傷跡

「聞いてもいい?」

そう尋ねる蔵馬の黒髪はオレンジ色の光に艶を帯び、背に流れている。
明かりは、床に置かれた一本の蝋燭だけだ。

人間ではない二人には人工の明かりは強すぎるし、無粋だ。
蔵馬の手製のその蝋燭は、部屋全体にやわらかな光とほのかな花の香りを与えている。

大きなベッドは二人で一緒に眠るにも充分な広さだ。
用意されたパジャマに着替えていた飛影は手を止め、不思議そうに蔵馬を見た。

「何を聞きたい?」
「この傷…」

肌触りのいい木綿のシャツを頭からかぶった所だった。
飾りも模様もない白い木綿のパジャマは、黒い服ばかりを好む飛影にも似合っていた。

蔵馬の手がのび、長い指の先がパジャマを押し上げ、飛影の脇腹にそっと触れる。
小さな体がびくっと震えたのはほんの一瞬だったが、蔵馬は見逃さない。

ごく小さな、二センチほどの傷跡。
肋骨が終わり下腹部へと続くなめらかな肌をわずかに盛り上げ、薄茶色に色づくそれはどう見ても傷跡だ。

「触るな」
「痛むのか?」
「痛くない。触るな」

黒い服の下の肌がやけに白いことを蔵馬が知ったのは、彼に出会った日のことだ。

怪我の痛みと出血に意識を失った彼を連れ帰り、手当てをした。
手当てをするために服を脱がせたのは当然のことだったし、他意はなかった。

血まみれの腹部を洗い、傷を縫い合わせ、調合した薬草を塗り込んだ。
その時だ、小さな傷跡に気付いたのは。

妖怪の体に、傷跡というものは滅多に残らない。
半妖である蔵馬自身の体さえそうだったし、そのせいで時として苦労することもあったほどだ。

よほど強い毒を仕込んだ刃で切られたか、呪術の類いか。
それにしてはやけに小さな傷跡だし、腑におちない。

ユキナ、とうわ言を呟く幼い顔に目を落とし、蔵馬は首を傾げた。
***
「どうだっていいだろうが」

広いベッド。清潔なシーツ。着心地のいいパジャマ。

大きな枕に顔を埋めて横になり、飛影は投げるように言う。
眠くてしょうがない、とでもいうようにわざとらしくあくびをしてみせたが、その赤い瞳は暗い色を帯びている。

蔵馬の視線を塞ぐように飛影は瞼を閉じたが、反らされない視線に気付くとすぐに目を開け、薄く笑った。

「昔の傷だ。…ただの傷跡だ」
「ただの?」

蔵馬が眉をしかめるのを、飛影は睨む。

「……聞いてどうする。お前に何の関係がある?」
「オレはまだ、あなたにとってその程度の存在なの?がっかりだな」

短い髪を蔵馬の手のひらがすくい上げ、指先で梳く。

共に過ごし、共に眠る。
キスを交わし、同じベッドで眠る。時には抱き合って眠ることもあった。

まだ体を繋げてはいなかったが、それ以外の恋人同士がするであろう行為のほとんどを二人はしているのだから、蔵馬の言葉も無理はない。

それ以上のことはしたくないと、態度で示してきたのは飛影の方だ。
許すのはキスや抱擁までと、頑なな生娘のように性交を拒んできた。

同じ時を過ごし、食事をし、ただ一緒に眠る。

それを受け入れ、待つことにした蔵馬だったが、それは蔵馬自身にも意外だった。
妖狐だった頃なら、あの手この手を使って落としただろう。妖力や腕力では五分でも、知力や策略では飛影は到底蔵馬には敵わないのだから。

