蔵馬の体温を心地よく感じる。
耳や髪を梳かすように撫でられ、頬にキスをされる。
そうやって朝起こされることも、人に抱きしめられて眠ることも。
俺は、いろんなことに慣れていく。
色づいた葉を眺め、木に上る。
秋の風はちょっと冷たくて、散歩をするには最適だ。
好きなだけ散歩をし、家に帰ればいい匂いがしている。
「おかえり。お茶にしようよ」
蔵馬は赤い鍋から熱いココアを、自分のカップにはなみなみと、俺のカップには半分注ぐ。猫舌の俺のために、俺の分には冷たい牛乳を少し足す。
ちょうどいい温度。ちょうどいい甘さ。
…俺は、いろんなことに慣れていく。
慣らされていく。
ゆるゆると、ふわふわとした日々に、慣れていく。
「このクッキーね、期間限定のナッツが…」
今日の茶菓子はクッキーらしい。香ばしい、いい匂いのするクッキーだ。
蔵馬はやさしい。
派遣ネコにとって、文句の付けようのない雇い主だ、と思う。
俺はふと視線を落とし、黒いボアのついたスリッパを履いた自分の足先を眺める。
やわらかく暖かいこのスリッパも、蔵馬が買ってきてくれた物だ。
でも…。
申し分のないはずの日々に、ちょっとした問題があるのだ。
***
ケガをしていなくても、一週間に一度、蔵馬は俺を風呂で洗う。
毎日一人で風呂には入っているのに、俺の洗い方は下手だと蔵馬は言う。
「飛影はいっつも、耳の後ろやしっぽの付け根がちゃんと洗えていないから」
そんなことない、と抗議した風呂上がりに、自分の耳の後ろに葉っぱの切れ端が付いているのを見せられ、俺はしぶしぶ承諾した。
一週間に一度、やわらかなスポンジとたっぷりの泡で、丁寧に、丁寧に、全身を洗われる。
髪、耳、顔や首…
その辺までは、問題ない。
問題は、そこからだ。
胸を撫でるように洗われると、なぜだか乳首が硬くなってくるのだ。
白いもこもこの泡から時折見えるそこは、赤くプツンと尖っている。
くすぐったい…のか?
いや、でも…なんか…
胸を洗い、腹を洗う、蔵馬の手。
蔵馬は服を着たままなのに、自分は濡れもせず器用に俺を洗う。
背中を洗われている間に、俺は自分を落ち着かせようと必死なのに、今度は尻の辺りにすべり降りてきた泡だらけのスポンジに、心臓が大きく跳ねる。
しっぽの付け根から先まで、くしゅくしゅと泡立てながらスポンジが上下する。
思わずぶるっと体が震える。
「ごめん、痛かった?」
「…いや…別に…」
痛い、わけじゃないが…。
「……っ!」
尻の間を、たっぷりの泡が行き来する。
そのまま前へとすべり、指でそっと持ち上げられる、それ。
やさしく、こすり上げるその動き。
洗ってくれている、だけなのに…なんだ…?
…変、な…気分に…
な、なんか…硬くなっ…
「……にゃ…っ」
思わず俺は小さく鳴く。
スポンジはそのまま足を撫でるように、指先まで丁寧に洗う。
「はい、おしまい。温まっておいで」
そう言って笑い、体中の泡をシャワーでさっと流すと、蔵馬は俺をバスタブに入れて、出て行ってしまう。
パタンと閉ざされた、バスルームのドア。
…俺の様子がおかしい、とは気付かないらしい。
「……にゃぁ……」
ぶるぶると頭を振り、湯から上がる。
シャワーを冷水にし、全身にかぶる。
冷たい水をかぶっても、熱さは消えない。
そろそろと、手を足の間に下ろす。
そこはまだ硬くなりかけたままで、トクトクと脈打っている。
…もう少し、触っていて欲しかった、ような気がするのは…
俺が…おかしいのだろうか?
