「なんだこれは…」

百足の自室にパトロールから戻った飛影は、眉をしかめてその木箱を見下ろした。

中にはたっぷり土が入っている。
土は森の中のような香りを漂わせ、しっとり濡れている。

そのすぐ側には、小さな如雨露。
しかもその土の中には、奇妙な小さい立て札のようなものが立っている。

「……?」

飛影はしゃがみ込み、いぶかしげにその札を確認する。

赤と、緑で描かれた三角形の中に、焦げ茶色の点々がある。
乱雑な絵ではあったが、それが何であるかは飛影にも分かった。

「…おい、出てこい」

自分の右腕をつつく。
しゅるん、と音を立て、黒龍が肩に乗った。

「これは何の真似だ?」

肩からぴょんと降り、尾っぽでバシバシと立て札を叩く。

「それは…」

つい先日訪れた人間界で、蔵馬が出してくれた物だ。
確か、あいすくりーむ、とかいう物で、蔵馬が夏になるとよく出してくれる、果物の形を模していた。

なぜ果物の形を模す必要があるのか飛影にはさっぱり分からなかったが、そもそも人間界の食べ物には無駄な装飾が多いので、最近ではあまり気にしなくなった。味は魔界の食べ物より、遥かに優れている事は言うまでもないわけだし。

「あの種を、持ってきたのか?」

黒龍は頷く。

「で、植えたと」

頷く。

「馬鹿」

黒龍は首を傾げる。

「あれは…本物の果物じゃないぞ。だから種を植えたってだめだ」

そもそも人間界の果物が魔界で育つのかもあやしいものだ。
植物のクエストである蔵馬は別として。

黒龍は木箱に頭を乗せ、じーっと中を見つめる。

「無駄だと言っているだろうが。だいたい…」

べー、と黒龍が舌を出す。
木箱から降り、水を汲みに如雨露を持って行ってしまった。

「…勝手にしろ」

どうせ二、三週間もすれば諦めるだろう。
龍は利口な生き物だというが、こいつを見ている限り、そうでもないな。
飛影はやれやれと溜め息をつき、ベッドに身を投げると、あっという間に眠りに落ちた。
***
「…こき使いやがって…」

ぼやきながら廊下を歩く飛影の足取りはおぼつかない。

パトロール中に厄介な敵に出くわし、たまたま百足を降りていた飛影の部隊が相手をするはめになった。
クズであろうが、恐ろしいほどの数を集めればそれなりに厄介だ。

切りがないとはこの事だ。始末に乗り出したはいいが、予想外の長期戦になった。十日もかかった揚げ句まだ敵は半分ほども残っていた。
面倒になった飛影は黒龍波をぶちかまし、敵を跡形もなく消し飛ばしてやった。

自分の部屋のドアの前までたどり着いたというのに、そこでストンと力が抜けた。
ドアに背を預けるように、ずるずると座り込む。

だめだ。眠い…。

もっとも、百足の中でならどこで眠っても命の心配はない。
ドアを開ければほんの数歩でベッドだというのに、飛影はそこで眠りに落ちた。
***
…誰かが自分の頭をバシバシ叩いている。
痛いというほどではないが、しつこくしつこく、叩く。

「やめ…何してるんだ!!」

傍らでぴょんぴょん跳ねながら、自分の頭を尾っぽで叩いていた黒龍を叱りつける。
寝起きの飛影は大抵不機嫌だが、今は冬眠中を無理に起こされたのだから、いつもに輪をかけて機嫌が悪い。

「オレが寝ている時に邪魔をするなと…ぃ…!?」

怒鳴りつけていた声が、黒龍が抱えている物を見て、小さく消える。

緑と黒のしましまの、丸く大きな物。
なんだっけ…名前は確か…?

「すいか…?」

黒龍は心底嬉しそうに、床にスイカを置く。
尾っぽをぶるんぶるんと勢いよく回し、ぱっかーん、と小気味よい音を立ててスイカを割った。

真っ二つに割れた半球体のそれは、甘い香り、水々しい真っ赤な内部、緑色の皮。
間違いなくスイカだ。
片方を飛影に差し出し、自分はもう片方に早くも顔を突っ込んだ。

「え?…え?」

まだ寝ぼけているのかと、飛影は目をごしごしこする。
半分ほど開いた扉から部屋を覗き、あやうくもう一度冬眠しそうになった。
***
「一体、どうするんだ!?」

飛影が怒るのも無理はない、部屋の床一面に、緑の蔦が伸び、大きく丸い果実がゴロゴロ転がっていたのだ。
飼い主の怒声もなんのその、黒龍は喜びのあまりスイカ畑と化した部屋の中を飛び回る。

「蔵馬のやつ…!」

さてはあいつ、本物のスイカの種をこいつに渡したんだな!?
今度会ったらただじゃおかん!

寝起きの渇きと、この状況の腹立たしさに喉が渇いてきた。
飛影は深々と溜め息をつき、先ほど渡された半分のスイカをさらに半分に割り、口にした。

甘く、水々しい。
…美味い。

残りの半分も口に入れかけた瞬間、飛影はある事に気付いた。

「待てよ…?この十日間誰が水をやっていたんだ?」

辺り一面に這う蔦はつややかに濃緑で、どう見ても十日も水をやらなかったようには見えない。だが、蔵馬の妖気も気配もこの部屋には残っていない。
水をやらなければ植物は育たない事ぐらいは、植物のクエストでなくても知っている。

「おい!」

飛び回る黒龍を捕まえた。
黒龍は自分もスイカを食べながら、不思議そうに飛影を見る。

「お前、水はどうしてたんだ?」

ああ、そのことか、とでも言うように、黒龍は尾っぽで南を指す。
そちら側の、廊下の先にある部屋は一つしかない。その部屋の住人は…

飛影は思わずスイカを吹き出した。

「お前っ…まさか躯に頼んだのか!?」

黒龍は頷く。
いとも無邪気に頷く。

「な…」

飛影は躯を恐れているわけではない。
しかし、百足の女王に、あの女に、留守の間の水やりを頼む馬鹿がいるだろうか!?

「おー。ずいぶん育ったな」

その声に飛影はギクリとする。
戸口に佇むのは、水やり係の女王様だ。

「躯っ、おま…何考え…」

飛影の側を素通りし、黒龍に躯は話しかける。

「大漁だな」

黒龍は嬉しそうに頭をぶんぶん振ると、一際大きな実をもいで、躯に渡す。

「くれるのか?」

躯はさっそく床に座り込み、黒龍を膝に乗せて一緒にスイカを食べ始めた。

「お前…よくそんな事を引き受けたな!?」
「だって、こいつがオレに頼みに来たんだ。オレが一番暇そうだからって」

飛影はもう一度スイカを吹き出した。

「そう言ったのか!?」
「ああ。まあ確かに百足の中ではオレが一番暇なのは間違いないしな」

美味いな、やっぱり人間界の食い物は美味い。
女王様と黒龍は、仲良くスイカを食べている。

「…人間界に出かけてくる」

飛影はよろよろと立ち上る。
あのアホ狐を一発殴らなければ気が済まない。

「聞いたかー?ママは人間界でエッチしてくるってよ」
「誰がそんな事を言った!!」

ぎゃあぎゃあうるさいその部屋で、スイカたちはまだ成長を続けているようだ。


...End.