初恋

子供は荒く乱れた息をつき、逃げ出そうと後ずさる。

見たところ、年の頃は八つか九つくらいであろうか。
一糸纏わぬ姿で汗をかき、覆いかぶさるいかつい大男を見上げ、嫌々をするように頭を振る。

覆いかぶさる男は無表情のまま、子供のまるい膝頭をつかむ。
両足を引き上げ、薄い尻の肉を押し広げ、硬く窄まった菊穴に指を差し込む。

痛みなのか恐怖なのか、あるいはその両方なのか。
つんざくような子供の悲鳴が、楼を揺らす。

「だーーーっ!!!! うるせえぞ!いい加減にしろ!!!!」

楼主の怒声が、今日も響いた。
***
「お前な、往生際が悪いぞ!いい加減にしねえか!!」

畳の上にどかっとあぐらをかき、楼主はしかめっ面をする。

黒地に藍鉄色の細い流線という派手ではないが金のかかった着流し、整った顔立ちに短いざんばら髪がよく似合う。見目を損なうはずの禍々しい黒い眼帯でさえ、男にはよく似合っている。

「お前もいつまでかかってやがる。こいつはもう一年も前に店に出てなきゃならん年だぞ」

子供の尻を弄っていた男は肩をすくめ、油でぬるりと汚れた道具を拾い上げた。

「しかし躯様、これが入らぬようでは、店には到底出せませぬぞ」

男の傍らには平たい箱があり、先端を丸く整えた、棒のような物が並べられている。
左端にある物は大きさも太さも大人の中指ほど。十本ならんだ棒は、右へ行くほど長く太くなり、一番右端の物は赤子の腕ほどの太さがある。

「……だって……それ…すごく痛いぞ…躯…」

汗みずくで恨みがましく呟く子供に、躯は眉を吊り上げた。

「馬鹿言うな飛影。我慢強いのがお前の取り柄じゃないのか?」
「……普通の痛いとは…違う…物凄く痛いし、気持ち悪い。…吐きそうになる」
「だったらなんだ?それがお前の仕事になんだ。いい加減覚悟を決めろよな」

仏頂面の無精髭、顔には見慣れぬ異国の装飾品を付けた男が、躯に煙管を恭しく差し出す。

「時雨だってお前にばかり関わっている暇はないんだからな!ほら、足開け!」

煙管で飛影を指し、躯は命ずる。
ぎょっとしたように飛び上がり、さっと衝立に隠れた飛影を時雨はあっさり捕まえる。

「嫌だ!」
「嫌だも糞もあるか餓鬼。四つん這いになって尻を突き出せ」
「やらないとは言ってないだろう!お前は見るな!!」
「お前はこの百日楼で飯を食わしてもらってるんだろうが!誰がここの主だと思ってやがる!」
「だってお前は女だろう!! 見るな変態!」

躯の片方だけの目に、さあっと怒りの色が宿る。

「おーまーえーなぁ…口外するなと言っただろ?殺されたいのか?」

男にしか見えないこの楼主が女だと飛影が知ったのは、三月ほど前に時雨から逃げ出し飛び込んだ部屋で、着替えの真っ最中だった躯をうっかり見てしまったからだ。
許しも得ず戸を開けるなと拳骨を食らい、散々怒られ、口外したら玉を切り落とすと脅されたことは言うまでもない。

時雨の腕から小さな体を引きはがすと、恐ろしいほど強い力で躯は組み伏せる。

「や…おい、やめ!」
「三番を寄越せ、時雨」

仰せのままにと箱から取り出した棒に、時雨は傍らの壷から油を塗り、躯に手渡す。

「やめろって、う、あ!!」

油にぬめる棒の先端を、躯は小指すらも入りそうにない穴にぐいっと押し込む。
二寸ほど押し込んだところで、飛影が背を反らし悲鳴を上げた。

「い!! うあ、あ、うあ!! あっつう!痛い痛い痛い痛い!!!!」
「…きついな。けつの穴まで小さいのかお前は」

穴を広げるように棒をぐるっと回すと、飛影はきつく目を閉じ唇を噛む。
薄い下唇にじわりと赤く血が滲んだ。

「まあ…確かにこれほど小さな穴にはお目にかかったことはありませんな」
「小さいのは背丈だけでいいってんだよ、まったく!」

ちゅぽっと音を立てて抜いた棒を放るように時雨に渡し、躯は溜め息をついた。
飛影はばっと足を閉じ、痛みに潤んだ目で二人を睨む。

「何睨んでんだ、お前は」
「しかし躯様、飛影はいまだ精通もありません。まだ店には早…」
「こいつはもう十一だぞ。普通は十で店に出す。いつまでそんなこと言ってんだ」