大切にしたい、そう思っているのは確かだ。
けれどそれだけではない。自分の中のもっと深く、暗い所からの判断が、今はまだ無理に抱く必要はないと伝えていた。

「ただ、聞いただけ。妖怪の体に傷を残すなんて何かの毒かと思ってさ」

髪を梳く指先に猫のように目を閉じていた飛影が、ふっと小さな溜め息をつく。

「…毒じゃない。これはオレが自分で付けた傷だ」
「自分で?」
「そうだ。たいした話じゃない。ヘマをした。追われた。捕まった。犯された」

それだけの話だ、と言い捨て、再び目を閉じようとした飛影の頬を、大きな両手が包んだ。

「何を…」
「聞かせてよ」
「断る」
「たいした話じゃないんだろう?なら聞かせてよ」
「…知ってどうする?」

赤い瞳と碧の瞳が、互いを見つめる。
真っ直ぐな視線から、先に逃げたのは飛影だった。

小さな手が蔵馬の髪を引き、顔が近付く。
目を閉じた飛影は、蔵馬の額に自分の額をそっと重ねた。
***
視界がかすむ。

粗末な館にあったぼろぼろの服や破れた寝具をかき集め、体に巻き付けた。
穴だらけの不潔な布は、どれもこれも黴臭く湿っていたが、そんなことはどうでもよかった。

この森が寒いわけではない。
ひどい高熱に苦しむ者にとっては、極寒のように感じるというだけの話だ。

「……ぅぁ…」

甘く、みずみずしい果実。
以前にも食べたことがある実だった。だから何も考えずに口にした。川も湧き水も見当たらない森で水の代わりに口にした程度のものだったというのに、みずみずしく甘い果実は半時もしないうちにひどい腹痛と高熱を飛影にもたらした。

「…っ、ぅ…」

吐き戻したところで手遅れだった。
あっという間に体内に吸収されたらしい果実の毒に、一晩中、のたうちまわった。

ようやく迎えた朝は、弱り目に祟り目とはこのことか、凄まじい豪雨だ。

水を求めていたのが馬鹿馬鹿しく思えるほどの雨。
昨日欲しかった水はもはや無用どころか、下がらない高熱に苦しむ体を冷やすばかりだ。

木陰にさえ強い風が雨を叩きつけ、逃げ出した先にあったのがその館だった。

朽ちた壁はもはや元の色すらわからない。大きくひび割れた床からは雑草が力強く生えている。そこには残る妖気も金目の物もない。どう見ても廃虚にしか、見えなかった。

大穴の開いた屋根を避け、奥まった部屋を見つけた。
ごたごたと得体の知れないゴミがあふれた部屋だったが、雨風はしのげそうだ。
壊れた寝具とこれまた黴臭い布で、高熱に軋む体を覆い、飛影は丸くなった。
***
高熱のさなかに見る夢は、悪夢と決まっている。

周りで喚く氷河の婆ども、引き離された赤ん坊の妹、母親の亡き骸は同じような顔をした女たちに引きずられどこかへと消えた。
草履の脱げた足先、血にまみれた白い足、白い足袋に点々と散る赤い滴。それが母親の最期の姿だった。

氷河はなんと、寒いのだろうか。
震えながら布を頭まで引っぱり上げた途端、嫌な気配に気付いた。

しまった。

舌打ちをした所で遅過ぎる。
この朽ちた館に、明らかに他者の気配があった。

「……っ」

痛む腹を押さえてなんとか起き上がり、抱えていた剣を引き抜く。
まったく下がる気配の無い熱に、足元がふらつき、剣が揺れた。

あっと思った時にはもう遅かった。
汗に濡れる左手から鞘が滑り落ち、ひび割れた床で硬く鋭い音を立てた。

自分がしでかしたことが信じられず、飛影は無機質に転がる鞘を呆然と見下ろす。

「おい、なんか音がしたんじゃねえか」
「気のせいだろ。てめえのオンボロ家に誰がいるってよ」
「金もねえ、女もいねえ。おまけに屋根すらねえんだからなァ」

げらげら笑う男の声、ガチャガチャと酒瓶らしき物がぶつかる音。
二人、いや、三人か。

「おい、確かに音はしたぞ」
「うるせえなあ。じゃあてめえが見て来いよ」

重く愚鈍そうな足音が近付く。
サッと見渡した部屋の中に隠れられるような場所はない。物置きのような小さな戸があるがもう遅い。おまけにかき集めた布の山は、たった今までここに誰かが寝ていたことを如実に示している。

建て付けの悪い扉が軋む。
扉が開いた瞬間、飛影は大きく踏み出し、構えていた剣を振り下ろした。

「ぎゃああああっ、なんだ!! このっ…ガキ…くそっ!!」

しくじった。

剣が付けたのはかすり傷だ。致命傷にはほど遠い。
男の叫び声を聞きつけたのか、どたどたと足音がする。

飛影は身を翻し、物置きらしき扉に飛び込む。
自分が入ればいっぱいになるような、文字通りの物置きで、鞘をかんぬき替わりに引っかけた。

「おい!どうした!」
「ガキだ!来てくれ!取っ捉まえる!!」

逃げられはしない。
狭い物置きで、熱く短い呼吸を繰り返しながら飛影は考える。

確実に、殺される。
相手は三人、立ち上がることさえおぼつかない今、勝ち目はない。
ガン、と物置きの扉が蹴られる。元々おんぼろの建物だ。もう二三度蹴れば木っ端みじんになるだろう。

