2.Love triangle plus

「勝手に入ってくるな!」

慌てて雑誌を隠した小さな丸い座卓は、この納戸に元々あった物だ。
入ってくるな、という言葉を無視して入ってきた秀一が、ひょいと雑誌を拾い上げる。

「見るな」
「へー。今どきこんなものを買う人がいるんだね」

隣に座り込んだ秀一は、板張りの床が冷たかったらしく眉をしかめる。

「うー寒い。飛影、なんだってお前は納戸にいるんだ?」
「俺の部屋がないからだ」
「必要ないだろ」
「ある!」

居間にいるか、俺たちのどちらかの部屋にいたらいい。
お前に部屋は必要ない。

ここで暮らし始めた一年ほど前、俺も一人になれる場所が欲しいと主張したのに、あっさり却下された。
古い屋敷は部屋数も多く、使っていない部屋はいくらでもあるというのに。

「お前らといると、落ち着かない!」

居間の畳に寝そべれば覆いかぶさってくるし、洋間の椅子に座れば抱き上げて膝の上に乗せようとする。
夜は夜で、どうかしてるんじゃないかって程こいつらは精力絶倫だ。毎晩二時間以上も睡眠時間を削られていてはたまったもんじゃない。他のやつと経験があるわけじゃないから比較しようがないが、絶対普通じゃない。…と思う。

「一年も経つんだから慣れたらいい」
「慣れるか!」
「ところでさ。なんなのこれ?」

いつものように秀一は、俺の脇の下に手を入れ抱き上げ、あぐらをかいた自分の上に座らせる。

今どきこんなものを、と秀一が呆れたように見下ろす雑誌の表紙には、関東近郊温泉ランキングという文字がでかでかと踊っている。
露天風呂や舟盛りの刺身の写真に混ざり、温泉饅頭やらこけしやらの写真がごたごたと並べられた雑誌は、最新号らしいのに確かに懐かしい雑誌のように見えた。

「温泉ねえ。まあ行きたいなら連れてってやるけど」

風呂でやるなら貸切風呂じゃないとな、と笑う秀一の頭を、俺は引ったくって丸めた雑誌で叩いてやった。

「いった!何する…」
「誰がお前と行くと言った!?」
「…じゃあ、兄さんと?」

整った顔に冷たい笑みが浮かぶのは、何度見てもぞっとする。
一緒の家で暮らし一緒に商売をしているというのに、二人はあまり仲の良い兄弟とは言えない。

二人に言わせれば、男兄弟などそんなものだし、あまりに趣味が似ているので仲良くなりようがない、のだそうだが。

「お前とも、蔵馬とも行かない!雪菜と行くんだ!」
「雪菜ちゃんと?」

たちまち怒りは消え、驚いたように秀一は目を丸くする。

「そうだ。冬休みに雪菜が帰ってくるんだ」
「ふーん。温泉に行きたいって?」
「そうじゃないが…」

雑誌と並べて置いてあった携帯電話に、俺は視線を落とす。

冬休みに会いたいと雪菜が連絡をしてきたのは十二月の始めだった。
寮で暮らし、奨学金とバイト代でぎりぎりの暮らしをしている雪菜は夏休みもバイトだと言って、こっちへは帰って来なかった。
俺の方が会いに行くにしても、まさか女子寮に泊まるわけにもいかない。

兄弟が買ってくれた電話は銀色で、欠けたりんごという変なマークが付いている。
必要ないと突っぱねた電話だったが、出かけている時に連絡がつかないのでは俺たちが迷惑だと、無理やり持たされたものだった。

不要だと思っていたはずなのに、妹が送ってくる言葉に写真に、便利なものだと感心してしまう。

お金も少しゆとりができたし、お正月にそっちへ行ってもいい?

もちろん、と俺は返した。
お金に少しゆとりができた、という雪菜の言葉が嬉しかった。そのゆとりが自分の仕送りがもたらしたものであることが、なおさら嬉しい。

兄弟が俺によこす給料は、手取りでちょうど月十万円だ。
東京で暮らすには厳しい額だと人は言うだろうが、厳しいはずもない。

なんせ、兄弟の家で暮らし、食べ物は家にあるものを自由に食べてもいい。そもそもほとんどの食事は兄弟と一緒にしている。
服など全く興味はないと言ったのに、あまり貧乏くさい格好でこの家に出入りされては近所の噂になると、服も勝手に買ってくる。携帯電話さえ、自分たちが持たせた物だからと料金は兄弟が支払っている。

文字通り衣食住が保証されているのだから、金は貯まる一方だ。そして俺が金を使いたいものは一つしかない。毎月十万円をまるまる送ってやりたいと思っていたのに。

ところがそれもまた、難しいものだ。
いきなり十万円を送った翌日、雪菜は泡を食って電話をかけてきた。

「ねえ飛影!どうしたのこのお金」
「どうしたって…」
「そんなことするわけないって信じてるよ!でも」

妹が何をそんなに慌てているのか、鈍い俺はわからなかった。
先に兄弟に相談してからにすればよかったのだと悔やんだが、後の祭りだ。

「馬鹿だね、本当に」

ことの顛末に、秀一は呆れ、蔵馬は笑った。

「そんなことをしたら、怪しまれるさ」
「最初は三万くらい送ってさ。他の仕事も任されるようになって給料が上がったとか、そういう前置きをしてから、徐々に増やすってのは考えなかった?」
「第一、普通の郵便に現金を入れるな。金を送るなら現金書留か、相手の銀行口座に振り込むんだ」
「そんなことも知らずによく生活してきたね」

散々な言われよう。
店の金に手を付けるような人間だと、一瞬でも妹に思われたこともなかなかにショックだった。
とはいえ現金を封筒に入れて切手を貼ってポストに入れてはいけないことも知らなかったのだから、呆れられてもしょうがない。

そんなこんなで、怪しまれずに仕送りできるのは月に三万円が限度、ということが判明し、俺の手元には毎月五万円以上の金が残るようになった。
***
「なるほど。それで温泉でも行こうって?」

俺を抱き上げたままパラパラと雑誌をめくり、どこもぱっとしないな、などと秀一は呟く。

「別に温泉に行きたいわけじゃないが…」

俺たちが一緒に暮らしていたアパートはとうに引き払ったし、いわゆる実家と呼べるような場所は元々ない。
雪菜が東京に帰ってくるとしたって、泊まる場所がない。ホテルを取ってもいいが、家族で旅行に行ったこともないのだ。どうせなら温泉でも行くかと考えただけのことだ。

あたたかい膝の上でぽつぽつと説明すると、秀一は不思議そうに言う。

「なんでここに泊まらないの?」
「はあ!?」

思わず膝から浮いた体をぎゅっと押さえ込まれた。
雪菜をここに?泊める?

