Old foxふと、彼のことを考えたのは予感だったのだろうか。高校を卒業し、就職すると同時に家を出た。 借りたアパートは古ぼけた鉄筋コンクリートで、それでも古い建物特有のゆとりのある間取りや、大きなベランダと窓が気に入って選んだ部屋だ。 時々、仲間たちが家に遊びに来る。 仲間とはもちろん会社の人間ではないし、学生時代の友人でもない。 それはただの知人だ。 オレにとっての仲間は、彼らだけだ。 それぞれの生活の合間に、それぞれの恋人や、時には姉や母親まで連れて彼らはやってくる。酒を持って騒々しく遊びに来る彼らを簡単な料理でもてなす、月に一度か二度程度のその時間を、オレは楽しんでいた。 そんな集まりに滅多に来ることはない彼を思い出したのは、アパートの誰かがこっそり飼っているらしい黒猫を見かけたせいかもしれない。 幽助が無理やり魔界から引っぱってこない限り、飛影が人間界に顔を出すことはなかった。 きっと魔界で、彼には彼なりの生活があるのだろう。 本音を言えば寂しい気もするが、百足のやつらと上手くいっているのならそれはそれでいいことだと、自分を納得させていた。 集まりの間中、いつでも部屋の隅に座り、ごく薄く作った酒を無愛想に受け取る彼のことを思い出し、久しぶりに顔が見たいと思った。妹の話でもして無口な彼をからかって、何か美味しい物でも作って食べさせてやりたいと。 思ったその日に会うことになるなんて、人に話せばずいぶんドラマチックなできごとのように聞こえるだろう。 残業を終えて帰宅した午後八時。いつものように鍵を開けネクタイを緩めた拍子に、オレを待っていたかのように、乱れた妖気が文字通り飛び込んできた。 軽やかに降り立ったとは言いがたい。 ベランダに降りた瞬間、飛影はよろめき、錆の浮いたベランダの柵にしたたかに背をぶつけた。 窓にあてられた手のひらが、ガラスにべったりと汗の跡を残す。 「飛影!?」 慌ててガラス戸を開けたオレに、しゃがみこみ、窓に両手をついて体を支えていた飛影が顔を上げた。 血走った目、青ざめた顔。 わななく唇からこぼれた言葉は、まったく彼らしくない言葉だった。 「…助けてくれ、蔵馬」 ***
立ち上がることもできずにいる飛影に、とにかく部屋へ入って横になれと声をかけ、抱き上げた瞬間、黒いコートがひらりとまくれ上がる。オレは驚きに息を飲んだ。 怪我なのか、何かの病なのか、飛影の腹は膨れ上がり、黒いタンクトップは今にもはち切れそうだ。 ベッドに横たわらせ靴やコートを脱がせる間も、オレはその腹から目が離せなかった。 躊躇ったのはほんの一瞬で、すぐに服も全部脱がせた。最初に考えたのは怪我だったからだ。 体中が、ぞっとするほど白かった。 盛り上がった腹、つるりとした股間や幼い性器、体のどこにも傷は見当たらない。 次に考えたのはもちろん毒物だ。しかし、経口した毒物だったとしても、どう見ても昨日今日摂取したわけではない。今さら胃や腸を洗浄したところで無駄だろう。 朝脱いでベッドに放り投げておいたままだったパジャマを着せてやる。オレの服では大きすぎるが、その方がこの腹にはちょうどいい。震える体に毛布をかけ、汗で張り付く髪をかき上げてやる。 「飛影、何があった?」 細かく震えるまぶた、唇、指先。 眠ってしまったのかと溜め息をつくと、飛影がゆっくりと目を開けた。 「……蔵馬」 「どうしたんだ?この…」 この腹はどうした?まるで妊婦だ。 そう思ったが、なぜか口に出してはいけないような気がして、膨らんだ腹の上に、オレは毛布の上からそっと手を乗せた。 何か言いかけて、飛影はまた口を閉じる。 ベランダに倒れ込んできた時にはどうなることかと思ったが、今すぐどうこうということはなさそうだ。