003

「ひーえい」

まずい、と飛影が思った時にはすでに遅く、見慣れた男が木の上にひょいと飛び乗ってきた。
いいもの見つけた、と言わんばかりの、子供のような顔をするその男。

「なーにのぞいてんだよ?」

ニヤリと笑った幽助に、飛影は嫌そうな顔をする。

桑原家の居間をのぞくことのできる、隣家のこの大きな木は飛影が時折訪れる場所だ。
夕食の後らしい、緑茶の湯のみや小さな菓子の並ぶテーブル。あたたかな団欒は、大きな窓からよく見えた。

すっかり家族に受け入れられて、幸せそうにしている妹を眺めるこの時間は、飛影にとっても幸せなひとときだ。雪菜を見つめる桑原の目が文字通りハートマークなのが、兄としては複雑な心境でもあるが。

「別に…通りがかっただけだ」
「またまたあ。どこをどう通りがかったらここを通るんだよ」
「うるさい」
「雪菜ちゃんの様子見に来たんだろう?オニイチャーン?」
「馬鹿!聞こえたら…!」
「聞こえねえって」

普通にさ、行きゃいいじゃん?桑原ん家で、一緒に飯でも食えばいいじゃん?
ピンポーン、ってしてさ。

そんなことを飛影がするはずないことを知っていて、幽助はニヤニヤしながら、桑原家の玄関の方を指す。
ムッとした飛影が眉を寄せるのを見て、悪りい、冗談冗談、と、たいして悪いとも思っていなさそうに、幽助は言う。

「オレも桑原ん家に用があったんだけどさ」

別に急ぎでもねえし、せっかくお前に会ったんだから、また今度にすっかな。
オレん家、寄ってかねえ?

「寄らん」
「なんだよ。本当に雪菜ちゃんを見に来ただけなのか?」
「だから違っ…」
「じゃ、寄ってけよ。茶ぐらい出すぜ?」

二ッと笑うその顔に、飛影はしぶしぶ、ついて行った。
結局、あの男とは別な意味で、オレはこの男にも弱い、などと内心で溜め息をつきながら。
***
あんな近くでのぞくなら、家に行けばいい。
行きたくないなら、邪眼で見ればいい。

「なんでそうしねぇの?」

単純な、幽助の問い。

邪眼で見るのと、二つの目で見るのは、違うのだ。
人間で言えば、テレビを見るのと、遠目であっても劇場で芝居を観るのとはまったく別なように。
蔵馬ならきっと、そう説明しただろう。

そんなことを上手く説明できるほど、飛影は饒舌ではない。
それを幽助に説明してわかってもらえるとも思えなくて、飛影は口をつぐむ。

「ほれ」

差し出された缶に、飛影はしかめっ面を返す。
ビールは飲まないのだと、何度言っても幽助は憶えない。というより、酒を好まない者がいることを、幽助には理解できないのだろう。

「そっか。飲まないんだったな。ジュースなんかあったかな」

甘い物も、あったかな。ポテトチップくらいはあったよな。ブツブツ言いながら、幽助は台所へ行ってしまう。
雑然と散らかった部屋は居心地が悪く、この隙に帰ってしまおうかと思った飛影の目に入った、箱。

カラフルな、薄くて小さな箱。

飛影がそれを手に取ったのは、蔵馬の家でよく見かけるチョコレートの箱にちょっと似ていたからだ。
パコ、と軽い音を立てて開いた箱の中からは、飛影の予想しない物がすべり出てきた。

「……?」

チョコレート、ではないようだ。
一綴りに繋がって、つるりとしたビニールに包まれた、薄くて硬い、輪のような物…?