「部屋いっぱいあるけど」
「俺には部屋をよこさないくせに!」
「お前は俺たちと一緒にいるんだからいらないだろ?」
「いる。いや、そうじゃなくて、こんな所に雪菜を泊められるか!」
「古いけど、いい立地じゃない?」
「立地の問題じゃない!」
「何が問題なの?」

ぶわっと顔が熱くなるのが自分でもわかった。

昨夜はこいつの日だった。
畳の部屋に、秀一はいつでも布団を二組敷く。
一組はセックスをする時に使い、もう一組はその後寝る時に使う。

あまりに汚してしまうという理由で、二組の布団が用意してあると知った時のあの恥ずかしさ。

居間で、応接間で、風呂場で、廊下で。
この家のどこででも兄弟は俺を抱いた。

とてもじゃないが、この家の中に雪菜を入れるなんて想像できない。手入れの行き届いた綺麗な庭でさえ、思い出すのも恥ずかしいようなことを何度もした。

「何も妹が泊まりに来てる間まで、セックスしようだなんて言わないよ?」
「あったりまえだろ!? それ以前の問題なんだ!」

こっちはセックスをしたことのある場所に妹を入れることさえ嫌だと言うのに、この男の考えときたら!話にもならない。

「いつから行くの?」
「店の休みに合わせて…」

店は大晦日まで営業し、元旦から七日まで休みだ。
店が休みでもお前の夜は休みなんかない、とかなんとかごねるのではと身構えていたのに、秀一は意外にあっさりと雑誌を返す。

「会うの、久しぶりなんだろ?」
「ああ」

俺を降ろし、秀一はにこっと笑う。
悔しいが、その笑みに何度でも俺の胸は跳ねる。

「楽しい時間になるといいね」
***
兄弟に言わせれば、俺は本当に世間知らずで無知で単純で子供なんだそうだ。
しかし今日は自分でそのリストに、騙されやすい大バカ、というのも加えたい。

新幹線ホームの改札前、元旦だというのに人がごった返す空間で、通るやつ全員がこっちを見ていく気がする。
いや、これは多分気のせいじゃない。
この場にいるやつらのほとんどが、間違いなく俺たちを見ている。

正確には俺たちではなく、蔵馬を、だ。

なんだって、男のくせに正月に着物を着る必要があるのだろう。
ジーンズにセーター、黒いコートというまともな格好の俺が少しでも離れようとすると、蔵馬がぐいっと俺の腕を引く。

「…触るな」
「離れるな。お前は小さいから迷子になったら見つけられん」
「お前と一緒にいると恥ずかしい!なんでわざわざそんな格好をする!?」
「正月だからだ。新年を寿いで」
「ことほいで!?」

二メートル近い長身、くっきりとした顔立ち。色素の薄い瞳。背の中ほどまである金と銀の中間のようなブロンドの髪。
以前は染めているのかと思っていたその髪は、クオーターだからだと今は知っている。

そんな男が和服を着て突っ立っているのだ。
人々はまるで芸能人か宇宙人でも見かけたかのように驚きの表情を浮かべている。こっそりと携帯で写真を撮ろうとする者さえいる始末だ。

こんなはずじゃなかったのに。
どうしてこんなことになったんだ。

「…仕組んだのは、お前か?秀一か?」

怒りを込めて尋ねると、蔵馬は笑い、その笑い声がさらに人の視線を集める。

嫌なやつずるいやつ卑怯なやつ嘘つきなやつ。
全部の言葉を投げつけても、兄弟は二人ともけろっとしていた。

「すごく優しい人たちね」

電話越しの妹の声は喜びに溢れていて、俺は何も言えなかった。

新幹線、それもグリーン車の切符が送られてきたと妹が連絡をよこしたのは、温泉雑誌が見つかってからたったの二日後のことだ。
つまり秀一はあの後すぐに切符を取り、雪菜に送ったのだ。俺をバカにするかのようにちゃんと書留で。
良かったら正月はぜひ我が家で過ごして欲しい、と読むのに苦労するほどの達筆で書いた手紙を同封して。

思い出しては頭に来るし、とはいえもうじき十ヶ月ぶりに妹に会えるという喜びもあるし。
ぐちゃぐちゃに混乱した頭で、俺はパカパカと表示を変える掲示板を見つめる。

またもや人がどっと吐き出され、こちらに驚いたような視線を投げ掛け、散っていく。
掲示板の文字が入れ替わり、妹の乗る新幹線の到着を知らせた。
***
白いコート。深い藍色のジーンズ。片手にいかにも土産物屋の紙袋を持ち、小ぶりな赤いスーツケースをごろごろと引きずっている。

きょろきょろと辺りを見ていた雪菜は俺を見つけ、隣の男に目を丸くし、それでも嬉しそうに、スーツケースを引きずっている者としては最大限の早さで駆けてくる。

雪菜。

妹の姿を見た瞬間、自分もどれだけ会いたかったかわかった。
これほど長く雪菜と離れていたことはない。生まれた時から十八になるまでずっと一緒にいたのだ。いや、双子の俺たちは母親の腹の中でさえ一緒だった。

「飛影!」

勢いよくがばっと抱きつかれ、髪をクシャクシャと撫でられた。

「もー!会いたかった会いたかった会いたかった!!」

俺も会いたかったし、会えて嬉しい。
そう言えたらいいのに、俺は口ごもり、早かったな、とかなんとか間の抜けた返事をする。新幹線は定刻通りに着いたのに。
自分の口下手が、時々嫌になる。

「初めまして。雪菜と申します。兄がお世話になっていますのに、私にまでお気遣いいただいて」

青く染まった指先に一瞬ぎょっとしたが、藍染めの色がどうにも落ちないのだと言っていたことを思い出す。その青い指をきちんと重ね、雪菜が深々と頭を下げる。
まるで外国人のように蔵馬は雪菜の手を取り、甲に口づけた。

