Under the ground

地下の方が居心地がいいと主張する生き物を、地上に留めることは、なかなか困難だ。

気の遠くなるような長さのエスカレーターに吸い込まれていく人間たちを横目に階段を上りながら、そんなことを考える。

これほど地下深くに交通手段を置くなど、人間の知恵と技術と努力の結晶だ。それは素直に称賛する。
けれどオレは、地下鉄というものが嫌いだ。技術的に換気はできているのだろうし、安全性も一応確保はされているはずだ。
ただ、窓の外に延々と続くコンクリートの壁も、独特な湿っぽさを含んだ空気も、何もかもが気に入らない。

結局、オレはどんな姿になったところで野山を駆けていた狐なのだ。
地下に埋められたコンクリートの箱や筒を、愛せるわけがない。

いくつもの階段やエスカレーターを上りきり、小さな出口からようやく外へと出る。
見上げた冬の空は薄い水色で、いくつものビルでギザギザに切り取られた絵のようだ。

地上の空気を深く吸い込みたくて、ネクタイをゆるめる。
澄んでいるとは言い難いこの街の空気でさえ、地下よりマシだ。

どんな生き物でも、もぐらでもない限り地下で生きるのは間違っている。
だというのに、愛しているものが自分の居場所はここだと地下へ行きたがるとしたら?

ならば、力づくで地上へ引っぱり上げるしかない。
***
顔はいい。背も高い。上っ面だけの愛想も概ねいい。
仕事はとてもできる。付き合いは悪い。

自分で自分の顔の良さを認めるなど、とんだ自惚れ屋だと言われそうだが、なんのことはない。この顔は妖狐蔵馬のあの整った顔に人間らしい甘さとやわらかさが加わったもので、この世界の女たちにもずいぶんと好まれるというだけだ。

とはいえ、男たちに憎まれることもあまりない。
なぜかと言えば、入社早々に学生時代からの恋人の存在を明かし、首ったけであることも明言してある。
若いのに古い言葉使うね、本当に首ったけ~?と笑いながら聞き返してきた先輩社員に、「先に死なれたら後を追うくらいには」と答えて、フロア中を静まりかえらせた経緯もある。

突き詰めれば、会社という場では仕事ができるかどうかが重要なのだ。
つまり、おかしな所もあるにはあるが、社長の息子というコネ入社にしてはあらゆる意味で上出来である。
社会人としてのオレの評価はこんなところだろう。

職場の付き合いを軽んじているというより、もっと大事なことがあって他には構っていられない、というのが本音だ。

大事なことのために、今日もオレはいくつかの店に寄る。
さまざまな洗剤や化粧品の交じり合った匂いのするドラッグストアで、包帯やらガーゼやらをカゴに放り込む。
人間界のこうした物は、魔界の物よりずっと使いやすい。ちょうどいいサイズで、清潔で。何より手軽に手に入る。
似たような店はどこにでもあるから、しょっちゅうこの手の物を買う客だと不審がられることもない。

ドラッグストアの後は、食料品だ。
どうということのないシンプルな服でさえ、高級品か安物かというのはわかる。
シンプルだが高級、という服を着た客が多いこの店は、何もかもが高い。その高い値段と引き換えに、野菜や果物はみずみずしく、肉や魚も質のいい物が揃っている。パンや総菜も味が違う。

金に困っているわけではないが、自分のためだったら、こんな店にわざわざ来ることはない。
美味い物を食べさせてやりたいと思う相手がいることは、新鮮だった。
***
「飛影」

今夜あたり来るだろう、と期待していた相手は、靴のまま、コートのまま、窓枠に座り無言で腕を差し出している。
彼の瞳にそっくりの、真っ赤な血でべっとりと濡れた腕を。

「ほら、入って。靴は脱いで」

またかだの、怪我が多いなだの、その手の言葉を口にするようなヘマはとっくに卒業した。
ただ受け入れて、ソファを指す。

水を入れた洗面器や、自慢の薬草が詰め込まれた薬箱を用意し、床にあぐらをかく。
ソファに座る飛影の腕を取り、まずは傷を洗い流す。今日の傷は大きいがそう深くはない。これなら縫うよりも、軟膏にした薬草をたっぷり塗り込んで、包帯でぎゅっと止めた方が良さそうだ。
白い肌にまっすぐ走る傷口が、薄い脂肪の層とその下の綺麗な赤い肉を覗かせている。この綺麗な傷口に指を入れて彼の温度を味わいたい、そんな物の怪じみた妄想を追い払い、手際よく手当てを終える。