「何してんだよおめーはよ!」

ひどく慌てた様子の幽助が取り上げようとしたそれを、飛影はひょいと遠ざける。

「おい!食い物じゃないっつの!」
「違うのか?」

チョコレートの箱に、よく似ているのに。
連なったビニールの端に切れ目を見つけ、開けようとした飛影の手を、幽助は慌てて止める。

「よせよせよせ!オレと一発やろうってか?」

今度こそ飛影の手から取り上げると、幽助は箱が歪む勢いでしまい込み、ベッドに放り投げ…た所で、飛影がなんなくキャッチする。

「だーかーらー!」
「これはなんだ?」
「だー!もう、ゴムだよ。コンドーム!食えねえってばよ」
「ごむ?」
「そうでーす!ガキがデキたり病気になったりしないために使うんでーす!! さー、もういいだろが」

めずらしく赤くなっている幽助に、飛影は首を傾げる。

「ガキ?病気?」
「おめーは妖怪だからいいけどよ」

人間はですね、セックスする時にこれを着けないと、妊娠したり病気になったりすることがあるんです!だから、セックスの時に使うの!
純情な不良は、この手の話を好みそうに見えて、実は苦手なのだ。すっかり赤くなり、大慌てのその様子は、なかなか見物だ。

「…お前が妊娠するのか?」
「へ?いやいやいや!違うだろそこは!」
「お前とやると病気になるのか?」
「いやいやいや!人を病原菌みたいに言うな!それはな、男のやさしさつうか義務、そう!義務なの!! 相手が大事だから、使うもんなの!!」
「……大事?じゃあ大事じゃないやつになら使わないのか?」
「いやいやいや!大事じゃないやつとはそもそもしちゃいけないんだっつの!! だからもう気にすんなって!なっ、これでも飲め。あ~、なんでおめーとこんな話…変な汗かいたぜ」

話を早く打ち切りたくて、幽助はジュースやポテトチップの袋を並べる。
手渡されたペットボトルのオレンジジュースと、カラフルな箱を交互に、飛影は眺める。

「…もらってもいいか?」
「だから飲めって言ってんじゃん。開けてやろうか?」
「違う」

これを、と飛影はひしゃげた箱を指す。

「……………使うのか?」
「ああ」

いつ?誰に?どこで?
頭の中を飛び交うキーワードを幽助が口に出す前に、飛影は箱を手にし、窓枠に足をかけていた。

「お、おい!待てよ」
「もらってもいいんだろう?」
「え、いや…いいけどよ…」
「じゃあな」

え?ちょっと?飛影さーん?

幽助の声を背に、飛影は窓の外へ、いとも身軽に飛び出した。
***
「遅かったね。どこに寄り道…」

いつものように窓辺に立つ恋人を抱きしめようとした蔵馬は、飛影の手にある、変にきらびやかな箱に気付く。

「何、それ?どうしたの?」
「…お前はこれが何だか知っているのか?」
「何って…コンドームの箱みたいに見えるけど」

飛影の顔が、みるみる不機嫌に曇っていく。

「なんで、知ってるんだ?」
「え?えーと……」

これは難問。
普通は知っている、などという回答でいいものか、蔵馬は迷う。

「……知っていたのに、オレには使わないのか?」
「ええ!? 飛影に?」

言ってしまってから、どうやらこの言葉が飛影を怒らせたらしいと蔵馬は気付く。

「な、なんで怒るの?」
「………」

大事なやつには使う物だと、幽助は言った。
ということは、つまり。

「大事な相手には…使うんだろ?」
「え?いやその、そうとも限らないんじゃ…」
「お前は…オレを……」
「…あ」

そこでようやく、蔵馬は飛影の言いたいことを、理解した。

「あは…」

蔵馬は、思わず破顔する。

「何がおかしい!?」
「もう。飛影って本当に、人間界のおかしなことばかり気にするんだから」

笑われた。
腹を立て、窓枠を蹴って再び夜空に飛び出そうとした飛影だったが、あっさりとコートの裾をつかまれた。

「放せ!」
「まあまあ、そう怒らずに。今夜はさ…」

せっかくここにあるんだし…。
コレ、使ってしようよ、ね?

