one's one and only...1
「ディオールのクリスマス限定のグロス」
「それは君でしょーが」
雪菜の前にアイスコーヒーを置き、自分の前には熱いブレンドコーヒーを置いて、蔵馬は座る。
12月の土曜日の午後だけあって、店の中はかなり混雑している。ようやく空いているカウンターを見つけ、二人は腰を下ろした所だ。
「えー?私にはくれないの?」
「わかってます。ディオールのクリスマス限定のグロスね」
それで、飛影には何をあげたらいいと思う?
ブラックのままコーヒーを一口啜り、蔵馬は困ったような顔をして雪菜を見る。
「うーん。飛影あんまり物欲ないんだよねー」
あれ欲しいとか、これ食べたいとか、言ってるの聞かないもんね。
冬だというのに、雪菜はするすると冷たい飲み物を飲む。
彼女は年中冷たい飲み物しか飲まない。
「でしょ?だから困ってさ…」
溜息をついて、蔵馬はコーヒーを揺らす。
雪菜の言う通り、デートをしてても、一緒にテレビを見ていても、飛影がこれが欲しい、これが食べたい、などと言ったためしが無い。
おかげで、クリスマス前のこのシーズン、彼氏は頭を抱えているというわけだ。
「予算は?」
「結構あるよ。クリスマスのために、バイトしてたから」
「剣道着が傷んできたから買おうかなって言ってたよ」
「…それ、クリスマスプレゼント向きとは思えないんだけど…」
「役には立つよ」
「……雪菜ちゃん」
「冗談だってば。そうだなあ…」
アクセサリーもいいし、服だっていいよね。
靴は?かわいいブーツとか。
「なんだって喜ぶと思うけどな。指輪とかは?」
「いまいちピンとこないんだよな…」
「蔵馬さん彼氏でしょ?彼女の欲しい物くらい事前にリサーチしなよ」
そう言われると、蔵馬は困る。
秋頃から、いろいろ探してはいたのだ。女の子が好きそうな店は、かなり回った。
アクセサリーだろうが服だろうが、飛影は受け取ってくれるだろう。
でも、そうじゃなくて…
もっと、飛影が本当に喜ぶ物、欲を言えば、驚く物を贈りたいのだ。
「…別に、物じゃなくてもいいかもよ?」
雪菜は氷をカラカラ鳴らす。
「飛影、案外ロマンチックだからね。旅行は?綺麗な景色の所とか」
「クリスマスだと、もう予約いっぱいじゃないかなあ…」
ミルクティー、チョコレート、やわらかくて軽い毛布、火がきちんと見える暖房器具、綿100%の服。
蔵馬が思いつく飛影の好きなものはどれもクリスマスプレゼント、というのとはちょっと違う。
ガラス越しの道行く人々を眺めつつ、雪菜が呟く。
「…雪景色、とか?」
「雪?」
クリスマス前の東京の街は、文字通りの都会の風景で、人も建物も、ありとあらゆる色を溢れさせていて、雪という言葉が遠い国の言葉のように感じられる。
「飛影、雪が好きなんだよね」
好きって言ったって、今まで私たちは雪がちゃんと降る場所には住んだことないけどね。っていうか、ちゃんとした雪景色なんて見たことないな。
女手一つってやつだからママは忙しくて旅行とか、あんまり遠くへは連れてくれなかったし。
飛影ってば寒がりのくせに、テレビに雪景色が映ってたりすると、じーっと見てんの。
雪、好きなの?って聞くと、別に、って言うんだけど。
別に、と答えるあまのじゃくな恋人の姿は容易に想像ができて、思わず蔵馬は笑ってしまう。
「そっか…雪、ね…」
「まあ今からクリスマスは厳しいよね。年明けでもいいんじゃない?そうだ、お兄さんは元気?」
眉をしかめる蔵馬に、今度は雪菜が笑う。
「兄さん、あれから時々連絡よこすようになってさ」
うちの母さんが携帯の番号教えちゃったんだ。
迷惑千万、と蔵馬は溜息をつく。
「いーじゃない。仲良くしたら?」
「無理。気が合わない」
「似てるのに」
「ええ!? 似てる!?」
「あ、四時だ。行かなきゃ」
腕時計を見た雪菜は、コーヒーを飲み干す。
「飛影と待ち合わせしてるんだよね?」
「そう。今日はこの後ママと飛影と買い物行くの」
「氷菜ママも一緒に?お休みなんだ。めずらしいね」
「ママの会社は12月は大忙しなんだけど、今日だけ早く帰れるんだって」
ママね、ボーナスが出たから私たちに新しいコート買ってくれるって。早めのクリスマスプレゼントに。その後で、ママ絶賛のイタリアンのお店で晩ご飯するの。
欲しいコート、もう決めてるの。欲しかったやつなんだー。
にこにこと嬉しそうな雪菜。
かわいいな。
ふと、蔵馬はそんなことを思う。
雪菜のふわふわの髪はゆるくまとめてあり、上手に薄化粧をしたその顔。唇にはピンクのグロスが薄く塗られている。
きっと彼女の欲しかったコートは、高級な物だろう。
わがままで、率直で、でもすごくかわいくて。
混雑した店の中でも、男たちはチラチラと雪菜を見ている。
でも…
コーヒーの最後の一口を、蔵馬も飲み干す。
でも、俺にとっては、何よりも誰よりも、飛影なのだ。
なぜなのだろう?
