makes me feel easy
エレベーターのボタンを押し、するすると閉じた扉の中で目を閉じる。12階にあるオフィスから1階に着くまでの、ほんの何十秒かさえ眠っていたい。
時々、この体は人間のものなんだなって思い知らされる。
三日目の徹夜仕事になりそうな夜で、蔵馬はしみじみとそんな事を考える。たかが二日間の徹夜で壁にもたれて眠りそうになっている事に、我ながら呆れてしまう。
眠気を飛ばすかのように頭を振って、パチッと音を立てて携帯を開く。
そこには先ほど幽助から送られてきたメールが表示されていた。
【今日お前の会社の近くに屋台出してるんだ。まだ会社にいたか?良かったら晩飯食いに来いよ】
了解、と短い返事を歩きながら打ち、ガラス張りのビルのエントランスを抜けた。
***
人通りの少ないビルの狭間の空間に出されている屋台は、あまり集客に向く場所とも思えない。
先客は一人だけで、金を払うとは思えない客だった。
「よー蔵馬!ずいぶんシケた顔してんなー」
幽助はずいぶんなご挨拶と共に、麺を鍋に放り込んだ。
「ご挨拶だね。この屋台もシケてるみたいだけど?」
「ちげーよ!まだオレの店の混雑時間帯じゃねーの!」
時刻は午後6時で、確かに屋台のラーメン屋が繁盛する時間ではない。
唯一いる、金を払うとは思えない先客…飛影…は、不器用ながらも箸を使い、黙々とラーメンを食べていた。
「こんばんは、飛影。珍しいね。一人で来るなんて」
「…今日は幽助と手合わせをしたからな」
その後、オレの部屋に来てくれるつもりだったの?という問いかけを、幽助の手前、蔵馬は飲み込んだ。
恋人は無表情に、目の前のラーメンを平らげている。
「よっと、おまっとさん!」
蔵馬の前の前に置かれた丼は、チャーシューやら煮玉子やら溢れんばかりにトッピングされている。
「ありがとう。サービスいいね」
「おう。お前なんだか疲れた顔してっからな」
いただきます、と箸を割って、蔵馬は食べ始める。
「ここんとこちょっと忙しくてね。昨日も一昨日も家に帰れてないんだ。今日もこの分だとダメそうだし」
「へええ~。徹夜仕事三日目か。サラリーマンってのは哀れなもんだな」
「他人事だと思って」
「まあでも人間じゃねーんだからさ。どってことないだろ?」
「ありますよ。この体は人間のものなんだから。クタクタだよ」
ラーメンを啜りながら、蔵馬は恨めしそうな目で幽助を見る。
「…人間の体ってのはヤワなものだな。ご苦労なことだ」
いつの間にやら食べ終わった飛影が、皮肉っぽい言葉をかける。
その言葉に蔵馬は苦笑する。
「まあ、ね。しょうがないよ。今日も帰れそうにないし。帰れたとしても夜中かな」
その言葉は愚痴というよりは、傍らの恋人に今日は家に来てもオレはいないよ、と暗に伝える言葉だった。
飛影はいつだって気まぐれに蔵馬の元を訪れるくせに、蔵馬が留守にしていたり…もしくは何かに気を取られていて来訪にすぐに気付かなかったりすると…わがままな猫のように機嫌を損ねる。
ぷいっと出て行き、それっきりしばらくは音沙汰なし、になってしまう。
それを知らない幽助は、明日は土曜だろ?もう一頑張りじゃねーか、と笑う。
「そうだけどさ。君と違ってオレは家に帰ってもサミシイ一人暮らしだからね」
「あー?ウチのオフクロが飯作って風呂でも沸かして待ってるとでも思ってんのかよ」
「電気がついてて、誰かがおかえりって言ってくれるだけでもいいじゃない」
「なーに言ってんだ。さみしがり屋かよ。気持ち悪りーな」
蔵馬の愚痴を笑い飛ばし、幽助は煙草に火を点けた。
「飛影、おめー今日はどうすんだ?魔界に帰るのか?オレん家泊まってってもいーぞ」
「帰る。誰が貴様の汚い家に泊まるか」
