落葉氷泪石。自分の物ではないとはいえ、久しぶりの氷泪石のその色にその感触に蘇った記憶を押し戻し、壊したいなら自分でやれと、オレはぶっきらぼうに妹に言い放った。 「なんだか…兄に会っても同じこと言われそうですね」 立ち去るかと思った雪菜が、ふと、というように振り返る。 「ねえ、飛影さん」 「…なんだ」 生まれる前から、目も見え耳も聞こえていた。 雪菜の声は、薄気味悪いほど母親にそっくりだ。 「…生きるって、なんですかね?」 思いがけない質問に、面食らう。 「馬鹿馬鹿しい。生きるか死ぬかが魔界だろう。もう人間界に染まったのか」 「そういうわけでは、ないんですけど」 水色の髪をかき上げるその仕草は年相応のものではなく、いやに気怠げだ。 「…生きることに飽きたら、どうしたらいいのかしら」 「飽きる…?」 「そう。飽きるの。あなたは飽きないの?」 いつの間にか、雪菜の口調は変わっている。 まるで…まるで血の繋がった兄に話しかけるような、そんな風で。 「私ね、思うの」 こちらへ数歩、雪菜が近づく。 凍った蜜のような、不思議な香り。 氷女の、匂い。 自分がその香りを記憶していたことに、ぞっとする。 「母は、死にたかったんじゃないか、って」 「………死に…たかった…?」 何を言っているのか、わからない。 雪菜は…この女はいったい何を言っているのだろう。 「凍りついたあの国で、何百年も変わらない日々を過ごしていくことに、母は多分、倦んだのよ」 うんだ、という言葉に一瞬戸惑い、理解した。 あの女が生きることに飽きていたと、雪菜は言っているのだ。 「どこの誰だか知らないけど、自分を抱いた男を愛していたわけでもなく…」 また一歩、雪菜はオレに近づく。 「……命をかけて兄を産んだなんて美談でもなくね。あの人は、母は、ただ飽きたんだと思うの」 …生きることに、飽きたのよ… ぞっとするほど冷たく、その言葉は耳から胸へと染み込んだ。 包帯に包まれた右手に、冷たい指が絡む。 雪菜の左手が、妹の左手が、オレの右手を握っていた。 「私は、氷河を滅ぼすわ」 「………そうか」 「それが、兄と…私の復讐よ」 この女は、きっと氷河を滅ぼすことができるだろう。 オレの手など借りなくとも。 それだけの力を持っている。 今、はっきりそうわかった。 「ねえ、飛影さん?」 絡められた指先に、力がこもる。 「復讐を目的に生きて…そして叶えたら。この手には何が残るのかしら?」 染み込んだ言葉が、胸の中で凍りつく。 「空っぽの心と、空っぽの手で。それでも生きていくことは、できる?」 …ああ。 どうして。それを。 どうしてオレの目の前に差し出す? この手の中に何もないことを、なぜ知っている? もう生きる意味はないと、 どうして妹のお前がオレに、思い知らせる? わざわざ言霊を持って、会いに行った。 そんな必要はなかったのに、あいつの前で躯からの言伝を聞いた。 最後の、賭けだった。 引き留めてくれるかもしれない、一緒にいたいと言ってくれるかもしれない。 心のどこかでそう思ったから、オレは。 指の力が、ゆるむ。 「…さようなら。飛影さん」 そのさようならに、永遠の別れが込められていることは、わかった。 雪菜は、オレがもう生き続けるつもりがないことを、知っている。 強くなるため? その相手に事欠かない? だから躯の元へ行く? 自分で並べた嘘という矢は、オレに突き刺さっただけだった。 オレは躯の元へ。 蔵馬は、黄泉の元へ。 そして、オレは。 視界から消えようとしている雪菜の背。 呼び止めたら、自分が兄だと名乗ったら、新しい意味を見つけられるのだろうか。 …生きる意味を、見つけられるのだろうか。 強い風が木々を揺らし、舞い散る葉の中に、もう雪菜の姿はない。 その場に座り込み、まだ落ちる時ではなかったであろう、青い葉を拾う。 風に引き千切られた若い葉は、 青いまま死んでいた。 ...End |