日々是好日

「……」

妖怪は、興味津々に、箱の中を覗いていた。
服や靴、装飾品や雑貨。菓子や果物などの食品。中身はそんな他愛もない物ばかりだ。

派手な色合い、見たこともない素材、見たこともない金属。
ここ魔界では、人間界の物はそれだけで珍しく価値のある物なのだ。
***
「なんなんでしょうなあ、これは」

ラメの入ったストッキングを手に取り、首を傾げるむさ苦しい男。

「うーん。形からすると足に履く物なんじゃないか?オレにはそう見えるが」
「このような薄い物をですか?何の役に立ちましょうや?…では、これは?」

たっぷりのビーズを飾り付けたピンヒールのミュール。
ピンク色のそれは10センチ近いヒールだ。

「靴じゃないか?」
「足が剥き出しでは戦闘には不向きでは…?それにこの踵の部分の高さはいったい?」
「さあなあ。少なくとも、時雨、お前が履くような物でもないだろうよ」

躯は間延びした声で、それでも楽しそうに言い、箱の中身を次々並べる。
ピンク色のミュールを足に引っかけ、やっぱり靴だな、と頷く。

意外に白く細い足に煌めくピンク色のミュール。
時雨は咳払いをし、慌てて目を反らす。
いつの間にやら女王様の秘書兼身の回りの世話係のようになったこの男は、見かけとは違い、事務仕事もそつなくこなす。

普段の躯は諸国諸民族からの贈り物など見向きもしない。
百足に届けられる献上品には飽き飽きしているし、そもそもさして物欲のある方でもない。

だが、人間界の物は、別だった。

ビニールやプラスチック、金や銀でもないのにキラキラ光る物は、人間界を知らない妖怪たちにはひどく不思議な物に見える。
中でも躯が夢中になったのはポラロイドカメラだ。最近では落ち着いてきたものの、手に入れた当初は毎日のように様々なものを撮っては眺めていた。写真、というものに映った自分におろおろする部下たちが面白くて、百足の者たちもずいぶん撮った。

何百年、何千年と生きてくれば、大抵の物は見てしまうし、知ってしまう。目新しい物など、何もない。
その躯にとって、人間界の物は新鮮に映ったのだ。
魔界と人間界の行き来が増えてきたとはいえ、行き来できる者は限られている。ろくな妖力もない最下級妖怪か、逆に高い呪術の能力のある者。そして霊界の許可を貰っている者だけだ。

…あるいは、霊界の許可を持っている者を保護者代わりにしている、躯の片腕のような者か。

どれほど高度な術を使った所で、あまりに強大な妖力を持つ躯が人間界の地に足を踏み入れることは今までなかったし、この先も永遠にないだろう。

武具でもない、魔術でもない、宝石でもない金でもない。
価値があるのかよくわからない、そういった不思議な物たち。

女王様のそんな意向が伝わったのか、最近では貢ぎ物にも人間界の物品が増えてきた。安っぽいプラスチックのコップでさえ、魔界では大いに珍しがられる。

しかし。

「…説明書でもないとわからん物も多いな」
「献上した者も、何なのかわからずに持ってきたのでは?」
「かもな。まあ食える物は食い物なんだろうが」
「ですな。まったく人間たちの作る物ときたら無駄な装飾ばかり…」

そこまで言いかけた時雨は、尊敬する女王様が人間たちの作る訳の分からない物を存外気に入っていることを思いだし、口をつぐんだ。

「人間界について詳しい者を手配いたしましょう」
「いや、いい。あいつを呼んでこい」
「は?」
「飛影だ。あいつに説明させろ」
「は、はあ。しかし飛影は今日は確か休みで…」
「また人間界に行っているのか?」
「多分、そうかと…」
「入り浸りだな。調度いい。戻ったらオレの部屋に呼べ。あの半妖とたっぷり交わった後なら機嫌よく来るだろうよ」
「交わっ…!何をおっしゃいます!!」

焦る時雨を置き去りに、躯はさっさと自室に戻った。
***
「…くだらんことで呼ぶな」

うんざりしたように言う飛影だったが、その顔に怒りはない。
躯の言うとおり“たっぷり交わってきて”機嫌がいいのか、飛影はさくさくと説明をする。

「これは甘くない菓子だ。袋を開ければそのまま食える」
「これは沸かした湯を入れて、三分待てば食える」
「これは女が履くものだ。幽助の女が履いているのを見た」
「筆記具だ。その上の部分を外せば文字が書ける」
「これは茶だ。湯を注ぐだけでいい」
「パン、というんだ。そのままでも食えるが火で炙った方が旨い」
「この果物は真ん中に種がある。種は食えん」
「これは泡立てて髪を洗う液だ。風呂で使…」