再び煙管を取ると、深く吸い込み、躯は飛影に煙を吹きかける。
けほっとむせる顔も幼く、実際の年齢である十一の年にはどうにも見えない。

「五番まで入れられなければ、店には出せませんぞ」
「何を悠長なことを言ってんだ。突っ込め。慣らしを何ヶ月やってんだ」

目の前でかわされる会話に、飛影はぼそっと呟く。

「俺も…用心棒になりたい」

百日楼には無論、用心棒もいる。
面倒な客の相手や、つけの取り立て、中には時雨のように用心棒をしながら陰間の慣らしを請け負う者もいた。

「阿呆が。お前なんか用心棒になるか」

かんっと灰皿に煙管を叩きつけ、躯は吐き捨てる。

「俺だって腕は負けな…」
「腕っぷしの問題じゃないんだ。お前は本当に商売ってもんをわかってないな。見た目の問題なんだ、見た目の。いちいち乱闘をおっぱじめてたら手間がかかり過ぎだ。見ただけでこいつを相手にしたら厄介だって思わせる面と図体がいるんだよ」

お前みたいなちび、用心棒になんかなるか、阿呆。
綺麗な顔で毒づき、躯は時雨の淹れた茶をすする。

「第一、腕っぷしの問題だけなら、俺がいれば用心棒なんかいらねえんだよ」

時雨と飛影が、見合わせる。

男のなりをしたこの女が、百日楼の主になる前はいったいどんな人生を生きてきたのか、この街の誰もが噂する。

手練れの陰間で老中をたぶらかし、藩の金を使い込ませてこの楼を立てただの、実は将軍の一日限りのお手付きの娘の子供だの、山ほどある噂のどれもを、躯は否定も肯定もしない。

だが、恐ろしいほど強いということ、少なくとも自分たちではまるっきり歯が立たないことは飛影も時雨もとっくに知っている。

「いいか飛影。三夜後にお前を店に出す」
「俺は…」
「口答えするな。お前は山ほど俺に借金がある。それとも何か?妹を遊廓に売っ払うか?」

眉間に皺を寄せ、幼い子供はまた唇を噛む。
ゆっくりと首を左右に振り、躯を見返した。

「店に、出る」
「よし、ならいい。初物にぶち込んで泣かせるのが好きな奇特な客を探してやるよ」

けつの穴を血塗れにしたくなかったら、練習しておけ。時雨にも入れてもらうんだな。
切れたら縫い合わせるからな。腸を縫う痛さを想像したことあるか?

「傷口が腐って死ぬ奴もいるぜ。そうなりたくなきゃ慣らしに励むこったな」

無情に言い捨て、躯は戸をぴしゃんと閉めた。
***
横になり、左の壁の方を向く。右足を胸に引き寄せるように上げ、左足はゆるくまっすぐに。
そうして尻を広げる。

この格好が、慣らしには一番楽な姿勢だと時雨は言う。

「……うう、あ」

油にぬめる指先が、穴を揉み解す。

気持ちが良い、とは飛影はまったく思えない。
既に楼で働いている陰間たちの中には、菊門を弄られるのは本当に気持ちが良いとうっとりと言う者もいた。

そりゃあへたくそは御免さ、でも上手い男に当たった日には昇天しそうな気持ち良さだよ。
お前も慣れれば良くなるさ。寝る時にも棒を入れて広げておいちゃどうだい?まあ一度肉の味を知ったら味気ない木の棒なんか入れられないけどねえ。

男のくせに紅を引いたような奴らにしたり顔で言われた所で、どうにも信用できはしない。
だいたいここは出す場所であって入れる場所ではない。こんな場所を弄くられて硬い棒を入れられて、気持ち良くなる者がいるとはどうにも飛影は信じられない。

