Looking for something

折り箱に綺麗に並べられたつやつやした寿司。
香りの良い緑茶が湯気を立てる、どっしりとした湯のみ。

「美味しそう」

割り箸を割った雪菜が、いつものように嬉しそうに言う。
オレの苦手な穴子と、雪菜の苦手なイクラを交換するのもいつものことだ。

週末だけ、オレたちはこうして贅沢な食事をする。贅沢と言ったって、二人で一万円か二万円、そのくらいのものだが。
月の最後の週末の贅沢は寿司と雪菜が決めていて、オレも異存はない。

オレたちは誰にも養われず、二人できちんと稼ぎ、きちんと暮らしている。
何をいつ食べようが、誰に文句を言われる筋合いもない。

仕事があり家があり着る服があり食う物がある。
過不足のない、穏やかな生活。

オレたちの生業は占い師だ。
探し物をする、占い師だ。

探す物は色々だ。
印鑑から指輪から手紙からぬいぐるみから、いなくなった犬猫まで。
***
占い師などという胡散臭い仕事で、オレたちは学費を稼ぎ、食費を稼ぎ、光熱費を払い、オートロックの小綺麗なマンションの家賃を払っている。
税金だのなんだのも、税理士とやらに任せてはいるがちゃんと払っている。

昼間は学校へ行き、週に三日、夕方から夜まで占い師として働く。
店は小さなビルの一室で、二十ほどあるビルのテナント全てが占い関連の商売だ。

「今日の予約はね、手帳と指輪と猫」

明かりは蝋燭一つの暗い部屋で、黒いベールを被りながら、雪菜が言う。

「手帳と指輪と、猫か」

オレは繰り返し、ちょっと憂鬱になる。
動物はあまり得意ではない。見つけにくいということではなく、死んでいる場合もあるからだ。

オレたちの店は予約制で、明朗会計だ。

探し物は、本であれ靴であれ指輪であれ、生き物以外は十万円。
犬だの猫だの、生き物は二十万円。

見つけられないこともある。

例えば、排水管を流れていった指輪だとか、燃やされてしまった手紙だとか。
その場合は金は取らないが、無くした場所や燃やされた経緯を伝えると、多分思い当たる節でもあるのだろう、心付けのように金を置いていく客も多かった。

何を探すにせよ、無くしてから十年以上経ったものは、引き受けない。

十年。そのくらいが、オレに探せる限界だった。
子供の頃からあったこの力が何なのかはわからないが、使いこなせるようになった今では限界もわかっている。

時間でいえば十年、距離でいえば海を超えると途端に探すのが難しくなるのだ。

たいした広さもないこの一室を区切り、半分はアンティークなインテリアでまとめた接客スペースに、半分は衣装や小道具や簡単な帳簿のためのパソコンが置いてある、事務所のようなスペースにしている。
家賃は月に三十万ほどと安くはないが、立地の良さもレンガ造りを模した小綺麗な外観も、雪菜が気に入って選んだものだ。

「さてと、始めましょうか」

アンティークな家具を照らす蝋燭の灯。
黒いベールを纏って目元以外を隠した雪菜が、地声とは似ても似つかない声で言った。
***
どっしりとした木のテーブル、揃いの二脚の椅子、銀の燭台と薄いベージュの蝋燭。
ごく抑えたボリュームで流れる、眠気を誘う音楽。

客と雪菜はテーブルを挟んで向かい合って座り、探し物の詳細を聞いた雪菜は頷き、客に目を閉じることを命じ、蝋燭を消す。

暗闇となった部屋で、雪菜は客の両手を取る。
正確には、裏で控えていたオレがそっと部屋に入り、客の手を取る。

どうやって探すのかって?

説明するのは難しい。
ただ、沈むとしか言い様がない。

客の心の中に、沈んでいく。
時に浅瀬を、時に深海を。

それは例えるなら、息のできる水の中に潜るようなものだ。
その水の中には、部屋があり家があり街があり、人がいて、そして記憶がある。

見終えたオレが裏へ戻ると同時に、雪菜はマッチを擦り、蝋燭に再び火を灯す。

後はどうってことはない。
ベールの下で、雪菜は片耳にイヤホンをつけている。後は裏に戻ったオレが探し物の在り処を伝えるだけだ。

どうして自分でやらないのかって?
確かにそうだ。オレが占い師役もやり、自分で結果を客に伝えれば済む話だ。

自分が占い師役をやると言い出したのは、雪菜だった。

占いなんて、雰囲気も料金のうちよ。
みんな自分の話を聞いてもらいたいんだから。

雪菜の言う通りだった。客というのはどいつもこいつも、話の前置きが長い。
無くした理由も言い訳も、客にとってどれほど大事な物なのかも、こちらは何も尋ねてはいないのに、くどくど語る。
それら全てに親身に相づちを打ち、結果一つ伝えるのにもドラマチックに伝えてやらねばだめなのだ。