いつの間にやら箱は蔵馬の手の中で、きらんと光った。
***
「あ……は…ぁん……くら…ま…」

大抵の場合、蔵馬は、飛影を全裸にし、散々前戯を施してから、ようやく自分も服を脱ぐ。けれど今夜は、たっぷりとキスを交わした後、二人揃って服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿でベッドに入った。

「あ、あ、あ…ぁ」

蔵馬の口の中で転がされ、小さな乳首は硬く尖っている。
カリ、と軽く歯を立てられ、飛影が小さく甲高い声を上げる。

「んっ!あ、くら…」

喘ぐ飛影とは対照的に、蔵馬は余裕の笑みを浮かべ、足の間で震えるものを、そっと握ってやる。

「ほら、もう少し足を広げて…」
「う、あ、嫌…だ…っあぁ…ん」

嫌、という拒否の言葉とは裏腹に、飛影の足には力がなく、蔵馬の思うまま、大きく広げられてしまう。
勃っているものから、後ろの穴まですっかり見える、その姿。

「君はオレに何もしてくれないのにさ…」
「…あ、んんっ!ぅあ…くら…」
「イヤラシイ君を見ているだけで勃つんだから…オレも困りものだよ」
「あ、くら、ま…っあ!」
「待って、まだだよ」

カサ、という聞きなれない音に、飛影がパッと目を開ける。
すっかり忘れていた、あの小さな箱だ。

「な、にを…?」
「オレだけするんじゃ不公平じゃない?」

君にも、はめてあげる…。
耳元で蔵馬は囁き、ピッとコンドームの袋を口で破る。

「はめ、る…何、なんだ…!? …ん!あっ!!」

どんなことにも、蔵馬は器用だ。
慣れた手付きで、半勃ちの先端にあてがわれた次の瞬間にはもう、コンドームは根元まで被せられていた。

「ああっ!んあ!! ……や」

透明のビニールで包まれたような自分の陰茎に、飛影は目を丸くする。

「な、んだ…これは…!…嫌、だ…は…ずせ!」
「そっちが持ってきたんじゃない」

言いながら、片手で自分の分をはめる蔵馬の目は、少し意地悪い。
明らかに、面白がっている。

「ほら、指入れるから、うつ伏せになってごらん」
「や、やめろ!これを外し…」

あっさりひっくり返され、尻の肉をぐいっと広げられる。

「あ!バカ、待っ…」
「はい、息を吐いてねー」

つぷん、と体内に入り込んできた指に、飛影は思わず声を漏らす。

なんか、いつもより痛い…。

「コンドームのゼリー、一応指にも付けたんだけど、やっぱり足りないね」

いつもは君が出したのを使うのにね、などと蔵馬は笑っている。

「な、にが…足りない、だ…抜け!痛い!」
「足りない分は自分で出せばいいでしょ。指をぎゅーっと、お尻の穴で締めつけて」
「バ、このバカッ…!」

言葉責めにも弱い飛影の体は、悲しいかな反射的に挿入されていた指を締めつけてしまう。
蔵馬の中指は中を探るように、広げるように、ぐるぐると動き回る。

「あ!! あっあっ、あ…ん…」
「ほらね。出てきた…」

蔵馬の言葉通り、指を締めつけるそこは、ぬるりと液体を分泌させ始めた。

「バカ、うあ!あっ!! あ!あ!」

指は二本に、三本にと増やされ、飛影の喘ぎ声は高くなる。
入口はくちゅくちゅと濡れた音を立て、強張りを解いていく。

「ア、あぁ…ん…ん!」

首筋に、背中に、吸い付くようなキスを落とされ、腰を抱え込まれた。
慣れた体は、続く挿入を望んで、ぶるっと震える。

「ア!ア!ア!うあぁ、ン!!」
「…オレのも…ゼリーが付いてる分入れやすい…かな」
「あ、っや!ああ…!…んあっ!!」

入口を、浅く掻き回すように突かれる。
大きく腰を引いた蔵馬は、次の瞬間、飛影の底まで、叩きつけるように突いた。