服を脱がせ、昨夜着ていたパジャマをベッドから取り、着せてやる。
血で汚れた衣類をひとまとめにし、食べる物を持ってくるから、と言い残し部屋を出る。

手間のかからない、すぐに食べられる物もたくさん買い込んできておいたのは正解だ。
本当は自分で作った物を食べさせてやりたいが、今夜は間に合いそうにない。

高級な総菜類を手早く、でも綺麗に皿に並べ、冷凍のスープをレンジに放り込み、パンをトースターであたためる。
ソファの前の小さなテーブルいっぱいに並べられた料理が、部屋に満ちていた薬の匂いを消す。
なのに幼い顔は、なぜかしかめっ面をしている。

「毎回毎回…なんなんだ」
「こっちはサラダ、こっちは…」
「そうじゃない。食い物の種類なんぞ、どうでもいい」

わかっている。
彼が言いたいのは、こんなに色々必要ない、ということなのだ。

「お前と一緒に食べたかったんだよ。今夜あたり来るような気がしてた」

笑って返すと、飛影はふいと視線を反らす。
それでも機嫌を損ねたわけではない。その証拠に、無事だった方の左手で無言でフォークを取り、中身が何なのかもわかっていないだろうクリームコロッケに突き刺した。

一緒に食べたかった、というのは本当だ。
お前と一緒に食べたかった、とわざわざ念押ししたのは、たまたまあっただけだなどと言ったら、他の誰かを待って用意していたのだと邪推し、邪魔したなと言い捨て出て行きかねないからだ。

オレ自身はそれほど食べる物に執着はない。
自分だけなら冷凍食品でもコンビニ弁当でも構わない。人間と違って二、三日何も食べなくたって動きが鈍るわけでもない。こんな風にあれこれ選んで並べるのは、飛影を喜ばせたいという単純な理由だ。

もっとも、美味しいだとかこれは好きじゃないだとか、飛影が感想を言うわけではない。
注意深く彼を見つめ、気に入ったらしい食べ物はきちんと頭の中にメモしておくのだ。
***
ベッドを指差すオレに、飛影は首を振る。

「お前の寝床だろう?オレは床でいい」

風呂から上がって部屋へ戻ってみれば、拾ってきた猫のように、飛影は床でまるくなっていた。
黒猫、と言いたいところだが、今夜着せたパジャマは白だった。

またか。
ベッドが一つしかないにしたって、ソファだってあるというのに。
どうしてさらに下の床を目指すのか。床にはラグもあるというのに、どうしていつも木の板の部分を選ぶのか。

「ベッドで。寒いし、傷にも響く」
「ここで構わん」
「オレの寝床なら、お前の寝床でもあるんだよ」
「……意味がわからん」

また、飛影はしかめっ面をする。
けれど今夜はまだ、ここにいる。
窓から飛び出して行ってはいない。

地雷原を歩くようなものでもあり、複雑に配線が絡まった爆弾を処理するようでもあり。
彼をただの仲間ではなく、自分のものにしようと思った時から、オレはずいぶんと複雑なダンスを踊らされている。

せっかく作ったのだから、遠慮せずたくさん食べろと言ったことがある。
食事を作る面倒をかけさせるな、と言ったことになり、彼は何も食べずに帰ってしまった。

飛影の体が心配で、怪我ばかりしていることを咎めたことがある。
面倒な手当てをさせるなと言われたと彼は受け止め、しばらく姿を消してしまった。

ちゃんと、飛影用の服を買ってきて用意したこともある。
オレが自分の服を飛影に着られたくないと思っている、と彼は考え、血に汚れた服を着て飛び出して行った。

はっきり言おう。
めちゃくちゃに面倒くさい。

自己肯定感とか自尊感情とか、そういうものを母親の体内に置いてきたのか、あるいは生後に地中にでも埋めたのか。
埋めたにしても深すぎる。毎回せっせと掘り起こす立場としては、スコップで掘り出せるくらいの深さにとどめておいて欲しい。