「息を吐け。楽にして、穴を緩めろ」

二番の木の棒が菊門に当てられ、時雨の言葉とは裏腹に飛影の体はぐっとこわばる。

「あっ痛う!」
「力を抜けと言っているだろうが」

棒を半分ほど体内に入れ、時雨はゆっくりと抜き差しをする。
二回浅く突き、一度深く突く。それを繰り返しながら少しずつ深くなっていく抜き差しに、飛影はこぶしを握りしめ、苦悶の表情で耐えている。

四半刻を過ぎ、ようやく二番が全部体内に入った所で飛影は根を上げた。

「うあ…ああ、あ…も……、う、今日は……つう…っ」
「まだ二番だぞ」

そう言いながらも時雨は手を止め、飛影の手を引き、しゃがむような姿勢に起こす。
ふらつく飛影は畳に手をつき、汗を滴らせている。

「出すのは自分でやれ」

飛影の頬が真っ赤に染まったが、それは楼の慣らしのひとつでもある。
大きく息を吐き、飛影は体内に押し込まれた棒を出そうと力を込めた。

息を荒げ、汗をかき、全身を震わせる。
体内にすっぽりと入った棒は時折穴から顔を出すが、すぐに中へと戻ってしまう。

「……あ、っく…し……時雨…抜い…て…抜いてくれ…!」

両の手を畳につき、尻を突き出したその姿。
快感を感じたことがないらしい摩羅は小さく股間に垂れたまま。白い尻の中心で、紅色に充血した穴がひくひくと可哀想なくらい痙攣している。

「痛っ……あ、も…う…うあぁ……っ!」

潤んだ目、紅潮した白い肌。

向き不向きはともかく、これはこれで、売れるのかもしれん。
そんなことを考えながら、時雨は要望通りに飛影の菊穴に指を捻じ込んだ。
***
体を拭き、着替えを終え、通りが見える木戸を細く開ける。
暮れゆく街を、飛影はぼんやりと眺めた。

辺りに広がっていく闇を食い止めるかのように、あそこにも、ここにも、通りに明かりが灯る。

陰間が舞台役者の裏商売だったのは昔のこと。むろん今でも舞台役者をしている者もいるが、ほとんどが女郎と変わらず、遊廓のようにひとつの街に同業だけの通りを作って商売をしていた。

通りで陰間を物色しているのは、男ばかりだ。女の客もいるらしいが、女は茶屋に来るのではなく自分の所に来させる方が多いと聞く。

百日楼はこの通りでも高級な方だ。
それでも寝る部屋は雑魚寝だったし、飯を食う場所もいつだって大勢の陰間や用心棒や飯炊きがいる。一人前に店に出ている陰間には客を取るための自分の部屋があったが、店に出ていない飛影が一人きりになるのは楼の開いているこの時間だけだ。

生まれは貧しい家だったが、貧しさは珍しいことでもなんでもない村だった。

娘を売るか息子を奉公に出す以外に一家が食う当てもなく、妹を女郎にする気はない、俺が何でもすると啖呵を切った兄を気に入り、買い取ったのが躯だった。

買い取られた飛影がここへ来たのは九つの時のことで、十一になった今でさえまだ楼に出ていない。なのに躯は決めた通りの金を飛影の家に渡していた。まったくもって、借金は山ほどというしかない。他の陰間に無駄飯食いと陰口を叩かれるのも無理はなかった。