「っひ!あ!アアアァァアアッ!!」

のけ反った背を抑え込み、蔵馬は激しい抜き差しを始める。

「飛影…ひえい…」
「あ、あ、あ、あ!んあ!んー!!」

もう何度体を交わしたか分からない。
それなのに、二人は未だにこの行為に飽いたことがない。

「や、くら…ま、くらま…っ!…ん!! ……あ」
「もう、出しちゃったんだ?」
「……ぁ…」

顔をちゃんと見れない後背位でも、その顔が赤く染まっていることなど、蔵馬はお見通しだ。
整わない呼吸に上下する背が愛しくて、浮いた汗を舐めた。

「…くら、ま……これ…!」

四つん這いの体勢で、自分の股間を凝視している飛影。

「そ。これがコンドームの役目」
「……な…気持ち…悪い」

放出できずに、閉じこめられた精液が、先端にある。
なんとも不快で、奇妙な感覚。

「嫌…だ…ああっ!?」

突然再開された動きに、飛影が声を上げる。

「待っ、くら…ま!」
「だーめ。オレはまだ出してない」
「ちが、嫌、これを外し…ああん!!」
「後で外してあげる…飛影…」
「あっあっあっ、ああっ!! あん!あ!」

いつになく早く、蔵馬は飛影を追い上げ、自分も昇りつめた。

「ア……ああ…」

反射的に、飛影の体内は蔵馬をきつく締め上げた。
一滴残らず、絞り取ろうとするように。

「……あ…?」

いつもの、あの感じがない。
中に、体内に、蔵馬の種を流し込まれる、あの感じ。

じゅわっと染み込むような、あの感じが、ない。

「……なん…か…」
「…物足りない、でしょう?」
「そんなこと誰が言っ…!うあ!! …痛ぅ…」

いつの間にやら飛影の股間を弄っていた蔵馬の手は、コンドームを勢いよく外す。

「き、さま…!」
「ごめんごめん。さっさと取っちゃいたかったでしょ?」

蔵馬は自分の分のコンドームと共に、中身がこぼれないようくるっと縛って床に放る。
体を返し、仰向けにした飛影に向かって、蔵馬はにこっと笑う。

「ね?オレたちにはいらないんだよ?」
「……どうだかな」
「まあ、オレとしては後始末は楽になるけどね」

ベッドも汚れないし、君の中から掻き出さなくてもいいし、などとしれっと言う蔵馬に、飛影はカッとなる。

「だ、誰が後始末を頼んだ!? だいたいいつも…!」

大体いつも、後始末がそのまま次のラウンドになってしまうことの方が多いというのに!とは、羞恥心が邪魔して飛影は言えず、口ごもる。

「はいはい。オレがいつも進んで、喜んでしてます。さて」

気を取り直して、次、始めていいかな?あんなものしてたんじゃ、飛影の中、味わいきれないじゃない?だから一回目は早めに終わらしたんだから。

「勝手なこと言うな!おい、貴様聞いて…っあ!」

聞く耳持たずに、蔵馬は飛影の両足を持ち上げ、自分の両肩に乗せる。
尻を持ち上げるようにして、薄い肉を大きく拡げ、入口に顔を埋める。

「ア!やって、いい、なんて言ってな…!あぅ!」
「君だって、生の方がいいって思ったんでしょう?」
「う、あ…き、貴様の…変態病がうつる!!」
「人聞きの悪い。オレがどれだけ君を大事に思っているか知ってるくせに。それにさ…」

もし、病気になったらさ、ちゃーんとオレが面倒看てあげるから。
一日中つきっきりで、お世話してあげる。

「ここを…この小さいお尻の穴をさ、朝昼晩ずーっと診てあげる。いーっぱいお薬も入れてあげるよ」
「え?あ、や、バカ!! 嫌、だ!ああああぁぁあっ、んん!!」

抗議の声を嬌声と受け取り、わずかにゴムのにおいの残るその小さな蕾に、蔵馬は舌を差し込んだ。


...End