***
67日目
「似てないな。本当に双子なのか?」
細い葉巻に火を点けて、その女は俺を見た。
くっきりとした目鼻立ちは綺麗だったが、大きな傷跡が顔の半分を覆っている。
人間の皮膚に似せた義手や義足はいくらでもあるはずなのに、義手と義足はまがまがしい金属製だった。
けれど、それらの傷跡は、かえって女の美しさを引き立てているようにも見えた。
豪華で大きなソファに寝そべるように横たわるその女の膝の上には、雪菜が頭を乗せてくつろいでいた。
「…雪菜、お前の兄貴にしちゃ、大人しいな」
「兄さん、座ったら?」
雪菜の置いていった地図を頼りにここを訪ねたのだが、思いがけない建物に気後れし、入るまでにずいぶん時間がかかってしまった。
雪菜の現在の“家”でもあるこのビルは、この女社長の会社でもあり、家でもあるらしい。29階までを社屋として使い、最上階である30階を自分の住まいとしているのだと説明された。
この家の雰囲気を何といえばいいのだろうか…。
昼間だというのに薄暗い室内は、しっとりとした照明に照らされていて、その豪華で繊細なインテリアは、妹にも、この女社長にも、ひどく似合っていた。
それにしても、この下でたくさんの人間たちが働いているとは思えないほど、30階は静かだった。
「飛影と言ったか?まあ、座れ」
人に命令することに慣れた者らしい、物言い。
だが、不思議と不快ではない。
「お前も飼いネコなんだってな」
「…今は、そうだ」
ふうん、と女社長はつまらなそうに煙を吐く。
「残念だな。もっと早く教えてくれていればお前も俺が飼ったのに」
「嫌。私は自分だけがいいの。愛情を誰かと分け合うなんて嫌!」
しょうのないやつだな、そう言いながら、金属の手は膝の上の雪菜の水色の髪を梳くように撫でる。
目を細めて髪を梳くその姿には明らかな愛情が感じられて、兄としてはちょっと安心した。
ピルッ、と小さな音が部屋に響く。
その音に女社長は眉をしかめ、雪菜はべーっと舌を出す。
「やれやれ。仕事に戻らなけりゃ。ゆっくりしていくといい、飛影」
女社長は俺に向かって微笑むと、硬い大理石の床に靴音を響かせて出て行った。
***
「お風呂?」
バニラアイスクリームを入れた熱い紅茶、という奇妙な飲み物を俺に差し出しながら、雪菜は怪訝そうにしている。
「一緒に入るよ。どんなに仕事が忙しくっても帰ってきてくれるの。お風呂は一緒に入るしご飯も一緒に食べるよ」
一人でお風呂入るのなんて嫌!髪を自分で洗うのも嫌!乾かすのも嫌!
嬉々として言ってのける妹に、俺は返す言葉がなくて、黙ってへんてこな紅茶を飲む。
…味は、ぬるめの甘いミルクティーと同じで、猫舌の俺たちにはぴったりだった。
銀色の器に積み上げられた華奢で繊細な砂糖菓子や小さなゼリーは、いかにも雪菜が好みそうな綺麗な菓子だ。
「…あいつは社長なんだろう?忙しいんじゃないのか?」
「もう。どうしてそんなこと気にするの?自分のしたいようにしていいのよ」
私たちは、ネコ族なんだから。
気ままに、自由にしていていいの。
「それで契約が切れるなら、それまで。媚びる必要はないのよ」
「……」
したいように?
俺は何かをしたいのだろうか?
体を洗ってもらうと、変な気持ちになるから、やめて欲しい、とか?
あるいは……もっと、触って欲しい…とか?
…どちらにしても妹にできるような相談ではない。
そんなことを、雪菜の前で考えていること自体、恥ずかしい。
何かを窺うような雪菜の視線から、顔を背けてつまんだ小さな砂糖菓子は、口の中で一瞬で溶けた。
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