「何をぼんやりしている」

大きな図体の割に静かに襖を開け、隣に時雨が座り、同じように通りを見遣る。
いったいどこで手に入れるのか、不思議な装身具がちゃりちゃりと音を立てた。

「ほれ」

懐から取り出した紙包みの中身は小さな饅頭だ。
滅多に見ることもない贅沢品に、飛影は目を丸くする。

「どうしたんだ」
「客の所から失敬してきた」
「…なら、いらん」
「好きだろう?」

ふいっと外へ視線を戻す飛影に、時雨は不思議そうに尋ねる。

「他のやつが客から土産に貰ったんだろう?俺が食う筋合いじゃない」
「変なところ義理堅いな。食えばいい」

飛影の手を取り、時雨は饅頭を置く。

「いらな…」
「客から失敬したというのは嘘だ。躯様からだ」

なんでそんな嘘をつく、と、むすっとしたまま、それでも飛影は饅頭を口に入れた。

「御主がこの商売に向いているとも思えんが、契約は契約だからな」
「…わかってる」

そうだ。飛影は自分の立場をわかっていないわけではない。
躯がこの街の者が噂するようなあこぎな楼主などではなく、真っ当な契約で陰間を使っていることもわかっていた。

買われた時に半分の金額を、残りはひと月ごとに支払われる約束だった。
年齢の割に体が幼く、痛くて耐えられないなどという甘えを一年も許してきたのも躯だ。

「…できると思ってたんだ」

逃げるつもりではなかったし、できないとも思っていなかった。なのに。
山ほど金を借りてることだってわかってる。

「自分がこんなに情けないやつだったとはな」

口の中に饅頭を詰めたまま、飛影がもごもごとぼやく。
その姿はいつにも増して小さく見えた。

「借金を返すまでは頑張らんとな。おなごと違って、陰間を落籍す者はおらぬ」
「ひかす?」
「借金を肩代わりして身請けするということだ。女郎ならばまだしも、陰間ではその可能性は僅かもない。ところで御主、好いた相手はおらんのか?」

急に変わった話に、飛影は眉をひそめる。

「誰か好いた相手がいるなら、抱かれる時に相手をその者だと思い込めばいい。そうすれば感じるだろう」
「感じる?」
「こう…なんというか…股間や下腹辺りに熱いようなこそばゆいような感覚が…」
「そんな相手はいない」
「この楼に好みの者がいるなら、慣らしを手伝うよう手配してやるが」

冗談じゃない。みっともない。
それに、紅を差したなよなよした陰間なんぞお断りだ、と陰間のなり損ないのくせにふくれる飛影に、時雨は苦笑した。
***
「…あ、うあ、あああ、ぁ…ぐ…痛っう…や」

今日も今日とて飛影は汗だくだ。
先端だけをようやく入れた三番の棒には、血が点々と付着している。

「痛い……いた、ああ、うあ…」

ぐちゅぐちゅと、濡れた内部が棒に擦れて音を立てる。

飛影だけではない、あまりにきつく狭い穴を慣らすのに、時雨もくたびれ果てている。
店に出す前に一度はお前が抱いておけ、と躯に言われてはいるが、とてもこの穴に自分の一物が入るとは思えない。

とうとう持ち手の部分まで流れてきた血に、時雨は今日はここまでと棒を抜いた。
ずるずると両足を下ろしぐったりと目を閉じた飛影に、横になっておれ、軟膏を取ってくると声をかけ、時雨は部屋を出る。

ぴっちりと木戸は閉ざされ、行灯がぼうと光る部屋の中。

「あっ……つう………くそっ…」

傍らの衣桁に手をかけ起き上がろうとした所で、重みのない衣桁は傾がり、掛けられていた着物ごと飛影の上に倒れてきた。

「…っ、くそ」

馬鹿みたいだ。
何もかもが腹が立つ、この痛さも苦しさも、いまだそれに慣れることのできない自分にも。

なんでこんなに、痛いんだ。

着物を振り落とし、木戸を乱暴に開け、飛影は身を乗り出した。
夜の冷たい空気をいっぱいに吸い込んだところで、笑い声に顔を上げる。

…しまった。
今夜はいつもの中庭に面した裏手の二階ではなく、通りに面した一階の部屋を使っていたんだった。

通行人の笑い声に、自分がとんだ見せ物になっていることにようやく気付く。

化粧もしていない汗みずくの顔。素っ裸の体。
小さな摩羅は可哀想なほど縮こまり、尻や白い股には血の伝った跡がある。

「…あ」

慌てて戸を閉めようとすると、大笑いしていた男たちの何人かが、その手を止めてしまう。

「もっと見せろや、ん?」
「小せえなあ、禿か?」
「禿!はっ!女郎じゃあるめえし」
「陰間の禿か!そりゃ面白れえ」

飛影は自分で言う通り腕っぷしは強い方だ。服を着ていたら、男たちをぶん殴ってさっさと戸を閉めていただろう。

みっともなく丸裸。
尻の穴は立ち上がるのもしんどいほど痛い。
往来への戸を開けて、わざわざその姿を男たちに見せて、嘲笑われて。
剛毛の生えた腕が、自分のいかにも子供じみた手を握っていて。