苦しさと焦りに頭を振った途端、胸元から光がこぼれ出した。

氷泪石。
喘ぎながら、飛影は右手でぎゅっとそれを掴んだ。

渡したくない。
例え自分が死んだ後だって、誰にも渡さない。

ためらわなかった。

紐を噛み千切り、物置きの隅に投げる。
飛影は上衣をまくり上げ、剣の切っ先を自分の腹部に突き刺した。

「……っ!!」

ごく小さく、けれど深く差し込む。
濡れた剣を引き抜き、血をあふれさせる傷口に氷泪石を押し当て、指先で熱い体内に押し込んだ。

「……っぁ…く」

残りわずかな妖力を指先に集め、傷口をなぞり、閉じる。
流れ出した血を拭き取るように上衣を下ろした瞬間、背後で扉が砕け散り、はずみで飛影は転げ出た。

「おっ、獲物じゃねえか」
「なんでえ。雄かよ」
「汚ねえガキ」

飛影は再び構えたが、男たちの一人の足が、剣をあっけなくはじき飛ばす。

「金目の物もこの剣くらいだしよ。雌なら使い道もあるってのに」
「なんかこいつ、変な病気じゃねえか?様子がおかしいぜ」
「うわ。きったねえ上に危ねえな。さっさと殺して外に放り出せよ」

自分の剣は汚したくなかったのか、男の一人が飛影の襟首をつかみ、飛影の剣を拾い上げた。

「外でやれよ。オレん家を汚すな」
「何言ってやがる。ゴミだめみてえな家のくせして」

男が構えた剣を、飛影が傷を負わせた男が止める。

「なあ、オレに寄越せよ」
「ああ?てめえを切ったガキだぞ?ケツでも掘るってか」
「悪くねえよ。オレ、こういう生意気そうなガキが好みなんだ」

まるで物のように、その男は飛影をひょいとつかんだ。
高熱にうかされ潤む赤い目で、飛影は男を睨む。

「いい目だな。ケツも良かったら飼ってやってもいいぜ?」

男はニヤリと笑うと飛影を床に落とし、覆いかぶさった。
***
何もかもが失敗だ。
食べたことのある果実だからと油断して口にしたことも、廃虚だと判断した館に住人がいたことも。