そんなわけで、今日もオレは小さなマイクに、それぞれの失せ物の在りかを囁く。

指輪は洗面台の下の棚の買い置きの洗剤の影に。手帳は廃屋と化した、依頼人の実家の納戸に。茶色と白のしましまの猫は、客の住む街の隣の隣の市で、元の飼い主のことなど知らぬ顔でちゃっかり飼い猫になり、たらふく飯を食っていた。

「終了。晩ご飯、何にする?」
「冷凍庫で先週のカレーが邪魔になってるぞ」
「じゃあそれ解凍して、ホワイトソースも作ってチーズ乗せて焼きカレーしようよ」

これまたアンティーク風の扉を閉め鍵をかけ、ベールを脱ぎ、雪菜は大きく伸びをする。
目元だけ見えるベールのために施した濃い化粧で、雪菜の大きな目はさらに大きく見える。

下で待ってて、と言い残し、雪菜は部屋を出る。
ここは五階で、客用のトイレは一階おきにあるが、ビルの人間が使うバックヤードのトイレは二階にしかない。雪菜はいつもそこで化粧を落とし、その間にオレは小道具を片付け、戸締まりを確認して下で待つ。

探し物は一日三件までしか引き受けない。
オレたちの店の価格はなかなかに高いが、人伝てに噂は広がるのか、客が列をなすこともないが、途切れる日も滅多になかった。

小道具を片付け電気を消し、裏から廊下へ出ようとしたオレの耳に、足音が聞こえた。
***
オレたちの店は、七階建てのビルの五階の行き止まりにあり、すぐそばに非常階段へ続くドアがある。
誰かが、非常階段を上ってくる。非常階段は文字通り非常階段で、普段は使う者などいない。

コン、と表のドアがノックされる。

なぜそうしたのか、後になって誰かに問われたとしても答えられない。
ただその時はそうしたのだ。

暗がりの中でオレは手を伸ばし、雪菜のベールを取って被る。
音を立てずに椅子を引き、そっと腰を下ろした。

シュっと音を立てマッチを擦り、蝋燭に火をつけたのと同時に、鍵をかけたはずのドアノブがカチャリと音を立て、扉が開く。

さっき雪菜が鍵をかけたはずだ。
いや、本当にかけたか?かけ忘れたのか?

「こんばんは」

男の声。若い男だ。
蝋燭だけの明かりの中で見上げたその男は、ごく普通のスーツ姿をし、ノートパソコンでも入れるような薄い鞄を手にしている。

普通ではないのはその顔だ。
整った、という言葉では足りない、作り物のような綺麗な顔をして、ごく普通のスーツ姿には似合わない、長い黒髪をしていた。

「君が、占い師?」
「うちは予約制だ。出直してくれ」

黒いベールの下で、オレはそっけなく返す。

「人を探して欲しい」
「人探しは引き受けていない」

オレの言葉を無視し、男は向かいの椅子に座る。
鞄から取り出した何かを、テーブルにバサッと置いた。

「人探しは引き受けていない」

もう一度、噛んで含めるように言う。
テーブルに置かれた札束は一センチほどで、多分、百万円の束だ。
男は無言のまま、鞄からまた取り出した同じ厚みの束を、重ねるように置いた。

「人探しは、引き受けていない」
「どうして?以前は引き受けていたって聞いたけど?」

もう一つ、束が増える。
雪菜がここにいなくてよかった。こいつはまともじゃない。いかれている。

「金の問題じゃない」
「じゃあ、何の問題が?」

そうだ。以前は人探しも引き受けていた。二年ほど前までは。

人がいなくなるのには理由がある。探されたくない者も、見つけられては困る者もいるのだ。
あるトラブルがあって、オレたちはそれを思い知らされた。
それから人探しの依頼は、一切受けていない。

「頼むよ」
「ことわ…」

断る、と言いかけて、オレは息を飲む。
綺麗な顔をした客は笑顔のまま、いったいいつ取り出したのか、銃を握っていた。

………銃?

まさか。本物のわけがない。
ただのおもちゃだ。モデルガンだ。

…そうじゃ、なかったら?