シャンプーのボトルを手に、説明をしていた飛影は、ふと二人が無言になり、自分をじっと見つめていることに気づく。

「…なんだ?」

躯はニヤニヤし、時雨はいたたまれないように目を泳がせている。

「詳しいことだな、飛影」
「な、貴様が説明しろと…!」
「ずいぶんとまあ、人間界に染まったようだ」
「なんだと…!」
「果物?菓子?髪を洗う液?なぁるほど」
「ぃてっ!何を…!放せっ」

飛影をぐいっと引っ張り胸元に引き寄せた躯は、その艶のある短い黒髪に顔を埋める。

「放せ!」
「…いい香りだ。それで洗うとこんな香りがつくんだな?」
「だったらなんだ?放…」

放せといくらもがいたところで、二人の力の差は歴然としている。
躯と比べれば、飛影の力など赤子も同然。

躯は、無邪気ににっこりと笑う。
笑うと素晴らしい美人であることがよくわかるが、その笑みには紛れもない悪意がある。

「人間界に行ってきたんだって?なんでお前は人間界で風呂に入るんだ?」
「……!」
「風呂に入るような何かをしてきたのか?」
「!!」

無言で固まる小さな部下に、躯は容赦なく言葉を浴びせる。

「汚れたのか?それとも綺麗な体でシタイことでもあったのか?」

機械の手が飛影の背をすべり、腰を撫で、尻の薄い肉をぎゅっと掴んだ。

「痛っ!」
「ん?痛い?尻が痛いのか?それは大変だな。おい、時雨、診てや…」
「む、躯さま!ご冗談はそれくら…」

シュル、という小さな音に、時雨がぎょっとする。

「お、おい、飛影、百足の中で黒龍波はよせ…」

わなわな震える手で解かれた包帯が、パサリと床に落ちた。
***
「お戯れが過ぎますぞ!躯様!!」

瓦礫の中から這い出してきた時雨は、憤懣やるかたないといった風情だ。

それも無理はない。青天井になってしまった百足の中、自身は傷一つ負っていない女王はすっかり眠っている飛影を子供のように膝に抱き上げ、カラカラと笑う。

「悪い悪い。つい、な」

なんせ毎日退屈でな、と子供っぽく笑うその顔に、思わずみとれてしまった時雨だが、移動要塞のこの惨状には笑えない。
修理には、相当な時間がかかるだろう。

「まったく。貴方様ともあろうお方がこんな…」
「許せ、そう怒るな時雨」

色っぽいふくれっ面に頬を熱くした時雨だったが、次の瞬間ぽいっと放り投げられた飛影をあわあわと受け止める。
躯が跳ね返した黒龍波は百足の半分を吹き飛ばし、当然それに巻き込まれた飛影は、傷だらけでぼろぼろの姿だ。ロクに服も残っていない。

武士の情け、と時雨は自分の上衣を下半身にかけてやる。
部屋に運んでやるか、部屋が運良く残っていればの話だが、と飛影を抱え直した瞬間、何かが光った。

「躯様…?」
「やっぱり面白いな、このカメラとかいう物は」
「な!なな何をなさいます!?」

黒い箱から吐き出された写真を見て、躯は爆笑する。

「あはははははは!」
「ちょ、ええっ?」
「これ、あの狐に送ってやろうか?」
「ええっ?何を馬鹿なことをおっしゃいま…っ!」

飛影を床に放り投げ、時雨は写真を取り上げようと必死になる。
思いがけず躯に覆いかぶさるような体勢になり…

「なんだ?オレに逆らうのか?」

接吻を交わせるほど近くに躯の顔があることに気付き、またもや大慌ての時雨に向かい、躯はクスリと笑う。

「オレを組み敷きたいのか?」
「め、滅相もございません!」
「ふーん。まあいい。そのクソガキを片付けろ」
「は!」

まるで荷物のように飛影を担ぎ上げる時雨に、駄目押しのような一言がかけられる。

「なあ、時雨」
「はい?」
「あの狐は人間になっても色事師らしいぞ」
「は?はあ…」
「お前より飛影の方がよっぽど性的経験、豊かなんじゃないか?」

ショック、という文字をそのまま言葉にしたような時雨の姿に躯はまたもや大笑いし、去ってしまう。
ピンク色のミュール、その細く鋭いヒールを、音高く響かせながら。

人の気も知らない女王様が、この部下の想いに気付くのはまだまだ先のようだ。


...End.