汗に湿った服はひどく脱がしにくい。
見るからに気の短そうな男は飛影の剣を拾うと、一気に服を切り裂いた。

泣き言を言うつもりも、やめてくれと哀願するつもりも飛影にはない。
強者には弱者を踏みにじる権利がある。それが魔界だ。

今この瞬間、強かった者が勝者だ。

関節が外れるような勢いで、両足を大きく開かれた。
強姦するのに口づけも、性器への愛撫も必要ない。犯される側に必要なのは穴だけだ。

「へー、毛も生えてねえのか。いいねえ。オレ好みだ」

男は飛影の尻を持ち上げ、薄い肉を左右に開く。
息がかかるほど近くでそこを眺めると、ざらつく舌でねっとりと舐めた。

「……っ!」
「小せえ穴だ。こりゃ良さそうだ」
「ぐだぐだ喋ってねえでぶっ込めよ、おら」

大笑いする仲間の一人は、仰向けに押し倒された飛影の両腕を踏みつけるように乗っている。
両足の固い靴底で踏みにじられた剥き出しの腕が、ささくれた木の床に血を流す。

「どれ…」

鋭い爪の生えた親指と人さし指を無理やり捻じ込み、すぼむ穴を左右に広げる。
男は自分の手で股間をしごき、熱い塊になったそれを小さな穴に押し当てた。

「……っ…ぅ!」
「く~。きっついケツ穴だな。入りゃしねえよ」

男の侵入を阻むかのように、穴はますますきつく締まる。
硬く太い肉棒が、苛々と押し付けられる。

「何、無駄な抵抗してやがるんだ、このガキ」

見物していた男が、飛影の頭を蹴飛ばす。
高熱のめまいに衝撃が加わり、一瞬飛影の視界が暗くなりかかる。

「おい!気絶させんなよ!面白みがなくなるだろうが。そうだ」

覆いかぶさっていた男はニヤニヤ笑うと、飛影の縮こまった陰茎を掴み、持ち上げた。
懐から出した小刀を根元に当てると、その冷たさに飛影がひっと息を飲む。

「助けてって泣かねえのかよ?いいねえ。オレはこういう気い強えーのが好きなんだよなぁ」

切り落とされるのかとさすがに青くなった飛影だが、冷たい刀の先端は、根元から穴のすぐ側までの皮膚を浅く切った。

「……っ!!」

たちまち溢れ出した血が、穴までたっぷりと流れる。
ぬちょっと音を立て、男は先端にそれを塗りたくると、血のぬめりを使い、一気に飛影を貫いた。

「…うっぁ……ああぁぁぁぁあ!!!!!」

踏みつけられていた足を振り落とすような勢いで、飛影の体が跳ねた。

悲鳴を上げて、こいつらを喜ばせるようなことをするつもりではなかった。
耐えられると思っていた。

だが、これは。
これ、は。

体内に差し込まれた肉の熱さ。漂う悪臭。
圧迫感と異物感。
肛門がいっぱいに押し広げられ、直腸をガツガツと突かれる。
内臓が破裂しそうな激痛に、背が反り返る。

「ああぁぁぁぁぁあ!!! ……っあ、うああああ!!」
「す…げえ……イイ…こいつ…狭…い……イイ…っ」

切られた傷から、裂かれた腸から。
流れ出す血は潤滑剤となり、ますます男の動きが激しくなる。

ぐちゅっ、ぐちゅっと音を立て、飛影の体内を肉棒が激しく行き来する。
醜い男の悪臭を放つ性器が、自分の内臓を蹂躙する。その苦しさとおぞましさ。

「い、あ!っく……ふあ、あ、ああああ!!イ、うあ、アアアア!!」

痛みに叫ぶ姿に、どうやら他の男もそそられたらしい。
ついさっき飛影の頭を蹴飛ばした男が、何を思ったか下衣を脱ぎ捨て、ぶらんと垂れたマヌケな性器をさらしたまま、飛影の胸にどかっと座る。

「なんだ、おい!邪魔すんな!!」
「いいっていいって。てめえはそこでケツ掘ってろよ」

混乱する頭で、座る男を睨む飛影の目の前に、信じられないものが差し出される。
薄気味悪い紫色をした性器が、飛影の口元に押し付けられる。

「舐めろよ」
「あ、う、ふ……ざけ……っ噛み…切って、や…」

汗を浮かべるこめかみに、刃の切っ先が当たる。

「歯を立てたら、てめえの脳味噌串刺しにするからな」

刃の先が、飛影の皮膚を引っ掻くように動く。
絶対に嫌だと閉ざす唇が、尻を強く突かれた痛みに思わず開いた。

「あっう、ああああ!! ん、ぐう!」

口の中に押し込まれた肉塊は喉を突き、前後に動き出した。
嫌悪に目を見開き、突かれた喉は逆流してきた胃液で満ちる。

苦しさのあまり潤む目に、男たちは下卑た笑いで囃す。

「……んん、うあ、ん…む…んんんん」
「いい、ぜ、こいつ…すっげえキツイ。中が吸い付くみたいで…すげえいい」

自分の体のあちこちから聞こえる、粘り気を帯びた音。
男たちの息遣い、笑い声、笑い声、笑い声。

全ての音が強い雨音と共に、鳴り止まぬ耳鳴りのように飛影の耳に響く。
血の匂いが、部屋中に立ち込める。

「う、ひ、ほらよ…全部飲め…っ」

自分の流した血とは違う熱さが、飛影の直腸を焼くような熱さで流れる。
嫌悪に身を捩り、排出しようと力を込めても、そこは肉の塊に塞がれたままだ。
口に詰め込まれた性器が弾け、こちらも汚れた粘液を飛影の喉に叩きつけた。

