欲しかった「これが、お前の言う手合わせか?」蔵馬は笑い、乱れた銀色の髪を邪魔くさそうに払った。 力任せに押し倒したが、体の大きさは二倍でもきかない。 仰向けに横たわった大きな体に、オレはまたがるようにして座る。 手をのばし、長い髪を両手ですくい、指の間からさらさらとこぼす。 陶器のような肌に、整った造作、金色の瞳。 …欲しい。 体の内側を撫で回す、銀色の妖気。 強烈な飢えにも似た感覚に、めまいがした。 あたり一面に、主を包みこむようなやわらかな草が生えたこの場所。 腹の上に座り、厚みのある胸に両手をつき、上体を倒して顔を近づける。 唇を重ね、深く息を吸い込んだ。 ***
「蔵馬の妖気に決まっているだろう」白い煙幕が包む結界の中には、鋭く強大な妖気。 慌てふためく桑原を鼻で笑い、けれどオレの方がずっと、動揺していたはずだ。 早く。 早く、全てを。 願いが聞こえたかのように煙が消え、銀と雪とで造られたような美しい物の怪が現れる。 昔の蔵馬か。 強く美しい、銀色の妖気。 びりびりした、それでいて煌めくようなそれに、体の中をすうっと撫でられたような気がした。 めまい。 渇望。極限の空腹。 …欲しい。 口の中で小さく呟いた言葉は、もちろん誰の耳にも届かない。 ***
失うことはいつでも予想できていた。意外でも何でもない。失う事は日常だ。 生まれることを望まれない事も、捨てられる事も、決まりきっていた事だ。 憤りはあったとしても、驚きはなかった。 氷泪石を無くした事さえも、心のどこかで予期していた自分がいた。 予想もしていなかった事。それは。 「お前は決勝で妖気をベストに戻す事を考えろ」 銀色の狐はあっという間に消え失せ、元通りの黒髪と緑色を帯びた瞳がそう言った。 思いもかけない出来事の始まりは、こいつと出会った事だ。 こいつと出会った事も、傷を負った身で襲いかかったのに助けられた事も、幽助と出会った事も、あいつらに雪菜を助けてもらった事も。 何もかもが予想外だった。 まるで。 …ふいにぽんと手の中に落とされた、贈り物のようだった。 贈り物とは我ながらおかしな表現だ。 贈り物?いったい誰から?何から? ***
「…貴様は、なんなんだ?」後ろ手にかけられた手錠は、重く冷たく手を痺れさせた。 霊界探偵の手助けをする条件で、オレに恩赦をちらつかせた霊界の王に、あの時そう尋ねてみた。 コエンマは考え込むように黙り込み、しばらくの沈黙の後、口を開いた。 「霊界の長であり…閻魔という役目の者だ。人間界の安寧のために存在している」 「ならば、神か?」 オレの口から神という言葉が出たのに驚いたらしく、コエンマは顔を上げた。 魔界にも、神はいる。 正確に言えば、神という偶像を創り上げ信じ込む者は魔界にもいる、と言うべきか。 「神を信じるのか?飛影」 「まさか」 即座に否定し、薄く笑うオレに、コエンマがやれやれと溜め息をつく。 困ったやつだと言わんばかりのその顔。この恩赦にも多分、蔵馬が絡んでいるのだろう。 「馬鹿げている。神など信じない。そもそもいない」 そう答え、コエンマの指示通りにオレは蔵馬の元へ向かった。 けれど。 いくつかの出会いも、傷口を癒す指先も、信じていると差し伸べられる手も。 ただ手の中に突然降ってきた、贈り物だった。 受け取らなければ良かったとは思っていない。大切に思わないというわけでもない。 けれどそれはある日突然与えられた贈り物で、望んで望んで得たわけではない。 妹を助ける事も氷河に復讐する事も、やるべき事であって、望みとは違う。 たいして長くもない人生をふり返って、望んだ事などそもそもあっただろうか。 ***
「妖狐に戻れるようになったら、教えろ」探ってはみるが、あれは偶然で戻れる確証はない。オレとしても戻る方法を見つけたいとは思うけど。 そう肩をすくめた蔵馬に、オレは念押しした。 「わかっている。戻れるようなったら教えろと言っただけだ」 「なぜ?」 欲しいから。 生まれて初めて、何かを欲しいと思ったから。 そんなことは、無論言うわけにはいかない。 自分でも理解できない事を、他人に説明できるわけがない。 手合わせをしたいだけだと言ったオレに蔵馬は苦笑し、戻れたら、と頷いた。 ***
大きな手のひらが、オレの頭を背を抱き、引き寄せる。 |