タイムリミット...1エアコンの乾いた空気は埃っぽく、どこかで拾ってきたような加湿器の吐き出す蒸気は微かにカビ臭い。けば立った青いカーペットのそここに座り込む者たちはそんなことは気にならないのか、ゲームをしたり居眠りをしたり何かを食べたりと、気ままな様子だ。 「おーい」 声をかけられ、読んでいた本に指を挟み、顔を上げた。 「何だ?」 「ほら」 壁の片側一面に大きな鏡がはめ込まれているせいで、狭いはずのこの部屋はずいぶん広く見える。 その反対側、唯一の出入り口である扉の上には、四分割で店内を映す、大きなモニターが備え付けられていた。 「お前の客、来たぞ。いつものあいつ。AFの」 えーえふ、という言葉に込められた面白がるような響き。男同士の性交で肛門への挿入までを望む客を、ここではそう呼んでいる。 店の入り口を映すモニターを眺めると、確かにオレの客がいた。 「あのガキ、どっから金持ってきてるんだろうな」 「さあ」 オレの気のない返事と裏腹に、部屋の中は盛り上がる。 「一日置きくらいで来てるよな。すげえ」 「親の金だろ」 「だよなあ。でも金持ちのガキって感じじゃないけどな」 「いいねえ。オレも金持ちの親が欲しかった~。そしたらチンコの無駄遣いもしなくてすんだのにな~」 スナック菓子をつまみながらゲームに興じていた何人かが、げらげら笑う。 ひどく頭が悪そうに見えるが、何人かは学費や家族の生活費を稼ぐためにやっているのだから、世の中はわからない。 読んでいた本を閉じ、髪をまとめていた紐を指先で軽く引く。店に出る時は髪は下ろせと言われている。 その方が似合うから、と決めたのはオーナーだ。 解いた髪に指を通しながら、オレはドアを開けた。 ***
「いらっしゃい」 ***
腕くらい、組んでもいいのに。先に立って歩きながら、オレはいつものようにそんなことを考える。 人目をはばかり中でひっそりと済ませたい客は別として、外を望む客は大抵、恋人気取りでベタベタとくっつきたがるのに、彼はそうしない。 まるで他人であるかのように少し離れて歩き、タダで使える店の部屋は使わない。 外のホテルを使ったところで部屋代は客持ちなのだから、オレとしてはどちらでもいい。ただ、確かに他のやつらが言っていたように、金の出所のわからない子供だな、とは思う。 「ここでいい?」 空室の表示のある、ホテルを指す。何度か使ったことのあるホテルだ。 料金はこの辺の相場通りで高くも安くもないが、この客は料金に異論を唱えたこともない。外を希望しておいて、ホテル代にぶつぶつ言う客も時々いるが、そもそも料金を気にしている様子もない。 大きなベッド。シンプルで綺麗なバスルーム。部屋のインテリアもベージュと黒でまとめられ、落ち着いている。 それでもここが、いかにもそういう用途の部屋、なのはきっと窓がないせいだ。 「おいで」 ドアの前に突っ立ている彼の両手を取り、脱がせたコートをきちんとハンガーにかけ、ベッドへ座らせる。 シャワーはどうする、とはもう聞かない。この客はいつでもシャワーを浴びた直後に店に来ることにしているらしい。 つまり、学校なり塾なりバイトなりの外出先から来るのではなく、家から真っ直ぐ、店に来ているのだ。 オレに会うためだけに、シャワーを浴び、服を着て、家を出る。 いったいどういう生活なのかさっぱりわからないが、なんだかそれはとてもかわいいことに思えた。 ベッドに座った彼の前に跪き、唇を合わせる寸前、大きな瞳がまぶたで隠れた。 ***