「弟が強引に申し訳ない。お噂はかねがね。こんなに美しい妹さんだとは」

ハンドバッグでも持つかのように軽々とスーツケースを持ち上げ、蔵馬は先に立って歩く。
弾むような足取りの雪菜に手を引かれ、俺も歩き出した。
***
俺の手を握ったままの雪菜から、伝わる困惑。

電車ではなく車で迎えに来たと言った時には、車?すごーい、と笑顔のままだった雪菜だが、俺にはよく分からないが高級らしい銀色の車を見た瞬間、面食らったような顔をした。蔵馬の運転する車の中でもずっと、雪菜はまさに困った顔をしている。

すうっと停まった車の窓から外をちらっと眺め、木でできた大きな門、屋敷をぐるっと囲む壁にますます困った顔をする。

「…ねえ飛影、ここ、お店なの?」

蔵馬に聞こえないように、雪菜は俺の耳元で小さく囁く。

「店?ここは店じゃない。家だ」
「家って…」

くるりと振り向いた蔵馬に、雪菜は慌てて口をつぐむ。

「どうぞ。ボロ家だが」

数寄屋門から玄関へと続く飛び石。冬とは思えない緑の庭。
俺をちらりと見ると、雪菜はブーツのつま先でおそるおそる踏み出した。
***
「も~!飛影のバカ!」

最近バカ呼ばわりされてばかりだ。畳の上にスーツケースを置こうとしたのがいけなかったのだろうか。
こんな物置いたら畳が傷むでしょ!と怒り、雪菜は障子の前の板張り部分にそっと荷物を置いた。

「バカってことないだろ」
「荷物のことじゃなくて!もう!」

いらっしゃい。洋室と和室どっちが良かったかな?
玄関でこれまた和服を纏い、満面の笑みで出迎えた秀一に、今度こそ雪菜は目を泳がせた。

数寄屋門に驚き、苔むした土から顔を出す飛び石にビビり、美しく細かな石を埋め込んだ玄関におののき、和服の兄弟に圧倒され、案内された洋室のレースのベッドカバーに目を見張り、こっちの方がいいかな、と見せられた和室の欄間の細工と窓からの庭に、雪菜は息を飲んだ。

食事の準備はできてるから。荷物を片付けたらおいで、と言った秀一の姿が消えるやいなや眉を吊り上げた雪菜に、やっぱりホテルを取るべきだったのかと俺は溜め息をついたところだった。

「荷物のことじゃないのか」
「この家、すっごいお金持ちじゃん!先に言ってよ!」
「金持ち…」

金持ち。
まあ、そうだ。兄弟は金持ちと言える。とはいえ、この家からしても自分たちの代でどうこうというわけではないだろう。元々金持ちだっただけのことだ。それを言ったら俺たち兄妹は元々貧乏だったわけだが。

「金持ちだとまずいのか?」
「まずいよ!ぼろ家とか言うからトイレとかお風呂とか共同の下宿みたいな場所かと思ってた!」
「風呂やトイレは共同だぞ?」
「も~!そうじゃない!飛影のバカ!このお土産、渡すの恥ずかしいんだけど!」

土産が入っている紙袋をふりふり、雪菜は怒っている。
中身は和菓子と佃煮で、別に恥ずかしくも何ともない。

それより。

この床も、あの廊下も。
あんなことやそんなことをした場所を妹が歩くのを見る俺の方が、よっぽど恥ずかしい。
***
「すごくいい色だね。自分で染めたの?」
「日本の藍染めはやはりいいな」

どこぞの割烹から取り寄せたという豪華なおせち料理や、秀一の手作りの雑煮が、テーブルいっぱいに並んでいる。

いつもの意地の悪さはどこへやら、兄弟は雪菜に学校のこと、寮のこと、学んでいる染色のことと、代わる代わる話しかけ笑いかけ、巧みに話を引き出す。まさにもてなしのひとときだ。

こんな家には場違いだと硬くなっていた雪菜も、注がれた梅酒に頬を染め、ようやく緊張が解けたのか楽しげに話している。

「じゃあ、染色の工房に入りたいんだ?」
「はい。できれば。販売や企画じゃなくて、職人になりたいんです」

青い指先が、切子ガラスに映る。

雪菜が藍染めに魅せられたのは中学生の時だ。それは古着屋で見た日本製のジーンズで、俺には何がいいのかさっぱりわからなかったが、雪菜は夢中になった。
染色を専門にしている学科のある学校はそうそうない。それで東京を離れたのだ。今も不思議な色合いに染められたジーンズを履いている。

「まだ、入れるかはわからないですけど。工房はどこも男性ばかりで女性は少ないから難しいそうで」

兄弟は雪菜の話を、上得意客にしか見せないような笑みを浮かべて聞いている。
時折挟む合いの手も、的確な質問や褒め言葉も。俺は兄だというのにそんな風に妹の話を聞いてやれたことがあっただろうか。

雪菜の言葉に、兄弟は揃って笑う。

卒業後はそこで働きたいと希望している工房の、片目が義眼でものすごい美人で、男のようななりをし、弟子達に自分を親方と呼ばせている変わり者の女の話。
指先が青くなってしまうため、バイト先は手袋のある仕事か裏方ばかりになってしまう話。
寮の食事にはない鍋料理が食べたくて、友人達と部屋にカセットコンロを持ち込み、寮母に散々怒られた話。

嬉しげに楽しげに話す雪菜の言葉には、十ヶ月前にはなかった西のイントネーションがほんのりと混ざっている。
なぜだか理由はわからないが、それはなんだか、少しの寂しさを俺に感じさせた。

ぼんやりと皿に箸を置き、綺麗な重箱に目を落とす。

「ほら、飛影」

大きな海老の殻を剥き、秀一が口元に差し出すのを、俺は無意識にいつものように口を開けて受け取った。
酒と塩で蒸しただけらしい海老は、むちむちと甘く美味い。

雪菜の隣には蔵馬が、俺の隣には秀一が。俺と雪菜は向かい合って座っている。
海老を咀嚼しながらふと顔を上げると、驚いたような顔をする雪菜と目が合った。

しまった。

魚の骨だの海老の殻だの、面倒なものを食べようとしない俺に、秀一はよくこうして食べられる状態にしてひょいと口元に差し出す。
よくよく考えたら赤ん坊でもあるまいし、いい歳をして食べ物を口を開けて待っているなんて、とんだ間抜けだ。そんなことがすっかり習慣付いている自分に、よりによって雪菜の前で気付くとは。

