夜花

例えば、クリスマスだとか、お正月だとかバレンタインデーだとか。
飛影は人間界のそういった季節行事には無論興味はない。

蔵馬としては、人間界に住んでいる以上、そういった行事を恋人と楽しみたいと思ってはいるのだが。

だから、飛影のその言葉は意外だった。
***
「…あれは、今年はないのか?」

人間界はまったくもって猛暑で、冷房の効いたガラス越しの外は熱気に揺らめいていた。

「あれって?」

アイスティーと、果物。
夏の定番のお茶を並べながら、蔵馬は首を傾げた。
今日の果物は葡萄だ。半分に割ったものが、アイスティーにもいくつか沈んでいる。

「夜に、火で空を飾るやつ」

飛影はボソッと答え、グラスに口を付けた。

「ああ、花火ね」

火で空を飾る、というのはとてもかわいい言い方だと蔵馬は思ったが、もちろん口には出さない。

去年、幽助たちに誘われて花火を見に行ったのだ。
桑原だの、螢子だの雪菜だのぼたんだの、みんなでガヤガヤと出かけ、途中でわざとはぐれて二人きりで花火を見た。

思いがけず、飛影は花火に見蕩れていたが、今年も見たいと言い出すほど気に入ったとは思わなかった。
何?見たいの?などと意地悪な言葉を返したなら、きっと飛影は、別に、とそっけなく答えて帰ってしまうだろう。

「今年はもう、近くのは終わっちゃったんだけど」

心なしか、飛影が残念そうな顔をしたのを蔵馬は見逃さない。

「来週ね、電車で一時間くらい行った街でもっと大きな花火大会があるんだ」

それに行かないか?
オレたちなら電車なんか乗らなくても行けるし。

葡萄の皮をむいてやり、飛影の口元に差し出す。

「ね、行こうよ?」

飛影は葡萄を口で受け取り、小さく頷いた。
***
特等席。

蔵馬が得意げにそう言っただけのことはあって、小高い丘の上のその巨木の上は涼しい風が吹き、腰掛けるのにちょうどいい形の太い枝が伸びていた。
丘の周辺は雑草が子供の背丈ほどもたくましく生えていて、人間たちは近寄らない場所だ。葉もあまりない種類のこの樹は、花火を見るには最高の場所だった。

蔵馬は不思議な香りのする小さな花を、大きな幹にそっと留める。

「なんだそれは?」
「虫除け。君と違ってオレは蚊に食われるんだよね」

フン、と飛影は小馬鹿にしたように笑う。
蔵馬は気にした様子もなく、にこにこしている。

それはそうだ。
クリスマス、お正月、バレンタインデー、夏の海。
飛影がすすんで参加したがることなど今までなかったのだから。

下で何か買ってくるね、と蔵馬はざっと20メートルは下の地上にひょいと飛び降りる。
丘の向こう、遠く眼下に見える地上は驚くほど人間がひしめいていて、たくさんの屋台がオレンジ色の光を放っていた。
***
いい匂いのするパックや包み、長い棒の突き出した飴や、かき氷のカップを抱えて蔵馬は戻ってきた。
もちろん綿菓子も忘れない。ちょどいい手ごろな枝に、いくつかのビニール袋を蔵馬は引っかけた。

飛影は粉砂糖がかかり、ビスケットのくっついたいちご飴を真っ先に手に取った。

「…甘い」

ガリッと飴を噛み、飴の後のいちごの酸っぱさに眉をしかめる。

「幸せ」
「…何がだ?」

こんな風に、花火が上がるのを待っていて、あなたが隣にいて、一緒にたこ焼きや飴を食べてくれていることが。
蔵馬はそう言うと、嬉しそうに笑う。

その言葉にかぶさるように、ドーンと大きな音が鳴り響き、花火が始まった。
***
去年と同じように、飛影は食い入るように夜空に咲く大輪の花を見つめていた。
大きな赤い瞳は瞬きすらも忘れたかのように、次々打ち上がる花火を、じっと見つめた。

一際大きな花が咲いた後、飛影がほうっと溜め息をついた。

「……綺麗、だな」

珍しく素直な言葉に、蔵馬はたこ焼きを食べていた手を止める。

「そうだね…。綺麗だ。…ちょっと寂しい気持ちにもなるけど」
「寂しい?」
「うん。なんか、感傷的な気分、ってやつ?」

半分、人間だからかなあ?
蔵馬は小さく笑う。

騒めきはかすかに聞こえる程度だったが、屋台の並ぶ夜道はぽっかりと明るく、人間たちは楽しそうだった。
また一つ、二つと大きな花火が上がり、長く光る尾を引いて夜空に消える。

ちょっと、寂しい。
蔵馬のその言葉は、なぜか飛影にも理解できた。

言葉では説明できない寂しさ。
この刹那に消える、大輪の火の花には、そういう奇妙な寂しさがあった。

いくつも、いくつもの、火の花。
それはとても綺麗で、とても寂しかった。

「…でも…オレは…」

また、来年もこれを見たい。
飛影の小さな呟き。

できれば、お前と一緒に、この寂しくて綺麗な火の花を見たい。
それは、飛影の心の中での、呟き。

「もし…お前が望むなら…」

飛影はその言葉に思わず顔を上げる。
蔵馬のその声の響きは、妖狐の気配を纏わせ始めていた。

「…お前が望むなら、この空も、あの火の花たちも、手に入れてやろう」

お前が望む、何もかもを。

碧のはずの瞳が、花火の光のせいか、金色がかって見える。
何もかもを手に入れてきた、傲慢な金の瞳。

飛影は小さく首を振ると、蔵馬に小さく口づけた。

瞳はたちまち、金から緑に戻る。

「…飛影…」
「オレは、手に入れている。空も、火も、そして」

…お前も、だ。
飛影はそう言い放つと、すっかり溶けたかき氷を、一気に飲み干す。

「…うん。そうだね」
「だから、くだらんことを言うな」

…また次の夏も、ここで二人は花火を見るのだろう。

美しく儚いものへの純粋な賛美と、

ほんの少しの、
けれど決して消せない寂しさを抱えながら。


...End