無条件

「………は?」

心底、まったく、全然意味が分からない。
その顔はそう言っている。

しかめっ面をしていたり、大きな目を眇めていたり、唇を歪めるように冷たく笑っていたり。
そういうことをしていない時の飛影はどちらかと言えばかわいい顔をしていると、蔵馬は思う。
子供っぽい顔、とも思うが、元々子供なのだからその表現はおかしいのかもしれない。

「彼はそういう人だよ。もちろん幽助もね」

ぽかんとしたままでいる飛影に、蔵馬は呆れたように小さく笑う。
水滴をまとった冷たい水のグラスが、ふたりの手のひらを冷たく濡らす。
***
事の発端、あるいは事の顛末というべきか。
お前を担いで帰ってきたのは桑原くんだよ、と言った蔵馬に、飛影は一瞬鼻白み、すぐにフンと鼻を鳴らし、潰れ顔なんぞに担がれるとは厄日だ、といつものように毒を吐いた。

「オレに担いで欲しかった?」
「誰がそんなことを言った?」

面白くなさそうに、飛影は言う。
言葉とは裏腹に、誰かが自分を担ぎ上げ連れ帰るのであれば、それは当然、今目の前にいる者だと考えていたのは見え見えだ。
そういう関係だったし、そういう距離感だ。

「むくれないで。単純に桑原くんが近くにいたんだよ」
「……」
「それはオレのものだから触るな、返してくれって言った方が良かった?」
「…ふざけるな」

大きな目がくるりと動き、じろりと蔵馬を睨む。
飛影は大きなグラスの水を半分ほど一気に空け、水の冷たさの残る息を吐く。

「勝手に担がれたんだ。礼なんぞ言わんからな」
「はいはい。桑原くんだって期待なんかしてないよ」
「だいたいなんであいつが…」
「一番近くにいたから」

きょとんとする飛影に、噛んで含めるように蔵馬は言う。

「お前だってわかっているだろう?そういう人だ。自分が近くにいたからお前を担ぎ上げた。ついでに言うと」

蔵馬は続ける。
面白がっているような、それでいて面白くないような、そんな調子で。

「飛影、もしお前に矢が放たれて…」
「矢?なんの話だ?」
「黙って聞けよ。お前に矢が放たれて、それはお前の命を奪う矢で、お前がそれを避けることができないとなったら」
「オレは避けられる」
「そういう意味じゃない。例え話だ。その場合、桑原くんはお前と矢の間に立つよ。自分が死ぬことを覚悟でね」
「な」
「覚悟って言い方もおかしいな。覚悟を決めるも何もない。迷いもなく、彼はお前を助けに飛び込むはずだ」

たっぷり三十秒程も、沈黙が二人を包む。

「………は?」

心底、まったく、全然意味が分からない。
その顔はそう言っている。

「そんなにぽかんと口開けてると、いたずらするよ」

慌てて口を閉じた飛影は、蔵馬を睨む。

「わけのわからんことを言うのはよせ。なんで潰れ顔が、オレを」
「桑原くんも、もちろん幽助も。彼らはお前のために死ねるよ」
「そんなわけがあるか」
「あるよ。あの二人はそういう人間だ」

グラスの中で小さくなった氷が、かりんと鳴って水に沈む。
水滴に濡れた手を行儀悪く服で拭い、飛影は口を尖らせる。

「馬鹿馬鹿しい。蔵馬…」
「冗談だよ」

今度こそしかめっ面で、は?と聞き返す飛影に、蔵馬はひらりと両手を上げる。

「冗談に決まっているだろう?なんで彼らがお前のために死ななきゃなんだ」
「…蔵馬、貴様殺されたいのか?悪趣味な冗談を言うな」

怒っているような、それでいてどこかほっとしたような飛影のその顔。

「だいたい、あいつらが何をしようと知ったことか。オレはあいつらのために死ぬ気はないぞ」
「オレのためには?」
「貴様のためにも死ぬ義理はない」

そう?と笑う蔵馬が心を見透かすようで、飛影は眉を吊り上げる。
水の残るグラスを叩き付けるように置き、蔵馬へ手を伸ばし髪を引く。

ベッドに膝立ちになった飛影と、床に座り髪を引かれるままにする蔵馬が向かい合う。

「なら、貴様は?」

蔵馬の長い指が、自分の髪を鷲掴みにする小さな手に重なり、そっと包む。

「…貴様はオレのために、死ねるのか?」
「お前のためには、死ねないよ」

碧の瞳を光らせ、さらりと答えた蔵馬に、飛影は無表情で返す。
髪をつかむ指先から力が抜け、手が離れるその瞬間、大きな手のひらに強く握られてしまう。

「お前のためにオレが死んだりしたら、お前はオレの後を追うだろう?助けた意味がない」

あっさりと言う蔵馬に、飛影はまたもやぽかんと口を開ける。

「どこまで図々し…」
「ま、妹のこともある。死ぬわけにはいかなかったとしてもだ。お前は立ち直れないだろう?」

立ち直れないだろう?
一生悔いて、嘆いて、壊れるだろう?

「そんなひどいことをお前にできるはずがない。だって」

だってオレは、お前を愛しているんだから。
重なる寸前の唇で囁かれ、飛影は思わず目を閉じる。

「…自惚れるな。貴様の屍なんぞ、踏み台にしてやる」

死ぬならせいぜい、オレの役に立って死ね。
言葉の強さと裏腹に、重なった唇に、飛影は素直に口を開けた。
***
「っ…飛影、心配…するな」
「な…に……が、あ…っ、うあ…っ」

大きく広げられた足。
細かな汗に濡れる膝裏を両手で支え、蔵馬はゆっくりと大きく腰を打ち付ける。

「っう!ん、ああぁ、そこ、あ、く…ぅ…!」

二度高みに昇りつめ、降りる間もなく、また奥を穿たれた。
思わず逃げを打つ小さな体を押さえつけ、蔵馬は深く強く抉るように動き、高く湿った声に目を細める。

ぐちゅ、と音が鳴る。

熱くて狭い内臓がからみつくように動き、奥へと引っぱるように痙攣を繰り返す。
腹の間で揉まれ、小さなものもまた勃ち上がり、ぽたぽたとしずくを零している。

「…ひえ、い…飛影…」
「っあ、ああ、あ、くら……もっ……あ、あぁ」

蔵馬は潤んだ目元に唇をつけ、そっと舐める。

「…飛影…死ぬ時は、お前が先だ。お前を看取ってから」

すぐに追いかけてやるよ。
お前の体があたたかいうちに、すぐに追いかけてやるから。

大きな目が、言葉と体の続きをねだるように、ぱちりと瞬く。
約束を欲しがる、子供の目。

「……く…ら」
「だから安心して、生きていていい」

ふわ、と息を吐き出した体が、かすかにゆるむ。
ゆるんだ瞬間にさらに奥を突き上げられ、注がれた熱さに、頭のてっぺんから出たような声が響く。

「…っひ、ぁ…くら…ま…」

ゆっくりと沼に沈むような眠りに落ちる飛影の目に、やさしく笑う男が映る。
とろんと閉じた目に、音を手放した耳に、その言葉は聞こえなかったはずだ。

「誰の愛も受け取るな。…オレ以外の愛なんて、お前は永遠に知らなくていいんだよ」


...End