疑心傍若無人なようでいて、そうでもない。おかしなところで礼儀正しいと言うべきか、鍵がかかっているわけでもない扉の前で待っていた珍客を招き、部屋へ入れた。 「何の用だ?」 トーナメントの間だけ、運営がまとめて借り上げている宿だ。部屋には寝台が一つ、椅子が一つ、中途半端な大きさの卓が一つあるだけだ。 椅子を譲ったつもりで寝台に腰掛けたが、相手は椅子に座る様子はない。突っ立ったまま、部屋を見回す。 トーナメントの常連参加者ではあるが、運営が用意する宿には泊まることがないのだ、この客は。 「何の用かだと?これは旧交をあたためる集いとやらなんだろう?」 幼い顔に似合わない、皮肉な口ぶり。 再開した時には大きくなったと思ったが、あれきり変わる気配はない。 子供のように見えるが、子供というわけではない。混血の血がそうさせるのか、どうやら幼形成熟というやつなのだろう。 「旧交も何も」 おかしなことを言う。普段は同じ場所で過ごしているのだから。 とはいえ、そんなことを言い出した理由はわかっている。 ある意味では確かにこのトーナメントは旧交をあたためる場でもあり、年来の仇敵に再開する場でもある。 普段は会わない者と会うことも多い。 「飛影」 かつては患者で、ほんの少しの間だけ弟子のようなもので、今は遠く及ばない力を身につけた者を眺め、ため息をつく。 窘める義理もないが、部屋に居座られても困る。 「何をしに来た?見たことところ怪我もないようだが」 怪我を負わせるような相手とはまだ当たっていないと、飛影は鼻で笑う。 一昨年は二位、去年は三位と驚異的な力を見せつけておきながら、こんな風にここへやってきた理由はわかっている。 あの狐が、飛影の知らない者と何やら込み入った話をしていたからだ。 傍から見れば、込み入ってはいるがどちらかと言えば険悪な、それも狐が相手を嫌っているようにしか見えないあの様子に、どうして勘違いをしたり腹を立てたりする余地があるのかわからない。 「治療が必要でもないなら、戻れ。第一、御主には専属の医者がいるようなものだろう」 小さな口がきゅっと結ばれ、眉がきっと上がる。 運営が用意する宿に飛影が泊まることがないのは、いつでもあの狐と一緒の宿にいるからだ。 「関係ない。ここではあいつは敵…」 ここではあいつは敵だと言おうとしたらしい飛影の声は、隣の部屋から微かに聞こえた甘ったるい嬌声に途切れた。 やれやれ、とは思うが、妖怪は性に貪欲だ。トーナメントとという否が応でも高揚する場ではあちらこちらでこんなことは茶飯事だったし、部屋でやるだけ上等だろう。 「聞こえたか?隣は盛り上がっているようだな」 「そのようだな。さ、帰れ。聞き耳を立てに来たわけでもあるまい?」 「お前もやるか、時雨?」 「不要だ」 「そのために来たと言ったら、どうする?」 赤い瞳に、欲望は欠片もない。 見えるのは暗い怒りと苛立ちだけだ。 「飛影」 首元の布が解かれ、コートが床に落ちる。 事務的にバサバサと脱ぎ捨てられた服は小さな黒い山になり、一糸纏わぬ白い体が目の前にある。 幼形成熟、という言葉をまた思い出し、聞こえるようにもう一度ため息をついた。 「どうした?初めて見たわけじゃないだろう?」 それはそうだ。 移植手術の時は当然隈無く調べた体だし、第一、しょっちゅう医療ポッドに放り込んできた体でもある。 千年も生きた狐があれほど執着する体とはとても思えないが、人の好みはそれぞれだ。 「飛影」 「闘いの前のひと遊びだろう?こんなものは」 寝台にあぐらをかいて座っていたが、そのあぐらの足を跨ぐようにして、飛影が足を広げる。 予選をあっさりと終えた体はなめらかに、傷ひとつなく艶やかだ。 「飛影」 「どうした?男相手では勃たないのか?」 その言葉に、無言のまま手を伸ばし、白い足の間にぶらさがるお世辞にも大きいとはいえないものを掴んでやる。 指で刺激してやれば反応をみせるが、どうにも鈍い。 「飛影、過去を作ろうとするな」 大きな目がまるくなり、ますます幼く見える。 こねてやっていたものを離し、軽く肩を押して座らせる。 「過去は変えられぬ。千年も生きた狐の過去に嫉妬しても腹を立ててもどうにもならん。まるで過去に関係があったかのように、こんなことをした所で仕返しにもならん」 白い頬が、ぱあっと赤くなる。 返答ひとつで、こちらの首を吹っ飛ばすくらいの力をつけたはずだというのに。 「…オレは」 「他者を試すな」 試せば切りがない。疑えば切りがない。 そうやって、狐の過去を知る相手が現れるたびに、こうして御主は捨て鉢になるのか? 疑って、試して、相手が自分の元を去ればそれみたことかと満足するのか? 「それで一体、何が残る?」 「……あいつを信じろと、言うのか?」 「信じられるかどうかなど拙者の知ったことではないが、裏切られたら裏切られた時にどうするか考えたらいい。その時でいい。裏切られてもいないうちから、そんなことを考えるな」 怒りで光る目に、掴みかかってくるかと少々身構えたが、ふいに、その目から光が消え、強ばっていた肩がすとんと落ちる。 足をひょいと閉じ、あぐらの上から飛影は下りる。 帰るのかと思いきや、そっぽを向くように寝台に横になった。 「飛影」 「一晩、泊まるだけだ」 頑固なやつだ。 こうなったら、今夜は梃子でも動くまい。 寝台は一つしかないが、隣で寝るなどとんでもない。 掛布で小さな体を包んでやり、今夜は武具の手入れでもするかと椅子に腰掛けた。 嫉妬深さと面倒さでは引けを取らないように思えるあの狐のことを考えると、何度でもため息をつきたくなる。 椅子をできるだけ寝台から遠ざけ、磨く必要もなさそうな、光る刃に布を当てた。 ...End. |