08.ライバル

彼女が長生きしてくれる事を、オレは心底望んでいた。
なんならオレたちと同じように、半永久的に生きてくれればなおいい。

もちろんそんな事は無理な話だ。
いや、不可能な話ではない。だが、彼女もその恋人である彼も、それを拒否するだろう。

だからこそ、彼はオレのライバルなのだが。
***
彼女と彼の時間は少なくともあと五十年はあると思っていた。
それだけの時間があれば、オレは…オレの欲しいものを完璧に自分のものにしている自信はあった。

まったく物事は思い通りにはいかないものだ。

「はい。今週分」

小さな包みにくるまれた薬を、オレは幽助に手渡した。

「ああ、いつも悪いな、蔵馬」
「悪いだなんて…オレに出来る事なら何でも言ってよ」

心配そうな、いかにもいい人そうな顔をしてオレは言う。

「サンキュ。でも十分助けてもらってる」

幽助は笑ってそう言うが、その笑顔は彼らしくもない無理やり作ったものだ。

「螢子ちゃんの様子は…どうなの?」
「ん?いやまあ…良くはねーけどさ。でもお前がくれる薬のお陰で…」

ひどく言いにくそうに口ごもる。
沈黙は、彼には似合わない。

「……お陰で、病院なんかじゃなく、オレが家で看取ってやれそうだ」
「…そう」

オレが渡した薬は痛みの緩和剤だ。
人間界の物のように、人を廃人同然にしてしまう緩和剤ではない。
痛みを緩やかに、かつ、人間らしい心や生活を維持できる、薬。

幽助の恋人が人間界ではありきたりの病に伏し、僅かな余命を告げられたのは半年ほど前の事だ。
オレが言うのもなんだが、彼女はとてもいい子だ。

人生は公平ではない。
妖怪としての生を散々貪った揚げ句、人間としての生も手に入れている者もいるというのに。

「ねえ、幽助…」
「なんだ?」
「前にも一度言ったけど…オレなら…彼女にもっといい薬を作れ…」
「ストップ」

幽助は、コーヒーカップをテーブルに戻し、オレの話を遮った。

「お前が螢子の事を考えてくれてるのはわかってんだ。でも、オレはあいつに約束したから」

約束したから。
あいつが人間として生きる、人間としてオレの側にいる、ってのを。
そして…人間としての寿命が来た時には、決して魔界の力を使って生き長らえさせようとはしないって。

約束したんだ。

そう話す幽助はひどく切なそうで、でも、最愛の女の凛とした生き方に、どこか誇らしげでもあった。

「変な魔法使ったら許さない、とか言うんだぜ?魔法じゃないっつの、なあ?」

オレが以前にも持ちかけたのは、彼女を延命させる薬を調合しようか?という事だった。
なんなら…延命どころか、病の完治も今のオレなら可能だ。

「そうだね。…ごめんね。変な事持ち出してさ」
「いや、いーんだ。…蔵馬はやさしーな」

やさしい、ねえ?
オレほどやさしくない人間がいるだろうか?

オレは幽助の恋人なんか、本当はどうだっていいというのに。
ただ、彼女が幽助の側にいる事は都合が良かった。なぜって…

「そういやさ、どういう風の吹き回しか、飛影のやつも時々来るんだぜ」
「…え?」

今まさに考えていた名を不意に出され、オレはらしくもなく動揺した。

「桑原はしょっちゅう来るけどさ。飛影が来るとは思わなかったな」

この間なんか、変な魔界の花持って来たんだぜ?
意外だろ?飛影が花持って見舞いに来るなんてさ。

「見た事もない花だったな。花が水色なのに、葉っぱが金色で。螢子すっげー喜んだし」

そう言う幽助も嬉しそうだった。

「あいつ、なんだかんだいって…やっぱいいやつだな」
「…そうだね」

違う。

それは…罪滅ぼしだ。
不器用な飛影なりの。

飛影は彼女の死を願っている…もちろん、本人も気付かないほど心の奥底で、だが。

彼女が死ねば…

オレはすっかり冷めたコーヒーを、一口啜る。

彼女が死ねば、飛影は自分の欲しいものを手に入れる事ができるかもしれないからだ。

オレの欲しいものは飛影で、
飛影の欲しいものは…

幽助。

最初から分かっていた事なのに、オレは…

コーヒーは、自分で淹れた物なのに、ひどく苦い。

オレと飛影は最近ますます体を重ねる回数が増えていた。
飛影がオレを求めれば求めるほど、本当は誰を求めているのかオレにはよく分かった。

幽助。多分飛影にとっては初めて尊敬した他人。
尊敬が友情に、友情が愛情に変わるのはあっという間だった。
だが、もちろん幽助には恋人がいた。

それを奪う気も、壊す気も、飛影はなかったのに。

なのに今は…好機、というやつだ。不謹慎な話だが。

もちろん飛影は認めないだろう。

幽助を愛しているなんて。
幽助の恋人が死ぬ事を本当は喜んでいるなんて。

…それを認められないから、オレに抱かれている事なんて。

オレに抱かれながら、飛影は目を閉じて、誰の顔を思い浮かべているのだろう?

「よし、オレそろそろ行くな」

幽助の言葉に、ハッと我に返る。

「うん。本当に…オレに出来る事なら何でも言ってくれよ」
「ああ。お前も良かったら顔見に来てくれよ」

あいつ、お前を見ると目の保養になる、って言うんだぜ?
こんなにいい男が看病してるってのによ。

そう笑うと、幽助はじゃあな、と手を振った。
見送った玄関のドアが、バタンと閉まる。

…ああ。

本当に、彼はいいやつだ。
彼はオレが自分を敵と見なしているなど、露ほども思った事はないだろうに。

だからこそ…オレは彼をライバルにはしたくなかったのに。

だが…敵に容赦するつもりはない。
相手の幸せを願って、自分から身を引くような出来た男にはなれない。

銀色の髪をなびかせて、気に入らないものを全て壊してきた、かつての自分を思い出す。

結局、オレはあの頃から何も変わっていない。

いつだって敵は叩きつぶしてきた。
今回は…できればそうしたくないんだ。

「飛影…」

君が、幽助の事を大切に想っているなら、オレの側に留まる事だな。
そうでなければ…幽助には…

先ほどまで幽助が飲んでいた、飲みかけのコーヒーが半分残ったカップを、オレは洗おうとシンクに入れかけ…

粉々に、叩き割った。


...End.