「頼むよ」

手のひらに納まるような大きさの、引きがねに指がかけられた銃。
その銃は、下から上へと抜けるように、オレの肩の少し上、つまり、オレではなく裏の部屋へ向けて構えられている。

オレがこのまま下へ行かなければ、雪菜はここへ戻ってくるだろう。
何かあったのかと、裏の部屋から入ってくる。

「お前…」
「探してくれる?」

この状況で、断れるわけがない。
オレ自身が撃たれるかどうかはともかく、雪菜に万が一のことがあったら。

「…両手を」
「両手?いいよ」

あっさりと銃をテーブルに置き、男は両手を差し出した。
銃を奪い取ることも一瞬考えたが、何せオレにとっては人生で初めて見る銃だ。本物であれ偽物であれ、勝ち目はなさそうだ。

「探しているのは、誰だ?」

男の両手を、ぎゅっと握る。
大きな手はやけにあたたかく、奇妙にしっくり馴染んだ。

「恋人」
「どこでいつ、いなくなった。女か?男か?年は?どんな姿をしている?」
「あの頃は、背が低くて黒髪で、大きな目をしてた。でも今は」

どうかなあ。男かな、女かな。そもそも人間かどうかもわからないな。
もしかしたら黒猫とかになってるかも。気ままだったから。でも猫なら飼い猫じゃなくて野良猫だね。

歌うように話す男の手を握ったまま、オレは背中に汗が伝うのを感じる。

札束、銃、わけのわからない探し物。どうやら本気でヤバいやつに当たったらしい。
恋人なんて、本当は存在していないのだろう。

そこまで考えて、ベールの下からオレはチラリと男を見上げる。

彫刻、みたいだ。優しげな感じはなく、整いすぎてどこか冷たい。
こんな綺麗な顔をした男なら、相手が女であれ男であれ、より取り見取りに選べそうなものだが。

ゆっくりと深呼吸を繰り返し、オレは沈む。
水の中に。記憶の海の中に。
***
小さな手だ。

大きな手を握っていたはずが、いつの間にか小さな手がオレの手の中にある。
といっても幼子の手ではない。単純に、手が小さいのだ。

大きなベッドから見える大きな窓。
窓の外には、滴るような緑の森。

小さな手を握ったまま、小さな体を抱き寄せる。
抱きしめた相手は何やら眠そうに呟き、腕の中でまた眠ってしまう。

水?
水が溢れ…違う…。

オレの中から何かが、溢れてこぼれそうになる。
それがこの腕の中にいる相手への想いだと気付き、オレは驚く。

誰、だ?
この腕の中にいる相手を、この客は探している。

オレの中から、どろりと粘度を持った蜜が滴る。
滴り落ちた蜜が、腕の中の小さな体をぬるりと染めていく。

愛というものが、これほど重く甘くのしかかるものだなんて、想像もしたことがなかった。

「愛してるよ」

その言葉を言ったのがオレなのか、客なのかわからない。
ただうっとりと、腕の中の体を抱きしめる。

ずっとずっとずっと探していた。
千年前から、千年後も。

息のできる水の中、いつもそう思っていた記憶の海は、今日に限って普通の水のように、オレを息切れさせている。

息ができ…、もう…少し。もう少しだけ。何か手がかりを。
ここがどこなのかは全くわからないが、なんとかこの相手の顔だけでも。

「…蔵馬」

名を呼ばれた喜びが、胸に満ちる。

水の中を通るような、その声。
オレを見上げるその瞳。

短い黒髪、白い肌、生意気そうな大きな瞳。
笑ってはいない、どちらかといえば仏頂面をしている、のに。

仏頂面をしたオレが、両腕を広げ、オレを抱きしめた。
あらん限りの、愛を込めて。

息もできないほど、強く。
***
ガタンと音を立て、倒れかかった燭台を、優雅な手付きで男は元に戻した。

文字通り、水から引き上げられた者のように、オレは肩で息をしている。
たった今、この男の記憶から見た、その恋人とやらの顔。

短い黒髪、白い肌、生意気そうな大きな瞳。
相手を愛して、愛しすぎているくせに、素直じゃないあの仏頂面。

オレのよく知る顔。そうだ、よく知る顔だ。
見慣れた、オレの顔だった。

「………くら…ま…」

整わない息のまま、呼んだその名。
オレの中から、どろりと粘度を持った蜜が滴る。

名を呼ぶ喜びが、胸に満ちる。
果たされるとわかっていた約束が、今また、こうして果たされたことに喜びが込み上げる。

またこの名を、呼ぶことができた。

「…蔵馬」
「会いたかったよ、飛影」
「……また…お前なのか。懲りないな」
「どこにいてもどんな姿をしていても見つけるって、約束しただろ?」
「何を言ってやがる。見つけたのは、オレだろう?」

蝋燭の灯の中、大きな両手がオレへ向かって伸ばされる。

ゆっくりと上げられた黒いベールの下で、オレたちはひどく長いキスをした。


...End.