「うあああああ、あ、げえっ…うぇ…ガハ…っ」

口と肛門からずるりと肉が引き出され、思わず息を止めた所に、声がかかった。

「替われよ。今度はオレだ」
「なんだおめえ。こんな汚ねえガキとやりたくねえんだろ?」
「気が変わったんだよ。こいつにオレのもぶちこんでやる」

尻を犯していた男も、口を犯していた男も、揃って馬鹿笑いをし始めた。
おかしくてしょうがないとでも言うように、手を叩き、頭を反らして大笑いをしている。

「このガキ、全然勃ってねえよ。面白くねえ。おめえらが下手過ぎんだろ」
「へっ。手練れ気取りかよ。勃たねえのは、こいつがガキ過ぎるからだろ」
「おめえのをぶち込んだら、こいつ気が狂って死んじまうぜ。オレが飼うんだからやめろよな」
「……かは…っ…な、に…を……!」

飛影の両腕に足をかけていた男が足を下ろし、醜い顔に汚らしい笑みを浮かべ、芝居がかった動作で自分のものを引っ張り出す。
飛影の目の前で、見るもおぞましいそれを振った。

「………っ…ぁ……や」

びっしりと、巨大な陰茎を覆う鱗。
鱗は飛影の親指の爪ほどの大きさで、爪と違うのは、ひどく硬そうで、先端が尖っているということだ。

「……ぁ……や……め…」
「よーく見ておけ。今からお前の尻の穴に入るもんだからな。これならそのちっせえのも勃つだろ?」
「っ……!!」

口を犯していた男が心得たと笑い、飛影の両腕を押さえる。
尻を犯していた男もまるで楽しい遊びに加わるかのように、飛影をうつ伏せにし、乱暴に腰を引き、鱗の男に向かって尻を突き出すように高く上げさせた。

いつだって、今が一番最悪の時だなどと思うのは間違いだ。
沼の底に足が着いたと思った瞬間、沼はさらに大きな口を開けると決まっている。

「やめ……」

薄く削り出した石のように硬い鱗を纏った肉塊が、飛影の穴に力強く突き込まれた。
大きく太い肉塊が直腸を破裂させんばかりに膨らませ、無数の鱗はやわらかな臓物を切り裂きながら最奥へと進む。

朽ちた建物を崩さんばかりの、耳をつんざく悲鳴が森中に響いた。
***
黴臭さと湿った空気。
重い瞼を押し上げ、辺りを見回す。

痛み。それに悪臭。
頭も、腕も足も何もかもが痛かったが、尻の穴から下腹部にかけての焼けるような痛みに比べればかわいいものだ。

「……っ」

汚い部屋に裸のまま転がされ、右手と右足を、左手と左足を、ただのぼろ布を裂いた物でまとめて縛られている。
こんな物で自分を拘束しておけると思われたことに、飛影はただ驚く。股間を晒すように膝を曲げて放置されていたのが、男たちの根性をよく表していた。

