花火

おっと。

落っことしそうになっていた綿菓子を蔵馬はひょいと取り上げた。
夢中になっている飛影は、自分が手を離したことも気付いていない。

大きな赤い目は夜空に釘付けになっている。
薄く開いた唇は綿菓子のせいか、甘い艶を放っている。

…こんなとこで変な気を起こしてる場合じゃないしなぁ。
ま、このくらいはいいか、と抱き寄せて自分に寄りかからせる。

人間には登れないような大木の上とはいえ、外でこんな事をしたらいつもは怒って振りほどくのに。

なんの抵抗もなく、小さくあたたかな体がくっつく。
***
例のごとく、人の都合なんか気にしていない幽助たちが押しかけてきたのは一時間ほど前だ。

あれ?支度してねえの?
今日祭りだぜ?

早くしろよ、と約束していたわけでもないのに当然のように急かす幽助に蔵馬は苦笑した。玄関ドアの向こうでは、女の子たちの笑い声がする。どうやら雪菜もいるようだ。

「支度って…約束もしてないのに強引だなあ」
「いいじゃねーか。花火上がるんだぜ、花火」
「オレはパス。飛影が来てるから」
「おっ。あいつ来てんのか。ちょうどいいじゃん?」
「…飛影が行くわけないでしょー?」

飛影がみんなと一緒に、なんて考えられない。

「連れて来いよ」

じゃないとオレ、雪菜ちゃんに言っちゃいけないこと言っちゃうかもなー。そう言ってやれよ、幽助は蔵馬にニヤッと笑いかけた。
***
幽助に脅され選択の余地もなく連れてこられた飛影は、無理に着せられた人間用の服のせいもあり、案の定不機嫌極まりない。
大騒ぎしている幽助たちからできるだけ離れて歩きながら、恨みがましく蔵馬を睨み、お前の所になんか来るんじゃなかった、帰りたい、などとブツブツ文句を言っている。

「そう言わないでよ。ほら、雪菜ちゃんも楽しそうだし」

前方で何やら螢子たちと笑い転げている雪菜を示す。飛影はちらっとそちらを見ると、プイと目を逸らす。

妹のことを心配ばかりしているくせに、会えば会ったでどういう態度を取ったらいいのかわからないのだ。

飛影が人間界の食べ物…味というよりはその綺麗な見た目…を好んでいることを知っている蔵馬は、機嫌を取ろうと綺麗な食べ物を選んでいろいろ買い与える。

色とりどりの飴や、かき氷。
フワフワした綿菓子。

「途中ではぐれようよ」

最初からそのつもりでゆっくり歩いていた蔵馬は囁いた。
返事がないのは、彼のいつもの肯定。
***
そんな訳で、空を眺めるにはちょうどいい、人間にはとうてい登れない高さの木の上に二人は腰掛けていた。

飛影は雪菜に会うといつもそうなのだが、なんだか疲れたように見えた。無理に着せたTシャツとジーンズという服装のせいか、いつもより一層幼く見える。

「雪菜ちゃん、かわいかったね」

薄紫の浴衣を纏った雪菜は、とても綺麗だった。

「………」

飛影は聞こえなかったかのように綿菓子を口に入れていた。

「いい加減に機嫌直してよ」

苦笑する蔵馬の言葉が終わらないうちに、ドーンという音が響き渡る。

夜空に咲く大輪の花。
蔵馬でさえ、人間界で初めて見た時は感動したものだ。

魔界の者なら決して考えつかない。
大金を使ってこんな儚い美しさを求めるなんて。

「ねえ?ほら綺麗で…」

蔵馬は口をつぐんだ。
隣を見れば、ポカンとして空を眺める飛影がいた。

…どうやら気に入ったらしい。

先ほどまでの不機嫌そうな表情は消え、子供のように夢中になっているのが見て取れる。手から離れそうになっていた綿菓子を取り、小さな体を抱き寄せた。
***
花火が上がり始めて三十分ほど経ったが、飛影は抱き寄せられた形のまま夜空を見つめている。

…オレがいることも忘れてるんじゃない?

蔵馬はふと悪戯心をおこし、手元の溶けかかったかき氷を一匙自分の口に入れ、飛影に口付けた。

珍しいことに、飛影はよけも怒りもせず、何の抵抗もなく口を開けた。意外に思いながらも、蔵馬は溶けかけた甘い氷を流し込む。

「ん…あ…っ……」

氷が喉を滑る。

蔵馬の口の端から零れた甘い液を飛影はペロリと舐め取った。そんなことをするなんて、彼らしくもない。

「…どうしたの今日は?」
「…別に。人間は、変なものが好きなんだな」

変なもの、は花火のことらしい。
夢中で見ていたくせに、かわいくない。

「綺麗でしょ?」
「消えるものなんか、意味がない」
「分かってないなあ」

ドーンという音が、またもや響き渡る。
綺麗な、綺麗な花が夜空に咲く。

「…これはね、儚いからこそきれいなんだよ。綺麗だからなくなっちゃうんだよ」
***
…本当は、すごく綺麗でびっくりした。

こんな物を肯定するなんて、人間みたいで悔しいからもちろん蔵馬には言わないけど。

また、花が咲く。
今度は…翡翠色だ。
飛影がそう思うと同時に、蔵馬が振り向いてにっこり笑った。

「ねえ?今の花火、オレの目の色に似てない?」



夜空の花と同じ色の、翡翠の目。
端正な、整った顔。
きれいな指と、深く染みこむような声。

艶やかな長い髪が、背を滑る。
その向こうで咲く、美しい花。

なんだか、ぞっとするほど…

飛影はぶるっと身を震わせると蔵馬の背に腕を回し、きつく抱きしめた。

さっきの蔵馬の言葉が甦る。

…儚いからこそきれいなんだよ…
…綺麗だからなくなっちゃうんだ…

「どうしたの今日は。変だよ?」

困惑したように、それでいてどこか嬉しそうに蔵馬が問う。

「…別に」

いつも通りに素っ気なく返す。
それでも蔵馬も腕を回して、小さな体を抱きしめた。

綺麗なものは、儚いのだから。

消えてしまわぬよう、
しっかり捕まえておかなければ。

飛影は蔵馬の背に回した腕を、より一層強くした。


...End