2012

黒龍がご機嫌なのも無理はない。

広々した和室の客間。
大きなテーブルと、それを囲むふかふかの座布団。

その座布団を三枚も重ねた上座に黒龍は鎮座し、目の前にご馳走が並べられていくのを嬉しそうに見守っていた。
***
「すごい…。本物の龍が見れるなんて…」

感に堪えない、という風に発したのは螢子だ。

「縁起いいな」
「ねえ。干支の生き物だもの」
「干支たって犬やねずみじゃないぜ?龍だ!」
「触ってもいいのかい?」
「すごーい」
「私も私も!」
「あったかーい!」
「意外に硬くないんだねえ」
「ねえねえ、これ食べる?」
「あ!こっちも食べて!私が作ったの!」
「おっ!お前酒もいける口じゃねーか!飲め飲め!」
「かわいいー!」

新年を祝っての宴に集まったのは、螢子にぼたん、雪菜に静流、温子、そして男四人といういつも通りの面子。

皆口々に好きなことを言い、黒龍を膝に乗せてみたり、抱き上げてみたり、ご馳走を与えてみたりと忙しい。
黒龍もまんざらでもないらしく、尾をふりふりなすがまま。差し出されるご馳走を次々平らげ、盃を干す。

「連れてきてくれたんですね」
「……しょうがないだろうが」

広間の片隅、皆の集まるテーブルから一番離れた壁を背にして座る飛影は、半ば唸るような声とともに、蔵馬を睨んだ。

「オレのせいじゃないですよ」

そうだ。蔵馬のせいではない。
正月の集いに、干支の縁起物である龍がいたら楽しかろうと、黒龍を連れてこいと飛影に頼んだのは幽助だ。
断ると即答した飛影に、ニヤッと笑った幽助は雪菜の名を出した。

「ええ~?オレ、雪菜ちゃんにも言っちゃったしなあ。雪菜ちゃんもすっげえ楽しみにしてるのになあ。がっかりするだろうなあ~?」

幽助のいつも通りの手だというのに、兄はあえなく撃沈だ。
こうして人間界の正月に参加するはめになり、黒龍を貸し出す?はめになってしまった。

「飛影さん!」
「…なんだ?」

水色の髪をアップにし、桃色の振り袖を纏う妹に声をかけられ、飛影は慌てて顔を上げた。
黒龍をぎゅっと抱きしめる雪菜は愛らしく、桑原でなくとも頬が緩んでしまう。

「黒龍ちゃん、連れてきてくれてありがとうございます」

満面の、笑み。
返事をできずモゴモゴ言う飛影に代わり、蔵馬は微笑んだ。

「良かったね、雪菜ちゃん」
「はい!」

にこにこしながらテーブルに戻る雪菜の後ろ姿に、飛影は諦め半分の溜め息をつく。

「ま、あの笑顔でチャラじゃないですか?」
「……うるさい」
「まあそう言わず。いろいろ美味しい物ありますよ。食べてください」

いつの間にやら様々な料理を取り分けた皿を持って、蔵馬は隣に座った。
はい、と飛影に渡されたグラスは、ほとんどジュースで作られたカクテルで満たされている。

「飛影、今年もよろしくね」
「…っ、何を…!」

誰もこちらを見ていないのをいいことに、早く二人きりになりたいよ…と、飛影の耳元に吹き込むように囁くと、蔵馬はグラスをカチンと合わせた。
***
宴もたけなわ。

片隅で飲んでいる二人を除いては、ほぼ全員が酔っぱらいだ。
黒龍はといえば、今は幽助の膝の上で盃に顔を突っ込んでいる。

「なあなあ、飛影!こいつがいれば、オレでも黒龍波撃てんのか?」

何を言うのかと、飛影は馬鹿げた質問を鼻を鳴らして黙殺した。

「まさか。それは無理ですよ」

苦笑しながら蔵馬は言う。

誰でも黒龍を扱えるわけじゃないんですよ。炎の種族の妖怪でないとね。
それに、この黒龍は飛影と契約関係にありますからね。
黒龍波どころか他の人の腕に巻き付くこともしませんよ。

「そうなのか?巻き付くくらいいいじゃねえか」

トントンと腕を指した幽助だったが、蔵馬の言葉を裏付けるように、黒龍はぶんぶんと頭を振り、拒否の意を示した。

「ね?駄目でしょう」
「つまんねえな。オレも撃ってみたかった」
「おおい浦飯!馬鹿こけ!」

人の家で冗談よせと桑原が怒るのは当然だ。
再び馬鹿騒ぎを始めた幽助と桑原に、飛影は何度目かの深い溜め息をつく。

「おい、そろそろ戻って来い」

主である飛影の声にパッと顔を上げた黒龍だったが、どうやら相当飲んでいるらしく、ふらふらと飛んでくる。
千鳥足、という言葉はあるが、飛んでいる場合はなんというのやら。

