ネコの歌玄関の鍵を開け、ただいまあ、と蔵馬は小さく声をかける。相変わらず飛影は玄関に出迎えてくれることはないのだが、普段はニャアと返事はする。 ネコ族は耳がいい。なので、大声で帰宅を知らせる必要はなかった。 それに、最近は少しの大声や振動にも、飛影が怒るので、以前にも増して蔵馬は静かに行動するようになっていた。 飛影はいるはずなのに、今日は返事がない。 おや?と思ったが、すぐに理由はわかった。 玄関に、ピンク色の華奢な造りの綺麗な靴が、転がっていたからだ。 妹が、遊びに来ているのだ。 今日の打ち合わせ先の隣は小さなケーキ屋で、店の小ささに似合わず大行列だったので、飛影への土産にと蔵馬はチーズケーキを買ってきていた。 ちょうど良かった、と微笑み、靴をきちんと並べる。 リビングに通じるドアに手をかけ、蔵馬はハッと手を止めた。 ***
飛影と雪菜は、歌を歌っていた。ネコ語で、ふわふわした曲調の、ヘンテコな歌を、小さな声で二人は歌っていた。 窓辺の日だまりを陣取って、一心不乱にドミノを並べる二人。 集中している時のネコ族の習性なのか、二人とも、しっぽをピタッと体にくっつけている。 真剣な眼差しで、一つ一つ、丁寧に、確実に、ドミノを並べている。 なのに、二人は一緒に歌を歌っていて、それはひどく間の抜けた、人を脱力させるような歌だった。 にゃあにゃあと、みゅうみゅうと、小さくふにゃふにゃ続く、聞いたこともない、不思議な歌。 かわいい。 …かわいすぎる。 二人を驚かさないように、買い物袋をそおっと床に置き、半開きのドアの向こうを、蔵馬は息を飲んで見つめた。 ネコ語を勉強し始めた蔵馬だったが、飛影の言った通り、ネコ語はとてつもなく難解な言語だった。 飛影は蔵馬のネコ語勉強に協力する気はまるっきりなかったし、半年以上通っているネコ語スクールも、無駄に終わりそうな気配だった。なにせ、未だに聞き取れる単語が30個ほど、発音できる単語は10個もないという、惨憺たる結果だ。 当然、二人の歌に、その30個のどれかが出てくるという偶然は期待できないようだった。 色とりどりに塗られた木でできたドミノは、ちょっと前に蔵馬が買ってきたものだ。 色合いがかわいくて、つい買ったのだが、意外にも飛影はこれに食いついた。 およそ気の長い方だとは思えないのに、きちんと並べる緊張感、上手く並べればそれらが生き生きと倒れていくというドミノの醍醐味に、このところ飛影は夢中になっていた。最近では、さまざまな方向へ向かうドミノにも挑戦するという熱中ぶりだ。 一度など、帰ってきた蔵馬が玄関に大荷物を降ろした振動で、リビングで並べていたドミノが倒れてしまい、怒った飛影の機嫌を取るのに三日もかかった。 以前に買ってきたジグソーパズルには見向きもしなかったことを思うと、まったくもってネコ族を理解するのは難しい。 ふと、歌声が止む。 「うにゃああ…できたあ」 嬉しそうな雪菜の声。 そう言って目を輝かした妹に、飛影はやさしく笑う。 「倒していいぞ。雪菜」 「ほんと?じゃあ、いくよ…」 綺麗にピンク色のマニキュアの塗られた指先が、先頭の赤い木をそっと押した。 整然と、心地よい音を立てながら、リビングの半分を使って展開されていたドミノは倒れていく。 色鮮やかに描かれる線に、二人は目を輝かせている。 最後の一枚まで綺麗に倒れ、二人がほうっと息を漏らしたのを確認し、蔵馬はドアを開けた。 ***
「ねえ!今二人で歌ってた歌、なに?なんて歌?」ただいまも何もなく、勢い込んで、蔵馬は尋ねた。 飛影と雪菜はきょとんと、目を丸くする。 本当に、目の大きな兄妹だ。 「歌?」 「うん。今、ドミノしながら、歌ってたじゃない?」 雪菜が口を開きかけた瞬間、飛影は遮る。 「…歌など、歌ってない」 「ええー?歌ってたじゃない。二人で」 「歌ってない」 飛影の恥ずかしポイントも相変わらず謎だ。 どうやら歌を聞かれたのが恥ずかしいらしく、頬を赤くしてそっぽを向いている。 「歌ってたよね?雪菜ちゃ…」 「喉が渇いた。蔵馬、茶でも淹れろ」 飛影はキッチンの方へ追い立てるように蔵馬の背を押し、ドアを閉めた。 ***
「教えてくれてもいいのに…」 |