あたたかい物でも飲ませてやった方がいいだろうと、オレは部屋を出る。 冷蔵庫を開けたところで、あるのは水か牛乳、幽助が置いていったビールだけだ。あいにく紅茶も切らしている。仕方なく小鍋に牛乳と砂糖を入れ、火にかけた。 一体、どうしたというのだろう。 怪我をした様子はない。病気?もちろん妖怪だって病気になることはある。 病気だったとしても、なぜここへ? 飛影は大切な仲間だ。もちろん、彼が望むのならば看病を厭うわけではない。だが百足には医療用のポッドもある、医師もいる。ここで百足にいる以上の治療が与えられるとは思えない。オレを頼ってきたのならば、手に入りにくい薬草でも欲しいのだろうか。 考え込んでいたのはほんの数分だったはずなのに、気がつくと牛乳は沸騰しぶくぶくと盛大に泡立っている。慌てて火を止めたが、少し冷まさなければとても飲めたものではない。鍋はそのままにして、部屋に戻った。 「飛影?」 ベッドに横になったまま、飛影は天井を見つめている。 揺らさないようそっとベッドの端に座ったオレへと、視線が動く。 「飛影、どうしたんだ?」 「…どうもしない」 人を頼ってくるのなら、きちんと頼って欲しい。 心配をさせておいて、この態度。相変わらずだ。 「どうもしないわけがな…」 「ただの分裂期だ」 遮るように放たれた言葉に、オレは面食らう。 「…分裂期?」 「そうだ。氷女は百年ごとの周期で自分の分身を産む。知らないのか?」 あっけにとられ、オレは何も返せずにいた。 氷女が百年ごとの周期で子供を産むことはもちろん知っている。氷河の国は女だけの世界で、繁殖にさえ男は必要ではない。単独生殖をする種族は魔界でさえ珍しい。 だが、それが飛影と何の関係があるというのか。 「氷女の分裂期がお前と…」 何の関係が?という言葉をかろうじて飲みこむ。 それは氷女の性質であって、忌み子とは無関係だ。忌み子が受け継ぐのは雄側の性質のみなのだから、本当に何の関係もない。 けれどオレはそれを飲みこんだ。飛影の目の光が、オレの返事次第で今すぐここからいなくなる気であることを知らせていたからだ。 「…お前はまだ、生まれて百年も経っていないだろう?」 「そうだ。オレは純粋な氷女じゃないからな。同じ周期ではなかっただけのことだ」 「なるほど。ところで、どうしてここへ?もちろん構わないけど、百足の連中が心配してるんじゃないかと思ってさ。オレの所へ行くって言ってきたのか?」 どういう風に話を進めるのが正解なのだろう。薄氷を踏むような会話に、オレの背にもうっすらと汗が滲む。 この話の先が見えてきたような気が、して。 起き上がろうとしている飛影に手を貸し、背に枕を入れてやる。 「…躯も時雨も、オレがおかしいと、気が狂ってると言った」 違う。あいつらは何もわかっていない。 オレは氷女の子供だ。だから自分の分身を産める。子供を産めるに決まってる。そうだろう? 「これを見ても信じないなんて、おかしいのはあいつらだ」 膨らんだ腹を飛影は毛布で包み、両手で抱くようにしている。 挑むようにこちらを睨む目は、人間界のしらじらとした蛍光灯の元でさえ、爛々と輝いている。 正しいのはあいつらの方であって、狂っているのはお前じゃないのか。 その腹の中身はなんなんだ? そんなことは絶対に言えはしない。 静まり返った家の中。 遠くかすかに、消し忘れた換気扇の音がした。 「…飲む物を持ってくるから。飲んだら取りあえず眠るといい。ひどい顔色だぞ」 少しでもいいから、時間稼ぎをしたかった。 とっくに冷えているかと思った牛乳はまだ充分に熱くて、たったあれだけの会話をどれほど長く感じていたかを思い知らされる。 まずは百足に、躯に連絡を取ること。 何がどうなってこの有り様なのか、確認しなければならない。