「……甘やかされてるんだね、飛影」
「え、あ、いや…」

慌てる俺に、大きな鮭の切り身から骨を外し、秀一はふざけた笑みを浮かべ、大きな一切れを俺の口元に差し出す。

「ほら、飛影。あーん」
「ば…ばか、自分で食える!」
「こうしてあげないと食べないじゃない?まったくお子様なんだから」

便乗して今度は蔵馬がつぶ貝に竹串を刺し、器用にくるっと回す。

「ほら、飛影。こぼすなよ」
「自分でできる!お前ら俺をバカにしてるのか!」

蔵馬の手から竹串を取り、つぶ貝に突き刺す。
兄弟がやると綺麗に先端まで取り出せるのに、俺は例のごとく途中で千切ってしまう。

弾けるように雪菜が笑う。

兄弟も、雪菜も、おかしくてしょうがないとでもいうように笑い転げ、競うように殻を剥き骨を外し、俺の口に食い物を押し込もうとする。

俺をからかい、俺を笑い、それでも三人とも俺を好いているらしいことは、俺でもわかった。
***
俺が洗った皿を秀一が拭き上げ、棚にしまっていく。
片付けは自分がすると雪菜は言ったが、兄弟は俺にやらせるから気にしなくていいと笑い、風呂を勧めた。

「ちょっと考えれば、わかることじゃない?」

風呂に行く前に、温泉よりここに泊まる方が嬉しいと雪菜が言ったと告げると、秀一はそう返してきた。

「わかる?なんでだ?」
「だって、高校を卒業するまでこっちにいたわけだろう?」

久しぶりの上京なら、高校の友達とかにも会いたいんじゃない?兄貴と一緒に温泉じゃ、友達と会う時間も、懐かしい店を覗いたりもできないじゃないか。気が利かないな。

皿を洗う手を止め、俺はぽかんと秀一を見上げる。
手伝いもせず、台所の椅子に腰掛け日本酒を舐めていた蔵馬も、そりゃそうだろ、と頷いた。

そうか。
そうだな。

俺が全部を知っているわけではないが、それでも雪菜の友人を何人か知っていた。
久しぶりに地元に帰ってきたのだから、もちろん友人たちにも会いたいだろう。いや、きっともう会う約束もしてあるはずだ。
そんなことさえ気がつかないなんて、俺は確かに気が利かない兄だ。

高校生活の間中、雪菜は学校とバイトでいっぱいいっぱいだったのに、きちんと友人を持ち、勉強もし、希望の学校へ進学したのだ。

それに引き換え、俺には何もない。誰もいない。
遠くに移り住んだとしても、会いたいと願う者も、願ってくれる者もいない。雪菜を除けば。

…俺を望んでくれた者はいなかったというのに、なぜこの兄弟は俺をそばに置きたがるのだろう。

「どうした?」

手を止めた俺に、兄弟が揃って不審げな目をしている。
なんでもない、と返し、スポンジに洗剤を注ぎ足した。
***
「夢みたい」

和室に並べて敷いた布団。
床の間には秀一が活けたらしい、俺には名前がわからない花があり、それは正月らしい華やかさと、冬の清潔な冷たさを感じさせる花だった。

「この家がか?」
「それもあるけど」

風呂上がりの雪菜は結んでいた髪を下ろし、この家のシャンプーのいい香りをさせている。
見たことのないパジャマが、離れて生活しているのだと思い出させる。

「…飛影が、ちゃんと暮らしていて安心した」
「ちゃんと?」
「私がいないくなったら、また仕事を辞めちゃって、治安の悪い場所のぼっろいアパートでカップラーメンばっかり食べて、日雇いの危ない仕事でもしてるんじゃないかって、心配だったの」

あながち否定もできないその想像図に、俺はなんと返事をしたらいいのかわからず、妹を見つめた。
厚いふかふかの布団に雪菜はぱふっと横になり、うつ伏せて肘をつき、俺を見て心底嬉しそうに笑った。

「木でできたお風呂なんて、温泉みたい!ご飯も美味しかった~。あんな大きな帆立や蟹、見たことなかったもん」
「そうだな。美味かったな」
「こんなにいい人たちのお店で働けるなんて。まるで飛影にもお兄ちゃんができたみたいだね」
「お兄ちゃん!?」

自分が兄弟といつもしていることを思い出し、背筋がゾワッとした。
あんな兄は、絶対にいらない!

もそもそと布団に潜り込んだ雪菜が、顔だけ出してにやっと笑う。

「でもちょっと残念。飛影が女の子だったら、玉の輿を狙えたのにね」
「玉の輿?」
「うん。あの人たち独身なんでしょ?どっちかのお嫁さんにしてもらえたかもしれないじゃない?」
「嫁…っ!じょ…!冗談じゃない!」
「冗談だよー。何真っ赤になってるの。お嫁さんにはなれないから、ちゃんと将来のことも考えないとね」

ずっとバイトってわけにもいかないじゃない?
お店の正社員にしてもらえるといいね。

白い布団、白い肌。
きちんと将来のことを考えている青い指先が、おやすみ、とひらひら振られた。
***
どこぞの要人みたいなスケジュールで、雪菜は東京滞在をこなしていた。
友人に会い、恩師に挨拶に行き、懐かしい店に出かけ、自分の人生を変えた古着屋に顔を出し。

温泉に誘うなんて間抜けなことをする前に秀一がチケットを送ってくれたことを、この家に泊まることを勧めてくれたことを、癪だが感謝するしかない。

それでも合間を縫って俺ともあちこちへ出かけたし、夜は一緒に過ごした。
およそ俺も雪菜も信心深いたちではないが、それでも初詣とやらにも行った。

「いえ、そんな。いくら何でも。大切な物でしょう?」

初詣に行くと言った途端、兄妹は納戸にある桐箪笥からたくさんの着物や帯を出してきて、自由に着ていいと雪菜に言った。
遠慮する雪菜に、どうせ古い物だし、今では誰も着る人はいないのだからと二人は笑った。