めちゃくちゃに面倒くさいのに。
なのに、その面倒くささを差し引いても、めちゃくちゃにかわいい。端的に言って、オレは彼のことが好きなのだ。
オレの服をぶかぶかのままで着て、床に転がっている今夜の姿でさえ、文句なくかわいい。

妖狐だった時に出会わなくて、本当に良かった。
あの頃のオレだったら、こんな面倒くさい荷物を持つわけがない。そのくせ性欲や支配欲だけは有り余るほど持っていたから、とっくに飛影をめちゃくちゃに犯している。
多分、それは酷い卑怯なやり方で。体にも心にも傷を残すやり方で。

「ほら、おいでよ」
「おい…っ」

ひょいと抱き上げ、ベッドに下ろす。
シングルベッドは二人で寝るには狭いが、そのぶんぴったりくっついて寝ることができる。
ダブルベッドを買うことも考えた。が、オレの中の飛影の取扱説明書は、我ながら感心するほど日々進化しているのだ。
きっと彼はオレが自分とくっつくのが嫌だから大きなベッドを買った、と考えるに違いない。なので取りやめた。

傷をあたためないよう、湯船には入らずにざっとシャワーを浴びただけの飛影の体は冷たい。
明かりを消し、壁の方を向く体を、背中から包むように抱き込んだ。

いつの間にか、外は雨になったらしい。
冬の乾いた部屋の中に、雨音が冷たくみずみずしく響く。

「…蔵馬」

乾いた砂が、一瞬の雨に湿ったような、ごく小さな声。
眠っていたら聞き逃すような小さな声で、飛影がオレを呼んだ。

それは合図のひとつだ。

飛影が少しでも誘うそぶりを見せたら、絶対に断らない。
体を起こすこともできないような大怪我でもしていない限り、必ず応じる。
もっとも、これを誘いの言葉だとわかっているのはオレだけで、当の本人は気付いてもいないのだろう。

毛布の中で、大きすぎるパジャマの裾をめくり、素肌に両手をすべらせる。
薄く綺麗な筋肉のついた腹を撫で、胸を探る。

背中から抱いたまま、首筋を吸い、乳首をつまむ。
ひゅ、と小さく息を飲むのが聞こえた。

見た目よりやわらかい髪に顔を埋め、愛撫を続ける。
何度繋がっても慣れることなく、緊張し硬くなっている体をゆるめてやるために、時間をかける。
自分の強さや美しさにあぐらをかき、相手に奉仕させて自分は突っ込むだけだったあの狐が見たら、なんと言うだろうか。

「飛影…こっち向けよ」
「ん…」

キスをしたい、と思う。
今どんな顔をしているのか、見たい。

ゆるゆると振り向いた飛影の顎をつかみ、薄く形のいい唇を吸う。
舌先で唇を割り、逃げようとする舌をとらえて絡める。濡れた音が耳に心地よく、下半身に響く。

後ろからきつく抱き、飛影の尻に腰を押し付ける。
すっかり立ち上がった自分自身を押し付け、飛影にわからせてやる。

どれくらい、オレが飛影を欲しているかを。

「くら、ま…」

キスの合間に、名を呼ばれただけだ。それだけなのに。
短い言葉。吐き出す息の温度。

ボタンを外し、ゆるすぎて片側を縛っていたズボンの結び目も解き、パジャマを脱がせる。
下着を身に着ける習慣のない、なめらかな下腹部を撫で、そっと握ってやる。

「ぁ……っ、ん…」

唇は重ねたまま、上下に手を動かす。
こぼれるような声がそのまま口の中に流れ込んでくるようで、このやり方は気に入っている。

人間界の下品な言い方でいうならば、飛影は「マグロ」なのだ。
ただオレにされるがまま、与えられる快楽を受け止めるだけで精一杯の。

だからなんだというのか。

白くなめらかな肌と綺麗な筋肉でできたこの体が包むのは、至高で孤高の魂だ。
その魂が宿る、暗くて紅いこの瞳が、快楽に溶かされて潤む。小さくて美しい体が、快楽に反応を返す。
その様をつぶさに見ることができるのがオレだけだなんて、なんという幸福なのだろうか。

