師走の街で「悪かったな、南野」「いえいえ」 やれやれとネクタイをゆるめた同僚に、蔵馬も同じようにネクタイをゆるめ、笑ってみせる。 面倒な客の、面倒な接待だった。 もう一人の担当である社員が怪我で入院をし、代理で接待の場に駆り出されたのだ。 「まったく。ボードで骨折だなんてあのやろう」 このくそ忙しい12月にボードなんか行ってんじゃねえよ、と毒づく同僚を、蔵馬は笑いながらなだめる。 「ろくに食えなかったな。ラーメン食ってこうぜ、おごるから」 師走の慌ただしい人通りの中、年季の入ったラーメン屋の薄汚れたのれんを二人はくぐった。 ***
まあまあだな。幽助のラーメンの方が美味しいけど。そんなことを考えながら、蔵馬はラーメンをすする。 「今年も終わるなあ」 「本当に早いですよね」 カウンターの頭上に備え付けられたテレビでは、バラエティ番組がすっかりクリスマスの装いで騒々しい。 店内をぐるりと見渡せば、これまた薄汚れた小さな神棚の上に、小さな達磨と小さなプラスチックのツリーまで押し込まれている。日本の神様も、きっと苦笑いしているだろう。 「オレ、この間彼女に振られてさあ」 餃子を頬張りながら、情けなさそうに同僚は言う。え?そうなんですか?と、蔵馬は敬語のまま返す。 同期の二人だが、蔵馬は高卒、同僚は大卒だから、年は四つほど違う。 経営者の息子となれば、同期であろうが年下であろうが変な気遣いやへつらいがどうしたって生じるものだが、この同僚にはそれがあまりない。そこが蔵馬は気に入っていた。 「先月からオレの担当トラブル続きで忙しかっただろ?あんまり会えなくて約束もドタキャン続けて二回したら、私と仕事のどっちが大事なの、だってよ」 私と仕事?なにこのテンプレ、ってオレびっくりしたよ。 お前はまだ大学生だけどオレは社会人なわけじゃん、そりゃ悪かったけどしょうがないだろ、今度埋め合わせするから許してよって言ったらさ、もういい、って逆ギレだわ連絡取れねーわでさ。無理やり時間作って会いに行ったら、もう大学の他の男に告られたとか言いやがってさ。 「なんなんだろ、女って」 「あはは。それは参りましたね」 「なんだよお前ばっか余裕こきやがって。お前の彼女も大学生なんだろ?上手くいってんの?」 女子社員たちからの好意の視線、及び好意から発せられる行為が面倒くさくなり、遠距離の恋人がいる、と言ったのは自分だが、他人に言われるたびに蔵馬は吹き出しそうになる。“彼女”は京都の大学に行っていることになっていた。 「上手くいってますよ」 今夜はしこたま飲まされた。 妖怪の自分が酔うわけはないと思っていた蔵馬だったが、心なしか口が軽くなっているようだ。 「気まぐれな子なんですけどね」 気まぐれにふらっとオレの家に来るし、来た時にオレがいなければ怒って帰っちゃいますし、オレが会いに行ってもいないこともしょっちゅうあるし、せっかく行っても機嫌が悪いと何しに来た帰れ、とか言い出したりするし。 手酌のビールの瓶を持ったまま、同僚はぽかんと口を開けている。 「……お前相手に?すごい女だな」 「惚れたのはこっちですから」 「遠距離だろ?大阪だっけ?京都だっけ?アポなしで来んの?すげーなあ」 人間界と魔界とは近くて遠いし、遠いが近い。 心の中だけでそう呟き、同僚の手から瓶を取り、ビールを注いでやる。 「お前みたいにモテる男が振り回されてんなあ。そんなにかわいいの?」 「世界一、です」 ぶっ、とビールを吹いた同僚に、今度はおしぼりを差し出してやる。 「お前…写真見せ…。いや、もういい。本当に噂どおりベタボレなんだな」 「ええ。だから羨ましいですよ」 何がだよ、と最後の一つだった餃子を同僚はタレに沈めた。 「オレの恋人が、私と仕事のどっちが大事なの、ってもし言ってくれたら」 「言ったら?」 女子社員を虜にした笑顔で、蔵馬は言う。 「仕事なんか、即、辞めちゃうんですけどね」 ***
すっかり酔っぱらった同僚をタクシーに押し込み、自分は徒歩で自宅であるマンションへと向かう。イルミネーションに彩られた木々たちが並ぶ通りは、すっかりクリスマス色だ。 「会いに行こうかなー」 明日は土曜日、明後日は日曜日だ。 彼のパトロールの休みの日を、蔵馬は完璧に把握している。 明日も明後日も、彼は仕事の予定だ。もちろんそれはわかっている。 でも。 明日、会いに行こう。 美味しい物でも持って行こう。 百足の部屋で、パトロールに出かけた彼の帰りを待とう。 帰ってきて、勝手に百足に来るな、勝手に部屋に入るなと、嫌そうな顔をする彼にこう言ってやろう。 「オレと仕事のどっちが大事なの」 25時の街はまだまだ騒がしい。 色とりどりの光の中を、弾むような足取りで蔵馬は歩いた。 ...End. |