後は何をしたらいい?幽助に知らせる? マグカップの七分目ほどまで熱い牛乳を注ぎ、部屋へ戻った。 「飛影。ほら、飲んで。冷めないうちに」 砂糖には匂いはないはずなのに、甘くした牛乳は香りも不思議に甘ったるい。 部屋にふわりと湯気が立ち、オレはやわらかく匂うマグカップを差し出した。 ぐぷっと濁った音を立てた喉と唇を押さえた姿に、まずいと思う間もなく、飛影はごぼっと嘔吐した。 青を通り越し真っ白になった顔。片手で腹を、片手で口を押さえ嘔吐く姿に、オレは慌ててマグカップを遠ざけ、背中をさすってやる。 「っぐ…ぅえ……っいらな…い!う……あぁ…ぐ、嫌だ…そのにおい…っえ…」 「ごめん、悪かった。片付けてくるよ。待ってて」 健気に湯気を立て続けているマグカップを台所に戻し、棚からタオルを取り、お湯で絞る。 まだ吐き気が治まらないらしい飛影に熱いタオルを渡し、吐瀉物を包むように汚れた毛布を剥ぎ取った。 「飛影」 肩で息をしながら、飛影が顔を上げる。 充血した目、雪のように白い顔、震えているのはこの部屋が寒いせいだけじゃない。 「オレに何をして欲しいんだ?」 「匿ってくれ」 躯に見つかりたくない。百足に連れ戻されたくない。 ここにいさせてくれ。 「もうじき産まれる。そう長くはかからない。頼む」 小さな体の腹部は限界まで膨れ上がっている。確かにそう長くはかかりそうもない。 つまりは、時間がないということだ。 「…わかったよ、匿ってやる」 「誰にも言うな!躯にも!幽助にも!!」 「絶対知らせない、約束する」 「……約束だぞ」 ようやく安心したのか、長く深く息をつき、飛影は熱いタオルに顔を埋めた。 ***
躯にも幽助にも知らせた訳ではない。だから、これは裏切りにはならない。 そんなのは詭弁だとわかってはいるが、このままにしておくわけにもいかなかった。 どのみち、躯が飛影の居場所の見当がつかないはずもない。隠れる場所など限られている。 職場の屋上は水のタンクや何やらわからぬ設備が置かれているだけで、人の出入りは禁止されている。 吹きさらしのコンクリートに腰掛けて、オレは綺麗な薄紅色の蝶に話しかけていた。 「似合わない使い魔だな」 薄紅色の体から半透明の羽を生やした蝶は、時雨の使い魔だ。 髭面男のくせに雅な使い魔だと、こんな時なのにおかしくなる。 「飛影はやはり、御主の所におるのだな?」 「だとしたら?そっちに帰すつもりはないよ」 「その方がよかろう。世話はできるのか?」 「人間界での生活を放り出して飛影の世話ができるのか、って意味なら、なんとでもなるさ」 人間たちの記憶を操作することなどどうということもない。しばらくの間、南野秀一という人間がいたことさえ忘れさせてしまえばいい。 今日はそのために飛影を置いて、こうして外へ出てきたのだし。 時雨の溜め息と同時に、蝶はきらきらと鱗粉を撒く。 「…今は百足からは離れている方がいい。躯様は白黒はっきり付けたがる。だが、飛影を追いつめない方がいい」 「追いつめない方がいいのは確かだろうね。あの腹は、一体何が入っているんだ?」 聞いておいて、オレにはもう答えは分かっていた。 「何も入っておらん。あれは想像妊娠だ。飛影の願望に過ぎん」 「だろうな」 あの膨らんだ腹に、生命の兆候は全くなかった。 分かり切っていた答えに、オレは空を仰ぎ、陽射しに目を閉じた。 時雨が言うには、腹の膨らみの八割は血液と体液だという。体中の液体を集めて膨らんでいる腹なのだから、破裂した時にすぐに処置できなければ失血死することになる、と。 ネクタイを外し、くそ、とオレは呟く。 飛影は元々色が白いが、あの白さは尋常ではなかった。 今の飛影は、氷女のように白い。 「で、オレはどうしたらいい?」 「これを見ろ。