「……くそ…っ…ふざけ……やが…って…」

唇が裂け、乾いた精液でピリピリと痛む口を開け、縛めを噛み切った。
右手が自由になれば、後は容易い。

「……ぅあ…」

熱はどうやら少しは下がってきているようだ。
いったい何時間気を失っていたのか、なんとか体を起こし、痺れる両手足を飛影は見下ろした。

腰をほんの少し浮かせた途端、尻の中で硬い物が動き、激痛が走る。

「く、う!うあ……ぁああ!!」

手の震えが激しく、思う通りに動かない。
尻を突き出すように横たわり、何度か失敗し、ようやく肛門を開き、自分の体内に指を入れた。

硬く薄いうろこ。
直腸に刺さっていたのは二枚で、震えの治まらない指を押し込み、なんとか二枚とも引っこ抜いた。

血だらけのそれをずるずると引っぱり出し、見るものおぞましいと力いっぱい投げる。
込み上げてきた猛烈な吐き気に抗えず、全身を痙攣させ、吐いた。

血の臭い。汗の臭い。精液の臭い。たった今吐いた胃液の饐えた臭い。
まだ朦朧としている意識の中、飛影は視界に映る自分の両足を見つめた。

あちこちに痣や掻き傷の浮いた両足は、血にまみれている。
血の気の失せた白い両足を伝った、濃い赤。

その既視感に、しばし飛影は呆然とする。

どこかで、見た。
これとまったく同じ風景を。

あの日のそれは雪の上だった。
母親の遺骸は、まるで邪魔な荷のように引きずられ、闇の中へと消えた。

血と体液にぬめる指で、脇腹を探る。
かすかに盛り上がる皮膚の下に、石の硬い感触があることに安堵する。

安堵、そして次の瞬間にあったのは猛烈な怒りだった。

壁に手を付き、ふらつく足で立ち上がるその姿は、全裸で、血まみれで、幼かった。
大きな瞳が一瞬閉じ、また開く。

燃えるような、怒りを宿して。
***

触れていた額が離れ、幼い顔に似合わぬ冷たい笑みが蔵馬の目の前にあった。
甘く香る蝋燭は、半分ほどの長さまで減っていた。

「…どうだ?面白かったか?」

蔵馬は答えず、ゆっくりと目を開けた。

「お前もオレに同じことをしたいか?オレのケツに突っ込みたいか?どうだ?…興奮したか?」

飛影の右手が蔵馬の股間へと伸ばされる。飛影と同じようなパジャマの下で、蔵馬の雄は何の反応も見せていない。
きまり悪そうに飛影は手を引っ込め、蔵馬を見上げた。

「くら…」
「そいつらは、もうどこにもいないんだろう?」

思いがけない質問だったらしい。
飛影は面食らったように瞬くと、またもや冷たく笑う。

「生かしておくとでも思うのか?」

十日と経たずに行った復讐は、手早く残酷だった。
あの朽ちた館で生きたまま三人の四肢を切断し、生きたまま焼き殺した。醜い男どもの醜く情けない懇願を、飛影はただ嘲笑い、火を放った。

「良かった。ならオレがそいつらを探す必要もないね」
「なぜお前が、あいつらを探す必要がある?」
「許せないからさ。あなたに」

蔵馬の長い腕が飛影に回され、きつく抱く。

「あなたに影響を与えるのは、オレだけでいい。いい影響であれ、悪い影響であれ」
「…どういう意味だ」
「あなたを傷つけるのも喜ばせるのも、オレだけであるべきなんだ。飛影」
「傷つける…?」

大きな赤い瞳が、驚きに丸くなる。

「傷ついただと?誰がだ!? オレを馬鹿にしているのか!?」

体をこわばらせ、腕を振りほどこうとする飛影を、蔵馬はさらにきつく抱きしめる。

「あなたは傷ついた。なぜってあなたは強かった。邪眼を手に入れる前でさえ」
「何を…」
「犯されたことにじゃない。犯されるほど弱い存在に一瞬でも成り下ったことに、傷ついた」
「黙れ!」
「あなたは傷ついた。だから」
「黙れ!!!!」

蔵馬の手が飛影のシャツをまくり、傷跡をなぞる。

「だからこの傷跡は消えない。いつまでもあなたに付きまとう」
「触るな!!」

蔵馬の唇が飛影の頬をかすめ、耳元に小さく、けれど鋭い言葉を吹き込む。

「許せないな。あなたに消えない傷を付けるのは、オレだけでいいんだ」

蝋の溶ける音さえ聞こえるような静寂が、部屋に落ちる。
キスできるほど近くで、赤い瞳は相手を睨み、碧の瞳はそれをただ受け止める。

「お前の言うことは……いつもよくわからん」

ようやく腕を振りほどき、のろのろと横になり、拗ねる子供のように飛影はまた枕に顔を埋める。
同じように横になった蔵馬が髪を背を撫でるのを、咎めるでもなく目を閉じる。

「…オレに何を望む?なぜお前はオレの側にいる?」
「言っただろう?あなたに影響したい。あなたを」

あなたを喜ばせたい。傷つけたい。愛したい。苦しめたい。抱きたい。

「あなたに残る跡の全部が、オレの付けたものでありたいんだよ」
「………お前、狂ってるぞ」
「知ってる。でも、狂わせたのはあなただよ」
「勝手なことを…人のせいにするな。気違いが」