時間をかけて、キスをする。本当の恋人にするような、濃厚なキスを。 スポーツをする人間のようなしなやかな体なのに、スポーツをする人間にありがちな日焼けの全くない、白い肌。 中学生ではなく、小学生なのではないかと疑ったのは、股間に一本の毛もなかったこともある。 舌を唇に差し込むと、素直に口を開ける。 いつでもオレはキスをしている間に、彼の服を全て脱がせることにしている。 オレの首に回すために彼が両手を挙げたタイミングで、シャツを脱がせ、ジーンズのボタンを外した。 初めて彼が店にきた日。それは三ヶ月ほど前だった。 冬が突然に秋を追い払った寒い日で、モニターに映った彼の姿に、待ち合いと呼ばれている青いカーペットの待機部屋は騒めいた。 おい、見ろよ。 なんだあれ、子供だろ。 いくらなんでも、まずくね? 子供を売るのはまずいけど、子供が買うってのはどうなんだろうな。 オーナーのやるこった。金さえ貰えりゃ、買いに来たのが犬だって気にしないんじゃねえの。 モニターに映っているということは受付にいるということだし、受付にいる以上、入会金は支払われ、店は受け取ったということだ。 金の亡者のオーナーはこの子供を客として認めたのだ。 面白おかしく喋り、盛り上がっている部屋の中。皆の考えていることはわかっていた。 いったい誰を指名するのか、ということだ。 戸惑ったように見えたのは、タッチパネルの使い方がわからなかったからだろう。 仕組みを理解すると、彼はするすると操作し次々にページを手繰り、迷いもなく選んだ。 初回は誰だって自分の好みの相手を探そうと、全部のページに目を通し、顔写真やスタイル、性癖についての記入をじっくり眺めるものだ。長々と三十分も検討している客だっている。 けれど彼はあっさりと選んだ。文字通り、迷いもなくだ。 まるで、オレを探していたかのように。 ***
積み重ねた枕に寄りかからせるように、彼を座らせる。纏う物のなくなった両足を大きく開かせ、その無毛の股間に顔を埋めた。 ひゅっと息を飲み、彼はシーツに爪を立てたが、声は出さない。 指先で乳首を摘み、太ももを撫で上げ、口の中のものに軽く歯を立て転がしてやっても、聞こえるのは乱れた呼吸だけだ。 いつもそうだ。 快感を感じていることはわかっているのに、彼はそれを声や態度に出さないようにと必死になる。 金でセックスを買っておきながら、恥じらうというのがオレにはどうもわからない。オレとの時間は安くない。好きなだけ乱れて、楽しめばいいのに。 名前は何て言うの? 初めてのセックスの前にそう尋ねたオレに、彼は随分と長い沈黙の後、教える義理はないと素っ気なく返した。 「本当の名前じゃなくたっていいんだよ」 単純に、君がこの時間の間、オレに何て呼ばれたいかってだけなんだ。 オレは秀って名前だけど、君も呼びたいようにオレを呼んでいいよ。 「オレはお前を呼ばない。お前もオレを呼ぶ必要はない」 ただ抱けばいい。 それがお前の仕事だろう? そう答えた口元に浮かんだ、冷笑。 彼を子供だと断じ切れないのは、そういう仕草の一つひとつだ。 二度の射精を口の中で受け止め、オレは用意してきたローションに手を伸ばす。 快感に震えている両足を強く引き、仰向けにする。そのまま膝が肩に付くほど足を曲げさせ、見せつけるように高い位置からローションを垂らした。 硬く窄んだ穴に、とろとろと粘度を持つ液体が流れる。 穴をくすぐるように中指で円を描き、小さな穴をたっぷり五分は丁寧にもみほぐす。 ようやく少し緩んだところで、ローションでぬるつく指先を押し込むと、彼は息を飲み、背を反らす。 「……っ」 子供らしい丸みのある頬が、赤く染まっている。 白い肌にぷつんと尖る二つの乳首。 根元まで押し込んだオレの指は、彼の高い体温にきっちりと包まれる。 狭くてきつくて、驚くほど熱い。 ゆっくりと抜き差しを繰り返し、指を増やし、中を探る。 …たまらない。 この仕事は、ただ金のためにやっている。 女も男も、相手に関係なく勃たせることができるオレは、この仕事に向いている。 貰える金は悪くはないし、仕事を選べるわけではないオレとしては、好都合だった。 なのに。 「……っぁ……っ」 噛み千切るような勢いで乳首を愛撫し、白い首筋を太ももを二の腕を吸い、跡を残す。 大きな目が潤むまで指を抜き差しし、勢いよく抜いた。 我ながら器用にコンドームの袋を破り、手早く着け、充血している穴に押し当てる。 「ほら…入れるよ…つかまって…」 「…ひっ、ぁ……」 彼の上げる声はとても小さい。 聞き逃さないように集中して、オレは幼い尻を抱えるようにして、先端を押し付ける。 素直につかまった彼の手が、汗ですべるのを背中で感じる。 