「危ないよ…」
「きゃっ」

蔵馬が言いかけた途端、黒龍はくるんと回って雪菜の膝にどさっと落っこちた。

「黒龍ちゃん、大丈夫?」

雪菜に抱え上げられた黒龍は、何を思ったか、しゅるしゅると振り袖に包まれた腕を伝い…

「な」

飛影の驚きの声に、タイミング悪く皆が振り向く。

くるりくるり、ぴたり。
黒龍は雪菜の腕に綺麗に巻き付き、フッと消えた。

「え」
「おい」
「ちょっ…」

シーン。
沈黙が、痛い。

「消えた」
「…消えたぞ」
「ゆ、雪菜ちゃん…腕…」

大きな目をぱちくりさせると、雪菜は着物の袖をたくし上げ…

「あらまあ」

おっとりと首を傾げる雪菜に、一同がぎゃっとのけ反ったのも無理はない。
雪菜の白く細い腕には、黒龍の文様が浮かんでいる。

「わーっ!雪菜さーん!!」
「それ、ちょっ、ええ!?」
「なななんで…」
「飛影だけって言ったじゃねーか蔵馬!」
「飛影と雪菜ちゃんを間違えたってことか?」
「おいおい、似てねえぞ!」
「どこをどう間違え…」
「ほ、包帯どこだ!? 包帯がいるぞ!」
「そういう問題なの!?」

蔵馬とぼたんは、目を合わせた。
酔っぱらった黒龍が、飛影の妹を…飛影と同じ匂いのする雪菜を…飛影と間違えたのだと二人は瞬時に気付いた。

「おいおい飛影、お前の黒龍なんで雪菜さんに…」

予想外の出来事に冷や汗をかき、目を泳がせる飛影。
ここで助けなければ、恋人失格だ。

「はいはーい、皆さん注目」

蔵馬の手の平には、二種類の香しい粉。

「ちょっと早いですけど、お開きにしましょう」

皆があっと気付いた時にはもう遅く、辺りに花の香が舞った。
***
「夢幻花なんてずりーなあ。もうちょっと飛影を慌てさせときゃ面白かったのによ」
「冗談よしとくれよ。こっちは寿命が縮んだよぅ」

手酌でグラスを満たした幽助に、ぼたんがぼやく。
起きているのは、幽助とぼたん、それにもちろん蔵馬の三人だ。

人間たちと双子の兄妹は、気持ち良さそうに眠っている。

「なんでこの二人まで眠ってるんだい?」
「雪菜ちゃんが起きてたら意味ないでしょうが。人間用と、氷の種族の妖怪用の二種類の粉を使ったんですよ」

勝手に押し入れから引っ張り出してきた毛布やら布団やらを、崩れるように眠っている者たちに蔵馬はかけてやる。

「飛影は氷の種族じゃないだろ?」
「氷女の子供ですからね。氷の種族の血も流れてるから効くんですよ」

他の者に毛布をかけてやった時とは明らかに違う、愛情のこもった手付きで蔵馬は飛影に毛布をかけた。

「で、どうすんだい?これは」

雪菜の腕に黒く渦巻く黒龍を見下ろし、ぼたんは困った顔をする。

「酔いが醒めたら、出てきますよ」

二時間もすれば、出てくると思います。
皆は四、五時間は目覚めないから、大丈夫ですよ。

「じゃあ、オレはこれで失礼しますね」
「ちょっと!どこ行くんだい?」
「どこって、家に帰るんですよ。黒龍が起きたらオレの家に来るように伝えてください」

言いながら蔵馬は飛影を抱き上げた。

「飛影も連れてか?」
「もちろん。野暮なこと聞かないでください」

毛布に包まれたまま、小さく口を開けて眠る飛影は、いつにもまして幼く見える。

「それでは。良いお正月を」

まるで飛影のように、蔵馬は窓から身軽に飛び出した。
腕の中の宝物を、しっかりと抱えて。
***
「…正月早々いちゃついてんなあ、あいつら」
「み、見たかい?やっぱり幽助にも見えたかい?」

風になびく長い髪に隠れていると蔵馬は思ったのか、外へ飛び出した瞬間、蔵馬の顔が飛影の顔に被さったのは、元霊界探偵と元助手にははっきり見えた。

もっとも、“わざと見せている”ことには、どちらも気付かなかったようだが。

一年の計は元旦にあり。

そうやらあの二人の一年は、今年も蔵馬が主導権を握っているようだ。


...End.