近付く唇を、飛影は受け止める。
温かい舌先が唇に触れるのを感じ、小さく口を開けた。

「……ん…ぁ」

口内に侵入してきた舌を、飛影はためらいながらも受け入れる。
互いに舌を絡め合い、唾液を交換する。

「ん………くら…ま…」

口の中で呟くように、飛影は蔵馬の名を呼ぶ。
いつもなら払いのけているはずの服の中を探る手を、今夜は知らないふりをするかのようにそのままにしている。

「あ、んあ…」
「嫌なら、やめるよ…」

離れた唇が、今度は飛影の首筋に吸い付き、歯を立てる。
耳の下を、首筋を、鎖骨を強く吸うと、蔵馬は濡れた音を立て、唇を離す。

「どうする?」

判断を委ねるのは、優しいようで意地が悪い。
青白かった頬を今はうっすら染めた飛影は、蔵馬から視線を反らす。

「…今は、しない」
「いいよ。今は、ってことは今後に期待していいのかな?」

蔵馬は微笑むと、乱れた飛影の服を直すとベッドの片側に寄り、空いたスペースを指すようにぽんぽんと叩く。
出来るだけ蔵馬から離れるように横になった飛影をぐいと引き寄せると、腕の中に包む。

「離せ。うっとうしい。寝れないだろうが」
「木の上でも寝れるくせに、何言ってるんだか」

離れようとする飛影を正面からきつく抱き、蔵馬は平らな胸元に顔を埋める。
逃げることはあきらめたらしい飛影が、ふっと体の力を抜き、蔵馬の頭を抱くように、長い髪に指を絡めた。

「…蔵馬」
「何です?」
「お前は、オレを」

抱きたくないのか?

聞き逃しそうなほど小さな声で、飛影が呟く。
顔をのぞき込もうとする蔵馬の髪を引き、目を合わさないようにと自分の胸元に押し付ける。

「見るな」
「おおせのままに」

押し付けられたまま、蔵馬は飛影の匂いを胸いっぱいに吸い込む。

「抱きたいよ。なんなら今すぐ」
「なら、なぜそうしない?」

舌先で器用にパジャマのボタンを外し、綺麗に筋肉の付いた腹部に、蔵馬は唇を落とす。

「あなたの意思を尊重している、ふりをして」
「ふり?」
「ふりをして、あなたの中にオレを一番強く刻み込める日を待っている」
「…お前、本当に性格悪いな」

あきれたように、けれどなぜか微かな愛おしさも含んだ響きで飛影はぼやく。
脱げかけたパジャマの中で蔵馬の舌が遊ぶのに、くすぐったそうに身をよじる。

「この傷跡が消えるまで、側にいさせてよ」

いつの間にか、脇腹の傷跡にたどり着いた唇が、そう告げる。
飛影の指先が、長い髪が抜けるほど強く引く。

「ちょっと…痛いよ」
「この傷が消えるまで、お前はオレの側にいるのか?」

声に怒りが潜むのに気付き、蔵馬はようやく顔を上げる。

「…飛影?」
「なら、消えなくていい」

この傷はあの日からずっと痛い。もうとっくに痛くはないはずなのに、痛い。
ずっとここにあって、ずっとオレを苦しめてきた。

「お前はそのオレの側にずっといたらいい。離れることもできないで、永遠にな」

赤い瞳が、爛々と光る。
勝ち誇ったかのように。それでいて、泣き出す寸前の子供のように。

「永遠に?」
「…そうだ」

なめらかな皮膚を引きつらせている傷跡を、蔵馬は噛み取るようなキスをする。

「……っん!」
「いいよ…いてあげる。永遠がどれくらい長いか、思い知ることになると思うよ」

思い知ってから、オレを追い払おうなんて考えるだけ無駄だからね。
笑う蔵馬に、飛影も小さく笑みを返す。

「取りあえず、今夜は寝ましょうかね」

ふっとひと吹きで消された蝋燭。

あたたかな暗闇に安堵したのか、飛影は不器用に蔵馬に腕を回す。
五分と経たずに規則正しい寝息を立てる唇に、蔵馬は重ねるだけのキスをした。

小さな手、小さな体、強く脆く、幼い心。
そう遠くない未来、この生き物をまるごと全部手に入れるのだと、蔵馬はうっとりと目を細める

「…あなたに影響していいのは、オレだけだよ」

眠りの中にいる子供にもう一度囁き、蔵馬も目を閉じた。


...End.


お久しぶりでございます。
海外のクラヒストさんに捧げて書いてみました。海外にまでクラヒストがいるとは嬉しいことです。
格段の進化を遂げた翻訳機能ですがやはり完全翻訳とはいかないようで、こういう時、文字書きでなく絵描きだったらいいのにな、と思いますね。
それにしてもネットやSNSで海外の同好の士と繋がることもできるというのはすごいことです。
2017.06 実和子