「着物なんぞ箪笥にしまい込めばただの布きれだ。着てこそ価値がある」
「こんな綺麗な子に着てもらえれば、着物も喜ぶよ」

まったく、口の上手いやつらだ。
割烹でバイトをしていたこともある雪菜は、自分で着物を着ることができる。染色を学ぶくらいなのだから、着物にも目を輝かせた。
織りの着物と染めの着物の違いなどをさらさらと説明する秀一に、紅潮した頬で何度も頷き、ころころと笑う。藍染めの着物もあると言われた時には、まるで子供のように歓声を上げた。

「…おい」

着替える雪菜を待つ間、俺は兄弟に釘を刺す。

「いやに雪菜に優しいが…手を出すなよ?」

パソコンを開き、何かの書類に目を通していた蔵馬と、年賀状に返事を書いていた秀一が顔を上げる。
秀一の擦った墨が、部屋中にいい香りをさせていた。

「どういう意味だ?」
「お前ら…」

雪菜を気に入ったんじゃないか?そう続けようとして、俺ははたと気付く。

「…そういえば、お前ら、ゲイなのか?」
「ずいぶんな質問だな」
「俺たちには、男も女もあんまり関係ないけどね」

蔵馬は首をかしげ、秀一は肩をすくめ、それぞれまたパソコンと年賀状に戻る。

「待て!関係ないだと!?」

なら、雪菜にだって手を出す可能性がある。
冗談じゃない。きっぱりゲイだと言ってくれれば安心できたのに。

「なんだ、飛影。やきもちか?」
「ばっ…違う!俺の妹に手を出すなよ!?」

蔵馬はパソコンを閉じ、秀一は筆を置いた。
揃ってこちらを睨むように見る視線が、冷たく痛い。

「…わかってないね」
「…わかってないな」

何がだ、と食ってかかる俺に、まあ妹がいる間は勘弁してやるさ、と兄弟はうんざりしたような溜め息をついた。
***
綺麗だし、かわいい。よく似合う。
たまに会ったのだから、素直にそう褒めればいいのだ。

藍色の着物に白い帯、着物に詳しいわけではないが古風な柄も、細いベルトのような物に付いた飾りの赤い石も綺麗だ。
赤だの白だのオレンジだのピンクだの、似たような着物の女たちばかりの中、雪菜は凛と目立って綺麗だった。

「なんか、こんなにしてもらっていいのかな…」

たっぷりの木々が左右を挟む、本殿までの長い石畳の参道を歩きながら、雪菜は嬉しそうに、少し不安そうに聞く。
雪菜に言われるままに手を洗い、口を濯ぎ、立派な鳥居をくぐった。

もう三が日は終わったというのに、ずいぶんと人がいるもんだ。
和服用らしい紺色の小さな鞄から財布を取り出し、雪菜は五円玉と百円玉を俺に手渡す。

「中途半端な金額なんだな」
「ご縁がありますように、の五円だよ」
「じゃあ百円は?」
「うーん。なんかさ、こんなに大勢いたら神様だってやっぱり、五円でお願い聞くのキツくない?百円足した方が優先的に聞いてもらえそう」

信心深いのか現金なのかわからない妹の言葉に俺は吹き出し、それでもちゃんと五円玉と百円玉を賽銭箱に放り投げた。
手を合わせた途端、祈ることなど考えていなかったことに気付く。

…雪菜が幸せでありますように。

取りあえず、それだけ願っておけば後はどうでもいい。
さっさと目を開け隣を見れば、雪菜はまだ財布をごそごそし、三枚の五円玉と三枚の百円玉を手のひらに包んだ。

「お前は願いごとが多いから、金額も多いのか?」

からかう俺の言葉を無視し、雪菜は作法通りらしい仕草で参拝をし、顔を上げた。
悲しいかな、俺たちの身長はほとんど同じだ。真横にある雪菜の顔は真剣だった。

「三人分のお賽銭を入れたの」
「三人分…?」

さては、兄弟に恩を感じて、自分の分とあの二人の分を入れたということか。そんな必要ないのに。

「自分の分だけ、願っておけ」
「違うよ、これはね、蔵馬さんと秀一さんと、飛影の分」

混雑している神社で、巫女らしき女が参拝が終わったらすみやかに退場せよ、という仕草をしている。
木でできた階段を降りながら、絵馬も書こうっと、などと雪菜は軽やかに草履で歩く。

「あのね」

絵馬の売り場もなかなかの行列だ。
その一番後ろにつくと、雪菜は振り返り、にこっと笑う。

「蔵馬さんと秀一さんと、飛影の分でいいの。二人が飛影をずっと大事にしてくれますようにって、願ったから」
「何を…」
「だって」

同じ学校の友人にも土産を買うと、お守りやら破魔矢やらの番号と価格を確認し、またもや雪菜は財布を取り出した。

「だって、飛影は私の幸せを願ってくれたんでしょう?だから私は飛影と秀一さんと蔵馬さんの分をお願いすればいいから」

なかなか高いね、神様、儲けてるね、と張り出された値段に雪菜は唸り、それでもいくつかのお守りを買った。

「……なんで」

飛影は私の幸せを願ってくれたんでしょう?

…なんだって、どいつもこいつも俺のことを見抜くんだ。
顔に出ているのだろうか。
***
そつなくこなすというのは、こういうことを言うのだろう。

帰りの送りは秀一だった。
またもやグリーン車の切符を取り、受け取れないと恐縮する雪菜に、飛影の妹なら俺たちにとっても妹みたいなものだから、などと気障なことを抜かし、友達と食べてと、いかにも女が好きそうな、高価だがかさ張らない菓子を渡し、いつも通りの格好で出かけようとする俺に素早く囁いた。

「飛影、着替えておいで。雪菜ちゃんからお土産にジーンズもらったんだろう?それを着て行きなよ」

雪菜が染めたジーンズは、着るのがもったいなくて俺が自分の部屋代わりにしている納戸に置いてあった。言われてみればその通りだ。貰った時にもちろん着てみたが、着て出かける所を一度も見せないでどうする。

着いた時と同じように俺を力いっぱい抱きしめ、秀一に何度も礼を言い、振り返ると悲しくなっちゃうから、と照れたように笑うと、雪菜は言葉通りに改札を通ると振り向かずにエスカレーターに吸い込まれるように消えた。

