お狐さまに願いごと

腹ごなしに散歩でもしよう。
誘うと、意外にも飛影は素直に頷いた。
***
初挑戦、でもこれがまたすっげえ美味いんだな~!やっぱオレ天才だわ!
そう言って笑う幽助が届けてくれた蕎麦に、揚げたての海老の天ぷら、かまぼこと刻んだ葱というオーソドックスな具をのせ、二人で美味しく平らげた。
その小さな体のどこに入るというのか、食べたりないなどと言う飛影には、残った天ぷらで天丼も作ってあげた。
美味いなどと感想を述べる飛影ではないが、慣れない箸で黙々と食べていたところをみると、美味しかったのだろう。

パトロールもあるし、そもそも年が変わる時に一緒にいなけりゃならん理由はない、と嫌そうな顔をした飛影を、オレは無理やり人間界に連れてきた。去年と同じミスを仕出かすようなオレではない。

もちろん、躯にはきちんと賄賂を届けた。
大きな重箱に入ったお節に、樽に入った酒に、人間界の晴れ着に、日々退屈している女王様は、子供のように目を輝かせ、なんだかかわいらしかった。

オレたちは、立ち並ぶマンションの屋上を、家々の屋根を蹴り、空を翔る。
人間たちが目に留めるとしても、それは一瞬の影にすぎない。

「大晦日の夜にね、神社にお参りに行くことを」

いつものコートではない、オレが学生の頃に着ていた、焦茶色のダッフルコートを飛影は着ている。ベージュのマフラーは長かったので、何重にもぐるぐる巻きにした。
ふっくら着膨れる彼は、いつも以上に幼く見えた。

「二年参りって言うんですよ」
「なんの意味がある」
「今年と、来年と、いっぺんに二回分お参りができるってこと。この国の一部の地域に残る昔の習慣なんだ」
「面倒を一度ですましたいのか?」
「そういう言い方もありますけど」
「なら行かなきゃいいだろう。馬鹿馬鹿しい」

この街には大きな神社もあるのだが、向かう先はそこではない。
人間たちがひしめき合う場所になど飛影を連れては行けないし、そもそもオレだってあんな人の群れはテレビで見るだけでも辟易している。

「ここ」

下町の商店街は、夜が夜であった古き良き時代のように、どの店もきちんとシャッターを下ろしていた。時折ポツンと明るいコンビニは、なんだか今夜は醜悪なものに見えた。

小さな商店が並ぶ通りに、その小さな神社はある。
間口が狭く、参道は二人並んで歩くのがやっとという幅だが、その分奥行きは長い。
古ぼけた鳥居の向こうに、古ぼけた拝殿が見えた。
***
灰色の石の上に、並んで立つ。

「大きな神社はね、動けないくらい人がいるんだ。ここ、誰もいなくていいでしょ」
「確かに、誰もいないな」

ちらりと鳥居を見上げた飛影が、塗りの剥げかけた木に指先で触れる。何かを確かめるかのように。
片方の眉を上げ、オレを見る。

「術が、かけてある」
「正解」

今夜はね、人間たちが入らないようにしてあるんだ。
あなたと二人で来たかったから。

「勝手だな」
「いいんだよ。本来お参りっていうのは陽のあるうちにするものなんだから」
「お前はいいのか」
「いいんです。だって、ほら見て」

20メートルほど歩いた先、拝殿の前には、この商店街の人々によってきちんと磨かれている石の狐が、向かい合うように鎮座している。

「…狐か」
「そう。だからいいんだ」

オレの言葉に、皮肉っぽく飛影は笑う。

「人間どもは、願いを叶えてもらいに来るんだろう?」

お前のような性悪狐が術をかけた神社じゃ、ろくなことはなさそうだな。
ダッフルコートにマフラーという、人間の子供のような姿で、飛影はくつくつ笑う。

「失礼な。信じる者は救われますよ」
「神だって言い張るんなら、信じない者も救うのが筋だろ」

いつになく的確な指摘に、オレは詰まる。
以前の彼なら、オレを言い負かしたりすることはできなかったのに。

拝殿の、たよりなく白い電球の下で、彼の真っ赤な瞳が輝く。

いつの間にか、彼は少し大人になったのだろうか。
長すぎる寿命を持つオレたちの見た目は十年や二十年、いや百年経ってもほとんど変わらない。
出会ったあの日と変わらない姿のままで、彼もまた、年月というもので変化していくのだろうか。

…それを少し寂しいと思うなど、まったく自分勝手な話だ。

「どうした」
「…何でもないよ」

コートのポケットから、百円玉を二枚取り出し、一枚を飛影に渡す。

「これをあの箱に入れて、願いごとをするんだ」

オレは賽銭箱に百円玉を投げ、目を閉じて手を合わせた。
願うことは、決まっている。

「飛影は?」

手のひらの百円玉を見下ろすと、だいぶ離れた場所から、飛影はぽーんと硬貨を投げた。
大きな弧を綺麗に描き、賽銭箱の中でちゃりんと音が立つ。

くるりと、飛影が振り返った。

「え?飛影…」

拝殿を背にした飛影の視線の先、そこには狐がいる。
闇夜に妖しい、二匹の狐。

「オレの願いは」

ふいに、腕時計が場違いな電子音を立て、十二時を、そして新年の到来を知らせる。

「…こいつと、同じでいい」

飛影の手が、オレのコートの肘あたりを、ぎゅっとつかむ。
空に向かって放たれた言葉が、二匹の狐に吸い込まれるのが、見えるような気がした。

「…飛影」
「帰るぞ。こんな寒いところにいられるか」

マフラーに顔を埋め、さっさと歩き出した彼を、オレは慌てて追う。
赤い瞳の下の白い頬が、薄く色づいているのは寒さのせいではないことぐらいわかっている。

「ねえ、オレが何を願ったか、知ってるの?」

返事はない。
けれど。

すたすたと前を歩く、コートでふくらんだ、小さな体。

…彼は、大人になったわけじゃない。
彼はただ、少し変わったのだ。

オレに、会って。
オレと、過ごして。

…オレに、愛されて?

思わず、後ろからがばりと抱きついた。

「な、なんだおい!」
「ええっと。もう年が明けたから、あけましておめでとう」
「だからなんだ!! 放せ!おい!!」
「飛影、大好き」
「はあ!? めでたいのは貴様の頭の中だ!」
「いいじゃないー。誰も見てないって」

馬鹿、だの、うっとうしいだの散々言われながらも、オレは帰る道すがら、ずっと飛影にちょっかいを出し続けた。

二人で翔る夜空は、新しい年のにおいがした。


...End.