「美味い」

飛影がポツリと漏らした言葉に、蔵馬は少し驚いた。

貰い物の白桃は食べ頃に熟れていて、冷蔵庫で冷やしてあった。
例のごとく食事を求めてやってきた飛影に、デザートにと出したのだ。

きちんと皮をむいて、一口大に切ってフォークを添えて。
一切れ目を口にした飛影は、目を丸くして美味いと言った。

「あれ?桃、初めてだっけ?」
「もも、と言うのか?初めてだな」

二切れ、三切れと、けれどもいつもの忙しない食べ方ではなく、口の中で押しつぶすようにして、飛影は桃を味わっていた。

君が美味しいって言うなんて珍しい、という言葉を、蔵馬は飲み込む。この小さな恋人は、どんなことに機嫌を損ねるかわかったものではないのだ。

二つしかなかった桃は、あっという間に飛影の口の中に消えていく。
唇の端を伝った果汁を舐めとる小さな舌。

「…甘い」
「うん。今が最盛期なんだ」
「そうか」

だからさ、と蔵馬はたたみかける。
すでに帰り支度をしようとしている飛影に。

「来週、またおいでよ」

桃、いっぱい作っておくから。
桃だけで、お腹いっぱいになるくらい。

くだらん、と返されるか、良くて無言の肩すくめが返ってくるだろうと思っていたのに、意外にも飛影はこっくり頷いた。

「…来週、また来る」

夏の夜には暑苦しい黒いマントをなびかせて、飛影は夜空に消えた。
***
「いらっしゃい」

にっこり笑う蔵馬の部屋は、甘い香りに満たされていた。
部屋中がほっそりした木々で埋め尽くされており、細い枝ぶりには似合わない、大きな桃がたわわに実っている。
飛影の目が、子供のように輝いたのは一瞬だったが、蔵馬は見逃さない。

「おいで、飛影。まずは服を脱いで」
「は?なぜ服を脱がなきゃならん?」

またいかがわしい遊びかと、しかめっ面になった飛影に、蔵馬は違う違うと笑う。

「桃の一番美味しい食べ方、教えてあげる」
***
「ね?いいでしょ?」
「……」
「桃の汁って、服にこぼすと染みになるから」
「……」

無言でむしゃぶりついていた桃から顔を上げた飛影は、顔中を桃の甘い汁でベタベタにしていた。

バスタブいっぱいに満たされた氷水の中に、大量の桃が浮かんでいる。
丸く大きく文字通り桃色で、甘い甘い、たくさんの桃。

手でむいた皮を洗面器に放り込みながら、汁をボタボタ垂らしながら、裸のまま二人は桃を貪る。
風呂場のタイルにじかに座り込み、顔も手も、体中全部を桃の汁で濡らしながら。

人間ならば三つ四つも食べれば満腹であろう大きな桃だったが、飛影は早くも十個目にかぶりついていた。

「美味しい?」

夢中で、口いっぱいに桃を頬張っている姿を見れば、答えなど聞かずともわかってはいたが、あえて蔵馬は聞いてみる。

「……美味い」

その言葉が、聞きたくて。

十一個目の桃に手を出した飛影が、ふと蔵馬を見る。

「お前はもう食わないのか?」
「三個も食べましたよ。もうお腹いっぱい」

飛影の手の中の桃を、皮をむいてやった桃と交換してやりながら、蔵馬は苦笑する。

「そうか」

再び桃にむしゃぶりつく飛影を見下ろし、蔵馬は小さく微笑む。
だって、オレは桃でこれ以上満腹になるわけにはいかないもの、と。

白い肌を甘く甘く濡らしたこの果実を、この後いただくつもりなんだから、と。

「どうぞ、飛影」

十二個目の桃を、蔵馬は天使のような笑みで差し出した。


...End.