「…あ、っ、く、らま…っ」

あたたかな種が、手のひらを濡らす。
温度を保ったままのそれを舐め、飲み込んで、自分の体の一部にする。

「飛影」

穴をほぐす間はいつもなら四つん這いにさせるが、腕を怪我している今夜はそれはできない。
オレの呼びかけに応え寝返りを打った飛影を、仰向けに横たわらせる。
ベッドの下にいつも置いてある、かすかに花の香りがする油の瓶を取り栓を外すと、飛影は目をそらした。

「…恥ずかしがるのも、そそる」
「きさま…っ!…っあ…」

膝を曲げ、大きく足を広げさせる。
たったそれだけで感じたのか、足の間のものはまた勃ちあがり、その下に見える穴は今夜も薄紅色だ。

「…っ、ぁ……う、ぁ…」

大声であんあん喘がれるより、耐えきれずに漏らすような小さな声の方が、ずっとそそる。
指先でくるくると穴に油を塗り込んでいるだけで、もう声を漏らしているこの可愛らしい生き物ときたら、それを知らないのだ。

ぬぷ、と中指を入れる。
指先に性感帯があるとは思えないが、熱さと締めつけのよさに、オレはいつでもうっとりしてしまう。
ゆっくりと根元まで押し込めば、白い尻はびくっと震える。

たっぷりと油を使い、ゆっくりゆっくり、指で慣らしてやる。
飛影がその先を求めてくるまで、指を出し入れしながら、広げてやる。
一本だった指が二本になり、三本になる。体温にあたためられた油がとろりと、飛影の白い尻から背へ伝っていく。

「…っあ、く……ら…うあっ…くらま…!あ、あ!」

じゅぷ、と音を立てて指を抜いた。
赤く染まった肉の輪が、ひくひくと収縮している。

潤む赤い瞳の色を映したかのように、頬が染まっている。
怪我をした右手はベッドに置いたまま、きつくシーツをつかんでいた飛影の左手が、ゆらりと持ち上がる。
しなやかに動く手が、オレの髪を引く。

それは合図だ。
触ってももらえずにいたとは思えないほど硬くなったものを、ぬるぬると口を開ける穴に押し付ける。

無意識なのだろう。
待ち切れないとでもいうように、飛影は尻を動かした。

「あ!……あ、っあ、ひ、あ」
「飛影……好き…好きだよ…」

あとはもう、獣の交わりだ。

飛影の両足を肩に担ぎ、ひたすらに腰を振る。
小さな穴は限界まで開ききって、オレを飲み込んで締めつけている。

何度も何度も奥まで突き上げ、一気に引きずり出す。
引き出すたびに飛影の喉が鳴り、突き上げるたびに小さな叫びが上がる。

くしゃくしゃになったシーツに飛影を押し付け覆いかぶさり、突く。
堪え切れずに漏れる声を味わい、小さな手が髪を引っぱるのを楽しむ。

「…くら、ま…っ、っあ……っも、も、ああ!」

無理やり引っぱり上げてきた地下の生き物が、オレの下で体をくねらせている。
恥ずかしいほど足を広げ、その中心に性器を突き込まれ、潤んだ瞳でオレを見上げて。

快感を受け流せない、この姿ときたら。

これが戦闘ならば、自分の体を完全にコントロールできるくせに。
戦いには不利な小さな体を鮮やかにしなやかに使い、敵をなんなく倒すというのに。

たまらない。
どんなに手間がかかろうが、絶対に離さない。

その誓いを飛影の体内に刻むべく、ひときわ奥を突き上げ、種をばらまいた。
***
はっ、はっ、と、乱れた呼吸。

手強い敵相手でも乱れることなど滅多にないというのに、オレに組み敷かれて呼吸を乱している飛影を見るのは、いつだっていい気分だ。
まだ体内にオレを受け入れたまま、整わない呼吸に飛影は胸を上下させている。

