おめでとう

土曜の夜の街は賑やかだ。
あたたかな光をこぼすレストランの扉が開き、出てきた家族は街の賑わいにふさわしく、楽しげだった。

父親が言った言葉に、母親と二人の息子が笑う。
やがて息子の一人に見送られ、三人は駅へと向かう道を歩き出した。

三人の姿が見えなくなるまで笑みを浮かべていた上の息子は、地下鉄へと続く階段を三人が下っていくのを見届けると、くるりと反対を向き、行き交う人々が振り返るようなスピードで走り出した。
***
マンションの高層階。
窓の開け放たれた部屋は、ひどく寒い。

「ずいぶん楽しそうだな」

皮肉っぽい声。
明かりも点けない部屋の中は真っ暗で、窓の外の夜景がやけにくっきりと輝く。

息を切らして帰ってきた部屋の主に、いつものようにベランダから入った来客は、窓を開けたままの部屋で、靴も脱がずに床に寝そべっている。

「見てたでしょう?」

あなたが来てるのわかったから、急いで帰ってきたんだよ。息を整えながら、蔵馬はコートを脱ぐ。
十分ほどの全力疾走で息を切らしている蔵馬を見上げ、人間は軟弱だな、と、飛影は鼻で笑う。

普段ならば、訪れた時に部屋の主が留守ならば、飛影はさっさと帰ってしまう。木の上で寝るくらいならオレが留守でもここで寝ればいいじゃないか、という蔵馬の言葉も聞こえぬふりをして。
ましてや、蔵馬が他の人間と…幽助や桑原は例外として…過ごすことを快く思わない飛影だったが、どうやら今日は気まぐれをおこし、部屋で待っていてくれたらしい。

「留守でごめんね。家族と夕飯食べる約束してたんだ」

そんなことには興味がないと言わんばかりに、飛影は眉を上げてみせた。
蔵馬の髪も服も、両親のお気に入りの店であるイタリアンレストランの匂いをたっぷり吸い込んでしまっている。

「母さんの誕生日でね」
「たんじょうび?」
「人間界ではさ、生まれた日を祝う習慣があるんだ」

窓を閉め、カーテンを引きながら、蔵馬は言う。

「生まれた日を、祝う?」

しかめっ面をする飛影のブーツを、蔵馬は脱がせる。

「そう、お祝い。美味しいものをご馳走して、花束と服をプレゼントしてきたよ」
「なぜそれが生まれた日じゃなきゃならん?」
「さあ。無事に年を取れて良かったね、おめでとう、とか?」
「…馬鹿馬鹿しい」

自分もかつてそう思ったものだと、蔵馬は懐かしく思い出す。
手作りのケーキにろうそくを立て、大はしゃぎの母に火を吹き消すよう言われ、困惑を隠し、同じようにはしゃいでみせたあの頃。

妖怪である二人は、無論自分たちの生まれた日など憶えてはいない。
そもそも魔界にはそんな慣習はないし、憶えている必要もない。

「…くだらん。人間のやることは」

仰向けに寝転がったままの自分の唇に落とされた唇を受け止め、飛影は呟いた。
暗い部屋に、互いの舌をからめる濡れた音がしばし響く。

「飛影も…祝ってよ」

唇を離し、笑みを含んだ声で、蔵馬は囁く。

「あの人がいなかったら、あなたはオレに会えなかったかもよ?」

暗がりでも綺麗な赤い瞳を眇め、飛影はニヤリと笑う。

「…貴様の母親が存在しなけりゃ、貴様なんぞに会わずにすんだかもな」
「ふーん。素直じゃないんだから」

黒いコートを、長い指がするりと剥く。

「でもオレは…氷菜さんに、感謝してるよ」

飛影の母親の名は、以前に雪菜から蔵馬は聞いていた。
氷女の母親の名に、飛影は急に表情を無くし、体を強張らせた。コートを脱がす手を払いのけ、がばっと起き上がる。

「…飛影?」
「触るな。帰る」

窓に向いた体を、蔵馬は後ろからサッと抱きしめた。
長い腕が、小さな体に力強く回される。

「放せ」
「…今夜はオレにとって、すごく大事な人の誕生日だったんだよ。でも」

短い髪。冷たい耳を唇ではさみ、蔵馬は続ける。
腕の中の、愛しい愛しい妖怪に。

「一番祝いたいのは…」

直接耳に吹き込まれるような声に、飛影はぶるっと震え、思わず目を閉じた。

「あなたが、生まれた日だよ」

魔界も、人間界も、他の全ての世界も巻き込んで、お祝いしたいぐらい。
最上の魂が存在して、しかもそれがオレのものだなんて。

「こんな幸せなことって、ある?」
「……誰がいつ貴様のものになった?」

呆れたように返した飛影だったが、その言葉にもう怒りはない。
再び落とされたキスに、氷女の息子は素直に応じた。

「今度、あなたの誕生日をお祝いしましょうよ」
「馬鹿か。生まれた日なんぞ憶えてるか」

ですよねえ。オレも自分の憶えてないですもん。
じゃあ、オレと出会った日ってのはどうですか?

「…貴様は本当に」
「ずうずうしいですか?でも、ずうずうしいくらいじゃないとあなたと付き合えないでしょう?」

満面の笑みに、飛影は溜め息をつく。
それでも帰る気はなくしたらしく、ソファにどさっと座った。照れ隠しなのか、乱暴にキッチンを顎で指す。

「さっさと飯を作れ」
「はいはい。ちょっと待ってね」

ぱちんと明かりがともる。

今日行ったお店、結構美味しいんですよ、今度行きません?
機嫌良く問う蔵馬に、行かん、とすげなく飛影は返す。

キッチンに立つ蔵馬の後ろ姿を横目に、飛影は窓の外を眺める。
手際よく料理をする蔵馬がこちらに気付いていないことを確認し、飛影は窓際に立ち、額の目を開く。

弾むような足取りで、階段を上ってくる三人の人間が映る。
それぞれ大きな袋や花束を抱え、何やら楽しげに言葉を交わす。

二人の男の間で、優しげな女は笑っている。
決して若くはない、皺の寄った顔をほころばせ、幸せそうに女は笑う。

額の目を閉じ、飛影はゆっくり、赤い瞳を開ける。
心なしか、その顔はやわらかい。

「飛影、できたよ。おいでー」
「ああ」

冷たい窓際を離れる一瞬、誰にも聞こえないほど小さな声で、
飛影は祝いの言葉を呟いた。


...End.

2013.12.21
いつもお世話になっている「ENTWINNER」のシンさまのお生誕日です!
お誕生日おめでとう!良い一年になりますように!
南の島まで蔵飛よ届けー
実和子