「汚くねーよ!タダ飯食ったあげくになんつー言い草だよ!」
ったくおめーは礼儀がなってねえ、ぶつぶつ言いながら幽助は混雑する深夜に備えての仕込みを始める。
残念、と蔵馬は内心溜め息をつく。
せっかく飛影が人間界に来ているのに仕事なんかに邪魔されるなんて。
幽助が材料を取ろうとしゃがんでごそごそやっている隙に、蔵馬は立ち去りかけている飛影に囁く。
「今日は残念だよ。次はいつ来る?」
「…分からん。オレも暇じゃないんでな」
ごちそうさま、でも、じゃあな、でもなく、
蔵馬の恋人はあっという間に姿を消した。
残るは空っぽの丼のみ。
***
「ああ、やれやれ」
思わず呟いた独り言は、人気のない午前2時のマンションのエントランスにやけに響いた。
なんとか徹夜にはならずに済んだ。とはいえ疲労困憊だ。
あとはシャワー、そして寝るだけ。
そう考えると、嬉しい。
飛影がそんな事を聞いたら、さぞバカにした目でこの人間の体を睨め付ける事だろう。
ポーン、という電子音とともに扉が開く。
寝室からベッドが呼んでいるような気さえした。
***
「あれぇ…?」
玄関のドアを開けた途端、蔵馬は気の抜けたような声を上げた。
電気、ついてる。
…ということは三日前からつけっ放し?
廊下も、リビングも、キッチンも、全部電気がついている。
とんだ逆エコロジーだ。
おまけに。
リビングではテレビがやかましい音と色の洪水を溢れさせ、エアコンが恐ろしいほどに部屋を暖めている。
空耳でなければ、ざあざあという水音まで聞こえる。
最近疲れていたとはいえ、それはないだろう。
いくらなんでも。
半妖でなく人間だったら脳の検査に行くところだ。
その時。
「あ…」
普段ならエントランスに着いた時点で彼の気配に気付くのに。
取り合えず盛大に湯を溢れさせていたバスルームに直行し、湯を止めた所だった。
音を立ててバスタブから流れ落ちる湯を唖然と見ていた蔵馬は、そこでようやく彼の気配に気付いた。
「…飛影」
小さく呟く。
慌てて向かった寝室には、気まぐれな恋人がベッドで丸くなって眠っていた。
夕方屋台で会った時と変わらぬ格好のままで、幽助との手合わせで負ったらしい軽い傷がいくつかある。
隣に腰かけ、頬に軽くキスを落とす。
「飛影、いらっしゃい」
大きな赤い瞳が、眠たそうにとろんと開く。
「…蔵馬…」
「来てくれたの?君がこんなに電気だのテレビだのつけてるなんてどうしたの?…魔界で何かあったの?」
耳障りなテレビの音も、明るすぎる人工の照明も、飛影が好まない事を蔵馬はよく知っている。
「…嬉しいか?」
「え?」
「……嬉しくないのか?」
そこでようやく幽助と屋台で交わした会話を思い出して、蔵馬は破顔した。
「…ありがと。すごく嬉しいよ」
「…良かったな。こんな風に明るくしておくのが嬉しいなんて理解できん」
「そうじゃなくて…」
帰ってきてね、君が家にいるってのが、嬉しい。
「…馬鹿か」
小さく吐き捨てる飛影の頬は、薄く染まっている。
「あとね、もう一つあれば完璧」
「…まだ文句があるのか?」
「文句っていうか、お願いなんだけど」
おかえり、って言って。
蔵馬は飛びきりの笑みで、そう告げる。
「…断る」
「えー?お願い。一回だけ」
「……」
「ね?お願い」
「……」
赤い瞳が、泳ぐ。
しばしの沈黙の後、キュッと引き結んだ唇はわずかに開き、
小さな小さな呟きを漏らした。
...End.
12345キリリク「疲れ気味の蔵馬に」
minu様よりリクエストいただきました!
ありがとうございました!(^^) |
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