雪菜が、行ってしまう。

離れたくない。一緒に行きたい。
そう思ったことを口に出せるわけもなく、俺は秀一にうながされるまま、駐車場へ向かう。

「さびしいね」

シートベルトを締めたのを確認し、エンジンをかけた秀一が俺の膝をぽんと叩き、言う。
灰色のコンクリートで固められた駐車場を車は滑るように走り出し、あっという間にビルの隙間に青い空が広がる。

雪菜の暮らす街は、大きなビルなどない、海のそばの街だという。
俺の知らない場所で、俺の知らない人間たちと、雪菜は暮らしている。

俺の知らない間に、雪菜は変わって行く。
行ってしまったのではない。帰ってしまったのだ。

「……さびしい」

自分でも思いがけずぽつりとこぼれた言葉に、秀一が驚いたようにこっちを向く。
俺は視線を反らし、窓を全開にし、暖房の効き始めていた車内に冷たい風を入れた。

「飛影」
「なんだ?」

寒いから窓を閉めろと言われるのかと振り向くと、秀一はいつになく優しい笑みを浮かべ、左手をのばして俺の髪を撫でた。

「しょうがないな。今回のお仕置きは、なしにしてあげる」
***
蔵馬の銀色の車の隣に、秀一は自分の赤い車を並べて停める。

「おい、俺が何をしたって言うんだ!?」

玄関で脱いだ靴をきちんと下駄箱にしまう秀一に、俺は何度目かの同じ質問をする。
俺がぽいと脱いだスニーカーも同じようにしまい、秀一はさっさとスリッパを履いて行ってしまう。

「兄さん、ただいま。飛影のお仕置きはなしにするよ」
「なぜだ?」
「かわいいから」
「それは知ってるが」

待て待て待て!
靴下のまま慌てて廊下を走って、すっ転びそうになりながら、俺は居間に駆け込む。

「おい!お前ら!!」

コートを脱ぎ、薄手のセーターとジーンズ姿の秀一。なんとなくインドを思わせる、ゆったりした上下の部屋着を着た蔵馬。
二人が揃って振り向き、怒って追いかけてきたことさえ、忘れそうになる。

…いったいどれだけの時間を一緒に過ごしたら、この二人にどきどきしなくなるのだろう。
どきどきすることさえなくなるくらい、長いこと一緒にいれるのだろうか?

「なんで俺が、お仕置きされなきゃなんだ!?」
「俺たちが君の妹に手を出すなんて、疑ったからだよ」

それを言われると、俺は詰まる。
あんなに良くしてもらって、まだ礼も言っていなかったと思い出す。

「それは…悪かった」

雪菜はすごく喜んでたし、ずっと嬉しそうだった。
俺と二人で温泉に行ったとしても、こんなには喜ばなかっただろう。
それに、友達と会う時間だとか、俺はちっとも考えてなかった。おかげで助かった。

二人と目を合わさず、ぼそぼそとそう告げる。

多分。
これは口に出しては言わないが、雪菜にとっては、美味い飯だとか、大きくて立派な家だとか、友達と会える時間だとか、そういうものも嬉しかったには違いないが、それより何より、俺がちゃんとした生活をしていることに喜んだし、安心したのだろう。

全く、どっちが兄だかわからない。情けない。

「…世話になった。礼を言う。雪菜に手を出すんじゃないかなんて、疑って悪かった」

二人の視線が、俺に注がれる。
やれやれと言いたげに、眉を上げる二人は兄弟らしく、よく似ていた。

「まーだわかってないんだね、飛影は」
「お前の妹に手を出すんじゃないかなんて考えたことが、悪いんじゃない。それ以前の問題だ」

腰掛けていた蔵馬がそう言いながら俺の腕を引き、膝の上に座らせる。

「じゃあ…」
「俺たちが他の誰かに手を出すんじゃないかって考えること自体が、お前の罪だ」
「え…?」

蔵馬の長い髪が、さらさらと俺にこぼれる。
後ろから首筋にキスをするのを、秀一が払いのけた。

「兄さん!油断も隙もないな」
「いいだろ別に?お仕置きはなしなら、今日はたっぷり可愛がってやらないとな」

ちょ。
こ、こいつら、雪菜が帰った途端にやるつもりなのか!?

「お仕置きが一緒なら、可愛がるのも一緒にしなきゃじゃない?」
「今日は俺の番だぞ」

渋る蔵馬に、秀一がにっこり笑う。

「姫始めはみんなでするって、去年決めたんじゃなかったっけ?」
***
いや、それは、ちょっと。

どちらが好みか分からなかったから、という理由で秀一は綺麗にベッドメイクもした洋室も雪菜に用意してくれていた。
泊まっている間中、和室に二人で寝ていたので結局使わなかった部屋。

カバーを外したベッドに二人はどっかり座り、その前に立たされた俺は、硬直していた。

ベッドに入る前に、そこで脱いで。
秀一は事も無げにそう言い、蔵馬も並んで見物するかのように、隣にあぐらをかいた。
部屋は丸いストーブで暖まっていて、準備万端という感じがしていまいましい。

今さら別に何も恥ずかしいことなんか、ない。
裸どころか、体の中まで見られている二人を相手に、緊張する必要なんかない。

いや、でもなんか。
なんか違うような。

…いつもは服を自分から脱いだりしない。
どっちとするにしても、服は脱がされるものだった。

二人はじっと、俺を見ている。
どうやら脱ぐしかないようだ。

靴下を脱ぎ、ジーンズを脱ぎ、セーターとシャツをまとめて脱ぐ。
雪菜が染めた、雪菜とお揃いの、不思議な色合いのジーンズ。

綺麗に畳み、ベッドのそばのビロード張りの椅子にそっと置く。
雪菜に見られるような気がして恥ずかしくて、椅子の背がこちらを向くようにして窓辺に押しやり、目隠しをするように上からセーターをかけた。

「焦らすつもり?」

下着一枚になって躊躇っている俺に、秀一がからかうように声をかける。
どうしていつものように脱がしてくれないんだ、などと聞くわけにもいかず、途方に暮れてしまう。

焦らしているつもりなんかない。女じゃあるまいし。
そう言い聞かせても、下着にかけた手が止まってしまう。兄弟二人の視線を感じて、体の中が熱くなる。
くすくす笑う声に顔を上げると、兄弟は揃って俺を見ている。

