星に願いをマンションの高層階。黒く小さな人影がどこからともなくフワリと窓辺に降り立った。 住人がまだ帰ってきていないことはわかってはいたが、窓はいつでも開いている。 蹴飛ばすようにブーツを脱ぎ捨て、部屋に入りかけ… ふと、空の光に気付く。 冬の空気は妖怪の体にさえ冷たかったが、飛影は構わず窓辺に腰を下ろす。 左足は室内に、右足は外に、高層階の部屋の、窓枠をまたぐようにして座るその姿は今にも落っこちそうで、もし見上げた人間が見つけたりしようものなら、悲鳴を上げて警察を呼ぶことだろう。 もちろん、そんなことには考えが及ばない飛影は、ぼんやりと、夜空を見上げる。 ***
ー オリオン座あの日、蔵馬は微笑みながら、夜空を指差していた。 冬の夜にふさわしい、互いの体温を与え合うようなセックスの後、ベッドに寝そべったまま夜空を見上げて、蔵馬は星座の話をし始めたのだ。 ー おうし座 ー おおいぬ座 飛影の目には、どれもこれも同じに見える星を一つひとつ指しながら、蔵馬は続けた。 ー あれはね、君と雪菜ちゃんの、星座 行為の後は、いつだって眠い。 うとうとしていた飛影は、雪菜の名に、閉じかけていたまぶたを開き、しかめっ面をした。 ー …何の話だ? ー ふたご座。双子の、星座 にこっと笑う。 その笑顔に、飛影の胸は、ドクンと打った。 ー くだらん…。どこまで貴様は人間かぶれなんだ ー えー?でもさ、綺麗じゃない?魔界の禍々しい夜空とは違ってさ こんな都会じゃなくて、もっと山の方とかに行けば、すごく綺麗に星空が見れるんだよ。 いつか、君と一緒に行きたいな。 ー お前一人で行け、バカ 飛影はそう返したが、頬がうっすら赤いのは、先ほどの行為の名残のせいばかりでもないようだった。 ー オレは、君と一緒に見たいんだよ あのね、流れ星、っていうのもあるんだよ。 ここらじゃ滅多に見れないけど。 星がね、まるで落っこちるみたいに、ヒューって流れるんだ。 ー それがどうした ー その流れる星にね、願い事をすると叶うっていう、人間界の迷信 ー くだらん ー 飛影だったら、何を願う? ー くだらん ー 本当に一瞬だからね、願い事をするのは難しいんだよ ー くだらんと言っているのが聞こえんのか。もう黙れ。オレは寝るぞ ー ロマンがないなあ ぼやきながらも、蔵馬は毛布をかけ直してやる。 きちんと肩まで包みこみ、背中からぎゅっと抱きしめる。 やがて寝息を立て始めた魔物たちを、星たちが見守っていた。 ***
「…おりおんざ」窓枠にまたがったまま、一番目立つその星座を見つけ、ぽつりと飛影はつぶやく。 あとは、よくわからなかった。 二つ並んでいる星は、ふたご座なのかもしれない。 足をぶらぶらさせ、空を見上げる。 星座というものの存在を教わった日から、蔵馬を待つこのひとときに、飛影はこうして時折星を眺めている。 ー こんな都会じゃなくて、もっと山の方とかに行けば、すごく綺麗に星空が見れるんだよ ー いつか、君と一緒に行きたいな 無数の星が輝く夜空が、人間界のどこかにあるのか… 白い息を吐きながら、飛影は考える。 「……?」 ふ、と、星の一つが、ずれたように見えた。 「あ」 流れ星…? 「……っくらま」 飛影が小さく呟くのと同時に、流れ星は文字通り流れるように、消えた。 それは、本当に一瞬だった。 「……」 蔵馬。 反射的に呟いた名前。 飛影は思わず赤面した。 「くそ…」 蔵馬が?蔵馬と?蔵馬に? 一体オレは何を願おうとしたのかと、飛影は自分に問う。 けれど答えは見つけたくなくて、認めたくなくて、慌てて窓枠から下りると、ベッドに転がった。 良く知る気配が、マンションに近付いてきている。 いつも通りに寝たふりをしようと、飛影は目を閉じた。 ***
夜の風は冷たくて、思わずマフラーに顔を埋める。土曜の夜の街は活気に満ちていたが、蔵馬は喧騒には目もくれず、規則正しい足取りで、マンションを目指す。 綺麗だが表情のない顔に、一際冷たい風が当たった。 「あ…」 もうすぐマンションが見えるというその場所で、愛しい気配を感じ、蔵馬は顔を上げた。 見上げた夜空はいつになく星が綺麗で、今夜は都会の空とは思えない。 空を見つめるその顔は先ほどまでの無表情ではない。口元が小さくほころび、碧の瞳が輝いた。 「…飛影」 早足、というよりは駆け足になってしまっている自分に気付き、蔵馬は苦笑し、それでもスピードは緩めない。 あっという間にあたたまった体にマフラーは邪魔なだけで、無意識に外して走り出す。 何してるんだろう、オレ。 走る速度は落とさずに、蔵馬は自分に問う。 …ちょっと、恥ずかしい。 誰かに会いたくて、会えるのが嬉しくて、相手に向かって思わず走り出してしまうなんて。 すぐに会えるのに、一秒でも早く顔が見たい、あの頬に触れたい、あの小さな体を抱きしめたい、なんて。 エントランスのオートロックを開けるのももどかしく、エレベーターには見向きもせずに、蔵馬は階段へ向かう。 今夜は星が綺麗だから一緒に見よう、と。 きっとベッドで寝たふりをしているであろう飛影に、そう言いながら抱きついてやろう。 きっと飛影はくだらないと溜め息をつきながらも、一緒に空を見てくれる。 幸せなひとときに向かって、蔵馬は階段を駆け上がった。 ...End |