ずるりと抜く一瞬、充血した穴が名残惜しそうに締まったのを感じ、飛影に気付かれないようにオレは笑う。

「…んん、ぁ…。……毎度…酔狂な…ことだ、な…」

本人は皮肉っぽく笑ったつもりなのだろうが、べたべたに汚れた股間をさらすように足を広げたまま、体中に赤い鬱血を散らばしている姿では、その笑みすら卑猥でエロティックだ。

「なぜ…オレを?相手に不自由など…していないだろうが」

確かに、不自由はしていない。
不自由はしていないオレが迷いなく選んだのだから、自信を持てばいいのに。

「不自由はしていないな。でもお前がいい」

ベッドの下に落ちて丸まっていた毛布を拾ってかけてやろうと考え、できれば今夜もう一度やりたいと思い直し、そのままにしておく。

「狐の気まぐれに…」
「気まぐれなんかじゃない。単純にお前のことが好きだってだけだよ」

飛影は唇をきゅっと噛み、広げていた足をそろりと閉じる。
その頬はついさっきまでの行為と、オレの言葉とに、桃色に染まっている。

「もう一回、する?」
「…しない」

ぷいと顔を背け、あっさりと拒否される。
こちらとしては残念無念ではあるが、無理強いはしたくない。
飛影の方から二回目、三回目をねだってくるのも、そう遠くはないはずだ。

「じゃ、寝ようか」

毛布を引っぱり上げ、布団と一緒にかぶって飛影を抱き寄せる。
狭いベッドで一人分の毛布と布団に二人でくるまり、胸に抱いた飛影の、汗に湿った髪を嗅ぐ。

「おい」
「ん?」
「狭いだろうが。オレは床でいい」

またそれか。
確かにベッドは狭い。この体は半分人間だから、昔ほどは寒さに強いわけでもない。
昔のオレなら、狭苦しい寝床で誰かと同衾するなど、舌打ち一つで却下しただろう。
そもそも二回目の性交を断るような相手は寝所から叩き出しているだろうという気もする。

今のオレが、そんなことをしないのは。

…ああ、そうか。
人間に生まれ変わって優しくなったとか、思いやりという感情を学んだとか、そんなことじゃない。
単純に、オレは。

「愛してるよ、飛影」

どこか深いところから、こぼれるように出てきた言葉。
オレの胸に顔くっつけて目を閉じかけていた飛影が、布団をはねのける勢いで、がばっとこちらを見上げた。

元々大きな目が、見開かれている。
信じられない、とでも言いたげに。

何かを言いかけ、唇が小さく開く。
赤い瞳が、大きく揺れた。

「ひえ…」

本当に、飛影は素早い。スピードでは到底敵わない。
薄いベージュの毛布がひらりと視界に舞ったのは一瞬で、残ったのは大きく開いた窓と、その窓から見える強く激しい雨の夜だ。

「ええ…?」

吹き込む雨を受けながら、無駄なことだとわかっていつつ、身を乗り出す。
毛布だけを羽織った飛影の姿は、影も形もない。
どしゃぶりの雨の中、怪我をしたまま、毛布一枚羽織って。

「…まだまだだな、オレも」

愛しているは、好きの延長線ではなく、別のものだ。
恋が愛に変わったことを告げるなら、両手両足を押さえ込んで、尻にしっかり挿し込んで、キスをしながらじゃなきゃだめだ。
扉には鍵をかけ、森には封印をかけ、どこにも逃げ出せないようにしてからだ。

まだまだ、だ。修業が足りない。
千年生きた過去も、大した役には立ちはしない。

飛影ほど素早くないオレとしては、真似てシーツを一枚羽織って追いかけるというわけにもいかない。
この降り方では服を着る意味もあるのかないのか疑問だが、手近にあったジーンズを履きシャツだけ羽織り、同じように窓辺に立つ。

追いかける。掘り起こす。連れ帰る。抱きしめる。繋がって注ぎこむ。
逃げることなどかなわないよう、がんじがらめにする。
そうして何度でも飽くことなく、怠ることなく、愛を囁く。

白いページに、またひとつ新しいルールを書き足して、雨の夜へと窓枠を蹴った。


...End.