「…来いよ、飛影」

蔵馬が長い腕を差し出す。
争うように、秀一も手を差し伸べる。

二人の手が、俺の両腕を一気に引いた。
***
「あ、っ、うあ、やめ……んんん、っぐ……んん」

長い銀色の髪を引っぱってみたが、そんなことで止められるはずもない。

蔵馬は足の間で、下着ごと俺を銜え、しゃぶっていた。
びしょびしょに濡れた布がまとわりついたまま、舐められるその感触。

秀一はといえば、俺を後ろから抱き、噛み付くように唇を吸っている。
俺が逃げられないよう左手で首を固定し、右手は…。

…右手は、俺の尻を開き、穴に差し込んだ指で中を掻き回している。
ローションをたっぷりつけた人さし指と中指で、体内をぐちゅぐちゅと動き、内臓を掻き回す。

「うあ!あ、ああ、っく、やめ…あ!」

気持ちいい。たまらない。
よく考えたら、この兄弟と暮らすようになってから、セックスは日課のようなものだった。久しぶりの快感に、体中の神経がびくびくと震えている。

気持ち、いい。イきたい。
なのに、イきそうになるたびに、蔵馬の唇と歯が濡れた布を上手く使って、押し止める。
押し止められるたびに肛門が痙攣を起こし、秀一の指先をきつく締め上げる。

「飛影のお尻の穴、すっごい締め付ける…指が抜けなくなりそう」

耳元で囁かれ、羞恥に死にそうになる。
前を舐められ、指を入れられただけで、俺はもう息も絶え絶えになっている。

蔵馬が口を離し、ようやく出せるとひと息ついた途端。

「やめ!ちょ、待っ…」
「どれ?どのくらい締めるんだ?」

蔵馬の手まで、尻の方に回ってくる。
嫌だと身をよじる暇もなく、蔵馬の指まで挿入された。

「うあ!ああ、や、っあ!ああぁぁあ!」
「ちょっと、邪魔だよ兄さん」

一気に指が四本になった。肛門がみりみりと開かれるのに思わずカハッと息を吐く。
蔵馬の指は驚くほど長い。秀一の指よりもっと奥を突き、ぐにぐにと動く。

「ああ!うあ、あ!ーーーーっ!!」
「しょうがない。ほら。出していいぞ」

空いていた蔵馬の片手が濡れてぐしょぐしょになった下着を一気に引きずり下ろす。
恥ずかしいほど勢いよく飛び出したものから、ぴゅうっと白い液が弧を描いた。

「ちっちゃーい。本当にかわいいよね」
「こんなに小さいのに射精するってのが、何度見ても面白いよな」
「何、バカなこ……!っま、待て…っまだ…っ!ああ!」

出し切っていないというのに、秀一はまた穴の中を探り始めた。

蔵馬の指が奥を開き、秀一の指がまだ硬い入り口を揉み解す。
何が仲の良くない兄弟だ。事前に打ち合わせでもしていたかのように、二人の指は俺の体内を完全に把握し、動き回る。

「どっちが先?」
「俺だ。今日は元々俺の番だからな」

それを合図に指が一気に抜かれ、その刺激に俺は背をのけ反らして小さく悲鳴を上げる。

両足首をつかんだ蔵馬は、力強く腕を左右に引き、俺の尻を開く。
大きく広げられた足。
今、蔵馬の目の前には、精液に汚れた股間と、ひくひくしている尻の穴が見えているのだろう。

嫌だ。恥ずかしい。
何度したって、この手の恥ずかしさには慣れない。
暮れ始めた部屋は、カーテンすら開けたままだ。

一体なんだって、こいつらは俺で興奮できるのだろう。
蔵馬の股間は、布を押し上げてそそり立っている。シャツを脱ぎ捨て、ズボンを下ろし、硬く太いものを俺の穴にぴたりと押し当てた。