ここが核、ここから流れるこの四本の大きな血管を…」 蝶が舞い上がり、軌跡で宙に絵を描く。 次々表れる飛影の体内。内臓や血管の通り道の図を、オレはしっかり頭に叩き込むべく目を細めた。 「憶えたか?腹が破裂したらこの四本の血管を二十秒以内に止血しろ。大きな血管はこれだけだ。後はどうにかなる」 「医者でもないオレにはずいぶんと簡単な仕事だね。できなかったら?」 「飛影は死ぬ」 二十秒。 ほんの一分そばを離れただけでも、戻ってきたら死んでいるということにもなりかねないわけだ。 「それをわかっていても、あんたはオレに飛影を任せるって言うんだな?」 用は済んだと言わんばかりに蝶はひらりと舞い上がり、ビルの間を吹き上がる風に乗ってあっという間に見えなくなった。 同僚の机から失敬してきた煙草をくわえ、ライターの火を見つめ、火を消し、煙草を箱に戻した。 煙草の臭いなどさせて帰ったら、飛影の胃袋をひっくり返すだけだ。 ***
じゃがいもにキャベツ、かぶとかぶの葉と、主張の少ない野菜だけを煮込み、塩で味付けしたスープを椀に持ってやる。すりおろした林檎にはスプーンを添えて。飛影のために、味も匂いも薄い食事を作るのも、一緒に食べるのも、一週間もすればもう慣れた。 ようやく食事を取ったかと思えば吐き、眠ったかと思えば高熱にうなされている。 それでも朝になれば愛おしそうに腹をさすり、名前は何がいいと思う?などと少し照れたように聞く飛影に、オレは何と答えればいいのかわからない。 答えがあるのかどうかさえ、わからない。 今夜も高熱に苦しんでいる飛影の額に、氷水で冷やしたタオルを乗せてやる。 眠っている間でさえ、宝物を離さない子供のように、飛影の両手はしっかりと腹の上にある。 オレのやるべきことは二つ。 一つ目は、この想像で満ちた腹が破裂したら、失血死しないよう処置をすること。 二つ目は…その後どうするのか、ということ。 すでにぬるくなったタオルを、氷水に浸けた。 ***
自分の手がひどく震えていることに、ようやく気付く。…間に、合った。 恐ろしいほどの焦り。急き立てられた恐怖と、間に合ったという安堵が、全身を震わせる。 飛影のつんざくような悲鳴が、まだ頭の中にガンガン響いている。 大きな四本の血管さえ止血できれば、後は落ち着いて処置をしてもいい。時雨はそう言っていた。 深呼吸をし、血でぬるぬるとすべる手をタオルに拭い、針を取った。 薄い肉をすくい、手早く縫い合わせる。 飛影が意識を取り戻す心配は当分ないが、目覚めるまでにこの血塗れのベッドを片付けて、清潔な寝具に寝かせておいてやりたかった。 だって、まるでこの部屋は殺人現場だ。 殺されたのは、飛影の子供だ。 飛影が創り出し、飛影が殺した子供。 こんな場所に飛影を置いておきたくない。 それでは、あまりに。 眠っているだけだとわかっていても、オレは時々手を止めて、それを確かめる。 飛影の呼吸を、体温を、生を確かめる。 ***
部屋は一見綺麗に片付いていて、それでいてどこかちぐはぐだった。例えばそれは新品のマットレスや枕や毛布のせいかもしれないし、血を洗い落とせるとは思えず、捨ててしまったラグのせいかもしれない。 あるいは、大きな枕に寄りかかって体を起こし、何もない壁を見据えている赤い瞳のせいかもしれない。 「飛影」 もう少し眠った方がいいだとか、何か食べた方がいいだとか、大人ぶった言葉を飛影にかけてやることもできた。 けれど、オレはそうはしなかった。 「…どうしてなんだ、飛影?」 どうして想像で腹を満たした? なぜそんなことになった? 何がお前をそうさせた? やわらげることもせずにオレがぶつけた言葉にも、飛影は何も答えない。 細くなった両腕がのろのろと上がり、平坦になった腹を覆う。 