小さな体、小さな尻、小さな穴。 この体に自分の性器がちゃんと入るということが、何度抱いても信じられない。 「力入れないで…ゆっくり深呼吸して…っ」 「………ん!…っあ……っあ、う!」 先端が通れば、後は楽なものだ。 ずるっと入り込み、彼の尻とオレの下腹部はぴたりと張り付く。 締め付けと、脈動と。 入れただけで、こっちが持って行かれそうになる、この体。 これではどっちが客だかわからない。 音楽もかけないこの部屋に、彼とオレの二人分の乱れた呼吸が響く。 繋がった体から、彼の体温が移るようにオレまで熱くなる。 「…ぁ……っく、あ」 「動かすよ。お尻を揺らして…」 さかりのついた犬のように、オレは腰を振る。 ひっきりなしに聞こえる、抑えた小さな喘ぎ声が、なおさらオレをかき立てる。 「……っあ、っぁ、っあぅ」 名前を、呼びたい。 セックスの時に名を呼びかけられないのが不便なことだというのは、この子供から教わった。 オレは彼の名を知らないし、彼はオレの名を知らない。 そして、オレもまた、オレの名を知らない。 ***
「一人の客を取りすぎるなよ」呆れたように、どこか可笑しそうに言って、男は缶コーヒーを差し出す。 青いカーペットの待機部屋。夜八時の開店時間に、この男がいるのはめずらしいことだった。 「誰から聞いたんだ?」 「誰って。誰って言うほどうちは人数がいるわけじゃなし。男のガキに入れ込んでんだって?そういう趣味なの、お前?」 「入れ込むって言い方、卑猥だな」 「それでごまかしたつもりか?」 「空いてるのか?めずらしい」 「ドタキャン」 短く答え、カーペットに腰を下ろす。 この店では基本の二時間がショート、四時間をロングと呼んでいる。この男はロングの客は取らず、二時間のコースのみで客を取る。一日に四人の客をきっちり取るスタイルを崩さず、二ヶ月先まで予約でいっぱいだという。きっとこの店で一番稼いでいる男だろう。 「ガキなんだろ?その客?そろそろやめておけよ。親でも出てきたら面倒なことになる」 「オレが決めることじゃない。オーナーが客として認めた」 この男は、オレをこの店に誘った男でもある。 オレを見つけた、というべきか。 一年前。 ガードレールに寄りかかり、目の前の切りもない車の流れを見つめていた、あの日。 白、白、白、黒、銀色、赤、また白、また黒。 歩道を歩く人間たちが、オレを指差し何かを囁いている気配は感じた。 流れる車の色を確認し、ただ目で追っていた。他に何をしたらいいのか、わからなかった。 「何してるんだ?」 顔がいいから声をかけた、と後から男は笑って言った。 お前が店に入ればオレに紹介料が入るから、と。 「何をしているように見える?」 オレの返事が気に入ったのか、気に入らなかったのか、男は長い足でガードレールをまたぎ、同じように寄りかかった。 「何もしていないように見える」 「正解」 「することがないのか?することがわからないのか?」 「両方だな」 「金は?」 そう言われて、ようやく自分の服を探った。 シャツ、ジーンズ、靴下、靴。季節は冬で、風は冷たかったがコートは見当たらない。 ポケットは空で、鞄のような物もなにもない。免許証だとか保険証だとか、そんな物もない。 財布や携帯電話はおろか、紙切れ一枚オレは持っていなかった。 「金もないな」 「金、も?他にもないものが?」 「ないね。何もない。どうやらオレは記憶喪失らしい」 でも、走っているのが車で、自分が免許証も保険証も金も持ってない、ってことはわかるんだ。 つまり免許証や保険証や金って言葉の意味は知っている。 かといって、警察にも行きたくない。つまり、警察って言葉も知ってるよ。 オレは淡々とそう言った。 それ、面白いな、と男は笑い、働き口を紹介しようか、と言った。 そんなわけで、オレは今こうしてこの店で働いている。 多分、冴えたジョークかなんかだと男が思っただろうあの会話の瞬間、オレには何もなかった。 金も、居場所も、それどころか記憶でさえも。自分の名前さえも。 いったい自分はどこから来て、どこへ行こうとしてるのかも。 |