「や、あ、見るな…」

髪や頬や首筋へのキスを続けたまま、秀一が俺の股間をじっと見下ろしているのを感じる。
蔵馬を押し当てられたそこや、また勃起し始めているそこを。

「手伝ってあげようか?」
「え、あ、ああああああああ!!」

秀一が俺の尻をぐいっと押し、その拍子に肛門は大きく口を開け、蔵馬を飲みこんだ。

「うあ!い、ああああああっ!!」
「ほら、ほら…気持ちいいでしょ?」
「やあ!ああああ!うあ、あ、あ…っ」

蔵馬が腰を振り打ち付けるのに合わせ、秀一が俺の尻をつかんで、押し出す。
他人が作り出すリズムに付いて行けずに、ただ翻弄され、喘いだ。

「っあ!あっあっあっあっああ!! しゅ、いち…やあっ」
「さっさと出して、兄さん。交代してよ」
「んー?どうする…飛影…?」

蔵馬が身を起こし、体内をえぐる物が角度を変えた。
突き上げ、突き上げ、掻き回され、また突かれる。
熱い液体が奥の奥へ叩きつけられ、俺はまた大声を上げた。

「はい、交代ね」

嬉々として言う秀一は、いつの間に服を脱いだのか、すでに全裸だ。
全裸で膝立ちをし、股間から付き出したものに手を添える。

「しょうがないな」

舌打ちをした蔵馬が、俺をぐいっと抱き起こし、くるりと返し、膝に抱き上げる。
抱えられて排泄をする子供のように足を開かされ、尻の肉を引っぱられた。

「ほら、入れるぞ」
「ひ、あ……っあ、ま、待て…っ!」

蔵馬に抱え上げられ、俺の尻が秀一の股間に押し付けられる。
最初の挿入でぽっかりと開いていたそこは、簡単に侵入を許してしまう。

ぐちゅう、という濡れたものと濡れたものが合体する音。
いきなり奥までねじ込まれ、息もできない。

「…っふ!…あ……あぁぁ……!」
「動かして、兄さん…」

逞しい蔵馬の両腕が、勢いよく俺を振る。

俺の体のどこも、ベッドに触れていない。
まるで宙に浮かんだ状態で、差し込まれ、抜かれ、また差し込まれる。

「ああ、あ!っあ!っあ!っあ!うあああ!やああああ!!」
「キツイとこに…ねじ込む良さ…と、違うけど…中がすっごく動いてイイ…」

両腕さえ自由を封じられていて、耳を塞ぐこともできない。
蔵馬は手を器用に使い、俺の股間もこねくりまわす。

「ほらほら、ちっちゃいかわいいのがカッチカチになってきたぞ。気持ちいい、最高、とか言ってみろ?」

バカ、色魔、変態兄弟!
喚きたいのに口から飛び出すのは、言葉にならない悲鳴だけだ。

「ーーーーーっ、あああ!」

どぷっと、中に出された。
息つく間もなく、膝を割られ、後ろから蔵馬がずぼっと挿入した。

「あああああ、待て!ああ、お前…ら!ちょ、待てって言っ!…あああああ!」

上下に激しく揺さぶられる。
何がおかしいのか、汗を浮かべたまま笑う秀一も、こちらに近付いてくる。

「俺にも、分けて?」

そう言うと、何を考えてるんだか、自分の勃起したものと、俺の勃起しかけているものを二本いっぺんに握ると、激しく擦り出した。

「うあ、あああああ!へ…変態!!っあ、う、やめろって……ああ!!」

秀一の性器に擦り付けるように握り込まれ、尻の穴は打ち込まれ続けている。
二つのリズムに自分の心臓の音が重なり、俺は涎を垂らし、鳴き続けている。

「飛影…ひえ…かわいい……」
「もっと…もっと、喘げ…叫べば…いい…聞かせろ」
「ああ!ひい、ひあ!うああ、っくら…ま…っしゅ、い、ああああ!!」

もう、いい加減にして欲しい。
切れる。あちこち擦り切れる。気持ちいいけど、痛い。

痛い、疲れた。
気持ちがいい。

……最高だ。

ストーブの熱は、もはや邪魔なだけだった。
真夏の炎天下のように、俺たち三人は汗みずくだ。

腹の中に注がれた三度目に、俺はぶるぶる震え、ベッドに崩れた。

体中、自分のものじゃないみたいに痙攣している。
ずるっと太い物が抜かれ、そこがぽっかり口を開けているのが自分でもわかる。

抜かれた。

…嫌だ。
まだ、終わらせないで欲しい。
まだ、欲しい。

すうすうする。さみしくなる。
今日はさみしくなりたくない。熱い肉で、ふさいで欲しい。

「…飛影?」
「っは……早く…」

この部屋は、夏みたいに暑い。
沈む陽が、部屋をオレンジ色に染める。

意識が朦朧として、何を言っているのか。わからない。頭がくらくらする。

だから、今の俺の言うことは正気じゃない。
正気じゃないないから、何を言っても、いい。

湿ったベッドに両手をついてなんとか起き上がり、四つん這いになる。
肩をシーツにつけ、尻を高く上げ、両足を広げた。

二人が息を飲む音が、はっきり聞こえた。

「どうした……?早く……ふさいでくれ」

ひりひり痛む穴を自分の指で広げ、俺は小さく笑ってみせた。
***
「………って〜……」

くそ。
ベッドから降りるというより、落ちるという方が正しい動きで俺は床へ降り、文字通り這ってストーブに近付くと、ダイアルを回し、火を消した。

なんでこんなもの付けたんだ。暑くて暑くて、死にそうだ。
裸なのにも構わず、今度は窓辺へ這い、開け方の分からない窓の把っ手をガンガン叩く。

「こら、待て」

蔵馬が笑いながら、これまた裸のまま大股で俺をまたぎ、掛け金を外し、窓を庭へと大きく開けた。
灯油のにおいが立ち込める暑い空気を、冬の冷たい風が切り裂いた。
ようやくまともに息が出来たような気がして、俺は床に寝そべり、外の空気を大きく吸い込む。

風が汗を乾かすのが心地よくて、俺は目を細める。
庭は真っ暗で、すっかり夜だ。

「ほら、飛影、風邪引くよ」

ストーブの炎が消えた部屋は真っ暗だ。秀一がテーブルの上の色ガラスのランプを点け、ベッドから外した毛布を俺の湿った体にかけるのをはねのけた。

「いらん。暑い!」
「ずいぶんと情熱的だったな?」

からかうように蔵馬が俺の背を撫で、そのまま尻へと伝う手を、毛布同様はねのけた。

「いい加減にしろ!いったい今何時だと…」

…今、何時だ?
慣れない部屋で、ぐるっと視線をめぐらすと、花の模様があるチェストの上の時計は十時十五分を指している。

……十時?
雪菜を駅へ送ったのは二時半頃だった。
戻ったのが、三時過ぎとして…?

持ち上げていた頭を、床にごんっと落とす。

あり得ない。
十時過ぎ?あの時計、壊れているのか?
そうだ。普段使っていない部屋だから、壊れているのかも。この家にあるたくさんのアンティークと同じで、ただの飾りなのかもしれない。

「あの時計…」
「お客様のために用意した部屋に、壊れた時計を置くわけないだろ」

聞き終えてもいないうちに、秀一があっさりと言う。
俺は再び、頭を床に落とす。

「さて、風呂だな。ベットベトだ」

堂々と裸体をさらしたままの二人に、なんだか俺の方が恥ずかしくなってきた。
床に落ちたままの毛布を拾い、体に巻き付ける。

目が慣れてきたのか、庭の木々も見えてきた。
ジャンケンで負けたらしい蔵馬が、ぶつぶつ言いながらも風呂を沸かしに部屋を出た。

「飛影」

毛布にくるまり、床に座り込んだ俺の隣に、秀一が座る。
前くらい隠せと、これまた落ちていた枕を押し付けてやる。

「飛影?」
「…なんだ?」

さっきまで盛大に尻を振っていたくせに何を照れるのかと、からかわれそうで目を伏せると、ひょいと顎をつかまれた。

「飛影、大好き。今年もよろしく」

触れるか触れないかのようなキスを落とし、秀一が笑う。
幸せそうに。楽しそうに。

…大丈夫。
俺のことは心配するな、雪菜。

セーターの下の、ジーンズにそっと念じてみる。
雪菜に届くように、祈ってみる。

俺はここで、幸せに暮らしている。
だから何も心配しないで、思うように自分の人生を生きてくれればいい。

「いい一年に、なりそうだね」
「…ああ」

手を伸ばし、汗と夜風がからませた長い髪を、俺は指で梳いた。



...End


兄弟と暮らす飛影のその後が気になる!というメッセージを結構いただきまして、一年後の今、どうしているかと様子を見に行ってきました。
まあまあ楽しく暮らしているようですね?よかったよかった。
2018年1月 実和子