痛み止めを飲むことを飛影は拒否した。分厚く巻かれた包帯が痛々しい腹は、きっと今も激しく痛んでいることだろう。 「飛影…」 飛影の大きな瞳にきらきらと膜がかかる。 両目から一粒ずつ落ちた涙は、石にもならずに飛影の手の上で跳ねた。 「…オレの子供なら………オレを必要としてくれると思った」 オレを必要としてくれる。愛してくれる。 少なくとも大きくなるまでは、オレのそばにいてくれると思った。 「……それだけのことだ」 いっそ、飛影がヒステリックに泣きわめいてくれたらいいのに。 そうしてくれたら、抱きしめることができるのに。 飛影がこぼした涙はたったの二粒だけで、それは宝石にはならなくとも、とても綺麗だった。 どうしてオレは、彼が孤独ではないなどと思ったのだろう。 百足でそれなりに楽しく生きているなどと、思ったのだろう。 妹が人間の恋人と過ごすのを知る時の、幽助が幼なじみとたわいない口げんかをする時の。 口の悪い母親や姉の愛情を、たっぷり浴びる人間たちを見る時の。 そこに苦しいほどの羨望があったことに、なぜ気付けなかった? 孤独な子供は孤独ではなくなったと?今はまずまず幸せに暮らしていると?どうしてそこまでおめでたくなれた? その理由でさえ、今は分かっている。 オレはずっと、心のどこかで飛影を神聖な者のように思っていたからだ。 ゴミのように投げ捨てられた忌み子のくせに、血を分けた妹を探すために、想像を絶するような痛みに耐えて邪眼を付けた。 出会った人間に純粋に惚れ込んで、命を懸けるような行動もなんなく共にした。 ようやく見つけた妹に名乗ることすらせず、ただ見守っていた。 好き勝手に生きてきたくせに、いざ自分が殺されるとなったら人間に憑依してでも生き延びたいと願ったオレ。幽助を利用してまんまと望みを叶えたオレ。 飛影のような者の目にどう映るのだろうかと、後ろめたい気持ちがあった。 両手をベッドにつき、ゆらりと飛影が立ち上がる。 ふらつく足が、靴もないまま窓辺へ向かう。 「…待って」 オレの言葉に振り向きもせず、彼は窓に手をかけた。 「ここにいてよ、飛影」 「…同情なんぞ、いらん」 帰したくなかった。 帰る場所のない子供を。 「同情とか、そんなものじゃなくて…」 「じゃあなんだ」 同情、哀れみ。 そうじゃない。そんな優しいものじゃない。 「帰したく、ないんだ」 気高い者が、傷を負って堕ちてきた。 オレの目の前に、堕ちてきた。 そのタイミングで手に入れようとするなんて、オレはどこまでも卑怯で、どこまでもあの頃のままだ。 手に入らないからこそ、欲しくもないとうそぶいていた宝石が、いざ手に入るとなれば躊躇もしないのだ。 「…オレと一緒に暮らさないか、飛影?」 「……お前と?…ここで?」 「ああ。そして、いつか」 いつか、オレの子供を産んでくれないか? 自分でも思ってもみなかった言葉が口から飛び出す。 そんなことができるのか、と自分に問うた一瞬後には、できる、と頭の中の声が答えた。 元々大きな飛影の目が、瞬きも忘れたかのようにオレを見ている。 嘲笑って立ち去るか、怒りを爆発させるか。 どちらかを覚悟したオレの前には、言葉もなく立ち竦んでいる飛影がいた。 蝶をそっと捕まえるかのように、オレは彼を腕におさめた。 「……本当か?蔵馬、お前はそれを本当に…望んでいるのか?」 やっと聞き取れるほどの、小さな声。 ずっとそばにいたのに初めて抱きしめた相手は、あたたかく、脆かった。 「望んでる。一緒に生きよう。飛影」 両手で彼を引き寄せ、かがんで耳元で囁く。 オレの胸元に顔を埋めたまま、飛影は長い長い沈黙の後で、微かに頷く。 孤高の魂だと思っていた宝石は、粉々に砕けて今、オレの手の中で光っていた。 ...End |