飛影の笑顔が見れるなら、なんでもしてやりたい、飛影の望むことは、全て叶えてやりたい。
悲しまずに、傷付かずに過ごせるよう、ずっと側で守ってあげたい。
そう願わない日は、一日もないといっても嘘ではない。
守られるほどヤワじゃない、余計な世話だ、と飛影は言うだろうが。
「わっ!冷たっ!」
ぼんやりしていた蔵馬の手の甲に、雪菜が氷だけになったプラスチックのカップを乗せていた。
「…飛影のこと、考えてたでしょ?」
「…バレた?」
「バレた」
まったくバカップルなんだから。
ニヤッと笑うその顔も、蠱惑的。
「買い物がてら、飛影が何か欲しがってる物ないか、一応探り入れとくね」
ありがとう、頼みます、と蔵馬は拝むしぐさをしてみせた。
***
…こんなに寒いのに、なかなか雪にはならないもんだな…
去年、冷たく曇る窓を手で拭い、降りしきる雨を見ながらポツリと呟いていた飛影を思い出す。
飛影、案外ロマンチックだから、という雪菜の言葉通り、普段の男っぽい喋り方や振る舞いとは裏腹に、飛影は綺麗なものが好きだ。
家に帰った蔵馬は、ネットでざっとホテルや旅館を探してみたが、案の定クリスマスシーズンはどこも満杯だ。
「もっと早く探せば良かったな…」
ダメだとなると、余計になんとかしたくなる。
多少高くてもいいから、空いてるとこないかな…?
もう少し、探してみよう。
メモ用紙を取り出し、パソコンに再び向かった途端、携帯が鳴った。表示されている番号に嫌な顔をしながらも、蔵馬は電話に出る。
「何の用?」
「普通、こんばんは、とか、元気?とか聞くのが礼儀だろ?」
耳元で笑う兄の声は、電話だというのに低く甘く、他人を魅了する声だ。
似てるよ、と雪菜が言ったことを思い出し、自分もこんな人を誑かす、甘い声をしているだろうかと蔵馬はいぶかしむ。
「土曜の夜だってのに、家で一人なのか?」
「土曜の夜に義理の弟に電話してくる人に、言われたくないよ」
「俺だって、粗食ですましたい夜もあるんだな」
それが実際の食事のことだけでなく、女のことも指していることは蔵馬にもわかった。つまり、めずらしく一人で過ごしているということなのだろう。
「…用ないなら、切るけど」
「ある。お前、飛影を俺の曜日に来させないようにしただろ?」
「当然。なんで大事な彼女を兄さんに…」
あの婦人科で、ヨウコが担当しているのは週に二日だけだ。その曜日さえ避ければいいのだと蔵馬と双子は気付き、女の先生ならいいでしょ?と雪菜に説得された飛影はしぶしぶではあるが病院に通っている。
さばさばした物言いの婆さん医者は、飛影にとっては安心できる相手だったらしく、雪菜と蔵馬は胸をなで下ろした。
「失礼な。俺が猥褻行為をしたみたいに」
「兄さんの存在が卑猥なんだよ」
「上手いこと言うな。飛影にクリスマスプレゼント、用意したか?」
電話をしながらも、蔵馬の目はパソコンに、手はキーボードの上で、雪の見れそうな宿を探している。
「…探し中」
「ヴァンクリに、飛影に似合いそうなかわいい指輪があったぞ」
「あのねえ…」
そんな物、高校生が買える代物ではない。
この兄の金銭感覚がズレているのは医者になる前からだ。アンティーク家具のバイヤーをしている母親はヨウコが幼い頃から高級な物を身に付けさせていたらしく、その影響も否めないが。
「いいの。俺は飛影と雪を見に行くんだから」
「へー?どこへ?」
「…未定」
「未定?この時期に悠長なんだな」
その言葉に、蔵馬も詰まる。
「そうなんだけど…」
「なんにもない所なんだけどさ」
ヨウコがのんびりとした口調で話し始める。
ただ雪を眺めるのにはいい宿があってさ。
小さいけど、本物の暖炉があって、うちの母親が家具を卸してたんだ。だから本物のアンティーク家具がある部屋が、そうだな、十室くらいの小さい宿なんだ。
学生の時は、しょっちゅう行ってたんだけど。
「俺、忙しいんだけど」
そんな自慢話なんだか思い出話なんだかを聞いている暇はない。
そう言って電話を切ろうとした蔵馬の耳に、思いがけない言葉が飛び込んできた。
「その宿ならコネがあるんだ。取ってやろうか?」
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