イチゴアメ嫉妬、というものとは違う。羨望、というのともまた違う。 そもそも。 嫉妬するのはお門違い。 羨望するのも的外れ。 会議室のようなものであるこの広い部屋で、時雨は上座をそっと盗み見る。 女帝はひどくつまらなそうに、退屈そうに、している。 隣の席に座る、堂々となんの悪びれもなく遅刻してきたNo.2と同じくらい、退屈そうだ。 実際、魔界のパトロールの報告だの問題点だの改善点だの、退屈でしかない。 それでも、トーナメントの敗者に課せられたルールだ。ルールに縛られたくなければ覇者となるしかない。 そんなわけで、躯も、そして77人の側近も、みなしぶしぶではあるがこうして集まっているのだ。 女帝の隣の席。 そこはNo.2の指定席だ。 手を伸ばせば触れられるその距離に座る躯と飛影を、時雨は恨めしく眺める。 姉と弟、あるいは母と息子…ともし躯に言ったら人を婆呼ばわりかと怒るだろうが…のような関係だとはわかっている。 自分より弱い男と寝る気はない、と躯が言うのも聞いたことがある。 ということはこの部屋にいる全ての者が…つまり飛影も含めて…対象外だということも、時雨はわかっている。 カチャリ、と小さな音。 水の中で小石が揺れたような、音。 ほのかな、甘いにおい。 時雨が咎めだてする前に、躯が声をかけた。 「お前、何食ってるんだ?」 飴、と短く答えた飛影が、舌を出す。 桃色の舌の中心に、さらに薄い桃色の丸いもの。 辺りに強く、甘いにおいが立つ。 カチャリと軽い音を立て、飴が口の中に消える。 躯にこれほど気安い口を聞けるのは飛影だけだし、それを許されているのも飛影だけ、と少なくとも百足の者たちは思っている。 「くれよ。オレにも」 義手ではない方の、美しくしなやかな手が差し出される。 面倒くさそうな顔をした飛影だったが、ゴソゴソとマントを探ると、いくつかの飴を取り出し、躯の手のひらに無造作に置いた。 色とりどりの、鮮やかな、一目で人間界の物だとわかる、異質な包み。 包帯をした飛影の右手が、指の長い、躯の左手に触れる。 触れた、とも触れられた、とも思っていないであろう二人なのに、時雨の胸は、しゅんとしぼむ。 あのように気安く、あの方に触れることができる日など、自分にはこない気がする、そう考え、むさ苦しい髭面で、しゅんとしてしまう。 受け取った包みのひとつを開け、躯は赤く丸い飴を口に放り込む。 「これ、何の味だ?」 「知らん。不味いのか?」 「不味くはない」 「じゃあ、なんだっていいだろうが」 「よくないぞ」 躯は口から飴を取り出すと、小柄な体をぐいっと引き寄せ、唾液でべたべたしたそれを飛影の口に押し込んだ。 「何の味だ?」 部屋にいた全員が息もできないほど驚いているというのに、飛影はわずかにしかめっ面をしただけだ。 「…苺だ」 「いちご?お前が食ってるのは?」 「これも苺だ」 「同じ飴じゃないぞ?」 「いろんな苺味があるんだ!」 心底面倒くさそうに言うと、飛影はガリリと二つの飴を噛み砕いた。 「おい、返せよ」 「もう食った」 まだあるんだから他のを食えばいいだろ、オレもいちごとやらがいい、もう苺はない!などと、二人はまるで周りに誰もいないかのように、資料を読み上げていた時雨が言葉に詰まっていることにも気付かずに、他愛もない言い争いをしている。 しみじみと、時雨は考え込む。やはりこれは、羨望なのかもしれない、と。 いやいや、だからと言って飛影の立場になったところであの方は手に入らない、欲しいのはあの立場ではないのだ。などと埒もないことを、くよくよと大きななりで考え込む。 仕方なく別の包みを開けた躯が、ニヤリと笑い、身を乗り出し、飛影の耳元に何か囁いた。 途端に眉を上げ、真っ赤になる飛影。 人間界にいる恋人のことをからかわれているのだということは、飛影以外の皆が承知していることだ。 休みともなれば人間界に飛んで行ってしまい、逢瀬の後はいつでも機嫌が良く、パトロールが詰め込まれすぎればあからさまに機嫌が悪く、されどそんな時に想い人が魔界に訪ねてくればたちまち機嫌を直す。 それほどあからさまだというのに、躯以外の百足の者には知られていないと思っている飛影の幼さが、時雨にはなんだか可笑しかった。 いや、人のことを笑っている場合ではないと、時雨は再びため息をつく。 あんな幼子が、恋人との蜜な時間や肉の交わりを貪っているというのに、はるか年上の自分が指をくわえて恋い焦がれているだけなど、こっちこそがお笑いぐさだと、ため息は深い。 実のところ、物事に無頓着な躯はどこでも平気で服を脱ぎ捨てるが、その肢体を眺めることさえ、時雨はできないでいる。 自分で自分に苦笑し、時雨はパン、と両の手を打った。 ただ待っているだけなのは自分。行動を起こすのもまた自分。 吹っ切るように、手は音高く鳴った。 「躯様も飛影も、いい加減におやめくだされ」 会議がちっとも進みませぬ、そう言う時雨に、二人はべーと舌を出す。 ひどく甘いにおいを、漂わせながら。 その異界の香りを深く吸い込み、時雨は皆の時間を会議に戻した。 ...End. |