何だか急に、幼子のようにしゃがみこんで泣きたくなった。
今すぐ、ここじゃない場所へと飛んで行けたらいいのに、と。

囃し立てる男たちの笑い声。
丸裸の飛影を指差し、くすくす笑う通りの陰間たち。

太った男が飛影を荷物のようにひょいと抱え、見物人に見せびらかすように、頭上に高々と上げた。

「離せ…っ」

目の前を、ばさりと緋色が舞った。

なめらかな絹地が体を覆い、伸びてきた手が男の手から飛影を奪い、袂を素早く合わせる。
何がなんだかわからぬままに飛影がぎゅっと閉じていた目を開けると、目の前には一人の男が屈みこんでいた。

長身、ゆるく束ねた長髪。人形のような綺麗な顔立ち。
緋色の着物には羽織りが見当たらないが、それは今、小柄な飛影の太股のあたりまでを隠している。

男は自分の髪を束ねていた紐を解くと、飛影の腰辺りで羽織りを閉ざすようにきゅっと結んだ。

「あ…おま…」
「いいから。さっさと中に入りなよ」

後ろから聞こえる野次を男はちらりと振り返り、飛影の耳元で甘く低い声を出す。
飛影が立ち上がれずにいるのを見ると、優男の見た目に違う力強さで抱き上げ、部屋の中に戻す。

おい、てめえ、などという品のない大声に、男は振り返る。

「まあまあ、あんた方みたいな立派な兄さん方がこんな子供に意地悪するんじゃないよ。今夜は銀山屋のおごりで楽しもうじゃないか。どうだい?」

野次は一斉に、歓声に変わる。
男たちはどやどやと百日楼から離れ、通りを歩き出す。

男たちの背を押すようにその一番後ろを歩く男が振り向き、飛影に向かって笑った。
それはもう、花が咲くような笑みで。

「おい!何の騒ぎだ!」

襖がぱんと音を立てて開き、いつになく慌てた様子の躯と、その後ろには小さな壷を手にした時雨がいる。
見たこともない派手な緋色の羽織りをまとい、開けたままの木戸を前に呆然と畳にへたり込む飛影の頭を、躯の煙管がこつんと叩く。

「おい!飛影!」
「…あれは誰だ?」

あれ?と躯と時雨は揃って通りへ顔を出す。
飛影は二人の後ろから顔を出し、一生懸命に指を差す。

「あれって、あの長髪か?あれは銀山屋の蔵馬だ」

ぎんざんや、と呟き、飛影は開いたままの戸にもたれ、ぺたりと畳に腰を下ろす。

「おい、飛影!」
「……あいつがいい」

は?と声を合わせた躯と時雨の目に、着物の袂を両手で握りしめ、頬を真っ赤に染めた飛影が映る。

「あいつとなら、やりたい。あいつがいい」

躯はうげっとのけ反り、時雨は目玉をぐるりと回し、天井を仰ぐ。

「お前、ずいぶん大きく出たな。銀山屋の蔵馬と言えば名うての遊び人だぞ」
「しかも、ここらでは一番大きな札差しの息子だ。お主なんぞ相手にするとは思えん」
「やめておけよ、飛影。銀山屋は女郎とも陰間とも遊ぶが馴染みを作らない掟破りの…聞いてるのか!?」

もちろん、二人の言葉などてんで聞こえてはいない。
くらま、とうっとり呟き、飛影は目を輝かせている。

再び通りに落っこちそうなほど身を乗り出し、長髪の美丈夫が見えなくなるまで、顔の割に大き過ぎる目で食い入るように見つめていた。

…あんな綺麗な者は見たことがない。
きっと江戸中で、いや国中で一番綺麗な生き物だ。

絹に顔を埋め、焚きしめられた香を飛影は胸いっぱいに吸い込む。
とろとろと熱を発し始めた体を包む、緋色の羽織り。

幼い恋の始まりは、こうして訪れた。


...End.